*私もたまに、掲示板で「議論」に参加することがあります。中には、面白い「議論」に出会えることもあります。議論の相手から示唆を受けて、新コンテンツが作成できたことも、
一回や二回ではありません。
しかし、ヤフー「日中戦争」トピでのdeliciouscoffee氏との議論は、おおよそ「議論」の体をなしていない、ひどいものでした。
私が「議論のおかしさ」を指摘しても、何度でも同じ「おかしな議論」を繰り返す、というのは、私の理解を超えるところです。どうも彼は、「何が事実であるか」
ということにはあまり関心がなく、「とにかく何が何でも中国側が悪い」と決め付ける「宣伝」を行いたいだけであるようです。
私も同じことの繰り返しにうんざりしましたので、事前予告の上、議論の内容をまとめておきました。以下の文章が、その記録です。相手に合わせて、口調がかなり「汚く」なっていることは、御容赦ください。
このページは「非公開」とさせていただきますが、deliciousicecoffee氏がお望みであれば、このページを公開することに、私はやぶさかではありません(^^)
*追記 deliciouscoffee氏にとって、この時の議論は、かなりの「トラウマ」となっていたようです。私が見る機会などないと考えたのか、氏は、あるブログのコメント欄にて、こんな発言を行いました。
××さん。君が紹介したHPの「ゆう」とは、「Yahoo!掲示板」で何度も議論して「日本軍による南京市民虐殺はなかった」という結論で決着済みだよ。
私も以下の議論がそんな結論で決着していたとは知りませんでしたので(笑)、同コメント欄で「抗議」を行いました。氏は一言も言い返せず、必死の話題そらしを試みた挙句、すごすごと退場せざるをえませんでした。
*上記コメント欄がリンク切れとなった場合には、「思考錯誤」板への私の投稿をご参照ください。なおこちらでは、氏が、故人となられたja2047氏に対する中傷を行った事実についても、触れています。
なお、氏はこのページの存在がよほど癪に障るのか、第三者がこちらが話題に出ると、必ず「都合のよいようにまとめてある」「一方的」などという「言い訳」を試みます。しかし氏が、以下のそれぞれの論争テーマの、「当時の議論を不適切にまとめてある」という具体的内容について言及することはまずありません。ご参考までに。
(ここからです)
(ゆう)
1.支那軍は上海でわざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、これを日本軍の仕業だと世界中に宣伝。
→ 特に、この<わざと>という部分の根拠。「誤爆」ではなかったわけだ。
*読者の方へ。太字部分は、コーヒー氏の自論の「まとめ」です。その「まとめ」に対して、私が突っ込んでいます。
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(コーヒー氏)
そう。誤爆ではない。
支那軍はわざと民間支那人や外国人を狙って大虐殺をしたのさ。
「出典」とかすっ呆けたことを言うな。
これには多くの証人がいて、当時は海外でもそのように報道されている。
その理由とソースは#7519に投稿しておいた。
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(ゆう)
いざ、「7519」を見てみると・・・
な〜んだ、「出典」って、<あの>カワカミの「シナ大陸の真相」だけじゃないか。しかし、ページ数ぐらい、書いておけよな。捜すのに苦労したよ(^^)
しかも結局、よく読むと、カワカミがそう思っていた、というだけの話。根拠となるのは、「8月27日付ニューヨークタイムズ」で、特派員が特に証拠もなくそう思っていた、という話だけ。おいおい、いいかげんにしろよ、コーヒー氏。
ちょっと、手元の本を見てみた。
「14日 中国空軍は十数機で 上海に在泊中の第3艦隊に先制空爆を加えた 「出雲」などには被害はなかったが 誤爆のため 租界で外国人など約1000人が死傷した」(「一億人の昭和史」3 「日中戦争1」P114)
「翌一四日になると、中国空軍は黄浦江上の第三艦隊旗艦「出雲」をはじめ、付近の日本海軍艦船に対する爆撃を敢行した。ほとんど命中弾はなかったが、逸れた爆弾が共同租界南京路のホテルを直撃したり、フランス租界の歓楽センター「大世界」付近に落下爆発した」(太平洋戦争研究会編「日中戦争」P35)
どうも、「誤爆」という見方が、一般的なようだね。唯一、コーヒー氏の主張に近いのは、日中戦争における「宣伝戦」を日本側から担った、ジャーナリスト馬淵氏。ただしこれは、戦前の本。
「これは単なる盲爆や過失ではなく、日本軍撃滅の意気に燃えた蒋介石軍が、ドサクサに紛れて、租界を占領しようといふ魂胆から、態々意識的に爆撃したと見られる節がある」(馬淵逸雄「報道戦線」
P271)
慎重だね(^^) こんな立場の人でも、「節がある」程度で、断言などしていない。「盲爆」という表現は、他に二、三発見したが、これは、「わざと」「狙って」爆撃した、ということとは程遠いね。
・・・で、コーヒー氏、ほかに「資料」はないの?(^^) |
「いい加減なソース」と「いい加減な加工」の典型例。さて、コーヒー氏、何て「反論」したかというと・・・。
(コーヒー氏)
#7519のほうが、君の「資料」より圧倒的に説得力があるから、これ以上俺が他の資料を出す必要はない。
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(ゆう)
・・・・・・・・・・・・・・・・ええと、ちょっと待て(^^;
そうか、カール・カワカミの文って、「圧倒的に説得力」があるのか。前にも指摘したとおり、私には、「たいした根拠もなくカワカミがそう思っているだけ」としか思えないんだけど(^^)
まあ、世の中の大勢は「誤爆」「盲爆」説、少なくとも「わざと狙って」説を断定的に発言している人物はカワカミ以外は皆無、ということは、理解してくれたね?
