「南京」以前
「南京」以前ー「出版警察報」より


 「出版警察報」は、内務省警保局(当時)が、「検閲」によって「記事差し止め」「発禁」などの処分を行った報告をまとめた、日本側の記録です。

 今日では、当時の報告者の意図とは裏腹に、皮肉なことに、「当時はこのようなメディアにこのような記事が掲載されていた」ことを知る、貴重な資料になっています。例えば笠原十九司氏は、「出版警察報」の記録をもとに、当時のアメリカにおける「南京事件」関連記事を発掘しています。

 ここでは、「南京事件」以前、華北・上海戦などの時期に、中国のメディアが日本軍の行動をどのように記録していたか、という視点から、記事を集めてみました。今となっては個別の事件の真実性・正確性の検証は極めて困難ですが、「南京事件」以前にも、中国側がこのような認識を持っていた、ということを知る上で、貴重な資料であるといえるでしょう。

 当時の中国政府の「南京事件」報道への反応が、今日の目から見るとやや鈍かったことをもって、「事件」の存在まで否定しようとする人もいますが、これを見ると、当時の感覚では、「南京事件」報道も、「事件」の規模が知られるまでは、「数ある日本軍の『暴虐』事件がまたひとつ増えた」程度に受け止められていたであろうことは、容易に想像がつきます。


*報告者がつけたコメントは、斜字で表示しました。


**読みやすくするために、カタカナはひらがなに改め、また旧字は新字に改めてあります。

***日付はすべて、1937年(昭和12年)のものです。

****なおここでは「当時の中国政府の「南京事件」報道への反応がやや鈍かった」という表現を行いましたが、これは「中国政府が南京事件を知らなかった」ことを意味するものではありません。 当時、中国側メディアでも「南京事件」についての大量の報道が行われており(『南京事件資料集2 中国関係資料編』参照)、国民党政府・中国共産党とも「事件」に対して一定の認識を示していました 。コンテンツ「中国は知らなかったか?」および「中国共産党は知らなかったか」をご参照ください。


申報 第二三〇七三号 上海発行 八月一日発行
九月一日禁止
 「天津避難民惨殺に遭ふ」と題する記事は、皇軍が支那良民を妄りに惨殺せる如く曲説し、其の威信を失態せしむるに因り禁止。

 又河北の鉄道沿線にも多数の避難民が居たが、日本は之等の地方へ来ると至る処に火を放ち避難民に対しては一斉射撃を加ひ、其の家族は東西に四散するの余儀なかつた。

そして彼らの中には、妻子が銃殺されたので進んで行つて之を救はふとして又々日本軍の毒手に斃れたものがあつた。

(「出版警察報 第109号」P146)


天光報 第一七二二号 香港発行 八月一日発行
九月二日禁止
 「日本池宗墨をして偽職を継がしむ以々」と題する記事 同前理由

 日本軍の住民銃殺に至つては更に惨酷非人道を極めて居る。北平中立方面の報告に拠れば、其が北平近郊に於て発見せる屍体七は、全部手を反縛せられ、其の中の二名は頭を切り取られて居た。

之は明らかに日本人の虐殺せる所で其の他の残酷行為は更に枚挙に堪えず即ち老若婦女子と雖も免れざる所である。

(「出版警察報 第109号」P146〜P147)


大公報 第一二二四八号 上海発行 八月一日発行
九月九日禁止
 「天津全く灰燼に化さんとする勢にあり」と題する記事は皇軍が天津に於て放火姦淫虐殺を行ひ居るが如く曲説し皇軍の威信失墜に渉るに因り禁止。

 (天津三十一日午后二時発専電)三十一日午后に至るも天津は無政府無警察状態を続けて居る。三十一日朝日本軍は東馬路太胡同建築物を爆撃日本軍及浪人多数は河北に赴き自由行動を採り放火姦淫殺人を行つてゐる。

(「出版警察報 第109号」P147〜P148)


