東中野修道氏 「再現 南京戦」を読む (7) |
幕府山事件(3) −東中野氏の「解放目的」説ー |
前記事では、「17日の虐殺」が「解放目的」の連行中のハプニングだったのか、あるいは初めから「虐殺」目的だったのか、という論点について触れました。 東中野氏は、第六章後半で「解放目的」説の積極的擁護を試みていますので、以下、氏の主張を検証していきましょう。 *私見ですが、以下の東中野氏の主張は、ほとんど問題にならないレベルのものです。 前コンテンツで述べたような「虐殺目的」説有利に展開している論壇の状況で、東中野氏の主張により情勢が大きく変化するとも思われません。
東中野氏は、事実経緯の説明として、先の怪しげな「両角手記」を、そっくりそのまま延々と引用します。 そして、「解放目的」説が妥当であるとする根拠として、二つの理由を掲げます。 まず、その「第一」です。
要するに、日本軍側にも「被害者」が出たから、これは「計画的な殺害」ではない、と主張したいようです。 しかしこれは、ちょっと無理のある主張でしょう。 「計画的な殺害」であっても、あれだけの人数の捕虜です。 その「処理」にあたって、偶発的な事情により日本軍側に「被害者」が出たとしても、別におかしなことはありません。 実はこれに対しては、本書発行のはるか以前、1999年に小野賢二氏から批判が行われていました。
東中野氏が、この「批判」を知らないはずがありません。この8年後の本著においても、東中野氏はなお、この「批判」を無視して、従前の自分の主張にしがみついているわけです。
第二の根拠は、こうです。
どうも氏は、「両角手記」に「解放した兵は再ぴ銃をとるかもしれない。しかし、昔の勇者には立ちかえることはできないであろう」の言がある、という一点をもって、その根拠としているようです。 どうしてかといえば、これは、「両角部隊が捕虜を解放したという事実がなければ、発せない言葉」だからだそうです。 ほとんど理解不能の、ここまで「文学的」な思い込みを吐露されても、読者としては反応に困るところでしょう。 一応、「手記」を読み返します。
両角手記は、大半が逃げることができたかのように記述していますが、これは栗原証言などに照らして、極めて疑わしいところです。 だいたい、「解放」するはずがこんなことになってしまったのに、なぜ山田少将が「安堵の胸をなでおろ」すのか、違和感を感じるところでもあります。 それはともかく、両角手記におけるこの記述は、明らかに前後から浮いています。 手記に基づけば、別に両角部隊の解放策が成功したわけではなく、捕虜たちは「偶発的な暴動」に対する射撃をかいくぐって逃亡したはずです。 彼らにしてみれば、「解放してもらった」という「恩義」を感じることなど、あるはずがありません。 東中野氏は、こんな状況でなぜ「しかしそれでも、日本軍が処刑を選ばず解放策に出たことは、捕虜にも分かっていたはずである」などということを言えるのか。理解に苦しむところです。 * 前コンテンツに書いた通り、あるいは両角手記は、一部の解放に成功したことを示唆したかったのかもしれません。 しかし東中野氏はそのような解釈はとっているかどうか微妙ですし、また、もしそうだとするならば、これは他の部隊幹部との証言とさえも適合しない、明らかな「脚色」です。
次に氏は、「新聞記者の目」なるものを「解放目的」説の根拠にしようと試みます。 全文はとんでもない長文になりますので、氏の主張を要約します。 1.『大阪読売新聞』十二月十六日発、横田記者の記事に、「○○部隊長が『皇軍はお前達を殺さぬ』とやさしい仁慈の言葉を投げ」た、との記述がある。 2.この言葉は、横田記者が捕虜の中から中国軍の参謀を紹介してもらっていること、部隊が食料集めに必死に動いていたことから裏づけされる。これは「殺害」を予期させるような光景ではない。 しかしこれは、何の根拠にもなりません。 少なくとも大量の捕虜を得た段階では、山田支隊は捕虜を殺すつもりはありませんでした。 だから素直に「殺すつもりはない」ことを伝えた。そして捕虜のための食料集めに動いた。それだけの話でしょう。 山田少将の言を信じるのであれば、十六日段階でもなお司令部との「話し合い」が続いていました。山田少将が最終的に「軍の殺害命令」への抵抗を断念したのは、この日のことです。
山田少将は、「断念」の結果、「軍に黙ってこっそり解放」を決意した、と主張していますが、前コンテンツで述べた通り、必ずしもこれに信を置くことはできません。 いずれにしても、 横田記者が取材を行った時点では明確な「殺害方針」は決定していなかった、と理解しておけばいいだけのことでしょう。 しかし、この節の東中野氏の最後の記述も、奇妙なものです。