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<参考> カール・カワカミの文章について
その後、コーヒー氏は、既に議論済みのカール・カワカミ氏の文を、何度も何度も繰り返し貼り付ける、という、という空しい「反論」をしてきました。
以上に書いた通り、カワカミの「わざと」説は、極めて孤立したものです。同時代の日本側スポークスマン馬淵氏ですら、「わざと」説については、「・・・節(ふし)がある」との程度の書き方しかできません。ましてや、現代の歴史記述においては、「誤爆」または「盲爆」説がすっかり普通の記述になっています。
こんな状況で、コーヒー氏が「わざと」説に固執する唯一の根拠は、カワカミ氏の次の記述のみです。以下、見てみましょう。
K・カール・カワカミ『シナ大陸の真相』より
八月一四日に中国軍の爆撃機が国際租界のパレスホテル及びキャセイホテルの近くに爆弾を投下した。この付近は極東で最も有名な簡易宿泊街であり、百名以上が死んだ。
八月一六日に中国軍は別の爆弾を租界の大通りに落とし、数名の外国人と中国人を死亡させた。
八月二三日に中国軍の飛行機は再び国際租界を爆撃したが、この時は上海で最大の中国人の商業施設であるシンシアー及びウイン.オンデパートを直撃し、二百人以上を死亡させその他に二百人を負傷させた。ニューヨークタイムズの二人の特派員がこの負傷者の中に入っていた。
八月三〇日、中国軍爆撃機の飛行大隊がアメリカの大型定期船プレジデント・フーバー.号を攻撃し、五人の水夫と二人の乗客を負傷させ、その中の一人が数日後亡くなった。
このような中国軍の爆撃の及ぼす影響があまりにも深刻であったので、ニューヨークタイムズの上海特派員が八月二七日付で次のような声明を発した程であった。
「中国軍が無責任な空爆を行って上海の国際租界とフランス特権区域の無力な民間人を殺すのを防ぐための、武力手段あるいは他の抑制措置をとることに、外国の領事館員及び陸海軍の軍人が合意するならば、何らかの国際的措置をとることを決議しなければならない」
外国人区域に対する中国軍のこれらの執拗な攻撃の目的は一体何なのか? その問いに対しては唯一つの答が可能である。すなわち中国は日本に対する外国の干渉を煽り立てようと計画していたのである。
日本は自分から攻撃に出るのを厳しく抑えているのに、中国は国際租界を自分自身で攻撃することによって日本に対する国際干渉を引き起こそうと目論んでいる、というのは一見したところ奇妙なことのように思えるかも知れない。
実際、ニューヨークタイムズの特派員が八月二七日付で報じたように、黄浦江上のアメリカ、イギリス、フランスの戦艦に精密機器を携えて乗船していた外国の陸海軍の観察者たちは次のように証言している。「日本軍は上海の避難区域の上空に爆撃機を飛ばせたりはしないという自らの誓いを固く守っているのに対し、中国軍はそのような誓いを立てるのを拒んでいる」と。
中国は次のように推論していた。すなわち中国軍によるものであれ日本軍によるものであれ、この戦争の残忍な性質とそれが外国の権益に及ぼす深刻な影響を第三列強諸国に印象づけるような如何なる行動も、中国に対するよりもむしろ日本に対する反応を引き起こすであろう、と。
何故ならば南京政府が観察していた通り、世界の世論は既に日本を敵対視する方向に固まってしまっていて、中国は世界の同情の対象になっていたからである。
それ故一九三七年一二月一二日、日本の戦闘機と戦艦の砲列が揚子江上のバネイ・レディーバード号及び多くの英米の商船を攻撃した時、
中国はこの日本のしでかした失策に快哉を叫び、彼らが長い間胸に抱いてきた計画は間違いなく実を結ぶと確信した。その確信はこの失策を償おうとした日本の素早い行動によって再び挫かれたのである。
(P189〜P191) |
カワカミ氏は、「外国人区域に対する中国軍の執拗な攻撃の目的」として、「中国は外国の干渉を煽り立てようと計画していた」と述べています。しかし、その根拠は、一体何でしょうか?
