中国空軍の上海租界爆撃(1) ーカール・カワカミの所説を中心にー |
K・カール・カワカミ(日本名河上清)は、1873年生まれのジャーナリストです。 若い頃は、日本初の社会主義政党である「社会民主党」の設立に関わるなど熱心な社会主義者でした。 「カール」の名も、「カール・マルクス」からとったものであると伝えられます。 その後カワカミは1901年に渡米、アジア専門のジャーナリストとして1906年に言論界にデビューしました。 その後、日本への国際的非難が集中した「対中国二十一か条要求」「満州事変」問題などで日本側の支持に回ったことなどから、 米国では「日本の政策の代弁者」と見られるようになりました。 そして興味深いことに、太平洋戦争中には連合国側に立って「日本は負けなければならない」と主張する立場に転じ、さらに戦後は、再び「革新」の側にシンパシィを示すようになります。 帰国後1949年には、自署の印税の中から10万円を日本社会党に寄付し、さらに社会党幹部に対して、「非武装中立」政策を提言することまで行っています。 (以上、古森義久氏によるカワカミの評伝 『嵐に書く』 を参考にしました。 なお古森氏によれば、実際には、カワカミは戦前当時も、日本の「中国征服」的行動に懸念を持ち、また三国同盟に反対するなど、日本の政策に一定の留保を保っていた、ということです。 石射猪太郎『外交官の一生』(中公文庫)P390-P391にも、河上清が「三国同盟」に反対していた、との趣旨の記述を見ることができます) 「シナ大陸の真相」は、カワカミがまさに「日本の代弁者」と見られていた時期、1938年に英文で書かれた本です。日本の正当性を強調し、 中国側への批判を行うことを主眼としていますが、今日の目で見ると、「盧溝橋事件」以降の事件拡大の責を一方的に中国側に押し付けているなど、偏った記述が目につきます。 ただしこれは、当時のカワカミの日本擁護的立場、また情報が十分でなかったという 時代的制約を考えれば、ある程度やむえないところでしょう。 *一部右派の間で、これを「戦前日本の弁護本」のバイブルの如く取上げる動きがあります。しかしこのようなカワカミの思想的変遷を見るならば、 その一時期のみをとりあげて持ち上げられることは、 カワカミの本意ではないかもしれません。 ネットでは、この本のうち、「中国軍はわざと上海国際租界を爆撃したのである」という、今日の目で見るといわば「珍説」の域に属する議論がしばしば引用されます。 カワカミは当時上海にいたわけでもないのに、「カワカミが言っているから真実」といわんばかりのトンデモ議論を行う論者さえ存在します。 本稿では、カール・カワカミの議論を手掛かりに、「中国軍の上海爆撃」の実相を明らかにすることを目的としたいと思います。
目 次
中国空軍の上海租界爆撃(1)(本稿)
1 カール・カワカミ『シナ大陸の真相』より
まずは、カワカミの記述から。日中戦争が華北から華中へ飛び火した一九三七年八月第二次上海事変時の、中国軍機の「上海空襲」を問題にしています。
カワカミの記述を要約すれば、どちらの仕業であれ、ともかく「外国権益」が侵害されることになれば、日本は嫌われ者だったから、世論は日本の方を批判することになるであろう、 だから中国軍は故意に国際租界を爆撃したのだ、ということであるようです。 本人も「一見したところ奇妙なことのように思えるかもしれない」と述べている通り、現代の「常識」からは、ちょっとびっくりするような発想です。 中国機が「国際租界」を爆撃すれば、たとえ「誤爆」であっても、普通は中国側への国際的非難をまき起こす結果にしかなりません。 「国際租界」を爆撃すると、列強が中国に有利な形での介入を行ってくれるだろうと中国は考えていた ― いったいどういうことなのか、 普通の方であれば、首を捻ってしまうのではないでしょうか。 カワカミによれば、中国は都合四回、「日本に対する外国の干渉を煽り立て」るために故意の爆撃を行っているということです。 まずは当時の報道などをもとに、四回の「中国機の上海爆撃」の実相を見ていきましょう。
八月十四日。今日でもあちこちで取上げられる、有名な事件です。
午前の爆撃は、軍艦出雲を狙った爆弾がその周辺にも落ちた、という理解で問題ないでしょう。問題となるのは、午後四時半の爆撃です。 「支那事変実記」(読売新聞記事」は、「血迷へる敵機は照準を定めず高層建築とみればところきらはず爆弾を投下した」と表現しています。 確かに、爆弾落下地点は「爆撃目標」であるはずの軍艦出雲からほど遠い。何でこんなところに爆弾が落ちるんだ、というのは、現場にいた人々の共通の疑問だったのでしょう。 この爆撃については、同盟通信社上海支局長、松本重治氏が詳しい目撃談を残しています。
中国軍爆撃機は、「出雲」を狙っていた。高射砲の砲撃を受けて逃げる時に、そのまま爆弾を投下してしまい、爆弾は惰性で飛行機の進行方向にあたる国際租界に落下してしまった。 要するにそのようなことであったようです。 では中国機は、なぜ爆弾を投下してしまったのか。中国側の弁明を聞きましょう。
