東中野修道氏 「再現 南京戦」を読む (8)
「敗残兵狩り」は「合法」か?
−「国際法」をめぐる吉田・東中野論争−


 南京入城直後の12月14日から16日にかけて、日本軍は「安全区掃蕩」を行い、安全区に逃げ込んだ中国兵を大量に「処分」しました。その数は、6、7千名程度であったと伝えられます。

 当時の日本軍にとって、これは戦闘行為の延長であったに過ぎませんでした。

 しかしこれは後日、いったん拘束して武装解除した「捕虜」を大量に虐殺したものである、と批判を受けることになります。 兵民分別作業のいい加減さにより、結果として大量の民間人が混入していたことも、非難を大きくする材料となりました。


 否定派陣営では、この中国兵は「便衣兵」であり国際法上「捕虜」となる資格がないのだから、殺害は合法である、とする見解が見られます。ただしこれには、

1.そもそもこの中国兵は、国際法が想定する「便衣兵」(簡単に言えば、いわゆる「ゲリラ」)ではなく、戦闘意欲を失って逃げ惑うだけの「便衣」に着替えた兵に過ぎなかった。 戦闘行為を行わない以上、「便衣」となること自体は国際法上違法ではない。

2.仮にこの中国兵が違法な「便衣兵」であったとしても、現場指揮官が勝手に判断して殺していい、というものではなく、処罰には「裁判」の手続きが必要であった。裁判抜きの「処刑」は国際法上違法である。

とする反論が存在し、現在では、秦郁彦氏、原剛氏、中村粲氏らの右派を含めて、「安全区掃蕩は問題行為であった」との認識が主流になっているように思われます。


 この議論については、拙コンテンツ「南京事件 初歩の初歩」の中の「2 安全区掃蕩」にまとめてありますが、 その後、原剛氏が「不法殺害」問題についてまとめた文章を見ることができましたので、ここに紹介します。

原剛『いわゆる「南京事件」の不法殺害』より

三、不法殺害(虐殺)の定義


 虐殺否定派の論者は、捕虜や便衣兵を揚子江岸などに連行して射殺もしくは刺殺したのは、虐殺ではなく交戦の延長としての戦闘行為であり、また軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、 ハーグ陸戦規則の第一条「交戦者の資格」規定に違反しており、捕虜となる資格がない故、殺害しても不法殺害にならないと主張している。(P143)

  しかし、戦場で捕えた捕虜や便衣兵を、武装解除して一旦自己の管理下に入れておきながら、その後揚子江岸などへ連行して射殺もしくは刺殺するのは、 戦闘の延長としての戦闘行為であるとは言い難い。

 捕虜などが逃亡とか反乱を起こしたのであれば別であるが、管理下で平穏にしている捕虜などを、第一線の部隊が揚子江岸などへ連れ出して殺害するのは不法殺害に相当する。捕虜などを捕らえた第一線の部隊には、これを処断する権限はないのである。

 ハーグ陸戦規則第四条に「俘虜ハ敵ノ政府ノ権内ニ属シ、之ヲ捕ヘタル個人又ハ部隊ノ権内ニ属スルコトナシ」と明記されている。 しかし当時の日本軍人の多くは、捕虜は捕らえた部隊の権内にあると思っていたようであり、陸軍における国際法教育が不備であったことを示している。

 国際法違反者について、当時の国際法学者の立作太郎は「凡そ戦時重犯罪人は、軍事裁判所文は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。 然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。」と述べているように、捕虜ならば、後述する、師団以上に設置された「軍法会議」の裁判、 捕虜でないならば、軍以上に設置された「軍律会議」の審判に基づき処断すべきものである。

 特に捕虜は捕虜として保護すべきであるにもかかわらず、殺害したのは明らかに不法殺害に当たる。また、便衣兵は国際法違反者であるから処罰されるのは当然であるが、処罰即殺害ではない。

