東中野氏の徹底検証 5
反日撹乱工作隊(4)


 東中野氏は、ラーベの報告にも疑問を呈します。

東中野修道氏『南京虐殺の徹底検証』より

 『南京安全地帯の記録』に出てくる「事例五八」によれば、十二月十七日午後六時頃、ナチスの鉤十字の旗がひらめく自宅にラーベが帰宅したちょうどその時日本兵二名が入ってきて、そのうちの一人が服を脱ぎ少女を強姦しようとした。そこで、ラーベが出ていくよう命じると、兵士は出て行った、と記す。

 しかし、本当に強姦を狙ったのであれば、なぜ誰もいないときに狙わなかったのか。なぜ「ラーベが帰宅したちょうどその時」を待っていたかのように、ラーベの家に兵士が入ってくるのであろうか。偶然にしては、あまりにもタイミングがよすぎるのではないか。

(P279〜P280)


氏はどうやら、これは実は「反日工作撹乱隊」の仕業であった、と主張したいようです。




さて、「事例五八」を、見てみます。

第五八件

 十二月十七日、ラーベ氏(Mr.Rabe)の報告によれば、日本兵約一五名が彼の家に侵入した。そのうちの数人は塀を乗り越えて侵入し、銃剣をかざしてラーベ氏の助手の罕湘麟(訳音)から現金と書類数部を強奪した。現金は上衣の内ポケットからぬきとられた。強奪された物の一覧表はY・永井少佐に手渡された。

 永井少佐がラーベの家に日本兵が立ち入ることを禁ずる貼紙をわざわざ書いてくれ、それをラーベ氏宅のドアに貼っておいたにもかかわらず、さらにまた、ラーベ氏はドイツ人であって自宅にはカギ十字のナチス旗を四本も掲げていたにもかかわらず、六時頃ラーベ氏が帰宅してみると、ちょうど二名の日本兵が侵入してきた。そのうち一名は衣服を脱ぎ娘を強姦しようとしているところであった。ラーベ氏が二人に出て行くように命じると、彼らは侵入した時と同様に塀を乗り越えて出て行った。

 日本兵はラーベの家から自動車一台を盗み去ったが、「ありがたく頂戴する。日本軍、K・佐藤」という受領証をおいていった。ラーベは正式な受領証を要求したがことわられた。自動車の価格は三○○ドルである。

(ラーベ)

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」P106)


続く「事例五九」もラーベの報告です。

第五九件

 十二月十八日、永井少佐がわざわざ小桃源にある国際委員会委員長ラーベ氏宅に来訪中、真向いの家に日本兵四名が侵入し、うち一名が婦人を犯そうとしたので、大声で助けを求めてきた。永井少佐はその男を捕え、頬に平手打ちをくわせ出て行けと命じた。他の日本兵三名は永井少佐の来るのを見て逃げ去った。(ラーベ)

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」P107)


 東中野氏の紹介だと「ラーベが帰宅したちょうどその時」に生じた事件が多数あったかのように錯覚しますが、このような事件は、ラーベの在宅、不在時にかかわらず、日常茶飯に生じていました。そのうちたまたま一件が、「ラーベが帰宅したちょうどその時」に生じた、というだけの話です。

 東中野氏は、多数の事件のうち、「ちょうどその時」に生じた一件をとりあげて、これを「反日撹乱工作隊」の証拠として使おうとしているわけです。

 


 以下は蛇足ですが、実はこの「五九件」も、まさにラーベが帰宅した「ちょうどその時」に生じた事件であったようです。

ジョン・ラーベ日記 十二月十八日

 私は発電所の復旧の件で話し合っている将校に、何とかしてくれと申し入れた。するとその将校は、日本語で書かれた札をくれた。さっそくそれをドアに貼ることにして一緒に家に戻った。

 家につくと、ちょうど日本兵が一人押し入ろうとしているところだった。すぐに彼は将校に追い払われた。そのとき近所の中国人が駆けこんできた。妻が暴行されかかっているという。日本兵は全部で四人だということだった。我々はただちに駈けつけ、危ないところで取り押さえることができた。将校はその兵に平手打ちを食らわせ、それから放免した。

(「南京の真実」 文庫版 P143)


 東中野氏は、日本軍の「将校」が「偽装した中国兵」に「平手打ちを食らわせ」た、と主張するつもりでしょうか?

 
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