日米開戦2 | スティネット 「真珠湾の真実」をめぐって(2) ―中西輝政−秦郁彦論争を中心に― |
もう一つ、スティネットが示した新資料が、日本を戦争に追い込むための八項目の行動計画、「マッカラム覚書」です。 (全文はこちらに掲載しました) スティネットは、これこそがルーズベルトが日本を「戦争」に追い込んだ証拠だ、と主張します。
中西氏はこれを、「本書の圧巻」と評します。
しかしそもそもの話、これだけのデータでは、これは「ルーズベルト政権の一課長が作成した私的文書」であるに過ぎない、ということにならざるをえません。 例えばルーズベルトが密かにマッカラムに「研究」を命じていた、という資料でもあれば、それなりに「ルーズベルト陰謀論」の根拠になるかもしれませんが、そのような資料は全く存在しません。 スティネットの主張の一番の問題は、「マッカラム覚書」をルーズベルトが見て承認した、という客観的な証拠が存在しないことです。
さらに、ルーズベルトが本当に「マッカラム覚書」の政策を行ったのか、という問題もあります。 秦郁彦氏は、「実行されなかったのが三項目、メモが書かれた時点ですでに実行されていたのが二項目、実行されたがマッカラムのメモとは無関係が三項目」と評します。
※「八項目の実行状況」については、 桜花学園大教授ハリー・レイ氏の論稿『『真珠湾の真実』は真実にあらず』の中でも分析されています。 ハリー・レイ氏は、「八項目の提案の大部分はまったく実行されず、実行に移された場合も、覚書が書かれる六ヵ月前もしくは六ヵ月後であり、 なかにはルーズベルトがまったく正反対の行動をとったケースさえあった」と判定しています。 秦氏の結論です。
マッカラム提案が上司に次々に採用されるか、論争したとしたら、他ならぬ本人が回顧録のなかで得々と語っているはず―もっともな話であり、 秦氏の主張を「結論」として差し支えないものと思われます。 さてスティネット自身は、こんな「反論」にどのように反応しているのか。「ルーズベルト秘録」取材班のインタビューを見ましょう。
スティネットは、「ルーズベルトやアンダーソンとマッカラム提案を直接結びつける文書や証拠は見つかっていない」ことを認めてしまいした。 ではどうして、このマッカラムの覚書がルーズベルトの行動典拠になった、と主張できるのか。 結局のところ、スティネットの「論拠」は、「ルーズベルトがマッカラム案を実行したのだからルーズベルトの支持は明らかだ」という一点のみであるようです。 スティネットは、何を聞かれてもこの言葉を繰り返すのみです。 しかし実際に「ルーズベルトが実行した」と言えるかどうかは、既に見てきた通りです。説得力不足は明らかでしょう。 「ルーズベルト秘録」取材班の判定です。
そもそもマッカラム提案が実行されたかどうかも疑わしいところなのですが、実際の話、マッカラム提案にさほどのオリジナルティはなく、対日専門家の「ある程度共通した認識」であったに過ぎない。 そうであれば、「マッカラム提案」と「ルーズベルトの政策」の(部分的)一致をもって、これこそがルーズベルトが「マッカラム提案」を承認した証拠である、と主張することは困難になります。 中西氏の「思い入れ」は、完全に否定されてしまった形です。 さて、この中西−秦論争は、8年後、2009年の田母神「論文」問題をきっかけに再燃しました。 2001年論争の、いわば「遺恨試合」と言ってもいいでしょう。 今回の論争では、中西氏は、「無線封止」問題、あるいは「ヒトカップ」電文にはもう一言も触れていません。 これだけの「反撃」にあって、さすがにこの論点は諦めた、ということでしょうか。 唯一、「マッカラム覚書」への「思い入れ」だけが残ります。
しかし既に見てきた通り、スティネット=中西氏の主張は、保守派論壇からさえも受け入れられないものでした。 次の文章は、ほとんど中西氏の「悲鳴」に聞こえます。
「ルーズベルト自身の眼にとまり承認された可能性がかなり高い」という主張に根拠がないことは、既に見てきた通りです。 どうしてこれで納得しないんだ、と言われても、「論争」の経緯を見てきた読者は戸惑うしかないでしょう。 結局のところ、スティネット本については、次の半藤一利氏の評価が最も当を得たものかもしれません。
最後は、余談です。 既に紹介してきた通り、中西輝政、及び西木正明は、当時『文藝春秋』誌上で、スティネット本をめぐる対談を行いました。以下に見るように、最大級の言葉で本書を褒めそやす内容です。
掲載されたのが権威ある総合誌『文藝春秋』であるということもあり、この問題に詳しくない方でしたら、そんなものかなあ、とつい読み流してしまいそうです。 実はこの対談に対して、秦氏は、『検証・真珠湾の謎と真実』のあとがきで、痛烈な批判を加えています。以下、紹介します。
「相手の発言を細かく引用し、それぞれに返信をつける」という、まるでネット掲示板の議論を見ているようなスタイルですが(笑)、誰が見ても、秦氏が中西氏・西木氏を完璧にやりこめた形でしょう。 |