中国空軍の上海租界爆撃(3) ーカール・カワカミの所説を中心にー |
目 次
中国空軍の上海租界爆撃(3)(本稿)
さて次に、カワカミ説の「ルーツ」を探ってみることにしましょう。 各紙の論調は、概ね「誤爆」説に傾いたものでした。そうでない記事も、例えばせいぜい「逃げるために落したのではないか」という程度の、「偶発事件」として見ていました。 そんな中で、あえて、「ひょっとすると中国は、列強の介入を招きたくて、故意に国際租界爆撃を行ったのではないか」という、根拠に乏しい「観測」も流れました。例えば日本系英字紙、「ジャパン・タイムズ」の報道です。
ここでは「・・・とせば」という「仮定形」での観測であるに過ぎませんでしたが、この見方がいくつかの外字紙に、「推測」として受け継がれたようです。
イタリア国内にも、同様の見方がありました。
ただし上の記事の直後には、東京朝日新聞・香月ロンドン特派員のこのような報告が見られます。「政治的意図」論には、ロンドンでは否定的見解が多かったようです。
なお日本側にも、「ひょっとしたらわざとやっているのではないか」と疑問を抱いた人物が、存在してました。例えば、先の松本重治氏です。
また、上海の軍の報道部員として「宣伝報道」活動に携わっていた馬渕逸雄氏も、「故意爆撃」の疑いを表明しています。ただし馬渕氏の見解は、カワカミらに見られるような「列強の干渉誘発説」ではなく、 「租界占領」を目的としたものかもしれない、というものです。 「故意」ではないか、という「推測」こそ共通していますが、以て非なる説であると言えるでしょう。「干渉誘発説」が、必ずしも広範な合意を得たものではなかったことをうかがわせます。
いずれにしても、中国側の真意を確認する手段がない以上、これらの「推測」は、何の客観的根拠も持たない、せいぜい「疑惑」のレベルにとどまるものに過ぎませんでした。 しかし、これらの「観測」がカワカミに受け継がれると、様相は一変します。 カワカミの頭の中では、「都市伝説」に近いこのような観測が、「中国は日本に対する外国の干渉を煽り立てようと計画していたのである」と、はっきりとした「事実」に化けてしまったようです。
以上、中国の「動機」について、「中国は日本に対する外国の干渉を煽り立てようと計画していたのである」とまで明確な「断定」を行ってしまっているのはカール・カワカミのみであったことにご注意ください。 なぜカワカミは、このような断定を行ってしまったのか。この本の初めの方に、ヒントがあります。
中国は「国際的干渉を招くことによって日本を打ち負か」すという大計画を持っていた ― これ自体は今日ほぼ「定説」になっている考え方ではありますが、 中国軍の「無責任な空爆」までこの大計画の一環であると考えることは、いささか「飛躍」というものでしょう。 ともかくも、外国紙などの「推測」は、氏の発想のジグゾーパズルの一片としてぴったり当てはまってしまいました。 カワカミは、自身にとって都合のいいこれらの「推測」を、自説の「論拠」としてフルに利用しようと考えた。 おそらくそんなところではないか、と推察されます。 そしてもし、カワカミの「想像」が事実であったとするならば、 それは中国にとって大失敗に終わった、と言えるでしょう。先に述べた通り、列強が「介入」するどころか、「国際租界爆撃」は列強の轟々たる非難を呼び起こし、中国側はそれに対して必死に謝罪を重ねる羽目になったのでした。
中国にとってこの「上海爆撃」はいわば「過去の失敗談」であり、これが「誤爆」か否かについて触れた中国側文献を、私はまだ発見できていません。 その中で参考となるのが、中国空軍の指揮官としてアメリカから招聘されたシエンノートに関する記録です。シエンノートはまさにこの「上海爆撃」を指揮する立場にありましたが、「未熟なパイロットによる誤爆」という認識を持っていたようです。 これらの記録には、もちろん「故意の爆撃」を匂わせる記述は登場しません。
なお、中国軍パイロットの技量の低さは、今日ではよく知られるところです。
さらに、中山雅洋氏の「中国的天空」を見ましょう。当時の日中双方の戦闘詳報を駆使して、日中航空戦の全貌を立体的に明らかにした力作です。 中国側戦闘詳報をもとにしたものと思われますが、「爆撃目標」を具体的に記述していることが注目されます。
さらに同書は、「命中率の低さ」について、このような分析を行っています。
当然のことながら、今日では、このような「珍説」はいつのまにか姿を消し、「誤爆」という認識がほぼ定着しています。 例えば、高崎隆治氏の記述です。
他に、私の手持ちの本で目についたのは、こんなところでしょうか。いずれも、「誤爆」の認識で一致しています。
カール・カワカミの「列強の干渉を誘発する目的での故意爆撃」説は、1937-1938年頃の一時期、一部で流れた「推測」を、強引に「断定」に置き換えたものでしかありません。 それ自体極めて根拠の薄いものでしたし、中国側にもそれを裏付ける資料は存在しません。今日では、上に見るように、「誤爆」との認識が当然のものとして定着しています。 このカワカミの見解を援用して、あたかも中国側が故意に爆撃を行ったかのように論じることは、カワカミの置かれた時代的制約を無視した暴論である、と言えるでしょう。 (2007.7.16)
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