「放火」「最後の取るべき手段としての処刑」「解放どきには逃亡騒ぎ」などと、「両角ストーリー」を盲信してさらに勝手な「想像」を膨らませた東中野氏のいい加減さについては、もう繰り返しません。 しかし、両角手記の記述を信じるのであれば、これは「軍命令を無視しての捕虜釈放」であったはずです。 当然「軍」にわからないようにこっそりとやるべきものであり、新聞記者に対して自慢話のタネにするようなエピソードにはなりえません。 「おおっぴらに報道できる時代ではなかった」以前の問題でしょう。
東中野氏の最後の論拠は、国民党は幕府山事件を知っていたはずだ、それなのに全く「宣伝」に使わなかった、従ってこれは「不法」ではなかった、というものです。これまた、頭が痛くなってくるような「屁理屈」です。 そもそも、当時の国民党政府が「幕府山事件」を周知していた、という具体的な資料は存在しません。 日本における小野賢二氏の研究などにより「事件」の実態が明らかになってきたのは、ようやく1980年代のことでした。事件当時、「実態」が十分に伝わっていたとは考えられません。 さて、東中野氏の文を見ます。氏は、いきなり「日本の戦争相手国であった国民党政府も幕府山捕虜のことは十分に知っていた」と決め付けます。
読者は当然、これに続いて国民党の「極秘文書」に「幕府山捕虜」についての言及があるという説明が出てくるのだろう、と期待しますが・・・。
なんとその根拠は、「国民党中央宣伝部は日本の新聞を逸早く入手し、「党、政、軍各長官」とともに分析し」ていた、という単なる「一般論」でした。 この程度の「情報収集活動」でしたら、「極秘文書」などという大仰なものを持ち出すまでもなく、どこの国でも「常識」として行っていることでしょう。 普通の研究者でしたら、せいぜい、「知っていた可能性がある」程度の慎重な言い回しを使うところです。 要するに、東中野氏の「論理」を成立させるためには国民党が「事件」をストレートに知らないと困る、という事情から、強引な決め付けを行っただけの話であると思われます。 まあ、「新聞記事を入手して捕虜の存在を知っていた」程度の可能性はあるのかもしれません。 しかし、「南京失陥」という大事件に遭遇し、大量の戦死者を出した中国軍が、いちいちこの「捕虜」の運命に重大な関心を寄せていたとは限りません。おそらくは「それどころではなかった」というのが実態でしょう。 さてここから、東中野氏はどんどん「空想」を広げていってしまいます。
もう何度も説明しました。「火事」が捕虜の「放火」だったかどうかはわかりませんし、この時に多くの捕虜が逃げた事実を確認することはできません。 「解放どき」にしても、栗原伍長の説明に従えば、揚子江を前に捕虜を半円形に包囲しての一斉射撃であったはずです。 しかもその後に、生き残りを刺殺して回っています。「多くの捕虜が逃げた」ことなど、ありうるはずもないでしょう。 だいたい「放火」どきに逃げた捕虜が、なぜ「実態」を知っているのか。このあたり、東中野氏の論理は強引が過ぎます。 実際に逃亡に成功した兵士の手記としては、唐光譜のものが知られています。 *全文はこちらに掲載しました。
殺害状況は、概ね栗原伍長証言とも整合します。逃亡者など、ほとんど出ようがない状況であったことがわかります。 このような数少ない「生き残り」が、果たして国民党政府に実態を伝えていたのかどうか。 少なくとも『南京事件資料集 2中国関係資料編』を見る限り、「南京事件」について数多い報道を行った国民党系新聞「大公報」にすら、「幕府山事件」を思わせる記事は掲載されなかったようです。 国民党は十分に実態を掴んでいなかった、と判断するのが妥当なところでしょう。 さて東中野氏は、以上のように強引に「国民党は幕府山事件を知っていたはずだ」と決め付けた上で、このように結論します。
国民党が「幕府山の不法殺害」を「宣伝」しなかったのは、そこまでの事実を知らなかったからだ、と考えて、何の不思議もないでしょう。 また、国民党が「幕府山事件」を知っていたとしても、必ずしも「宣伝」に利用するとも限りません。 「南京失陥」は蒋介石にとって大きな失敗でした。「南京失陥」の際に大量の被害が生じたことは、逆に蒋介石が責任を問われる材料であり、決して対外的に積極的な宣伝をできるような材料ではなかったのかもしれません。 余談ですが、「殺害」を少しでも正当なものに見せかけたいという意図からでしょうか。この章で東中野氏は、相変わらず「中国軍反攻可能性の過大評価」を行っています。
散発的な「敗残兵襲撃」事件は、あるいはあったかもしれません。しかし中国軍の組織的抵抗はとっくに終焉しており、「戦闘下」というのは何とも大げさな表現です。 実際問題として、それはもう「集団」と呼べる代物ではありませんでしたので、「解放された捕虜が逃走兵集団と合流して再び逆襲してくる危険性」など、存在するはずがありません。 (2008.1.20)
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