「マレーシア軍政」を巡る俗論(1) マレー華僑虐殺−「ノンチック発言」をめぐって |
ネットでは、「マレーシアの国会議員、ノンチックの発言」として、このような文章が、コピペで広まっています。
ただしこれは「孫引き」であり、さらに遡れば、土生良樹『日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した』のまえがきが、もともとの出典です。 さて、「マレー華僑虐殺事件」は、決してよく知られた事件であるとは言えません。そんな中、この短い一文をもって、「事件」の概要も知らないまま、 「そうか、日本軍によるマレー虐殺はウソなのか」と即断してしまう方もいるようです。 しかしこのノンチック発言は、明らかに事実に反するものです。 「日本軍はマレー人を一人も殺していません」というのはレトリックの行き過ぎと理解するとしても、 「日本軍が殺したのは・・・中国系の抗日ゲリラだけでした」の部分などは、仮にもマレーシアの国会議員であるはずのノンチックが、 一体どういう意図でここまでの無茶を言っているのか、首を傾げざるを得ません。
「マレーシア華僑虐殺」がどのような事件であったのかを、確認しておきます。 1941年2月、英領マラヤ・シンガポールを占領した日本軍は、犠牲者数千人以上規模の「シンガポール華僑虐殺事件」 に続いて、マレーシア各地で「抗日華僑」狩りを行いました。 ここでは、中島みち氏の『日中戦争いまだ終らず』から、一つのケースを紹介しましょう。当時七歳、ネグリセンビラン州パリッティンギ村で「事件」に遭遇した、蕭文虎の証言です。
念のためですが、中島氏のこの本は、次の原不二夫氏の「書評」の通り、かなりの程度「日本軍擁護」のスタンスを持ったものでです。
当時のマレー掃討において、幼い子供はおろか、赤ん坊までが殺害対象となっていたことは、氏が紹介する「元将兵」の証言からも裏付けられます。
一応の「言い訳」を語ってはいますが、「赤ん坊」を殺す「言い訳」としては、あまりに一方的で身勝手なものでしょう。 いずれにしても、「パリッティンギ村」ケースなどは、「ゲリラ」かどうかの選別もろくに行わないままの、ほぼ「全住民殺害」です。 「抗日ゲリラ」がどの程度存在したのか今日では知る方法もありませんが、巻き込まれてしまった一般市民も多数存在したであろうことは、容易に推察できます。 そして日本軍の殺害対象は、子供や赤ん坊にまで及んでいました。 *念のためですが、無抵抗の相手を「処刑」しようとする以上、国際法の上では、処刑対象が本当に「ゲリラ」であるのかどうか、という厳密な選別手続=裁判が必要です。 この手続きを無視し、即決で「厳重処分」を行ってしまった日本軍の行動は、どのような立場に立つにせよ、決して正当化できるものではありません。 「日本軍擁護派」の中島氏ですら、「事件」をこのように語らざるを得ませんでした。
念のため、他のマレーシアの政治家がどのような認識を示しているのか、マレーシア連邦初代総理大臣、トゥンク・アブドゥル・ラーマン・プトラの回顧録を見てみましょう。
「数多くのマラヤの住民とその連合軍が殺された」と、正しい認識を示しています。 ラーマンは、シンガポールにおいて「日本軍の華僑虐殺」を糾弾する雰囲気が高まった1962年当時には、「シンガポール華僑が対日補償問題で騒ぐことは好ましくない」と、むしろ「運動」を抑える側に回っていました。 (池田直隆『「シンガポール血債問題」と日本の対応』=「国学院大学日本文化研究所紀要」2004年9月、P335) このように「親日家」として知られたラーマンですら、こんな厳しい発言を行っていることは注目してよいでしょう。 以上、「日本軍が殺したのは・・・中国系の抗日ゲリラだけでした」というノンチック発言が、いかに事実に反した無茶なものであるか、わかると思います。 *なお中島氏は、「私は決して、掃討行為について正当性を言いたてるものではない」(P250)としながらも、「私の言いたいことは、 日本軍は無辜の住民ではないと信ずるに確実と思われる根拠をもっていたからこそ、あのように短期間に、掃討を行なったのであろう、ということである」(P250)と、少しでも日本軍側の「正当性」を強調しようとします。 ただし林博史氏によれば、この時期「ゲリラ」はごく少数でほとんど力を持っていなかった、ということです(『華僑虐殺』)。