ご覧の通り、カワカミ氏は、何もその「根拠」を示していません。上の記述は、「自分はこう思う」というレベルを、一歩も出るものではありません。自分で自分の文章に「一見したところ奇妙なことのように思われるかも知れない」と突っ込むあたり、この「説」が世間からは奇矯なものに見える、ということを自身で理解している、とも言えるでしょう。
一見したところ「ニューヨークタイムズ上海特派員の声明」がその根拠であるかのように錯覚させられますが、よく読むと「上海特派員」氏は、国際租界等の民間人に対して「無責任な空爆」が行われた、という事実を記すのみで、この空爆が中国軍の意図的なものであった、ということは、一言も言っていません。むしろ「無責任な空爆」という言葉は、「誤爆」「盲爆」説に近いものであるように、私には思われます。
上の文を読む限りでは、カワカミ氏は、たいした根拠も持たずに、とにかく日本側にとって有利な発言をしようとするいい加減な人物である、と見ることが可能であると思います。
<補足>
「8月14日」の空爆については、当時上海にいた、同盟通信社の松本重治氏の証言が詳しいようです。
松本重治氏『上海時代』より
中国空軍による租界盲爆
戦争が始まった以上、「同盟」支社は、それより報道の方針を完全に切り換えざるを得ず、戦況の刻々の打電に全力投球することになった。
十四日午後四時少し過ぎ、私が「同盟」支社にいると、中国空軍の編隊が上手から黄浦江上空に進んで来て、旗艦「出雲」の高射砲や機関銃が反撃しているようだと、記者の一人が急いで駈けよって、知らせてくれた。
すぐ窓側に行き、黄浦江の上空を眺めると、マルチン爆撃機の五機編隊で、「出雲」めがけて進んでいるではないか。私の肉眼では、編隊の高度はだいたい六、七百メートルとみた。
「出雲」その他の高射砲がパーン
、パパーンと鳴り響いている。ふと見ると、五機のうち一機の急所に高射砲の弾が命中したらしい。その一機が隊伍を乱すかと見ると、中国空軍の射手らしいものが、真っ逆さまに降ってきて黄浦江にじゃぶん。すると、編隊は「出雲」の方向からやや左旋回し始めたと思うと、一つ、二つ、三つと大型の爆弾を落しつつ、租界上空を通って飛び去った。
爆弾が落ちていくのが手にとるように判ったが、爆弾が、惰性のためか、飛行機の進む方向に、一つは愛多亜路の上空に達し、「同盟」支社のあるピルの頭をかすめて、約三百メートルほど先の愛多亜路の十字街の舗装道路上で昨裂した。その十字街の一角には、大衆歓楽センターである「大世界」という四、五階のピルがあり、十字街上と「大世界」内にいた千人余りが、爆風と破片とで死亡した。あとで聞くと、爆弾は二百五十キロのものであった。
第二弾は南京路のカセイ・ホテルの玄関先で昨裂し、数百枚の窓ガラスが破壊された。そのため、通行中の中国人約二百名、外人八名が死んだ。その外人のうちには、ライシャワー元大使の兄に当るロバート・ライシャワー(有名な日本古代史の学者)も含まれていた。
第三弾は南京路を隔ててカセイ・ホテルの向い側のパレス・ホテルの屋根を貫いて地階に達し、数十人の死傷者を出した。
その第二弾、第三の音響も、支社に聞えた。(中公新書版『上海時代』(下) P195〜P196) |
中国軍機は、「出雲」を襲おうとして逆に高射砲の反撃を受け、あわてて逃げ去る時に爆弾を投下したようです。どう見ても、「わざと」租界地区を狙った、という感じではありません。
コーヒー氏が言うように、「宣伝」目的で「わざと」租界を狙ったのであれば、反撃を受ける危険を冒してわざわざ「出雲」の上空を飛ぶ必要は全くないでしょう。「わざと」説は、根拠のない空想である、としか言いようがありません。
さらに、当時の新聞記事での取り上げ方については、higetaさんの調査(「ヤフー」掲示板への投稿)を紹介します。
higetaさんの投稿より
各国紙も、日本軍艦を狙おうとした中国軍機の「過失」との見方でほぼ共通しています。
○桑港ニュース紙U・P特派員イスキンス特電(「米国紙」) 1937.8.14
「現地外国官憲ハ何レモ本国政府ニ対シ、今回ノ爆撃ハ、日本軍艦カ共同租界ニ接近シテ碇泊シテ居ルコトニ原因セリト報告シタ由テアルカ、彼等ハ何レモ爆撃カ、支那側飛行機ニヨリテ行ハレタコトヲ認ムル…」
アジア歴史資料センター:A03023897800
〇ルーター及B.U.P電(「英国紙」) 1937.8.15
「支那側ハ前後三回ニ亘リ日本軍艦ヲ空襲セルモ、目的ヲ達セス、却テ共同租界内ノ外支人ニ五百ノ死者九百ノ負傷者ヲ出シ右死者中ニ数名ノ英人ヲ含ム」
「海軍省十四日発表ニ依レハ支那飛行機ハ在呉淞支那艦隊旗艦『カンバーランド』号ヲ爆撃セルモ命中セス右ハ日本軍艦ト誤認セラレタルモノナラン」
アジア歴史資料センター:A03023897800
〇上海アヴアス電報(「仏国紙」) 1937.8.15
「支那空軍ノ上海共同租界爆撃ハ支那軍指揮官ノ報告通リ、爆弾投下装置ノ破損ニ依ルカ、夫レトモ支那飛行士ノ過失ニ依ルカ判ラヌカ後者カ尤モラシイ」
アジア歴史資料センター:A03023898400
中国側も結局、英米仏の抗議に対して、「遺憾ノ意」を表明したようです。
〇ニューヨーク・タイムス論説 1937.8.17
「十四日ノ支那機ノ共同租界爆撃ニ依ル被害ハ、仮令故意テナイニシテモ明カニ支那側ノ責任テアル」
「併シ支那ハ直ニ遺憾ノ意ヲ表シ悧巧ニモ西洋諸国カ日本軍ヲシテ虹口ヲ根拠地トスルノヲ黙過シテ居ル以上租界ヲ爆撃スルノハ支那ノ権利タト云フ様ナ横車ハ押サナカツタ」
アジア歴史資料センター:A03023900600
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これに対するコーヒー氏の「反論」が、また珍妙なものでした。
(コーヒー氏)
じゃあ、お聞きしますが、そもそも何で支那軍機は上海の日本軍艦を狙おうとしたの?
