東中野氏の徹底検証 2
反日撹乱工作隊(1)



 「反日撹乱工作隊」説は、南京における日本軍の乱暴狼藉を、実は中国側の「反日撹乱工作隊」の仕業であった、と決め付ける議論です。

 常識ではありえない「説」なのですが、小林よしのり氏『戦争論』による紹介もあってか、ネット世界での「南京事件」論議では大変ポピュラーなものになっています。

 ただし論壇では、当の東中野氏以外に、この説を積極的に唱える論者を見かけることはほとんどありません。 

 以下、東中野修道氏『南京虐殺の徹底検証』の記述に沿って、その「論拠」を検討していきましょう。


 
『南京虐殺の徹底検証』より 


 ところが、そのことを裏づける驚くべき記事があった。それが、一九三八年一月三日上海発の「ニューヨーク・タイムズ」の記事(一月四日付)である。「元支那軍将校が避難民の中に―大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」と題する記事は、次のように言う。以下は全訳である。
<南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで二番目に権力ある地位につけていたのである。

 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。

 この元将校たちは、南京で掠奪したことを、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や他の外国人たちのいる前で自白した。

 この将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、恐らく処刑されるであろう。>

 南京安全地帯は中立地帯であった。そこに、ベイツやスマイスなどアメリカ人教授が支那軍将校を匿っていたのである。これは重大な中立違反であった。

  その上、あろうことか、<市民に変装した現役の将校たち>が掠奪や強姦を重ねては、日本軍の犯行にしていた。アメリカ人教授が「心底から当惑」したのも当然であったろう。 しかも、彼らの十号文書(十二月十八日)は、安全地帯に支那兵は一人もいないと保証していたのであった。

  しかし、この安全地帯で生じた重大な出来事が、不思議なことに「南京安全地帯の記録」には収録されていない。日本人告発という目的に、合致しなかったからであろう。

(同書 P275)  


 東中野氏自身は気が付いていなかったようですが、実はこの事件は、外国人の間では、「王新倫事件」として知られていました。

 資料の内容を要約すれば、これは、難民キャンプ内の中国人同士のいさかいから、「王新倫」(WANG HSING-LUNG)を含む4人の男が、日本軍憲兵隊に密告され、逮捕された、という事件でした。

 ただしこの4人をストレートに「元軍人」と認定するのは無理があるようです。4人とも氏名は判明しており、この4人のうち2人については、外国人(リッグス、ベイツ)がその身分を「保証」できる、と言明しています。

 また王新倫自身についても、中国人の間からは「南京警察の刑事」(Inspector of the City Police)だった、との情報があるとのことです(外国人の側では、情報不足から、元軍人かどうかという断定はできなかったようです)。

さて、この知識を前提に東中野氏の文を読み直しましょう。




 まず標題です。

 見出しの原文は、こうでした。(「ニューヨークタイムズ」当日の記事で確認済です)

Colonel and His Aides Admit Blaming the Japanese for Crimes in Nanking

 「大佐一味」というのは、あまり素直な訳とはいえません。 文字通りに訳せば、「大佐と彼の援助者たち」という感じでしょうか。わざわざギャングもどきの「一味」という訳を採用するあたり、東中野氏の姿勢が伺えます。

 また、"admit"(認める)を「白状」と訳すのも、やはり素直とは言えないでしょう。




さて、記事の内容を、外国側資料と、照合してみることにしましょう。



●アメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。

 実際の逮捕者は「王新倫」を含め「4名」だったようですが、「アメリカ人教授たち」が「元軍人」と認定した人物は、一人も存在しません。 また少なくともそのうち2名については、外国人は身分を「保証」できる、と考えていました。



彼らは大学の建物の中に、ライフル六丁とピストル五丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していた。

外国人たちの認識は、こうでした。

1937.12.30「南京大使館宛書簡」より

おそらく、中国軍敗残兵が大量の銃を投げ捨てた後、人々が驚いて埋めたり、池に投じたりしたのでしょう。もし憲兵が池を調べたら、大量の武器を発見すると思われます。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P146)


