日米開戦1 スティネット「真珠湾の真実」をめぐって(1)

―中西輝政−秦郁彦論争を中心に―


 日米開戦にかかる「ルーズベルト陰謀論」には、大別して「狭義」「広義」の2つのパターンがあります。

狭義の陰謀論> ルーズベルトは日本海軍の真珠湾奇襲を知っていながら、それをハワイに伝えず、わざと「奇襲」を成功させた。

広義の陰謀論>  日本は、戦争を欲するルーズベルトの挑発に乗って、「日米戦争」を始めてしまった。


 ただしいずれの「説」も、「状況証拠」にのみ頼っており、「説」を裏づける決定的証拠は存在しない、というのが妥当な評価であるように思います。




 さて、1999年12月、スティネット『真珠湾の真実』という本が出版されました(邦訳は2001年6月発売)。

 スティネットは、「狭義の陰謀論」「広義の陰謀論」それぞれについて「決定的証拠」を入手した、と主張します。 米国ではほとんど無視された形でしたが、早速これに飛びついてしまったのが、京大教授(当時)、中西輝政氏です。

 しかしまもなくスティネットの「新発見」は、秦郁彦氏、須藤眞志氏、左近允 尚敏氏、またサンケイ新聞社『ルーズベルト秘録』取材班などの、どちらかといえば保守派の論客によって、 ボロボロにされてしまうことになります

 本コンテンツでは、この間の論争を振り返ってみることにしましょう。


※余談ですが、中西氏は、自分に都合のよい「説」が出ると、見境なくそれに飛びついてしまう、という悪いクセがあるようです。 「張作霖爆殺事件」でも、全くの専門外の分野であるにもかかわらず、「コミンテルン陰謀説」の旗振り役を果たした ことは記憶に新しいところです。




 まずは、中西氏の「過剰反応」ぶりを見ておきましょう。西木正明氏との対談がいちばんわかりやすいので、まずこれを紹介します。

中西輝政・西木正明『衝撃の書、ルーズベルトは知っていた!』


中西 (略) 私はいわゆる真珠湾問題の専門家ではありませんが、ヨーロッパを中心に、国際政治、外交の問題をずっと研究してきました。 そのなかで、当時の国際情勢、ルーズベルト政権の性格などの状況証拠から考えて、スティネットと同じく、 ルーズベルトがすべてを知っていて自国の太平洋艦隊をいわば囮にしたのはほぼ間違いないと考えてきました

 しかし、ハードな根拠が今ひとつ足りなかったのですが、スティネットはそれを十分に与えてくれた。 それに加えて、スティネットは当時のホワイトハウスを取り巻く人間関係や政治的背景まで含めて、これまでの論者と比べ、ずっと広い目で見ている。(P159)



中西 今年は真珠湾攻撃から数えてちょうど六十年になります。これまでも、いわゆる「ルーズベルト陰謀説」をめぐっては、それを主張する側からも批判する側からも、多くの本が書かれてきました。

 真珠湾問題の専門家の多くは、暗号研究者であったり、軍隊に籍を置いて軍事技術を専門にしてきた人たちです。そのため、とかく議論がオタク的な細かいものになる傾向があった。 ですから、このスティネットの『真珠湾の真実』も、最初はそうした本かもしれないと思いながら読みはじめたのです。

 ところが、読み進めるうちに、これはこれまでの真珠湾論争とは次元が違う本だという印象を持ちました。 まず第一にいえるのは、豊富な新史料をもとにした圧倒的な論証力です。 さらに暗号とか無電とかの限られた分野以外に広い視野からの総合性があって、これまでにない強い説得力をもつものになっている。

 個々の論証についてはのちに詳しく論じるとして、真珠湾問題に関する新しい研究は今後は必ず本書を通過しなくてはならない、という間違いなくエポック・メイキングな本だと思います。 (P158)

(『文藝春秋』2001年7月号)


 また中西氏は、スティネット本に自ら「解説」を寄せています。 (「正論」2000年12月号掲載の論稿『日本の、覚悟を問う』を、そのままスティネット本の「解説」として転用したもの)

中西輝政『ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』解説』


 しかし読み進むにつれてこの本は「五十年にわたったモヤモヤ」を取り払うだけでなく、 決定的ともいえるいくつかの重要文書を含め、厖大な新史料の発掘によってこの論争に実質的にピリオドを打つものだと感じさせた。(P524)



 何といっても本書の最大のメリットは、「マッカラム覚書」など数多くの"動かぬ証拠"、 つまりこれまで未発掘だった多くの極秘史料を発掘しつつ、同時に従来全く見過されてきた多くの重要な事実を丹念につなぎ合せて、 かつてなく総合的でしかも緻密きわまる論証によって全篇が貫かれている、という点だ。(P525-P526)

(ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』所収)


 最後の結びの言葉に至り、中西氏はますますエスカレートします。

中西輝政『ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』解説』

 まず何よりもこの「トータルな戦争責任」論は、端的に言えば本書一冊だけでも粉砕されるわけで 、今や日本の責任に関する議論は、第一次大戦責任論と同様、責任をめぐる「過失割合」の次元へと移行されねばならないことがはっきりと見えてくる。

 このことは戦場における戦争犯罪責任についても当然当てはまる。

 つまり、ここで初めて「現代史」−現実政治上の必要からするプロパガンダと当事者の感情や思惑が主体となった同時代の解釈−の時代が終わり、ようやく本来の歴史が始まるのである

