「マギー牧師の解説書」より(4)
フィルム四
(ニと三)仏教徒の尼僧と幼い修行尼僧(八、九歳)の事件
この少女は事件後、数週間熱を出していたにもかかわらず、背中を銃剣で刺された。おとなの尼僧は、銃弾の傷が原因で腰の左側を複雑骨折し、傷は拡大性の感染症に発展した。回復は疑わしい。
もし回復しても、歩けるようになるにはきわめて特殊な手術が必要となろう。
彼女と他の何人かの尼僧は、城内南部のある寺院の裏の建物に住んでいた。日本軍は城内に侵入して、この付近の住民を大量に殺した。彼女を病院へ運んだ仕立屋の推定によると、およそ二五名の死者が出た。
そのなかには六五歳になるこの尼僧院の「マザー院長」と六、七歳の幼い修行尼僧の姿もあった。日本兵は、このフィルムが映し出すように、尼僧と幼い修行尼僧に傷を負わせた。
彼女たちは待避壕のなかに避難し、五、六日間、飲まず食わずで過ごした。待避壕には多数の死体があり、六八歳の老尼僧が死体の重さで圧死、あるいは窒息死した。
五日後、この負傷した尼僧は、ある(日本の)兵士が中国語で「何とかわいそうに」と言う声を聞いた。彼女は即座に目を開けて、その男に助命を請うた。
かれは彼女を待避壕から引きずり出し、何人かの中国人に、彼女を軍の仮手当所へ運ばせ、そこで軍医が手当てを行った。
最終的に彼女は近所の人の手で鼓楼病院へ運ばれた。
(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P174)
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