上海の日本軍艦が何か悪い事でもしたの?
支那軍は地上でも大軍を送り込んで国際租界を攻撃したのだが、何で?
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コーヒー氏の主張は、「支那軍は上海でわざとホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量殺害し、これを日本軍の仕業だと世界中に宣伝」した、というものだったはずです。「中国軍機が日本軍艦を狙った<理由>」など、全く関係ありません。まさかコーヒー氏は、「中国軍機が日本軍艦を狙ったはずがない」とでも言いたいのでしょうか?
その続きです。
(コーヒー氏)
また、8月14日に支那軍がパレスホテルとキャセイホテルを爆撃した時も、8月23日に再びシンシアーとウイン・オンデパートを直撃した時も、支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した。
何で、そんな嘘を吐いたの?
―――――――――――――――――――
「上海の国際租界及び仏特権区域に居住する無力な一般市民を、中国軍が無責任に空爆したり殺害したりするのを防ぐために、武力手段または他の抑止策をとることについて何らかの国際的な合意が必要であるということは、上海在住の外国の領事館員や陸海軍スタッフ達の一致した見解となっている。」
「中国の検閲官は発信された外電やラジオ通信から前述の事実や意見を削除した。そして場合によっては外電のニュースそのものを変えてしまいさえもした。その目的は、現地の外国人達があたかも心の中で、この爆弾はおそらく日本軍の飛行機から投下されたものかもしれない、と疑っているかのように見せかけるためだったのである。だがしかしこれは明らかに真実ではない。」
ニューヨーク・タイムス上海特派員8月27日付の特電
―――――――――――――――――――
*「ゆう」注 コーヒー氏は、まるで自分が「ニューヨークタイムズ特電」から直接引用したかのように紹介していますが、これは、前掲カワカミ著からの孫引きです。
また、先に確認したとおり、この「特電」は「無責任」な「空爆」と主張しており、コーヒー氏の言う「わざと」説の根拠には全くなりません。
>中国側も結局、英米仏の抗議に対して、
>「遺憾ノ意」を表明したようです。
>〇ニューヨーク・タイムス論説 1937.8.17
嘘を吐き切れなくなって白状したが、8月23日にまた同じことを繰り返したよ。
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すごい「理屈」です。コーヒー氏の論に従えば、中国は、8月15日に「宣伝のための誤爆」をやり、8月17日(以前)にはその「宣伝」が誤っていることを認めて「遺憾の意」を表明した。ところがそのわずか10日あとには、「嘘」がバレてしまったことを承知の上で、もう一度、「日本軍が爆撃した」という嘘宣伝をやるために、「わざと」租界地域を爆撃した、ということになります。
もしそのような「宣伝計画」を立案した人物がいたとしたら、「アホ」の謗りを免れないでしょう。一回失敗した「宣伝」を、全く同じ方法で反復する。そんな「宣伝」、誰も信じるわけがありません。
中国側が「8月23日」の爆撃を「日本軍機の仕業」と宣伝したのであれば、あわてて「誤爆」をとりつくろおうとしたための失敗、と見る方が、はるかに自然でしょう。
*ついでですが、記事中の文章は、「その目的は、現地の外国人達があたかも心の中で、この爆弾はおそらく日本軍の飛行機から投下されたものかもしれない、と疑っているかのように見せかけるためだったのである」でした。これが氏にかかると、「支那政府の宣伝広報局は、日本軍機から投下されたと発表した」という文章に化けてしまいます。氏のいいかげんなところです。
<補足2>
当時上海にいたジャーナリストも、同じく「誤爆」との見解を持っていた資料を一つ紹介します。
上海日報社 日高清磨瑳氏 『空爆下の上海』より
十四日十五日と日の経つにつれ戦線は拡大し、銃砲撃は凄くなつて行く、とくに黄浦江上の我が軍艦○○を狙つた敵飛行機の爆弾が外れて南京路カセイホテル前、仏租界大世界前などに落ちて二千名に近い外支人の死傷者を出したことは爆弾のこわさを肚の底まで叩き込まれた。(
『改造』1937年10月特大号 P369) |
さらに、海軍少将久保田久晴氏も、同様の見解を示しています。中国軍パイロットの技量の低さが、「誤爆」の原因と見ています。
座談会 『
事変勃発当初の思出を語る』より
出席者 海軍少将 久保田久晴
海軍大佐 加藤尚雄
海軍中佐 松島慶三
久保田 (略)それで私は居留民に日本の飛行機は渡洋爆撃でも判つた通りはつきりと目標を爆撃するが、支那の飛行機は一つも動かない所を狙つて撃つても一つも中らない、上から落した爆弾は数百米離れた所に落ち、上海でも出雲を狙つた弾がカセイホテルに落ちたりしてゐる。(
『海と空』 昭和14年8月号 P93) |
参考までに、「中国軍パイロットの技量の低さ」については、こんなエピソードもあります。
伊藤純・伊藤真 『宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族』より
一九三七年八月一三日、シェンノートは、美齢の要請で中国空軍の指揮を引き継ぐことになった。その日、夜を徹し翌朝四時まで作戦を練ったシェンノートは、上海の日本軍に対する空爆を決定する。