 またそれによって日本の戦後の価値観やシステムも、当然変容してゆかざるを得ないであろう。戦後の価値観やシステムが変わらなければならないのは、何も「グローバリゼーション」のゆえだけではないのである。

 いずれにせよ、六〇年経った今、ようやく本当の歴史が語られ始めたのである。(P536)


 スティネット本によって「本来の歴史が始まる」のだそうです。何とも大仰な、手放しの礼賛ぶりには恐れ入りますが、こんな中西氏の「はしゃぎぶり」に呆れて見せたのが、秦郁彦氏です。



秦郁彦『スティネット『欺瞞の日』の欺瞞』  


(略)月刊誌『正論』二〇〇〇年十月号の「日本の、覚悟を問う」と題した中西輝政京都大学教授の論稿 (「ゆう」注 のち、全文がスティネット本の「解説」として再録)に接して仰天した。

 タイトルは何やら物々しいが、ほぼ全篇が『欺瞞の日』の要約と讃美に終始し、 「情報なき日本」は"新冷戦"に勝てないとの御託宣におちつく。つまりスティネットが暴露し、証明したルーズベルトの陰謀に手王にとられた日本は今も同じように……といういささか単純な勧善懲悪論なのである。

 この論文が昨今のスティネット人気の引き金になったと私は断定したいが、それだけの迫力と説得力を発揮したのは、たとえば次のようにセンセーショナルな断定や思い入れのせいではないか。

「ぼう大な史料を示して事実を確定してゆく。その精緻をきわめた手法には圧倒される思いだ」

「ぼう大な新資料の発掘によってこの論争にピリオドを打つものだと感じさせた」

「無惨な敗戦しかあり得ないことを一切予見することなく、アメリカのシナリオ通りに坂道をころげ落ちていったことが明らか」

「誤った歴史観・価値観によって成立していた戦後日本という社会が全面にわたって自然発生的に崩壊してゆく」


 まだまだあるが、くどくなるので省略するが、私がびっくりしたのは、ルーズベルト陰謀説も反陰謀説も「耳にタコができる」ほど聞かされ、 あきあきしていたというベテラン歴史家の中西氏が「どうせこれまでの焼き直しだろうが、一応読んでみるか」というスタンスでスティネット本を読みはじめたところ、 一冊だけで世界観や人生観まで変るほどの衝撃を受けてしまったらしいことだった。

 それも、ごく初歩的なトリック本によってとなると、別の歴史家として「こりゃ何だ」との思いを禁じえなかった。(P231-P232)

(『検証・真珠湾の謎と真実』所収)       


 中西氏は「ごく初歩的なトリック本」に引っ掛かっている。「こりゃ何だ」とまで酷評されてしまいました。

※ただし後述するように、中西氏は、「戦後解読された電文をあたかもリアルタイムで解読されたかのように見せかける」 というスティネットの「初歩的なトリック」には引っ掛かっていないようですので、この表現は秦氏の勇み足かもしれません。いずれにしても、「こりゃ何だ」との「感想」には、私も共感します。

 以下、具体的な論点について見ていきます。



1 ルーズベルトは知っていたか?


 まずは、「ルーズベルトは日本海軍の真珠湾奇襲を知っていながら、それをハワイに伝えず、わざと「奇襲」を成功させた」という 、狭義の陰謀論についての「決定的証拠」です。


 この「説」の成立のためには、「ルーズベルトが知っていた」という「事実」が大前提として必要です。 これは通常の資料からは証明困難な命題であり、過去の同種の「陰謀論」は、いずれも「客観的な説得力に欠ける」という結果に終わっています。


 さて、スティネットのストーリーに注目しましょう。スティネットの主張は、「米側は連合艦隊の無線を傍受しており、 ルーズベルトはその解読電文を通じて連合艦隊の動きを知っていた」、というものです。

 当然のことながら、これは従来の「通説」とは相容れません。通常語られる「通説」は、次のようなものです。

(涜Δ海軍暗号を解読できたのは1942年以降のこと。「真珠湾」の時期には、例え無線を傍受しても解読はできなかったはず。

∀合艦隊は厳重に「無線封止」を行っていたので、電波が漏れるはずがない。



※念のためですが、この時期、日本の「外交暗号」は既に解読されていました。東郷外務大臣からワシントンの日本大使館への指示電文が、 すべて米側につつぬけになっていたことは、有名な事実です。ただしコードが異なる「海軍暗号」はまだ解読には至っていなかった、というのが通説です。


 そもそも連合艦隊は無線電波を発信していない。そして、例え発信していたとしても、米側には当時その暗号を解読する技術はなかった。

 にもかかわらず、スティネットは、「連合艦隊は無線電波を発信し、米側はそれを傍受してその行動を察知していた」、と主張しているわけです。

 スティネットは、この「通説」をいかに覆そうとするのか。以下、見ていきましょう。



1-1 「海軍暗号」は解読されていたか?
 「ヒトカップ電文」をめぐって


 スティネットは、P47で、「1940年秋」にはもう米軍が「海軍暗号」を解読していた、と主張します。


ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々』より


 アメリカの暗号解読者たちが、日本の四つの海軍暗号の解読に成功した時期については、未だに議論が絶えない。 数度にわたる真珠湾調査で得られた証言では、日本海軍の暗号は一九四二年春まで解読されなかったと示唆している。