新聞報 第一五八六三号 上海発行 八月五日発行
九月十一日禁止
 「抗戦の前線に於て」と題する記事

 日本軍は到る処に於て中国の婦女子を捜し廻り、彼等多数の侵略的なる獣軍の慰労物としてゐる。

 誰か獣軍の中国婦女凌辱を忍受し得やうか、農民等は凡て彼等の為に拉致せられ、剰へ我等同胞の腹を抉り、鮮血を奔流させるのであるが、之等の残酷なる殺人行為は人類の為し能はざるものである。

 彼等の最も惨虐な行為は、彼等が反日的なりと認めると直に之を捕へて活き埋めにし、首だけを出して置くと云ふことである。

(「出版警察報 第109号」P148〜P149)


華僑日報 第三八三一号 香港発行 八月十七日発行
九月十三日禁止
 「日軍婦女を虜にす」と題する記事は、皇軍が無辜の支那人民に対し破廉恥行為を為せるが如く血説し其の威信を失墜せしむるに因り禁止

 大灰廠にある敵兵は、前日民華に至り数十名の婦女を虜にし来り、無惨にも之等の者の貞操を蹂躙した。

(「出版警察報 第109号」P151)


黒流 創刊号 北平発行 三月十六日発行
九月二十日禁止
 「東北民衆被屠殺的惨状記実」と題する記事は皇軍が満州各地に於て全国民に対し暴行を行ひ居る如く曲説し皇軍の威信失墜に渉るに因り禁止。

 所謂「皇軍」は何でも皆人民より供給させる事が出来るから烱眼大膽な徴発中に少女が例外となる筈がない。

各城鎮に散佈する「皇軍」は公然と四方の村長に命じて少女を供給させ獣欲を満足させて居る


(中略)少女犠牲の事情に附随しては殺戮事件が起きる、興京県の某村長は少女二十名を供すべしとの「皇軍」の命令を受け 全村の少女を犠牲にするに忍びず彼等に通知して逃避させ別に二十名の老婦を探がして命に当てた、

「皇軍」は怒つて其の某村長を銃殺に処したが其の前夜殴打した上一夜監禁した。

(「出版警察報 第109号」P155〜P156)


申報 臨時夕刊 第十号 上海発行 八月三十日発行
九月二十四日禁止
 「我同胞を惨殺する敵兵は残酷にして人性なし」と題する記事は皇軍が支那良民を惨殺する如く曲説し、其の威信を失墜せしむるに因り禁止。

 楊樹浦の威妥瑪路碼頭に於て、日軍数名が無辜の民衆十余名を、五人若くは三人を一括りと為し、縄にて縛し、之を身動きの出来ぬやうにし、之を浦中に投入して溺死せしめたが、其の手段の惨酷、人をして戦慄せしむるのである。

(「出版警察報 第109号」P158)


中央日報 第三三〇七号 南京発行 八月二十五日発行
九月二十四日禁止
 「北支出征の戦友の一封書」と題する記事は、皇軍が支那女子を姦淫せるが如く曲説し、其の威信を失墜せしむるに因り禁止。

 敵は軍紀乱れ、殺人を恣にし、青年男子にて殺害せられたるもの枚挙に遑ない程である。

 又婦女を姦淫する事に慣れ、五、六十歳の老婆さへ此の難を蒙るのである。尚姦淫後婦女の下腹部を刺し、遂に死に至らしめる。

 先日は又敵兵は大灰場に於て若い女数十名を捕へ、自動車に乗せて北方に運び其の獣欲を恣にせり。

(「出版警察報 第109号」P158)


CДOBO(露語) 第三○○三号 上海発行 八月一日発行
九月八日禁止
 「南京は最後迄抗争するであろう」と題する記事は、天津にて日本軍兵士が、無辜の同市住民に対し極めて残忍なる行為を為したりとなし、著しく皇軍を誹謗するに因り禁止。

 日本軍残虐行為の数々(天津三十一日発中央通信)