一四日午後四時半、上海上空に突然爆音がとどろいた。そして五機の中国軍双発爆撃機が、黄浦江に浮かぶ戦艦出雲めがけて爆撃した。
ところが次の瞬間、人々は信じられないものを目撃した。急降下していった爆撃機から四発の爆弾が放たれ、外灘の密集地帯へ向かって落ちてきたのである。未熟な中国人パイロットによる誤爆であった。
一瞬のうちにパレスホテルの屋根は炎に包まれ、瓦礫が雨のように降り注ぎ、土ぼこりとガラスの破片が雲のように舞い上がった。
メインストリートの南京路に亀裂が走り、路上には見るも無残な死体が散乱していた。死者五〇名あまり、負傷者一一五〇名あまり。「王女」に魅入られた男シェンノートの初仕事は、惨劇に終わったのである。
中国空軍の惨憺たる状況はこれにとどまらなかった。ある夜、夜間爆撃から帰還した航空隊を出迎えたシェンノートと美齢は、恐るべき光景を目にした。
「一番機は滑走路を駆け抜けて水田に飛び込み、機体は四散した。二番機は地上で宙返りし、爆発炎上した。四番機は、炎上している二番機の消火に急行していた消防車に激突した。一一機のうち五機が着陸に失敗し、四人のパイロットが死んだ」
「蒋介石夫人はワツと泣き出した。『どうしましょう、どうしましょう』とすすり泣いた。『私たちは大枚のお金をはたいて最もいい飛行機を買って、たくさんのお金と時間をかけて訓練したのに、私の目の前で死んでいくなんて、どうしたらいいの
? 』」
一〇月、シェンノートはこう断言した。
「この中国空軍にはほとほと万策尽きた。そのパイロットたるや、ぎごちない動きで次々と出てくる、射的場のアヒルだ」
(同書 P119-P120)
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(ゆう)
2.南京では、脱出を諦めた何万人もの支那兵が、一般市民から服をはぎ取り、安全区に潜入して略奪、強姦、放火、殺害。
→ 「何万人もの中国兵」が「殺害」をやったというのだから、きっと被害者は少なくとも「何千人」はいるんだろうね(^^)
「略奪」は事実だろうが、「兵士」が「安全区内の放火」を行った、という信頼できる資料があるのかな? 「日本軍の発表」だったら私も1件知っているけれど、どうも怪しげな記事だった。「強姦」は、例のトンデモ記事以外には、例はないと思ったけど。「殺人」なんぞ、「エスピー報告」の情報源不明の1件だけじゃん。
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(コーヒー氏)
そうかもね。
郭沫若は、「抗日戦回想録」で、支那軍が日本軍の百倍以上の被害を自国民に与えたと証言している。
―――――――――――――――――――
●郭沫若(中国共産党幹部)の証言
「抗戦八年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へというふうにして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり、日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう。私はそういいきることができる。」
―――――――――――――――――――
|
(ゆう)
自分で書いておいて、「そうかもね」はないだろうが(^^)
で、郭沫若の記述、本論にな〜んにも関係なし。どうやら、お得意の「大局観」とやららしい(^^) あっ、この記述、この本の何ページ? なかなか見つからないんだけど・・・。まさかまた、どこからかのいい加減なコピペじゃなかろうね?
そして、私の次の文章は、しっかりとスルー。あまり無責任なことはしなさんな。
>「略奪」は事実だろうが、「兵士」が「安全区内の放火」を行った、という信頼できる資料があるのかな? 「日本軍の発表」だったら私も1件知っているけれど、どうも怪しげな記事だった。「強姦」は、例のトンデモ記事以外には、例はないと思ったけど。「殺人」なんぞ、「エスピー報告」の情報源不明の1件だけじゃん。
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こうやったら、当然、「兵士」が「安全区内」で「放火、強姦、殺人」をやった、という資料を出してくるものです。ところが、出てきた資料は、本題とは縁もゆかりもなし。
(ゆう)
コーヒー氏は、「安全区」で、中国兵が「略奪、強姦、放火、殺害」をした、って書いたんだよ。日中戦争<全体>で「中国軍が日本軍の百倍以上の被害を自国民に与えた」としても(郭沫若が本当にそんなことを言っているのか、怪しいが)、<安全区>で「略奪、強姦、放火、殺害」をした、という「証拠」には全然ならんだろうが。それとも、本当に「本論に関係ある」って思っているの? これも、お得意の「大局観」というやつかい?(^^)
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(コーヒー氏)
それとも、HPを出している奴は信用できないのか?( ´∀`)アハハ |
なんだかヤケになって笑っているような・・・(^^)
しかしどうやったら、私の文から、「HPを出している奴は信用できない」(変な日本語だ)という「命題」が出てくるんだろう? コーヒー氏は、こんなイデオロギーまる出しのページを、何の確認もしないでまるごと「信用」しちゃっているようだけど。
(ゆう)