  著者の調査結果はこれとは異なり、解読に成功したのは一九四〇年の秋の初め、アーサー・マッカラムの覚書が大統領執務室に届けられたのと、大体同じ頃だった。(P47)



 ここまで断言できる根拠は何なのか。一応、これに続く文章をそのまま引用してみましょう。

ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実  ルーズベルト欺瞞の日々』より


 海軍作戦部次長ロイヤル・インガソル少将は、太平洋艦隊の二人の指揮者、ジェームズ・リチャードソン海軍大将とトーマス・ハート海軍大将あての、 一九四〇年十月四日付の書簡の中で、日本海軍の戦略と戦術とを探り出して予見する能力を米国が得たことを明らかにしていた。 インガソルのこの書簡は、そのことを具体的に述べていた。(P46-P47)

 すなわち、米海軍は一九四〇年十月、日本艦隊の動静と所在場所とを追跡しはしめた。 「オレンジ〔日本を意味する米軍の暗号名]艦隊の大きな動きはすべて予言できる。そしてオレンジの外交活動に関する情報の流れも連続的に入手可能となった」 。

 彼は海軍暗号解読員が日本海軍の商船暗号を解読したと述べていた。「商船暗号自体は九九パーセント解読可能である」と、インガソルは報告していた。

 日本海軍の主要暗号である「作戦通信暗号」〔五数字暗号〕の解読は、解読員たちにとって依然として難題であったが、 一九四一年四月までには完全に解読可能となることが期待されていた。「解読できることは十分はっきりしていた」とインガソルが述べていた。 「しかし、一通の暗号電報を解読するのに一時間から時には数日かかった」。

 解読時間を短縮するため、米海軍は特別の暗号解読機を開発した。(P47)



 じっくり腰を据えて読まないと見逃しそうですが、上の文を見る限り、米側が解読したのは「外交暗号」と「商船暗号」のみです。 「海軍暗号」については、「解読できることは十分はっきりしていた」というのみで、実際に解読できたかどうかはわかりません。結局、スティネットの「断言」の根拠は不明です。

 さらによく読むと、スティネットは、この文章の直前で、こんなことを書いています。


ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実  ルーズベルト欺瞞の日々』より


 パープル暗号については大部分が解読されていたが、海軍暗号についてはほとんど解読されていなかった。(P45)



 「海軍暗号」が解読されていた、と主張しているのか。それとも解読されていない、という認識でいるのか。 ここまで相反することを書かれると、読者としては、混乱せざるをえません。





 さて、いよいよ「新資料」です。

 ここから50ページほど読み進むと、「HITOKAPPU BAY」なる傍受電報の記録の写真が登場します(P96〜P97)。以下、その内容です。


ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実  ルーズベルト欺瞞の日々』より

傍受電報「HITOKAPPU BAY」

発 ヒンマ(軍令部第一課長)
宛 イアト(大湊要港参謀長)
通報先 リタ358(第一航空艦隊参謀長)

1220/18 November 1941 (TOI 11/181932 G SN B115 A) H

JN 25 B 62200

(傍受電文)
所用で第一航空艦隊に出張中のスズキ(1776)を、11月23日か24日にヒトカップ湾にて大湊要港部第二基地所属の船により収容手配されたし

(手書き)G Z コメント :HITOKAPPU BAY spelled out,noto from single code group

JN6 1276Z

(JAPANESE)

(M) Navy Trans 4/24/46

 TOP SECRET URUTRA (取り消し線あり)

※P97に英文の原本の写真、P98に電文の和訳あり。上記は「ゆう」が両方をつなぎあわせて再構成したもの。 不要部分は適宜省略したので、厳密な議論をされたい方は、原著を直接参照してください。


 いきなり「解読電文」が登場しました。読者は間違いなく、これはリアルタイムで解読されたものだ、という印象を受けると思います。 秦氏の言う、「初歩的なトリック」です。


 スティネットの解説です。


ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実  ルーズベルト欺瞞の日々』より


十一月十八日に傍受された電報は、通信保全処置はなんらとられておらず、 ローマ字でH−I−T−O−K−A‐P−P−U−B―A−Y(単冠湾)と一字一字綴られていた。これらローマ字は暗号化さえもされず、そのまま送信されていた。(P95)




(傍受電文)

 「所用で第一航空艦隊(X 31011)に出張中のスズキ(1776)を、11月23日か24日に単冠湾にて大湊要港部第二基地所属の船(X 46905。 識別不能)により収容方手配されたし」

〔解説〕

 単冠湾という用語が含まれている傍受電報には、暗号書番号が記載されているもの(左)と、黒く塗り潰されているもの(右)と、二通りがある。

 1979年に大統領行政命令により公開された右ページ掲載の検閲済のものは、暗号番号JN-25-B(1941年当時、五数字暗号と呼ばれていたものにその後、付与された名称) 及び文中の五数字部分が黒く塗り潰されている。この電報は傍受局HのSNというイニシャルを持つ電信員が傍受したものである。

 傍受時刻は右上隅に記入されている「TOI」(time of intercept)にあるとおり、1941年11月18日19時32分であった 〔右下隅にある「Navy Trans 4/24/46」というのは、1946年にtranslated(翻訳)またはtranscribed(転写)されたことを意味しているが、 暗号解読については重大な疑問がある。ロシュフォートは日本語には堪能だったのだから〕。