 軍法会議は早くから国際的に制度化されており、軍律会議も国際的に慣習化されていたので、日本も既に日清戦争の時からこれに類するものを設置していた。

 軍律会議は、 軍の作戦地域などにおいて、軍司令官以上が作戦の遂行上交付した「軍律」に違反した日本人以外の人民を審判するため設置されたもので、軍律として「反逆行為・間諜行為・軍事行動妨害行為などを為す者は軍罰 ( 死・監禁・追放など )に処す」と定められていた。

 この軍律会議のような軍律法廷は、ハーグ陸戦規則の第三款に根拠を有するものである。

 当時日本軍は、中支那方面軍、上海派遣軍、第十軍にそれぞれ軍律会議が設置されていた。したがって、便衣兵は捕虜の資格がないとするのであれば、 それぞれ所管の軍律会議で審判し処断すべきであり、第一線部隊が自分の判断で処断すべきものではない。

 しかし、軍法会議・軍律会議とも本来少人数の違反者を対象にしたもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判しあるいは審判することは能力的に不可能であった。 予想もしない大量の捕虜・便衣兵が発生してこれに対応できなかった点は斟酌すべき面もあるが、だからといってこれが合法であったとは言い難い。

 また、第一次世界大戦前後にドイツで唱えられた、軍事的必要 ( 危機 ) の場合、国際法規慣例の遵守よりも軍事上の必要性が優先するという「戦数論」を援用して、 大量の捕虜・便衣兵の殺害は危機回避のため正当であると主張する論もあるが、多くの国際法学者はこの「戦数論」に反対している。

 立作太郎もこれを認めることは、 「戦時法規の自殺に外ならぬ」と言い、さらにこの論は「交戦法規全般の拘束力を微弱ならしむるものである。此説はドイツの一部の学者の唱道する所に止まり、 国際慣習法上に於て認められたる所ではないのである」と論じている。(P144-P145)

 南京占領時の日本軍は、当時の「戦闘詳報」・「陣中日誌」・将兵の日誌などを見る限り、捕虜や便衣兵を殺害しなければならないほど、危機に瀕してはいなかったのである。

 したがって、たとえ軍事的必要 ( 危機 ) 論が一部に認められていたとしても、この論は適用できないと言わざるを得ない。
(P145)

(錦正社「日中戦争再論」所収)


 最後の「南京占領時の日本軍は、・・・捕虜や便衣兵を殺害しなければならないほど、危機に瀕してはいなかったのである」の一節は、 そのまま「敗残兵襲撃の危険」なるものをやたらと強調したがる東中野氏の論への批判にもなっています。




 さて、原氏も述べる通り、この中国兵を「便衣兵」と認定すれば、その処刑には「裁判」が必要である、ということになり、違法性は免れません。

 それでは東中野氏はどうしたか。何と、従来の否定派主張を無視して、これらの中国兵は「便衣兵」ではない、とはっきり言明するに至りました。 ネットの世界で大流行の「便衣兵処刑合法論」は、否定派陣営の重鎮、東中野氏にさえ明確に否定されてしまった形です。

 そして東中野氏は、苦し紛れにか、この中国兵は「便衣兵」ではないが「違法戦闘員」である、従って殺害は合法であるという、他に類を見ない、特異な論を展開するに至ります。 しかし私見ですが、その「論理」は「素人の思いつき」の域を脱せず、結局吉田裕氏の冷静な反論の前に沈黙を余儀なくされた感があります。


 以下この項では、東中野氏のこのオリジナルな論理をめぐる、吉田裕氏との間の議論を見ていくことにしたいと思います。
*この項で取り上げる両氏の著作・論稿は、時系列順に、次の5点です。著作権への配慮から全文紹介は行いませんでしたので、関心のある方は直接ご覧ください。

1.東中野修道氏『「南京虐殺」の徹底検証』(1998年)

2.吉田裕氏『国際法の解釈で事件を正当化できるか』(『南京大虐殺否定論13のウソ』所収 1999年)

3.東中野修道氏『日本軍の支那兵処刑は不法か』(『月曜評論』2000年3月号所収)