「略奪」は事実だろうが、「兵士」が「安全区内の放火」を行った、という信頼できる資料があるのかな? 「日本軍の発表」だったら私も1件知っているけれど、どうも怪しげな記事だった。「強姦」は、例のトンデモ記事以外には、例はないと思ったけど。「殺人」なんぞ、「エスピー報告」の情報源不明の1件だけじゃん。
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(コーヒー氏)
では、情報源が確実な南京大虐殺の証拠は何件あるんだ? |
(ゆう)
そんな話、していないだろ? 今は、コーヒー氏の「安全区に潜入して略奪、強姦、放火、殺害」という文章を問題にしている。話をそらして逃げるんじゃないよ。
「インチキをするな」と叱られて、「だって、他にもインチキをしている奴がいるじゃないか(事実かどうかは、知らんが)。そっちを叱ってよ」と開き直ってしまう。まるで、ガキ。
コーヒー氏は、「確実な情報源」どころか、「情報源」自体をひとつもあげることができない、ということで、もういいね?(^^)
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<参考>郭沫若の記述について
その後私は、上の郭沫若証言なるものの「出典」を再三にわたり求めました。どうやらコーヒー氏は、自分ではこの本を読んでいなかったようで、なかなか「回答」がありませんでした。しかし何回かあとのレスで、コーヒー氏はようやくネット検索による「探索」に成功したようです。
コーヒー氏の紹介を、再掲します。その後もこの文を繰り返し貼り付けていることから、コーヒー氏のこの文への力の入れ方が伺えますが・・・。
(コーヒー氏)
郭沫若は、中国軍が日本軍の百倍以上の被害を自国民に与えた証言している。
「抗戦八年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へというふうにして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう。私はそういいきることができる。」
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コーヒー氏の文からは、まるで、郭沫若が、中国軍が一般民衆を苦しめた、ということを証言したかのような印象を受けます。また、与えた被害の規模が「百倍以上」ということも、コーヒー氏は「事実」として考えているようです。
さて、コーヒー氏が提示した郭沫若の文章の、前後を掲載しましょう。元の文を読めば、コーヒー氏の紹介が、いかに原文の意味を捻じ曲げたいい加減なものであるかがわかります。ましてや、「支那兵が、一般市民から服をはぎ取り、安全区に潜入して略奪、強姦、放火、殺害」した、という根拠にこの文章を使おうとするのは、もはや正常な論理回路からのものとは思えません。
郭沫若『抗日戦回想録』より
悲惨な光景
二十九日の早朝、宣伝局へ行き、乃超と落ち合って長沙へ向った。
時間がまだ早かったので、私はその辺の街をぶらついた(街の名は忘れてしまった)。宣伝局から二、三軒と隔たらぬ建物の入口に番兵が立っているのを見つけて、その入口からのぞいてみると、そこには乞食の群が住んでいるらしかった。不思議に思って私は思い切って中へ入って行った。
その日私の着ていたのは軍服で、おまけに階級章までついていた。こういういでたちは路上で人をおどかすようにできているので、便利なことがあるのだが、この時も効果てきめん、私が足を踏み入れるや番兵はぴんと立って敬礼し、少しも邪魔をしなかった。
乞食かとまごうその一群の人々は、実は乞食ではなく、乞食にもおよばぬ壮丁たちだった。それは悲惨な光景だった。彼らはみんなシャツ一枚きりだが、いうまでもなく暑いころ着せられたもので、もとの白地はもうすっかり変色して土色になつていた。しかも、びりびりにさけてぼろが下がり、胸ははだけ、片方の袖の取れてしまったものもある。そして大部分はズボンがない。髪もひげも少なくも三ヵ月は落したあとがない。みんな寒さにがたがたふるえている。全身の皮膚は土色の地に青や紫の斑点を浮べている。
しっかり立っていることさえできぬものがいる。一塊に寄り合って睡っているかと思えば、かたまって坐っている。ごく少数、まだ動きまわっているものがいる。地面にはばらばらと薄くわらが敷いてある。
これらが「壮丁」なのだ。これらが「千戈を執って社稷を衛る」われわれの同胞兄弟なのだ。何という処遇のしようだろう。私は愕然とした。
壮丁たちの方でも私の入って来たのをみて、自然なことだがぎくりとしたようだ。しかし横になっている者は横になったまま、坐っている者は坐ったままで動かなかった。動き廻っていた者もそのまま動きつづけていた。どの眼にも、飢餓状態に特有の冷やかな光が溢れている。そして一様に黙っている。
どこから来たか? 一日何回食事をするか? 誰の管轄の下にあるか? ・・・・私はそんなことを彼らにたずねてみた。けれども誰も答えはしなかった。
私は恐ろしくなって来た。みんなの眼の冷たい光はいつ爆発するかしれぬけしきだった。私は寒くもないのに身ぶるいした。
帰りがけに私は番兵にもう一度質問を試みたが、彼もむにゃむにゃと要領を得ぬ返答をしただけだった。それでも私は彼らが四川から送られて来た壮丁であり、どこかの管区から部隊へ編入させに来るのを待っているのだということはわかった。
宣伝局へ帰ってから私は乃超と明凡にこの様子を話し、明凡に一度調査して何とか干渉を加えるように求めた。