 SNは、この電報をハワイで大きな音で、ハッキリと傍受したという。彼は傍受状況をG(良好)と評価しており、空電による障害はなかった。

 東京通信隊「ハフ6」は「ウモ2」(部内全般)あてに4155キロサイクルで送信した。この傍受電報の原本は米国政府がまだ公開していない。

 GZ(翻訳者を示す海軍記号)が手書きしたメモには、単冠湾以外の、日本語の電文は五桁数字のシリーズで送信されたが、 単冠湾については片仮名でヒトカップワンと、一字一字つづられていたと書かれている。

 傍受電信員とキスナーとはすでに日本海軍の呼出符号を解読していて、 「ヒンマ」が軍令部第一課長、「イアト」が大湊要港部参謀長、「リタ358」(原注26参照)が第一航空艦隊参謀長の呼出符号であることを知っていた。

 歴史家の中には、この電報は12月7日以降に人手したと主張する者もいるが、傍受した時刻はハッキリしている。電報が一旦発信されれば、その発信者と着信者とは直ちに判明したことだろう。(P98)

※「ゆう」注 念のためですが、「十一月十八日」は連合艦隊の出発前でしたので、この電報は「無線封止を守っていなかった証拠」にはなりません。



 しかしここで問題になってくるのが、解読電文中に見える「Navy Trans 4/24/46」の語です。 素直に読めば、「海軍翻訳、1946年4月24日」ということになります。

 ということは、この電文は、リアルタイムで解読されたものではなく、戦後になってようやく「翻訳」されたものなのではないか。そのような疑問が生じます。

※一応スティネットの解説には「暗号解読については重大な疑問がある」の語がありますが、あまりに曖昧な書き方で、ほとんどの読者はこれを見逃すと思います。




 本書を著した段階では、スティネットも混乱していたのかもしれません。

 しかし出版一年後の西木氏との対談の中では、「解読に成功したのは一九四〇年の秋の初め」という主張は姿を消し、 スティネットは、解読されていたかどうかわからない、という地点までの「後退」を余儀なくされました


ロバート・B・スティネット・西木正明 『ルーズベルトは「全て」を知っていた』


スティネット


 所用で第一航空艦隊(X31011)に出張中のスズキ(1776)を十一月二十三日か二十四日、HITOKAPPU Bayで 、大湊要港部所属船(x46905 unident ship)にて収容かた手配されたし



 ここに出てくるスズキとは、真珠湾攻撃の準備の一環として、海軍の指令を受けて大洋丸でホノルルに赴き、日本人スパイ吉川に接触して情報を日本に持ち帰ったばかりの鈴木英海軍少佐のことでしょう。

 この電報を傍受したことによって、アメリカ側はそれまで監視下に置いていた鈴木少佐が、青森県の大湊要港部所属の船に、単冠湾から乗船することを察知しました。

 四一年十一月十八日の段階で、仮にアメリカ側がこの電報を完全には解読できていなかったとしても、「第一航空艦隊」「鈴木少佐」「単冠湾」の三つのキーワードを含んだ電報が何を示すかを、 アメリカの情報関係者が理解しないはずがありません。


 第一航空艦隊の動きを予告する、この重大な電報を傍受したことは、アメリカの情報関係者にとって信じられないような突破口だったのです。

 ところで問題の傍受記録には、この電報は一九四六年四月二十四日に「TRANS」されたとあります。 これが、「翻訳する」の意味のTRANSLATEのことなのか、「書き写す」という意味のTRANSCRIBEのことなのかは、はっきりしません。

 しかし、それ自体はあまり重要なことではありません
。 記録には、電文を実際に傍受した海軍の担当者のものと思われる名前の頭文字と手書きのメモが付記されているのですが、その内容は注目に値します。(P64-P65)

 つまり、「(原文では単冠湾の呼称は)暗号ではなく、片仮名でヒトカツプワンとスペルアウトされていたしと書かれているのです。つまり一宇ずつカタカナで綴られていたわけです。

 この電報が解読されたのが、果して終戦の翌年のことだったのか、あるいは傍受された直後だったのかを知る術はありません。 しかし、いつ解読されたかということよりもはるかに重要なのは、「ヒトカツプワン」は実は暗号ではなく片仮名で発信されていたという点です。(P65)

(『諸君!』2001年1月号所収)


スティネット曰く、「問題の傍受記録には、この電報は一九四六年四月二十四日に「TRANS」されたとあります。 これが、「翻訳する」の意味のTRANSLATEのことなのか、「書き写す」という意味のTRANSCRIBEのことなのかは、はっきりしません」

 
― これでは、当時米軍は「海軍暗号」を解読しており、南雲艦隊の動きをリアルタイムで知っていた、という主張は成立しなくなります。



 ではどうやって、この未解読「電文」を「ルーズベルトは知っていた」という主張につなげるのか。スティネットは、実は「暗号文」の中に「平文」が混じっていたのだ、と語ります。


 しかし、いつ解読されたかということよりもはるかに重要なのは、「ヒトカツプワン」は実は暗号ではなく片仮名で発信されていたという点です。

※「ゆう」注 本書では、先に見た通り、「 ローマ字でH−I−T−O−K−A‐P−P−U−B―A−Y(単冠湾)と一字一字綴られていた」と、 「ローマ字」で送信されたことになっています。スティネットはこのあたり、いささか混乱しているようです。