4.吉田裕氏『南京事件論争と国際法』(『現代歴史学と南京事件』所収 2006年)

5.東中野修道氏『再現 南京戦』(2007年)



**なお以下の紹介は、主要論点である「裁判抜き処刑の是非」に絞りました。他に「正規兵と四条件違反の関係」も論点となりましたが、こちらでは割愛します。



 東中野修道『南京「虐殺」の徹底検証』

 議論は、東中野氏の著作、『「南京虐殺」の徹底検証』からスタートしました。まずは氏の主張に耳を傾けましょう。
 
東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』より

「交戦者ノ資格」

 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」は一九〇七年(明治四十年)十月、オランダのハーグで署名された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」に附属し、単に「ハーグ陸戦法規」と呼ばれることがある。 これが戦争のルール、権利、義務を厳格に規定していた。中でも重要なのが、その冒頭に出てくる「交戦者ノ資格」である。

〈一、部下ノ為ニ責任ヲ負フ者其ノ頭ニ在ルコト
 二、遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト
 三、公然兵器ヲ携帯スルコト
 四、其ノ動作ニ的戦争ノ法規慣例ヲ道守スルコト〉


 交戦者はこの四条件を満たして初めて「交戦者ノ資格」を有する。「交戦者ノ資格」を有すれば、武運拙く囚われの身となっても、捕虜となる資格が生ずる。

 しかし「交戦者ノ資格」がないと、囚われの身となっても、もはやハーグ陸戦法規の適用外となる
。捕虜となる資格も消滅する。捕虜となるにも条件があったのである。

(同書 P193)

 まずここでは、東中野氏は「便衣兵」という言葉を全く使用していないことにご注目ください。

 東中野氏も認める通り(後述)、便衣兵であれば、裁判なしの処刑は「違法」と認定せざるをえません。氏はこの論点を巧みにすり抜けようとします。

東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』より

安全地帯の支那兵と戦時国際法

 以上のことを踏まえたうえで、ハーグ陸戦法規と陥落後の支那兵との関係を、順次、検討していくことにする。

①「交戦者ノ資格」その一
 すでに述べたように、南京陥落直前に、南京死守を主張していた最高司令官(唐生智)が汽車で武漢へと逃亡した。奥宮正武氏が言うように、指揮所を他所に移したのではないのである。 唐生智の逃亡と時を同じくして、師団長以下の将兵も逃亡した。ダーディンは「配下の参謀にさえ知らされなかった唐生智の逃亡は、支那軍を、指揮官不在とした」と指摘している。 このため支那軍は「部下ノ為ニ責任ヲ負フ者」を持たない無統制の集団となってしまったのである。(P194-P195)

②「交戦者ノ資格」その二
 指揮官不在となった支那兵は軍服を脱いで、安全地帯に潜伏した。しかし、ハーグ陸戦法規は「遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章」の着用を義務づけていた。それを破ったことになる。

③「交戦者ノ資格」その三
 そのうえ支那軍正規兵は、安全地帯に、多数の武器を隠匿していた。これは「公然兵器ヲ携帯スルコト」を破ったことになる。

④「交戦者ノ資格」その四
 以上のことは、とりもなおさず、「其ノ動作ニ付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト」を破ったことになる。

 このように、支那軍正規兵は戦時国際法の「交戦者ノ資格」を蹂躙していた。それと同時に、捕虜となる法的資格を失っていたのである。

(同書 P193-P195)

 「便衣兵」であれば、「処刑」には裁判が必要です。

 それでは「交戦者の資格」を「蹂躙」していたという「支那軍正規兵」は、裁判抜きで処刑しても構わないのか。とりあえず氏は、この論稿では何も触れていません。


 
 吉田裕『国際法の解釈で事件を正当化できるか』

 まずは吉田氏の、東中野氏『「南京虐殺」の徹底検証』批判を見ていきましょう。
*念のためですが、吉田氏は、この中国兵が「便衣兵」なり「戦時重罪人」なりに該当する、という事実認識を持っているわけではありません。そのような認定を行うためには、彼らが「敵対行為」を行っていることが大前提となりますが、実際には彼らの大半は「戦意を失って逃げ惑うだけの元兵士」であるに過ぎませんでした。 吉田氏は、否定派的な事実認識に乗っかり、例えそれを認めるとしてもこれは「国際法違反」の「虐殺行為」である、と主張しているわけです。

