東中野氏の徹底検証 10 |
夏淑琴さん事件 -許伝音証言をめぐって- |
「夏淑琴さん事件」とは、十二月十三日、南京東南部で2家族11名(あるいは13名)が日本軍に虐殺された事件です。 事件のたった2人の生き残りである夏淑琴さん(当時8歳)は、マギー牧師に対して事件の概要を語りました(『ドイツ外交官の見た南京事件』P176〜P177)。そして50年後、彼女は、本多勝一氏に対しても、事件のことを語っています(『南京への道』文庫版P197)。 東中野氏は、上記マギー牧師の記録と『南京への道』の細かな相違点を針小棒大に取り上げ、 「もし語るのであれば、「八歳の少女(夏淑琴)」は事実を語るべきであり、事実をありのままに語っているのであれば、証言に、食い違いの起こるはずもなかった」(P248)とまで言ってのけます。 その相違点というのは、被害者が「11人」か「13人」か、事件後に家の中に隠れていた期間が「1週間」か「2週間」か、という、事の本質に関係のない、ほとんど、どうでもいいレベルのことです。 当時8歳の少女の50年後の回想に、そこまでの細部にわたっての「正確性」を求めようというのが、土台無茶な話です。 重要なのは、「夏淑琴さんの家族、そして隣家の人々が、夏淑琴さんとその妹を除いて皆殺しされた」という事実です。その一点は間違いなく両方で共通しているし、またそれで十分でしょう。 それはともかく、東中野氏の「トリック」を解説しましょう。まず、東中野氏の記述からです。
東中野氏の引用する、「日支紛争」の中の「マギーの説明」は、以下の通りです。
確かにこれだけを見ると、許伝音は部屋の中で「死体」を目撃したはずなのに、実際には部屋からは既に「死体が全て取り除かれ」ていたように読めます。実際はどうだったのか。以下、見ていきましょう。 まず、「許伝音」の「証言」から。なお、東中野氏の引用部分は、正確には「証言」ではなく、「証言」とは別に文書で提出された「宣誓口供書」の記載です。以下、引用します。
第一のトリック。東中野氏は、引用部分をあたかも許伝音の「目撃証言」であるかのように語っていますが、これは、「兵士共の行為の例証」としての「引用」であり、「目撃証言」ではありません。 「血の中に横<た>わつて居た」云々は、本人の「目撃」ではなく、「第一発見者」から聴取したことをそのまま「口供」したもの、と考えていいでしょう。 実際の「目撃証言」は、次の通りです。
部屋から「取り除かれた」死体は、実は家から数「メートル」離れたところにあったわけです。許伝音は、家の外で死体を目撃し、「マギー」とともに死体の写真を撮りました。 「マギーの説明」の方も、見ておきましょう。この文は、「徹底検証」が出版された1999年より後の2001年に出た、「ドイツ外交官が見た南京事件」に収録されていますが、これを読むと、この文は、実は「マギーフィルム」の解説書であったことがわかります。 「ドイツ外交官の見た南京事件」と東中野氏の引用を比較すると、東中野氏の方には、最後の2行が脱落していることに気がつきます。
東中野氏は、マギーが死体を目撃していないかのような文を書きましたが、実際には、マギーも死体を目撃して、これを撮影していました。東中野氏は、以上、3つのトリックを使って、「許伝音の偽証」を作り上げたわけです。 なお、こんな記述もあります。
「先のマギーの記録」(「マギー牧師の解説書」)は、フィルム内容の解説です。実際に読めばすぐにわかりますが、ここに書かれているのは事件の概況説明であり、特に「同行者」について触れる必要はない文章です。こんなことをあえて「疑問」に思う必要はないでしょう。
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