 「隠匿兵器」と認定したとすればそれは日本側の判断(あるいは「プロパガンダ」)であり、外国人側は「隠匿兵器」という認定は行っていません。



この元将校たちは、南京で掠奪したことを、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や他の外国人たちのいる前で自白した

外国人の記録を見る限り、「アメリカ人や他の外国人のいる前で自白した」という事実はなかったようです。



  以上、この記事は、外国人の記録と照らし合わせると、大分印象が違ってきます。このニュースソースはおそらく日本側の筋であり、情報内容も一方的なもの、という判断ができるでしょう。




 この記事への東中野氏のコメントもまた、暴走気味です。


ベイツやスマイスなどアメリカ人教授が支那軍将校を匿っていたのである。

「元軍人」であったかどうかはっきりしない以上、このような断定はできません。



その上、あろうことか、<市民に変装した現役の将校たち>が掠奪や強姦を重ねては、日本軍の犯行にしていた。

 情報は一方的なものであり、この記事だけで「事実」と断定することはできないでしょう。



南京安全地帯は中立地帯であった。そこに、ベイツやスマイスなどアメリカ人教授が支那軍将校を匿っていたのである。これは重大な中立違反であった。

 「匿っていた」というのは、明確に事実に反します。 また例え、記事の内容をそのまま鵜呑みにするとしても、知らずに「匿っていた」わけですから、 「中立違反」を問うことはできないでしょう。



しかし、この安全地帯で生じた重大な出来事が、不思議なことに「南京安全地帯の記録」には収録されていない。日本人告発という目的に、合致しなかったからであろう。

 「収録されていない」どころか、この事件は、外国人の間では「王新倫事件」として知られており、「南京安全地帯の記録」第28号文書にも掲載されていました。

 東中野氏が多用する、何の根拠もないことを示す「であろう」のフレーズが、ここにも使われています。

 まとめると、記者は日本側の筋からこのような情報を得たと思われますが、記事内容の信憑性を裏付ける信頼すべき資料は存在しない、ということになります。




 「東中野論文「ラーベ日記を批判する」を批判する」よりで紹介した通り、板倉由明氏は、以下の指摘を行っています。


板倉由明氏『東中野論文「ラーベ日記の徹底検証」を批判する』より

 
日本軍に逮捕されて白状したとあれば、日本軍の悪評を消すための絶好の宣伝記事だから、大々的に公表し、新聞に書かせるだろう。捕らえたのがどの部隊かも明らかでなく、第十六師団関係者、憲兵隊関係者の日記や証言に全く見当たらず、『東京日日』や『朝日』にも出ていない。

(「正論」平成10年6月号所収)



 常識的には、当時の「憲兵隊」の苛酷な取調べ状況を考えるならば、王新倫の「自白」がもし存在したとするならば、それには何らかの「物理的強制」が働いた、と見る方が自然でしょう。「でっち上げ」の可能性も、大いに考えられるところです。 

 また板倉氏が指摘する通り、もしこの「事件」が事実であったとするならば、国際的な非難に苦しむ日本軍にとって、これは絶好の「宣伝材料」であったはずです。しかし実際には、1月24日の外国人記者向け記者会見(後述)以外、日本側が何らかの「宣伝」を行った形跡は見られません。

(後述の通り、アベンド記者はこれを無視しました)

 また、松井大将、飯沼少将等、事件を知るべき立場にいた当時の日本軍の要人たちの記録にも、「日本兵が襲ったふうに」した中国軍元軍人の話など、全く登場しません。特に飯沼少将は、「日本軍の乱暴狼藉」に対する隠蔽工作に頭を悩ませる立場にいただけに、何も言及しないのは不自然なことであると思われます。



 板倉氏自身は「1月24日の記者会見」に気がついていなかったようですが、氏の指摘は大筋では正しいと考えられるでしょう。

 十分な裏付けを持って検討すべきこの記事を、何の検証も行わずに「事実」と認定した東中野氏の姿勢には、大いに問題があります。

 (2002.12 記)


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