 四一年十一月十八日の段階で、仮にアメリカ側がこの電報を完全には解読できていなかったとしても、 「第一航空艦隊」「鈴木少佐」「単冠湾」の三つのキーワードを含んだ電報が何を示すかを、アメリカの情報関係者が理解しないはずがありません。



 要するに、例え暗号が解読されていなくても、「ヒトカップ湾」「第一航空艦隊」「鈴木少佐」という「キーワード」により、米側は連合艦隊のヒトカップ湾への集結を知ることができたはずだ、というわけです。


 しかし読者は、ここでも戸惑うのではないでしょうか。

 例え「ヒトカップ」が「平文」だったとしても、スティネット自身の解説にもある通り、「第一航空艦隊」は「X31011」、「鈴木」は「1776」という暗号で送信されていたはずです。

 暗号が解読できていないとすれば、どうやって米側は「第一航空艦隊」あるいは「鈴木」という単語を知ったのでしょうか。



 そういう疑問を持って、上のスティネットの「電文解説」を読み直すと、こんな記述を発見できます。


 傍受電信員とキスナーとはすでに日本海軍の呼出符号を解読していて、「ヒンマ」が軍令部第一課長、「イアト」が大湊要港部参謀長、「リタ358」(原注26参照)が第一航空艦隊参謀長の呼出符号であることを知っていた。



 電文全体は解読できなくても、部分的な「単語」はわかっていた、と言いたいようです。

 その根拠は何か。実際に上の文中にある「原注26」(P116)を見ても、その「根拠」はさっぱりわかりません。 どうやら「著者によるインタビュー」が根拠であるようなのですが、その内容には触れられておらず、第三者には検証不能です。




 ともあれ「ヒトカップ」電文は、中西氏にとっては大変な衝撃であったようです。

中西輝政『ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』解説』

 たとえば、これまで多くの日本人を含め一般に、ハワイ攻撃に向かった日本の機動部隊は厳格な「無線封止」を敷いていたから米側に一切気づかれることなく十二月八日(日本時間)、 ハワイ北方の攻撃発進地点にたどり着き攻撃隊の発進に成功したとされてきた。

 しかし事実は全く逆で、十一月末、千島・択捉島の単冠湾に日本艦隊が集結した時点から、米側はこのハワイ「奇襲」部隊の動きを、日本側が不用意に出す電波を方向探知機などで適確に把握していたのであった。

 また、六十年ぶりに初めて公にされた、"Hitokappu Bay"の文字の入った米海軍秘密文書のコピーを本書(50〜51頁)で目にしたときは長年、ヨーロッパの秘密情報史の研究に関心をもってきた私でさえ、正直言って少なからず驚いた。(P526-P527)



西輝政・西木正明『衝撃の書、ルーズベルトは知っていた!』


暗号専門家の「ワナ」

中西 真珠湾の時点で、日本海軍の全ての暗号が完全に破られていたかどうかについては、私は暗号の専門家ではありませんから、 はっきりしたことは言えませんが、スティネットが非常に膨大な史料を集めて、スタンフォード大学のフーバー公文書館に寄託している。 批判する人は一部のアメリカ人の批判を受け売りするのではなく、それを見た上で、議論を進めたらいいと思います。

 ただスティネットは、暗号化されていない平文で、「ヒトカップ」と打たれた電報を提示していますね。 当時、日本海軍の動向を日夜追いかけていた専門家であれば、それだけで十分だったと思います。あの時期、日本の機動部隊が単冠湾にいるということが何を意味しているかは、 プロフェッショナルだったら一目瞭然でしょう。(P162)

(『文藝春秋』2001年7月号)


 さすがに中西氏も、「暗号解読」については「はっきりしたことは言えません」と、慎重な言い回しです。あるいは、スティネット自身が混乱しているので、このように言わざるを得なかったのかもしれません。

 注目すべきは、中西氏は「ヒトカップ」のみに注目し、スティネットが「キーワード」とする「第一航空艦隊」「鈴木」の語を全く無視していることです。 中西氏にとってすらも、スティネットの説明は説得力不足であった、ということでしょうか。




 実際のところ、当時「海軍暗号」が解読されいたのかどうか。

 スティネットや中西氏は「判断保留」としているようですが、この点については、サンケイ新聞記者が当時の関係者に行ったインタビューが、明快な「答え」を与えてくれます。

ルーズベルト秘録(下)より


 《「Trans」について、当時の米太平洋艦隊ハワイ無線監視局(HYPO)暗号解読係で、戦後も米中央情報局(CIA)で信号解読作業などに携わったシャワーズ氏は次のように説明した。

 「戦後、わたしたちは真珠湾攻撃前の未解読電文に取り組むことにした。 あの時点で解読能力があれば、どの程度日本海軍の動きを知ることができたのかという検証のためもあったが、戦争が終わって少し余裕のできた解読係たちに何らかの仕事を与えたいという軽い気持ちのほうが強かった。 四五年から四六年にかけて行われたこの作業でほぼ千五百通の重要と思われる電文の解読・翻訳が行われた。それが『四六年 Trans』の意味だ

 「ところが、この解読電文に興味を持った国家安全保障局(NSA)歴史課のフレッド・パーカー氏が千五百通のうち真珠湾を示唆するとみられる約二百通を分析して、 間接的にだが真珠湾攻撃は予想できたという報告書を数年前に作成した。 そこで私はこれらの電文の内容を検討したが、たとえ当時、これらの解読に成功していたとしても、この電文から真珠湾攻撃を予測するのは不可能だったという結論に達した」(P245-P246)

