「国際安全委員会の記録」について、続きです。
しかし、誰が「事件」の目撃者であったのか、誰が誰から聞いて記録したのか、この肝腎な姓名を省略した事例が、二百五十一件のうち、百九十件(七五・七%)に達している。 つまり、記録者不明の四等史料が大量に収録されていたのである。
従って、東京裁判でジョン・マギーが「ちゃんと報告者の名前も出て居ります」と語ったのは、偽証にほかならなかった。
(「徹底検証」P258) |
これだけではちょっとわかりにくいので、念のため、東中野氏の主張を説明します。
国際委員会の記録には、
第四件
十二月十五日夜、七名の日本兵が金陵大学図書館に侵入し、難民の婦人七名に襲いかかり、うち三名はその場で犯された。 |
などのように、「報告者」の名を省略したものと、
第二八件
十二月十六日午後四時、日本兵が莫干路一一号の住宅に侵入し、そこで婦女を強姦した。(フィッチ) |
などのように、「報告者」(この例ではフィッチ)の名を明記したものがあります。
東中野氏は、「肝心な(報告者の)姓名を省略した事例が・・・百九十件に達している」と、批判しているわけです。
しかし実は、国際委員会が「報告者」の名を省略した理由は、委員会のメンバーによって明確に説明されています。
第五十八号文書 注記 (1938.2.1)
これらの事件を報告した中国人の名前を挙げることはしなかった。報告をした当委員会の職員が一人殺され、別の一人は重大な脅迫をうけたからである。
しかし、これらの報告者は委員会の常勤職員で報告者として自ら名乗ったのであるから、事件は件数番号で点検することができる。
(「南京大残虐事件資料集2」P194) |
同様の記述は、他の文書にも見られます。
ティンパレーとベイツの『戦争とはなにか』の出版をめぐる往復書簡7 ベイツからティンパレーへ
(1938.3.21)
事例を報告してくれた中国人の名前は、報復を避けるため除いてある。
(「南京事件資料集 1アメリカ関係資料集」P368) |
外国人は、「中国人」が「報告者」である場合には、「報復」を恐れてあえて名を挙げなかったわけです。東中野氏は、このような説明を、すっかりスルーしてみせました。
(なお東中野氏は、この後にも、外国人が報告する種々の事例について、「被害者の名がない」ことを「疑問点」としてあげています。上記の事実からも、そんなことが「疑問点」になりえないのは、明らかでしょう)
さて、マギー牧師は、「偽証」をしたのでしょうか? 具体的な証言内容は、以下の通りです。
○ブルックス弁護人 「マギー」証人、私の興味を持つて居りますのは、あなた御自身が御覧になつたり、若しくはあなた御自身が御報告になつた件だけでありますが、あなた御自身が御覧になりました事件に付きまして、あなたが是等の御報告をなさつたのは、其の事件が起つてからどの位の期間が経った後のことでありますか。
○マギー証人 私は「スミス」さんに沢山報告しましたが、其の報告は委員会の報告書の中にちゃんと書いてある筈でありまして、其の報告にはちゃんと報告者の名前も出て居ります。自分自身でも二、三見たことがありますが、何件「スミス」さんに報告したか覚へて居りませぬ。
(「南京大残虐事件資料集1」P105) |
ここで話題になっているのは、「マギーがいつ何を報告したか」ということです。マギーは、自分の報告はちゃんと「委員会の報告書」に掲載されており、そこには「報告者」(マギー)の名前も出ている、と言いたかったわけです。
本論ではない、「其の報告にはちゃんと報告者の名前も出て居ります」という部分のみを取り上げてこれを「偽証」よばわりするのは、前後の文脈を無視した、明らかな「揚げ足取り」であると思われます。
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