 天津に於ける日本軍の残虐行為に就き編集部に目撃者よりの投書が続々舞ひこんで居る、 コーゼムヤ、フウトウンで日本軍兵士は支那人家屋に石油を振り掛け之に火を放つた。
 而も彼等は燃え盛る家屋から街路に避難し恐怖に戦慄いて居る住民に突然何等の予告もなく機関銃の一斉射撃を浴せた。
他の目撃者の語るところに依ると日本軍兵士は支那人避難民を小銃機関銃で射殺したと。

 昨日日本軍兵士は銃剣で威嚇し乍ら強制的に支那人避難民を東大通りの日本国旗に敬礼せしめたと。

(「出版警察報 第109号」P162〜P163)


ПPABДA(露語) 第二一〇号 モスクワ発行 八月一日発行
九月十七日禁止
 「日本侵略者の威嚇」と題する記事は、天津空爆の際皇軍が避難民に対し虐殺的行為ありたりとし皇軍威信失墜に渉るに因り禁止。

 支那街の道路上には到る処に無辜の市民の死体が散らばつて居た。

 次の事実は、日本の掠奪者の非人道行為の適例である。空爆により家屋が火に包まれ、その住民が街路に飛び出すや日本軍は機関銃で彼等を一斉射撃した。

(「出版警察報 第109号」P165)


The China Critic 第一八巻第六号 上海発行 八月五日発行
九月十一日禁止
 「日本の残虐性」と題する記事は北支に於て皇軍が支那一般民に対して残虐なる行為を為せるが如く曲説するに因り禁止。

 昨日一外人目撃者は、北平地方燕京大学の南の一村落Hentien附近の野に支那警官十一名市民七名の死体を発見した。

 中等は皆後手を縛られてゐた。或者は射たれて居たが大多数は滅多斬りに殺され且つ二人の市民は打首にされてゐたといつてゐる。

 又支那側の報道は在天津日本人が略取した支那領土の家屋に火を放ち更に機関銃にて逃る人々を射殺したと伝へた。

(「出版警察報 第109号」P172)


言文対照児童通信指南下册   上海発行 発行年度不明
九月二十八日禁止
 小学生用書簡文読本なるが、「学友に日本軍の暴虐なる有様を知らせる書を送る」の一文は満州事変に於て皇軍が一般民衆を虐殺婦女子を凌辱せるが如く捏造皇軍の行動を誹謗せるに因り禁止。

 日本軍は九月十八日に奉天に入つて後日放火掠奪して支那人を奴隷よりもひどく駆使し少しでも言ふことを聞かぬと之を斬り婦女子の外出してゐる者は勝手に之を辱しめ、少し容色の美しい者は皆之を免れず甚しきは姦淫されて死に至つた者さへありました。

(「出版警察報 第109号」P188)


新聞報 第一五八八四号 上海発行 八月二十六日発行
十月十二日禁止
 「敵軍避難民を惨殺す、百余人銃殺され惨忍の極み」と題する記事は「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当。

 某外人が記者に語つた所に拠ると

 彼が二十三日午前公用で外虹橋一帯を観察して橋際に到つた時敵軍二十余人が各自銃と実弾を持つて地に伏し別に軽機関銃一挺を橋の東の民家の人口に据えて居るのを見たが

 、此の時たまたま我国の避難民約百三十余人 が斐倫路方面からやつて来華徳路から曲がつて外白橋を渡つて租界に入らうとした所が図らずも敵軍は道を遮り、

 並ばせて列を作らせ若い者を前にし老若婦女子を後にして立たせ次に一つの小さい路次に向つて歩かせ其の入口にさしかかつた際に

 敵軍は片端から射撃した為に瞬時にして倒れ死んだ者が百余人を下らなかつた との事で

 該外人は之を見て大いに驚き直ちに其処に走つて行つて極めて穏やかな口調以つて射撃の停止を勧告した所意外にも拒絶され

 更に強硬に要求して始めて承諾を得たが其の時の生存者は僅かに二三十人に過ぎなかつたさうである。

(「出版警察報 第110号」P318〜P319)