 「あえて指摘するならば、日本タンカーが中北部太平洋で待ち合わせをしていることを示す電文が機動部隊の存在をにおわせるが、 それでも軍艦と待ち合わせしていることを示す情報は含まれておらず、日本とハワイのちょうど真ん中でタンカーが何らかの船と待ち合わせしていることを示しているにすぎない」

 「電文に書かれた『Current』は(スティネット氏がいうように)解読中という意味ではなく、 たったいま傍受した暗号文をただちに解読担当者か担当部局に送付したという意味だった」


 要するに、「ヒトカップ」など重要とされる日本側暗号電文はいずれも戦後、研究用に解読・翻訳されたものであり、 真珠湾攻撃前には解読に成功しておらず、意味あるものではなかったというわけだ。(P247)



 関係者が直接、当時は電文は「未解読」であり、問題の電文は、戦後になって「解読係たちに何らかの仕事を与え」るために解読させたものである、 と証言しているわけです。この点については、論議の余地なし、と判断していいでしょう。




 さて、海軍暗号が解読されていないとなると、スティネットや中西氏が「ルーズベルトは知っていた」とする主張の根拠は、 「ヒトカップ」が「平文」で打たれていたという一点のみになってしまいます。

 
「ヒトカップ」という単語一つをもって「米側は真珠湾攻撃を知っていた」と主張するのはいささか飛躍に過ぎる気もしますが、これすらも、左近允尚敏氏によって明快に否定されることになります。

 左近允氏自身の文章よりも、氏のハリー・レイ氏に対する書簡の方がわかりやすいので、こちらを紹介します。

ハリー・レイ『『真珠湾の真実』は真実にあらず』


 左近允は、筆者宛の書簡のなかで、この主張に強く反論している。


 彼(スティネット)は、「一字一字綴られている(spell out)」という言葉を完全に誤解している。 もともとの電文は一連の五数字暗号グループ(JN‐25b)で送られる。ヒトカップ湾がローマ字を使用して表記されることはない。

 日本海軍には特定の場所を示す略語表があった。たとえば、米領太平洋諸島はA、ボルネオはB、日本はN、ミッドウェイはAFと略表記される。

 ヒトカップ湾にはND、新高山にNPといった地点略語が使用可能であったならば、五数字一グループですんだ。しかしながら、JN125bの五数字暗号ではヒトカップ湾を示す地点略語は存在しなかった。

 したがって、日本海軍の無線電報では、「ヒ」で五数字、「ト」で五数字、「カ」で五数字というように暗号を組んでいった。 おそらく「湾」にあたる暗号はあったであろうから、「ヒトカップ湾」は六グループの五数字暗号で表されたはずだ。

 

(P123-P124)

(『論座』2002年1月号掲載)


 スティネットは「spell out」を「平文」と解釈しました。

 しかし実際には、「spell out」は「一字一字綴られている」という意味であるに過ぎず、それぞれの文字に対応する「暗号」が組まれていた、というわけです。


 以上、「ヒトカップ電報」は、「真珠湾」時点では解読されておらず、かつ「ヒトカップ」の文字も「平文」ではなく「暗号」であった、ということになります。

 結局、「新資料」は実のところ「新資料」でも何でもなく、「(平文ではない)暗号電文を、戦後になってから、米側が解読したもの」に過ぎませんでした。 この電文は、スティネットや中西氏の主張とは裏腹に、「ルーズベルト陰謀論」の根拠としては、全く意味がなくなりました。




 秦郁彦氏の「まとめ」です。

秦郁彦『スティネット『欺瞞の日』の欺瞞』  


 あとで詳細にとりあげるが、スティネットは一九四一年十一月十八日、海軍中央が大湊警備府へ、 ヒトカップ湾在泊中の南雲機動部隊へ派遣した鈴木英参謀の帰還便について指示した電文の写真版を掲載(原著の五〇、五一ページ)している。

 ところが、JN-25bという暗号で組まれたこの傍受電文を翻訳(translate)した日付が一九四六年四月二十四日と書きこんである。 つまり戦後になって米海軍が解読したことを示すもので、逆に言えば、当時の米海軍暗号解読陣はJN‐25bを読めなかった証拠といえる。(P238-P239)

 JN‐25bを読んでいたと主張するスティネットにとっては、致命的なミスないし矛盾だが、彼はこの個所を削りもせず、 本文でも「この傍受電が(一九四一年の時点で)解読(decrypt)できたかどうかは重大な課題として残っている」と涼しい顔である。

 さらに西木氏との対談でつっこまれると、「この電報が解読されたのが、果して終戦の翌年のことだったのか、 あるいは傍受された直後だったのかを知る術はありません」と逃げている。

 JN‐25bは一九四二年春から解読可能となり
、六月のミッドウェー海戦で米海軍に勝利をもたらした事実はあまりにも有名だが、開戦前後をふくむ四二年春以前の段階では傍受はしたものの、内容はローマ字化して読めないまま保管されていた。

 終戦後に、この保管電文の束から真珠湾関連と思われるものを解読して英文に翻訳する米海軍のプロジェクトが進められた。前記のヒトカップ電はそのなかの一本で、 暗号情報に関心のある人は私をふくめ日本の研究者にも周知の事実であった。

 中西輝政氏が、この電文を読んで「私でさえ、正直言って少なからず衝撃を受けた」というのは不注意と無知のせいだが、 スティネットは読者が読みちがうのを期待しつつ、この無意味な電文を掲載したのだろうか

 そうだとすれば、彼は大変な悪人ということになるが、他にもすぐ見破れる似たような事例がいくつもあるところを見ると、単に下手な手品使いと言ってよいのかもしれない。(P239-P240)

(『検証・真珠湾の謎と真実』所収)      


 中西氏が受けた「驚き」は、「不注意と無知のせい」、ということになってしまいました。





1-2  「おしゃべりな」南雲艦隊
 「無線封止」は守られていなかった?


