| 東中野氏の徹底検証 12 |
| 日本軍の不法殺害 |
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安全区の「住民登録」の際、「以前に兵隊だった者」が「進んで自首するならば生命は助けてやる」との日本軍の呼びかけに応じて「二、三百人」が「自首」したところ、結果として漢中門外で処刑されてしまった、という事件が起こりました。 この事件は、ベイツの他に、何人かの外国人の日記にも記載されています。しかし東中野氏は、あえてこの事件の存在自体に疑問を投げかけます。 以下、東中野氏の記述を追ってみましょう。
一見して、奇妙な文章です。 最初問題になっていたのは、「二、三百人」の「死体」の存在でした。そうであれば「二、三百人」の「死体」の有無が焦点となるはずなのですが、それがいつのまにか、「三○○○体」の死体がなかったから「事件」は根拠のない話である、ということになってしまいました。 「埋葬は昭和十二年二月から始まった」と書くこと自体、東中野氏の勝手な推察なのですが、この点についてはここでは触れません。とりあえずは、「ベイツメモ」の該当部分を見てみましょう。
「多数の死体」の存在については、クレーガー氏も確認していました。 これだけで、「事件の死体」の存在の証明には充分でしょう。文脈を見れば明らかな通り、その死体が「三○○○体」であったかどうかは大した問題ではありません。 しかし東中野氏は、問題を、その死体が「三○○○体」であったかどうか、ということにすり替えてしまいました。そして「三○○○体」の死体が存在したかどうか疑わしいから「事件」には根拠がないという、トリッキーな論理で読者を幻惑しようとしています。 そもそもの話、「南京事件」について少し知識がある方でしたら、東中野氏の記述の「時間的順序」がおかしいことにすぐに気が付くでしょう。 �ァ崙邉�安全地帯の記録」は、日本大使館等にリアルタイムで提出された記録です。 一方、� 崟鐐茲箸浪燭�」は、事件後に編纂されたものです。 「南京安全地帯の記録」の方が先だったのですから、 「戦争とは何か」にある表現が「南京安全地帯の記録」にないことを「削除」と表現することはできません。ベイツは後日得た情報を元に書き加えた、と見るのが自然でしょう。 従ってこれは、「三千体という死体」の存在を否定する根拠には、なりえません。 *なおこのベイツの「加筆」については、渡辺さんが、「"What War Means"第3章と「档案」の異同について」で詳細に論じられていますので、ご参照ください。 なお、東中野氏の文では、「十二月二十五日」時点で「死体」が「目撃」されたかのように読めますが、少なくとも「中国赤十字の責任者の一人」が死体を目撃したのは、「一月十七日」だったようです。 「ヴォートリン日記」に、その記述が見られます。
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