広西日報 第二九号 桂林発行 四月二十九日発行
十月十四日禁止
 「極刑下の東北同胞」と題する記事は、我国が満州国を侵略し其の原住民を絶滅せしめんとし、種々虐殺を行ひ居る如く曲説するに因り禁止。

 滅亡せる満州に就いて見るに、日本は我が同胞を如何様に取扱つてゐるか、彼等は、「我々は只土地丈必要なのであつて人民は要らない」と云ふが、之は日本の公然なる支那侵略の原則である。

 日本は我々の同胞を全滅せしむる事を以て最も快事とするのであつて、本来は機関銃による屠殺を行ふのであるが彼等は諸外国の眼を蔽はんとして、表面は王道宣揚の看板を掲げてゐるのである。

 而して人民の惨殺に当つては秘密手段を講ずる必要が生ずるが、以下は同胞処刑の方法である。

一、水刑、人間を豚の如く縛り上げ、鼻の孔、口中に一ぱいになれば腹部を圧し、肋骨を折り、腹を破裂せしめて手を放すのである。

(「出版警察報 第110号」P320〜P321)


新聞報 第一五八八一号 上海発行 八月二十三日発行
十月十五日禁止
 「一車夫の該敵軍の蛮行」と題する記事は「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当。

 其の時荘源大の路次入口を守つて居た日本軍二小隊は我軍の前進を阻止する為に其の附近の我国避難民五人を捕へ

 其の中の二人は十二三歳の児童一人は老衰した婦人残りの二人は三十歳前後の若者であつたが

 
敵軍は五人を皆後手に縛り 足も亦麻縄で固く縛つて動かれない様にし五人を我軍防禦の為の鉄条網の上にのせ敵人は五人の体の後に隠れて重機関銃をかまへ、

  五人の中の一人が少しもがいた所敵軍は銃剣で大腿部を突き刺し

 他の一児童が一声叫ぶと敵軍は布切れで口を塞ぎ鉄条網を口から後頭部にかけて捲きつけ

 其の為に皮肉は裂け血は全身に流れて
其の惨忍な有り様は誠に人間の仕業ではなかつたとの事である。

(「出版警察報 第110号」P327)


中央日報 第三三二九号 南京発行 九月十六日発行
十月十八日禁止
 「楊行各村落敵の砲火に破壊せらる」と題する記事は、「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当。

 敵軍は各地方に到る毎に壮丁を捜索し、強制的にして之を縛り上げるが、彼等は羅店鎮の北塘より退却する際の如き、我傷兵十余人を△に釘付けにして殺害し、又顧家油車に於ては四、五才の幼児の胴を斬り、五十余になる老婦を姦淫し、後其の陰部を剣にて斬り割いた。

(「出版警察報 第110号」P329)


中国■村 戦時特刊第一号 上海発行 八月二十三日発行
十月十五日禁止
 「日本砲火下の平津農民」と題する記事は、「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当。

 彼等日本軍は村落一帯に亘り年若き婦女を捜し、之を脅迫して擒(ゆう注 とりこ)として捕ひ去り、或は之を凌辱して死に至らしめ或は罵りて之に反抗する者をも死に至らしめ、我々の美しい家庭を破壊した。

(「出版警察報 第110号」P332)

*「中国■村」の「■」は、パソコンで出ない字。


中山日報 第十五年第四六二五号 広州発行 十月十四日発行
十一月二十四日禁止
 「惨酷無道、敵の朔県民屠殺の惨劇」と題する記事は同前。(ゆう注 「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当)

 敵軍隊は先日朔県に盤居した時民衆を恨んで二千余名を屠殺し、更に同県の知事、及び県庁の庁員を一人残らず石油を懸けて焼き殺した。

 又岱岳、馬邑の各村落の人民も数十人屠殺されたが、婦人の如きは衣類を脱がされ、真裸にされて町中を引き廻された後嬲り殺しにされた。


(「出版警察報 第110号」P378)


Le Journal de Shanghai(仏語) 第一一巻第二一八号 上海発行 九月十七日発行
十一月五日禁止
 「支那人、日本人の残虐行為を非難(セントラル・ニース)と題する記事は、「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当)