 次は「無線封止」問題です。

 スティネット本の「目新しさ」は、これまで「無線封止を守って一切電波を出していなかった」とされていた南雲艦隊が、実は数多くの「電報」を発信していた、というところにあります。


※はぐれた船舶に連絡をとるために、ごく散発的に「電波」が発信されたことがあったのではないか、という「議論」は存在します。 しかし例えそれが事実であったとしても、この電文が米軍に傍受された形跡はありませんので、「ルーズベルト陰謀論」の根拠には使えません。 またスティネットの主張はそんなレベルにはなく、南雲司令長官だけで「六十通」もの電文を発信していた、という大胆なものです。

ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実  ルーズベルト欺瞞の日々』より

 一九四六年、レイトンは米国連邦議会の公聴会で、真珠湾攻撃までの二十五日間、日本空母部隊もしくは空母部隊指揮官に対する日本の使用していた周波数帯域での無線通信は聞かれなかった、と証言した。

  しかし、レイトンは隠蔽工作を行ったのだ。日本軍の暗号電報傍受記録は(入手しようと思えば)入手可能であったのに、レイトンは日本艦船の単冠湾への移動について、キンメル司令官への報告を怠ったのだ。

 コレヒドール、グアム、ハワイ、アラスカのダッチハーバーにある海軍無線監視局は、確かに日本の無線暗号電報を受信していた。

 機動部隊を編制していた三十一隻の艦船とその司令官たちは、ほぼ十一月十二日から十二月七日の「奇襲」まで二十五日余りの間、無線封止を破って発信し、また東京から電報を受け取っていた


 十一月十八日に傍受された電報は、通信保全処置はなんらとられておらず、ローマ字でH−I−T−O−K−A‐P−P−U−B―A−Y(単冠湾)と一字一字綴られていた。 これらローマ字は暗号化さえもされず、そのまま送信されていた。

 この件は傍受局Hの記録から確認可能であったのに、 監視局CASTの通信解析主任であったドュエイン・ウィットロック大佐は、そのような電報は発信されなかったと否定している。(P98)



 日本機動部隊の無線封止神話はここから始まった。それは五十年以上も生き続けて、歴史家たちを惑わせている神話である。

 アメリカで最も著名な歴史家の一人であるスティーブン・アンブロースは一九九五年に、真珠湾以前の諜報活動を激しく非難し、次のとおり記述している。 「ただただ、ひどい。十一月下旬、情報部は日本空母艦隊を『見失った』と言うのだ」。彼は同じ非難を、一九九九年五月のウオール・ストリート・ジャーナル紙の中でも繰り返している。

 レイトンの日本機動部隊無線封止説は説得力に欠ける。十一月十五日から十二月六日の間に、米海軍無線監視局で傍受した日本海軍の電報は百二十九通を数えた。このこと自体がレイトンの主張を否定する事実である。(P362)




 キスナーとウィットロックはそれぞれ、著者とのインタビューの中で、レイトンの日本機動部隊無線封止説に反駁する百二十九件の傍受電報を提示した。 ウィットロックがCASTの入手したRDF報告書を分析し、キスナーがH局の傍受電報を分析した。(P362-P363)

 二十一日間に人手したこれらの傍受電報は、第二国立公文書館の中で見つけた、次の三種の文書ソースから著者が集めたものである。(一)日本海軍の傍受電報、(二)軍艦から発信された日本海軍の航路通報暗号報告、 (三)CASTの人于したTESTMのRDF報告書。

 ハワイ奇襲機動部隊指揮官の南雲が最もお喋りだった。米海軍無線監視局で傍受した日本海軍電報のうち、半分近くが南雲から発信されたものであった。著者はこれらの傍受電報を七つに分類した。

A 南雲司令長官発信の電報         六十通
B 東京から機動部隊の艦船あて電報  二十四通
C 空母発信の電報               二十通
D 航空戦隊司令官発信の電報       十二通
E 第一航空艦隊の空母以外からの電報   八通
F ミッドウェー破壊隊からの電報        四通
G 航空戦隊司令官あて東京電報       一通
              合計       百二十九通

(P363)



中西氏は、スティネット説を、全面的に支持します。

中西輝政『ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』解説』

 とりわけ、一九四一年十一月末に単冠湾を出港し一路ハワイを目ざした連合艦隊、とくに空母機動部隊が気軽に「無線封止」の命令を無視し、南雲忠一長官自ら軽い内容の連絡発信を何度もくり返している傍受史料や、 機動部隊が日付変更線を越えハワイ近海に至るまでアメリカ側が、「今日はここまで進んだ」と地図上でまるで手にとるように日本艦隊の航行を把握していた、という本書で新発掘の米軍情報史料を読まされると、 日本人として何とも言えない哀感を禁じ得ない。(P531)

