オイラ氏の「松井大将=南京無罪」論 |
私のサイトづくりのスタンスは、「事実は事実、そうでないものはそうでない、それだけの話。「歴史」に余計なイデオロギーは不要」というものです。 その結果、「南京」については、一定規模の「虐殺」があったことは否定できない、と考えています。政府見解、学会での議論、あるいは教科書の記述などから見ても、これはごく常識的な見解であろう、と思います。 しかしネットの「なかったことにしたい派」にとって、拙サイトは我慢のならないものであるようです。ネットを見て回っていると、たまに拙サイトへの批判めいた文章を見かけることがあります。 ただしその中に、「まともな」ものはほとんどありません。内容のない悪口雑言は問題外として、明らかにサイトを読み飛ばしてのトンチンカンな批判、あるいはおかしな「思いこみ」からの見当違いの攻撃も珍しくありません。 ここでは典型例として、「オイラ」というハンドルネームを持つ方の、拙サイト批判の間違いを取り上げてみましょう。
オイラ氏は、自分の「発見」に舞い上がってしまったようです。この文章をコピペして、何度も何度も、掲示板に貼りつけていました。 しかしご覧の通り、「文体」を見るだけで、どうやらまともな人物でなさそうなことは一目瞭然でしょう。 さぁ、皆さん♪ここで、またまた愉快な自己解釈さん『ゆう氏』にご登場頂きましょう♪ 愉快ですねぇ〜♪楽しいですねぇ〜♪この人はいつまで『ウソ』を載せ続けるのでしょうか?w 「暴言」というレベルを遥かに通り越した、エキセントリックな悪罵です。さらに、♪やらwやらの記号を濫発する幼稚さ。 そもそも、ここまで大げさに書く理由がさっぱりわかりません。 例えば私が、原文を捻じ曲げて引用したり、あるいはわざと「曲解」をしてみせた、などという東中野修道氏並みの「アクロバット」をやらかした、ということであれば、この「攻撃」ぶりは理解できます。 しかしここで指摘されている私の「間違い」なるものは、単なる松井大将の「プロフィール紹介」でしかありません。私の議論の核心部分でも何でもありませんから、例えこれが万一「間違い」であったとしても、訂正すればそれで済む話です。 こんなものが私にとって大打撃になる、と考えるオイラ氏のメンタリティ、私には理解不能です。 さて、オイラ氏の議論は、こんな理論構成をとっているようです。 1.松井石根大将が有罪認定された訴因は、「【訴因55】1941/12/7〜1945/9/2の間における俘虜及び一般人に対する条約遵守の責任無視による戦争法規違反」であった。 2.従って松井大将は、1937年南京事件によって有罪になったわけではない。 3.すなわち、拙サイトにおける松井大将のプロフィール紹介文「南京攻略の総司令官として、「南京事件」の責を問われ、極東軍事裁判で死刑判決を受けた、松井石根大将の発言です」というのは、「愉快な自己解釈さん「ゆう氏」の「ウソである。 しかしそもそも、このうち1の大前提が間違っている以上、この議論は成立しません。以下、確認します。 さて、問題になっている、「訴因55」を見てみましょう。
そう、松井大将ら6名については、「千九百四十一年(昭和十六年)十二月七日より千九百四十五年(昭和二十年)九月二日に至る迄の期間」だけではなく、千九百三十一年〈昭和六年〉九月十八日(満州事変勃発)まで遡った期間も問題にされていたわけです。 そして松井大将は、まさにこの「訴因第五十五」によって有罪、死刑判決を受けました。
これを一体どう読めば、 何と、松井岩根大将は、極東軍事裁判において『いわゆる南京大虐殺』に対する【罪を問われていなかった】のですw という話になるのでしょうか。 松井大将は、明らかに「南京」における責任を問われて「有罪」宣告されています。そしてその「有罪」理由として、「訴因第五十五」挙げられています。 もしこの「訴因第五十五」が「南京」以外のことである、とするならば、この文、「有罪」理由に関係のないことを延々と書き連ね、しかも肝心の「有罪」理由には何も触れない、トンデモ判決文、ということになります。 そもそものところ、もし松井大将の「有罪」原因が「南京」でなかったのならば、一体松井は何をやって有罪になった、と言いたいのでしょうか。 結局「オイラ」さんの拙サイト攻撃は、まさに「おかしな「思いこみ」からの見当違いの攻撃」であるに過ぎませんでした。 2013.8.31追記 その後オイラ氏は、自前のホームページを開設したようです。 私への批判文集も予定しているようですが(2013.8.31現在工事中)、その「前振り」にこんなことを書いています。
これではまるで、私の方が「いやがらせ」をしたみたいです(^^ゞ きっと彼の頭の中では、そういうことになっているのでしょう。一年半がかりで、彼は「復讐」を果たしたわけです。 私のスタンスは、当時、しっかりと説明してあります。念のために、当時私がmixiに投稿した文を再掲しておきます。
(2012.3.12)
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