明凡は、あれは四川から送られて以来もう一ヵ月になる。前々からその責任者に勧告をしているのだが、彼らは経費のないせいにしている、という。経費は四川の連中に着服されてしまったのだから、入隊させるよりほかに手はないというばかりなのだ、といった。
すると乃超がそれをひきとって、そんなのは珍しくもない、二月に広西から武漢へ送られて来た壮丁をこの眼で見たけれど、全く同じことだった。あの寒い盛りにぼろぼろのシャツ一枚きりで、大部分はズボンもなかった。あの時はぼくらが民衆団体に呼び掛けて冬服を支給し、当局からも少しばかり援助があったけれど、あれじゃ焼石に水だ。機構全体が腐ってるんだからしようがないという。
話だけでも胸の痛むことだ。あんなふうにわれわれは、やれ動員だ、やれ抗戦だといって、しかも毎日毎日「最後の勝利は必ずわれらのもの」などとくりかえしていたが、抗戦八年の間に、いわゆる壮丁から弱丁へ、弱丁から病丁へ、病丁から死丁へというふうにして踏みにじられた同胞の数は、戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたものの少なくとも百倍以上はあっただろう。私はそういいきることができる。
こういう壮丁のうちの少数がかりに最後まで残って部隊に編入されたとしても、戦闘カの足しになろうはずがないではないか。陳誠、劉峙、胡宗南、湯恩伯、顧祝同、羅卓英といった連中が、なぜ戦場に臨むやいなや退却のかけ競べということになるのか、なぜ彼らの部隊が鶏卵のようにぶつかったとたんに破れるのか、これですっかり納得がいくだろう。参謀総長兼軍政部長である何応欽の功績はたしかに第一等だ! 最高統帥も確かに「軍事の天才」だ!そのうえ八年間の抗戦をやってのけたのだ。これもなんと奇跡ではないか。
(P238〜P240)
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ご覧の通り、郭沫若は、自国の徴兵システムの不備から、徴兵されたまま放置され、悲惨な状況に陥った応召兵がいることを嘆いているだけの話です。別に中国軍が一般民衆を苦しめた、という話ではありません。コーヒー氏の紹介は、明らかに原文の意味を捻じ曲げた、トリックです。
もちろん「百倍以上」というのは、「徴兵システム」のひどさを嘆く郭沫若氏の、オーバーな表現です。ちょっと考えればわかるとおり、「戦死したり日本の侵略者に虐殺されたりしたもの」の数を百倍したら、間違いなく「億」のオーダーを超えます。
この「百倍以上」を、「応召兵」ではなく「一般民衆」の被害であるかのようにごまかした挙句、「百倍以上」という一見して過大な数字自体をそのまま「事実」であるかのように紹介してしまうあたりも、コーヒー氏のいい加減なところです。
(ゆう)
3.これら便衣兵や支那人盗賊が行った犯罪も日本軍のせいにした。
→ そもそも、「便衣兵」(便衣でゲリラ活動を行う兵士)なんて、いたの? いたのは、「便衣になった元兵士」、ごく一部に「再起を期して便衣になって隠れた兵士」ぐらいで、具体的に「ゲリラ活動」をやった「便衣兵」なんて、私の知る限りではいなかったけど・・・。で、「中国人盗賊」が犯人でありながら「日本軍」の仕業にされてしまった、ということが万人に認められている事例は?
コーヒー氏一人が「妄想」している、「夏さん事件」などあげられても、困るよ(^^)
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やっぱり、「コーヒー氏一人が「妄想」している、「夏さん事件」」しか、材料がなかった(^^)
(コーヒー氏)
夏淑琴事件はその代表例なのに、始めから核心部分を封じ込めてどうするんだ?
また、万人に認められている日本軍による南京大虐殺もないのだから、それこそ「妄想」だろ。
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(ゆう)
コーヒー氏の文は、「便衣兵や支那人盗賊」。「夏さん事件」はどう見ても「便衣」兵の事件ではないから、ということは、少なくとも複数の例があるはず。材料は、「夏さん事件」ばかりじゃないんでしょ?(^^)
おまけだけれど、コーヒー氏のこの文からわかることは、ふたつ。
1.コーヒー氏は、「夏さん事件中国人犯人説」は「万人に認められている」ことではない、とちゃ〜んとわかっている。(当り前だね)
2.「南京大虐殺」は、「万人から認められている」と考えている。
なるほど、なるほど(^^)
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(ゆう)
4.その翌年も日本軍の進撃を鈍らせるため黄河の堤防を決壊し、数十万の支那住民を殺害。日本軍は救出活動をしたが、支那はこの暴虐も「日本軍の行為」と嘘の報道。
→ その「嘘の報道」の記事は、何月何日付けの何という新聞に掲載されたんだろう? |
前にも書いた通り、私は、この事件を中国側が「逆宣伝」に使ったらしい、という程度のことは知っているよ。ただ、コーヒー氏は「報道」という表現を行ったので、また例によって「いい加減な加工」ではないかな、と思ったわけだ。
で、結局、「報道」の根拠なんて、ひとつもないじゃん。ま、次からは「報道」という語を落としてくれれば、それでいいよ。
(ゆう)
5.その後も支那は不法な毒ガスを使用して住民諸共殺害。
→ 「中国軍」が「毒ガス」を使って「住民」を殺害した、という資料は?
