| 資料:「国際委員会文書」の告発 |
前記事では、「日本軍の暴行記録」を取り上げました。ただしもちろん、「国際委員会」のメンバーが認識していた「日本軍の暴行」は、これだけではありません。 そもそも「国際委員会」文書は、「事例」をあげて日本側に事態の改善を求めることを目的とした文書であり、日本軍の引き起こした「暴行事件」のすべての網羅を意図したものではありません。 例えば、外国人の日記などに繰り返し登場する「発電所職員四十三人殺害事件」など、「国際委員会文書」には見られない「事件」も数多くあります。 また、「国際委員会」のメンバーが把握できた事例は概ね「安全区」とその周辺に限られ、「虐殺」の主な舞台となったと伝えられる「城壁周辺、揚子江岸、農村部」についての情報が乏しかったことにも、注意しておく必要があります。 ※従って、「南京事件」における民間人殺害数が、「日本軍の暴行記録」に収録されている「49人」(正確には「57人」)しかない、ということはありえませんし、またそのような主張を行っている論者も存在しません。 以上当たり前の話ですが、掲示板では、被害者総数があたかも「日本軍の暴行記録」に出てくる「49人」(あるいは57人)しかないかのような記述を行う方をよく見かけますので、あえて触れました。 この記事では、「国際委員会文書」より、「日本軍の暴行記録」の枠をはみ出した3つの事例を紹介します。 <目次>
この記録は、ヴォートリン女史からの情報であるようです。
この「連行」は、「十二月十六日」について言えば、そのほとんどが「敗残兵狩り」の巻き添えである、と思われます。ほぼ全員が、そのまま殺害されたことは確実です。 参考までに、「日本軍による連行の訴え」は、最終的に千人を超えたことを付け加えておきます。
南京城北東約20キロにある棲霞山には、二万人規模の難民の避難所が存在しました。国際委員会の文書には、その避難所からの訴えの記録が残っています。
なお「棲霞山」については、マギーの「視察旅行の報告」が残されていますので、合わせて紹介します。
余談になりますが、東中野氏は、この「棲霞山」に関連して明らかに誤った記述を行っています。
ローゼン書記官が記録した話が、シンドバークの報告には載っていない。従ってこれは「四人の農民の創作」である、というわけです。 複数の記録のうち一つに「事件」が掲載されていないから「事件」はウソだ、というのも東中野氏一流の強引極まりない論法ですが、そもそも、「この三例はいずれも、揚子江岸の棲霞山における出来事であった」というのが間違いです。 資料を確認します。
この「三例」は、「棲霞山」ではなく、「江蘇地方」全体の中の事例でした。訴えの相手が、たまたま「棲霞山」にいた外国人2名だった、というだけの話です。 一方、「第六○号文書」で触れられているのは、「棲霞山」の避難所で生じた事件のみでした。 従って、「四人の農民の主張する先の三つの事件」が「第六○号文書」に記録されていないからと言って、この三件を「シンドバークは知らなかった」、さらには「それは四人の農民の創作」と主張することはできません。 (2003.4.5)
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