東中野氏の徹底検証 11 |
生きながら焼かれた記録 |
読んでいると、「積み上げ」た「遺体」に「ガソリンをかけ」てまとめて焼くことが「火葬」である、と錯覚しそうです。 通常これは、「火葬」ではなく、単なる「死体処理」という言葉で表現されるべきものでしょう。 氏は、これを「火葬」のイメージに近付けるためか、わざわざ「ガソリン」の前に、「少量の」という何の根拠もない形容詞を挿入しています。 「それを垣間見た支那人が、日本軍は人を生きながら焼き殺したと噂したのであろう」。 例によって、ここにも、東中野氏特有の何の根拠もないフレーズ、「・・・であろう」が使われています。 さて、ラーベの「ヒットラー宛て上申書」は、次のような内容でした。
これは、安全区内の「敗残兵狩り」で捕らえられた人々の、虐殺についての記述です。東中野氏は、「ラーベ日記の本文にもその記載はない」と書きますが・・・。
ちゃんと、存在しました。 さらに、東中野氏が「皆無」と主張する、「日本軍が生きながら人々を焼き殺したという記録」を、ふたつばかり挙げておきます。
2003.3.29 追記 以上、東中野氏は、当時の中国人がそもそも「火葬」というものを知らなかったかのような文章を書き、それを「火葬を生きながら焼き殺したと誤認した」ことの根拠としています。 確かに当時の中国では「土葬」が中心でしたが、「火葬」が皆無かというと、そうも言い切れないようです。少なくとも1938年(民国27年)時点では、「火葬」が行われたケースもあったと思われます。以下、資料を紹介します。
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