**さらに付け加えれば、ネットでは、「便衣に着換えて安全区に潜伏した」という一点をもって、この中国兵を「便衣兵」であると決め付ける論調をよく見かけます。 「便衣兵」認定を行うためには「正規兵が便衣に着換えた」というだけでは不十分であり、 「彼らが実際に「敵対行為」を行っていた」(あるいは「行おうとしていた」)という証拠が必要なのですが、そのあたりはネットではしばしばスルーされます。

 実際問題として、「便衣兵」なるものの大半は「戦意を失って逃げ惑うだけの敗残兵」であったに過ぎず、また「南京で中国便衣兵が日本兵を襲撃した」という信頼できる記録は存在しませんので、 そのような「証拠」を提示することは困難なことでしょう。

2012.7.16追記

 ネットで、「安全区内で逃げ回ることも「敵対行為」である」なる「珍説」を眼にしました。

 「隙あらば襲ってやろう」という明確な意思を持って「逃げ回る」のであればともかく、「戦意を失って逃げ回る」ことがどうして「敵対行為」なのか理解に苦しみますが、 ともあれ、ここでは横田喜三郎の「敵対行為」の「定義」を紹介しておくことにします。

横田喜三郎『国際法』

(三)敵対行為

 敵対行為は兵力による加害行為である。(P250)

 「戦意を失って逃げ回る」行為は、どう見ても「兵力による加害行為」ではありえないでしょう。

 吉田氏は、「安全区に逃げ込んだ中国兵」は、「便衣兵」でないとするならば、カテゴリーとしては「戦時重罪人」に該当することになる、と指摘します。

吉田裕『国際法の解釈で事件を正当化できるか』より

 とはいっても、正規軍の兵士が先の四つの条件に抵触する行為をなす場合がありうるのも確かである。具体的にいえば、立の『戦時国際法論』が指摘するように、 「正規の兵力に属する者が、敵対行為を行うに当り、制服の上に平人の服を着け又は全く交戦者たるの特殊徽章を附したる服を着さざるとき」などがそれである。

 その場合は、「軍人(交戦者)に依り行はるる交戦法規違反の行為」、もしくは、「変装せる軍人又は軍人以外の者」が行なう「有害行為」に該当し、「戦時重罪」(戦争犯罪)を構成する。

(『南京大虐殺否定論 13のウソ』P163-P164)


 そして、立作太郎の主張をもとに、その処罰にあたっては、「便衣兵」と同様、やはり軍事裁判(軍律法廷)の手続きが必要であった、と述べます。

吉田裕『国際法の解釈で事件を正当化できるか』より

 しかし、ここで決定的に重要なのは、立の次の指摘である。

 凡そ戦時重罪人は、軍事裁判所文は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。

 つまり、たとえ国際法違反の行為があったとしても、その処罰については軍事裁判(軍律法廷)の手続きが必要不可欠だった。 南京事件の場合、軍事裁判の手続きをまったく省略したままで、日本側が「戦時重罪人」と一方的にみなした中国軍将兵の処刑・殺害を強行したところにこそ大きな問題があったのである。

 虐殺否定派の人々は交戦法規違反の行為があった場合には、直ちにその違反者を殺害・処刑できるように誤解(曲解?)しているが、その処罰には適法的な手続きが必要だったことを忘れてはならない。

(『南京大虐殺否定論 13のウソ』P164)

さて、この明快な主張に対して東中野氏はどのような「反論」を試みるか。次に、東中野氏の論稿『南京の支那兵処刑は不当か』を見ていきましょう。

(この項続く)

(2008.4.14)


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