 羅定鎮近傍の顧家宅より終日歩き続けて今日崑山に到着した避難民の一群は、日本軍が支那軍負傷兵及非戦闘員に加へた残虐行為の目撃者であつたと云ひ、

 十名の負傷兵が日本兵に依り壁に釘付けにされて的の様に順々に射撃されたのを見たといふ。

 
又二十余名の農夫は舟に乗せられて何方へか拉致されたと。

 猶彼等の語る処に依れば四歳の少女が軍刀で斬殺された事もあり、強姦の如きも数件に上り中には五十歳の女に対するものもあつたと。

(「出版警察報 第110号」P387)


時事新報 第一〇六六五号 上海発行 八月二十五日発行
十二月十五日禁止
 「我が空軍の俘虜及び支那軍に撃墜されたる皇軍飛行機」と称する写真二葉並に「外虹橋の敵軍我が無辜の避難民を惨殺」と題する記事は「支那事変外出禁止標準三ノ(七)ノ(1)及び三ノ(四)」に該当)

 我等母子三人は今朝(即昨朝)新記浜路から逃げて来たのだが、外虹橋を通る時日本兵に阻止され検査された、

 其時日本兵二名は事情も聴かず銃剣を以て娘(二十五歳)の胸部を突刺し腸五臓は立ち所に飛出し一声叫んで忽ち地に倒れた

 他の一日本兵は娘に侮辱を加へ我々二人は命からがら逃げ出し幸ひ警補に会ひ外白渡橋に護送され危険を逃れることが出来たと。

(「出版警察報 第110号」P430)


星中日報 第六一七号 シンガポール発行 十月十六日発行
十二月二十三日禁止
 「敵軍占領の良郷同胞水火の苦に喘ぐ」竝に「一族団寝返りを打て帰来」と題する記事は「支那事変外出禁止標準三ノ(四)及び三ノ(五)」に該当)

(一)、今次良郷県敵軍に占領さるるや城内外及其附近の人民の財産はことごとく敵軍の強奪する所となり、甚しきは一般婦女は勿論未発達の少女に至る迄強姦を恣にされ極く少数の者が免れたのみである。(中略)(ゆう注 原文通り)

 而も残虐にも強姦の上殺害をなして居る有様である。良郷一帯の女子にして斯くの如くして殺されたものは相当の数に上て居る。我同胞女子をかくの如く淫辱残殺する暴軍の非人道的禽獣行為は有史以来未だ曾て聞かざる所である。

(二)、敵は毒ガスを使用して綏遠城を攻撃し来るも我軍の防禦堅固にして之を固守せり。

(「出版警察報 第110号」P436〜P437)


The Hongkong Weekly Oress 第一三巻第一九号 香港発行 十一月五日発行
十二月二十七日禁止
 「無残なる虐殺」と題する記事及び「此の日本軍野蕃性の犠牲者は・・・」と題する写真は「支那事変外出禁止標準三ノ(四)」に該当)

 即支那軍隊を包囲したる日本軍は銃剣を突きつけて彼らに強制的に墓穴を掘らしめた。かくて墓穴を掘り殺し甲斐のある敵兵を冷やかに見守つた日本軍は彼らを虐殺し、大口を開いたその土地に投げ入れた。

 此の日本人野蕃性のためにその犠牲となりたる者は虹口の或病院に雇はれてゐた。彼は両手を後に縛され、目隠をされて後頭部を銃剣で以て突きさされ河の中に押込まれた。彼は九人の中の唯一人の生残者である。

(「出版警察報 第110号」P449)


 なお、報告者のコメントには、しばしば「曲折」「捏造」など、記事の事実性を否定する言葉が出てきます。

 先にも述べた通り、今日では個別事件の検証は極めて困難であり、記事に誤認・誇張が含まれている可能性もないとはいえませんが、このコメントについていえば、報告者自身が検証したはずもなく、単なる「枕詞」と見るのが妥当でしょう。

(2004.3.14記)


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