高射砲の命中により「爆弾投下機」が故障したため、という説明です。「東京朝日新聞記事」のようにそれを「強弁」と捉える向きもありましたが、とりあえずこの中国側の説明を否定するほどの材料も存在しないようです。 *なおこの爆撃に関しては、中国側は「日本軍機の仕業」との第一報を流したようです。 おそらく正確な情報を得られない状況での「誤報」であると思われますが、直後には上の通り見解を修正し、そののち米英仏各国に対して謝罪を行っています。
次に、八月十六日。おそらくは、この事件のことを指しているものと思われます。
カワカミの指す事件がこの「午前十一時半」の爆撃だったのであれば、これは明らかに「軍艦出雲」を狙った爆弾が逸れたものです。「故意に「租界」を狙った」と決め付ける理由もないでしょう。 *民間人を巻き込む可能性を覚悟の上で精度の低い爆撃を行ったのであれば、これはこれで人道的問題があるでしょう。しかしこれについて論じることは本稿の目的から外れますし、 またこちらを問題にするのであれば、これとは比較にもならないほどの大規模な、日本軍の重慶・広州等への無差別爆撃も問題にすることになります。 このあたりについては、いずれ機会を見て別稿で論じることにしましょう。
次に、八月二十三日です。爆弾は、またもや「国際租界」の中心地に落下しました。
1万フィートの高空からの、爆音も聞こえず、飛行機の姿もほとんど見えない状況での「水平爆撃」です。 これでは、まともな「精度」を確保できないことは明らかでしょう。他の目標を狙っていたが、あまりの高空からの爆撃であったために目標を大きく逸れた。そのようなものと理解して、問題ないものと思います。 中国空軍はこの時期、 悪天候で視界が不十分な中、「たぶんこのあたりでいいだろう」という程度の精度での「推測爆撃」を行っていた、というデータもあり(「中国的天空」)、 この爆撃も、あるいはそのようなものであったのかもしれません。 *地上への爆撃の方法としては、大きく分けて、「水平爆撃」「緩降下爆撃」「急降下爆撃」の三つがあります。このうち最も精度が高いのが「急降下爆撃」で、 逆に最も精度が低いのが、高空に滞留したまま行う、この「水平爆撃」です。 **繰り返しますが、この中国空軍の考え方の「道義性」については、本稿の趣旨から外れますので、ここでは問題にしていません。 以下は余談になりますが、中国側はこの爆撃を「日本機によるもの」と発表 したようです。
カワカミは、中国側が「自国の責任を認めず日本側に責任転嫁しようとしている」ことを非難しています。 ただしこれは、中国側にとっても、自国の飛行機の仕業であったかどうか、はっきりとした判断がつかなかった、ということであったのかもしれません。 飛行機の姿もはっきりわからない状況での高空からの爆撃でしたし、中国機の仕業とする証拠は日本軍側の「爆弾鑑定」のみでした。 なお中国側は、八月十四日の国際租界爆撃、八月三十日の「フーバー号事件」(後述)については、はっきりと責任を認めて謝罪しています。 *なお戦場では、このような過誤は、決して珍しいものではありません。参考までに、例えばその直後、26日に起きた「ヒューゲッセン大使誤射事件」では、 今度は日本軍の方が、事実を認めるのに相当抵抗したようです。
最後に、八月三十日のアメリカ汽船爆撃です。これは「フーバー号事件」として知られますが、誰が見てもはっきりとした「誤爆」であり、 中国側はただちに事実を認めて謝罪を行っています。
日本軍も、こののち南京戦の最中に、「パナイ号事件」という「誤爆事件」を引き起こしています。後述の高崎隆二氏の見解にもある通り、この類の「誤爆事件」は、決して珍しいものではなかった、と言えるでしょう。 以上をまとめます。 ●「八月十四日」・・・日本軍艦を攻撃し、逃げる時に落した爆弾が国際租界に落下したもの。中国側は 、最初こそ「日本機の仕業」と発表したが、すぐに見解を訂正、「日本高射砲のため二名の操縦士が負傷し爆弾投下機に故障が出来その結果爆弾が堕ちて行つた」と発表。 ●「八月十六日」・・・落下位置は「我軍艦○○(出雲)の直前日本郵船碼頭事務所及びその裏ブロードウエー」であり、軍艦を狙った爆弾が逸れた、と考えるのが妥当と思われる。 ●「八月二十三日」・・・高空からの、精度の低い水平爆撃によるもの。目標物は判然としないが、 初めから国際租界を狙ったとまで決め付ける理由もない。なお日本側は爆弾の分析から中国機から落下したものと断定したが、中国側は当初「日本機の仕業」と発表、その後は事実確認ができなかったのか沈黙していた模様。 ●「八月三十日」・・・フーバー号事件。明らかな誤爆で、中国側もただちに謝罪。 すなわち、カワカミが挙げる「中国空軍の爆撃」には、「誤爆」で説明がつかないような事例は存在しなかったものと見られます。 (2007.7.16) |