「ノンチック発言」を再掲します。
さて、そもそもこのノンチック発言に登場する「日本のある学校の教師」というのは、一体誰のことなのでしょうか。 「ある学校の教師」というからには、これは高校以下の先生のことであろうと推察されます。 私の頭に真っ先に浮かんだ名前は、「マレー華僑虐殺」の研究者として有名な、筑波大学附属高校教師(当時)、高嶋伸欣氏でした。 おそらく私だけではなく、このテーマに関心のある方でしたら誰しも、これは高嶋氏のことだ、と即断してしまうことと思います。 しかしそうだとすれば、この「日本のある学校の教師」の発言は、いかにも奇妙です。 『日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べに来たのだ』 高嶋氏が調べていたのは、「マレー人虐殺」ではなく、「マレーシアにおける華僑虐殺」です。 日本軍の民族分断政策のもと、マレー人は思い切り優遇され、勝手に「ゲリラ」認定されて大量に虐殺されたのはマレーシアに住んでいた華僑(中国系住民)であったことは、全くの常識といっていいでしょう。 こんな発言をした人物は、マレーシアが多民族国家であることすら承知しない、お粗末な「研究家」である、ということになります。 *あえて言えば、無理やりに、この「マレー人」というのは「マレーに住む人々」のことである、と「拡大解釈」することもできなくはないかもしれません。 しかしそうだとすれば、「違いない」という言い方には、いかにも違和感を感じます。「マレーにおいて日本軍が女子供を含む大勢の華僑を虐殺した」というのは、論壇でも争いのない、歴然たる「事実」です。高嶋氏が、「違いない」という曖昧な言い方をするはずがありません。 高嶋氏が本当にこんな発言をしたのか。そもそも、どういう機会にノンチックと会談したのか。 こんな疑問を持った私は、−高嶋氏とは連絡をとる手段がありませんでしたので−高嶋氏としばしば共同研究を行っている林博史氏に、メールで尋ねてみました。 すると、「そこで触れられている日本の教師とは高嶋氏のことではないはずだ」「高嶋氏はノンチックと会ったことはないはずだ」という趣旨の答えが返ってきました。 してみると、どうやらこれは、少なくとも「高嶋氏」のことではなさそうです。 それではこの「ある学校の教師」というのは、一体誰なのか。「マレー虐殺」の現地調査を行った「学校の教師」を、私は他に思いつきません。疑問は疑問のまま残ります。 念のために、土生氏の本から、上のノンチック発言の前後の文脈を見ておきましょう。
要するにこの発言は、インタビューが終わった後の一対一の「雑談」の中で行われたものです。 土生氏が発言を録音して、正確を期すために一語一語テープ起こしをした、という気配もありません。 発言全体を見ると、どうもノンチック氏は、「土生氏が言いたいこと」をそっくり代弁している感があります。「日本軍が殺したのは・・・中国系の抗日ゲリラだけ」、 あるいは、「日本の植民地としないで」という明白な事実誤認も見られます。 そもそもなぜノンチックは、実名を挙げずに、わざわざ、高嶋氏を連想させるような、「ある学校の教師」などという曖昧な言い方をしたのか。 あるいは土生氏は、高島氏を貶めるために、あえて読者がそのように「誤解」するように仕向けたのではないか。そんな疑問まで生まれます。 土生氏はノンチックの発言をどこまで正確に伝えているのか。一応は判断を保留しておくべきところかもしれません。 (2011.4.23)
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