中西輝政・西木正明『衝撃の書、ルーズベルトは知っていた!』

対談の前に

 ルーズベルトが日本軍の真珠湾攻撃計画を察知していたという点についてはどうだろうか。

 まず、無線封止という問題がある。

 一九四一年十一月の上旬から真珠湾作戦用の特別訓練を行なっていた日本海軍機動部隊は十一月二十三日、択捉島の単冠湾に集結し、二十六日にハワイに向けて出発した。 このとき、真珠湾奇襲を担当した南雲艦隊は、厳格な無線封止を行なった、という説が、従来「定説」とされてきた。したがって、アメリカ側が機動部隊の動きを知ることは出来なかった、というのである。

 もし艦上から無電を打てば、アメリカの無線方位測定によって、たちまち電波の出所がわかり、艦隊の動きが明らかになってしまう。 また無線機によって電波の波形は微妙に異なるから、傍受した電波をオシログラフにかけることで、たとえば空母「赤城」から発した無電か、戦艦「比叡」から発したものか、艦艇まで特定できる。 それどころか、通信科員のクセから、誰が打っているのかさえ特定できたという。

 スティネットは、十一月十五日から十二月六日の間に米海軍監視局が傍受した日本海軍暗号電報百二十九件を発掘することで、南雲艦隊が無線封止を行なっていたという「定説」を覆している

 そのうち、南雲忠一中将が発した電報は六十件。十一月二十六日に単冠湾を出航するにあたっても、第四航空艦隊司令長官、ならびに潜水艦隊の司令長官と入念な無線交信を行なっているのだ。(P155)

(『文藝春秋』2001年7月号)





 南雲艦隊は、自らに課した「無線は一切発信しない」という厳しいルールを、自ら破りまくっていたのかどうか。これに対しては、秦郁彦氏の反論が明快でしょう。


秦郁彦『スティネット『欺瞞の日』の欺瞞』  


 事実なら、機動部隊はヒトカップ湾からハワイヘ行くまでの十二日間、北太平洋をガラガラ蛇のような大音響をたてながら進んだことになる。 そうだとすると、中西氏が書いたようにアメリカが「逐一地図上で全て手にとるように」機動部隊の動きを把握して当然となるが、このトリックも分かってみればどうということもない単純なものだった

 スティネットは一二九通を発信者別に分類しているが、ヒトカップ湾出撃前と出撃後で区分していない。重要なのは出撃後の「ガラガラ蛇」だが、そこが不明瞭なのである。

 次に一二九通の電文の例示がない。五七ページには前記のヒトカップ電をふくむ四通の例示が出てはいるか、いずれも十一月十八日から二十日までの日付で、 当時は読めず戦後に解読したものばかりで機動部隊(第一航空艦隊)が発信者か受信者になっているものはない。

 十一月二十六日以降の電文はまったく登場しない
が、無電封止を守っていれば、一通も傍受できなくて当り前なのである。(P249)


(中略)

 それにしても、「無電封止」に違反して発電されたとされる一二九通の正体は? という疑問が残る。

 NSA(国家通信保安局)の解読史専門家F・D・パーカーが暗号専門誌『クリプトロジア』の一九九一年十月号に書いた論文によると、戦後になって解読・翻訳した真珠湾攻撃関連の電報 (一九四一年九月五日〜十二月四日)は一八八通だという。前記の一二九通との関係は不明だが、差数の五九通は単にスティネットが見落したにすぎない可能性もある。(P251-P252)

 そう推理する根拠もないわけではない。たとえば、五七ページにスティネットが例示している例の十一月十八日付ヒトカップ電(写真版は五〇、五一ページ)に関連する電文がパーカー論文に二通紹介されている。

 一つは前日の十七日付で軍令部第一部長発一航艦参謀長あての「鈴木(一七七六)が『比叡』に乗艦して視察報告のため貴司令部へ向かいつつある」との無電、 もう一つは十九日付の大湊警備府参謀長発軍令部第一部長にあてた「彼(鈴木)は、『国後』に乗艦する予定」との無電である。

 前掲のヒトカップ電と三本あわせて鈴木英少佐の行動が完結する。しかも三本のうちもっとも価値が高いのは十七日の無電であることも明らかだ。 スティネットが目を通していれば密接に関連しあう他の二本に言及しないはずがないから、見落したと断定してよいのではないか。

 次にパーカーが例示している一六通のなかには、連合艦隊司令長官が指揮下の全艦隊へ向けて発電した「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という隠語通信を除くと、十一月二十六日以降の電文はない。 機動部隊はガラガラ音をたてながらハワイヘ向かったのではないと推定できる根拠だ。(P252-P253)

 しかし、あとで触れる偽電工作のことを考えあわせると、米側が機動部隊の発電と信じこむ電波を傍受し、方位測定の誤差から日本本土水域ではなく、北太平洋と判定した可能性も捨て切れない。

 だが、いずれにせよ内容が読めないのでは、ほとんど役に立たないはずと言ってよい。(P253)

(『検証・真珠湾の謎と真実』所収)

    


 スティネットが示す電文「129通」の中には、「無電封止」以前の十一月二十六日以前のものも含まれている。そしてスティネットの「例示」の中には「十一月二十六日」以降のものはひとつもない。

 これでは、スティネットの議論は、「十一月二十六日以降に「無電封止」に違反して発信された電文が存在した」という証拠には、とても使えそうにありません。


(2012.7.8)
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