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(コーヒー氏)
昭和13年6月21日の同盟ニュース
「山西の敗敵、妄動しきり 暴虐毒ガスを使用して挑戦」
皇軍が黄河以南作戦のため一部兵力を移動している隙に乗じ、山西の敵大部隊は気勢を挙げ、徐州敗戦の汚辱を一挙に雪ぐべく、手段を選ばざる挑戦に出で、暴戻にも毒ガスを使用し、付近の無辜の民は、この惨禍を蒙るもの多く、正に人道上許し難し・・・
昭和13年7月22日の同盟ニュース
「暴虐支那軍又も不法 イベリット糜爛性毒ガス使用」
我が森本部隊の息をもつかせぬ猛攻撃に敗退一路を辿る支那軍は、張杏鎮において、又もや不法にも、猛烈爆発式撒毒管によるイベリット糜爛性毒ガスを使用、我が急追をはばまんと・・・ |
(ゆう)
この記事の直接の引用元は? そして、この記事の取材源は? そもそもこの記事は信用できるの? って、私は聞いているんだけどな。
で、後の方は、「住民諸共殺害」なんて、どこにも書いてないじゃん。前の方も、「付近の無辜の民は、この惨禍を蒙るもの多く」だけで、実際に「殺害」されたのかどうか、はっきりしない。「サリン」を吸っても、少量だったので死ななかった人も大勢いるんだよ。
ね〜え、ソース、これだけ? これだけだったら、コーヒー氏の言っていること、「ウソ」じゃん(^^) |
<追記>
その後2005年1月、この問題をめぐって、再びやりとりがありました。コーヒー氏は、自分の主観では、「資料を追加した」つもりになっているようです。
改めて論点を確認しておきますが、今の話題は、「その後」(1938年黄河決壊作戦以降)、中国軍が毒ガスを使用して住民諸共殺害したという、信頼できる資料が存在するかどうか、です。
(コーヒー氏)
<1>1930年、9月11日、国民党軍は、共産党の長沙暴動に対し、飛行機から毒ガス攻撃を行った。
――――――ー―――――――――――
糟谷領事の報告によれば、
「12日(省政府秘書)、楊宜誠ガ極秘トシテ語ル処ニヨレバ、11日、ニハ飛行機ヲ以テ毒瓦斯ヲ使用シ共匪軍ニ相当ノ打撃ヲ与エタルガ・・・」
9月14日、閻錫山は、「蒋介石が毒ガス弾を使用して、地方人民を惨害しているので、人民を救うため下野して戦争を休止する」と、電報を発し下野。
(児島襄著『日中戦争』)
――――――ー―――――――――――
<2>{敵毒ガスで逆襲}
(昭和十二年十二月)十日夜半より早暁にかけて、光華の伊藤部隊正面に大逆襲し来った敵は、城壁を奪回せんと、必死の勢い物凄く手榴弾、機関銃の他、催涙弾を雨注し来たり、我が将兵は直ちに防毒面をつけて応戦、一時は非常な苦戦に陥ったが、肉弾戦を以て之を撃退したのである。
「支那事変戦跡の栞 中巻」陸軍画報社編 国書刊行会刊 p174 南京攻略 の部分より抜粋
<3>重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六
日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、
【中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」】
信夫淳平博士「昭和史研究會報」中村粲/第39、40
<4>昭和12年9月2日
中国軍は化学兵器弾を上海派遣軍司令部近くに撃ち込んでいた。
司令官の松井自身、「石鹸水泡のようなものが広がった」のを見ている。
『将軍の真実 南京事件 松井石根人物伝』早瀬利之
<5>「張發奎の戦死説 自軍毒ガスで大被害」
最近広東軍を中心とする支那軍中毒ガスを使用せんとして却って自軍を痛め顔面手足等を廃爛させ戦闘に堪えなくなったもの一万2千の多きを算するに至ったと伝えられてゐる。尚広東軍首脳者たる>張發奎の南京における戦死説、−等々人名傷病状態略−何れも去る九日広東に輸送され相当重傷であるといはれこれに加ふるに余カンボウと呉鉄城の内訌が盛んに流布され広東方面では漸く動揺の色が濃厚となってきた。
昭和十二年十二月十三日朝日新聞
<6>昭和13年6月21日の同盟ニュース
「山西の敗敵、妄動しきり 暴虐毒ガスを使用して挑戦」
皇軍が黄河以南作戦のため一部兵力を移動している隙に乗じ、山西の敵大部隊は気勢を挙げ、徐州敗戦の汚辱を一挙に雪ぐべく、手段を選ばざる挑戦に出で、暴戻にも毒ガスを使用し、付近の無辜の民は、この惨禍を蒙るもの多く、正に人道上許し難し・・・
<7>「敗敵毒ガス作戦 山西で防毒面多数押収」
ベルギ−製250支那製1万その他約2万の防毒面をわが方において押収せるが支那軍がかかる大量の防毒面をそなへていることは卑劣にも毒ガスによりわが精鋭無敵の皇軍に抗せんとする意図を明白にしてをり、さきにわが進撃を阻むため黄河を決壊せしめ数十万の自国良民の生命財産を奪った敵はここにまた毒ガス使用の戦術を持ちふるに至った(後略)
昭和十三年六月二十九日大阪毎日新聞夕刊
<8>昭和13年7月22日の同盟ニュース
「暴虐支那軍又も不法 イベリット糜爛性毒ガス使用」
我が森本部隊の息をもつかせぬ猛攻撃に敗退一路を辿る支那軍は、張杏鎮において、又もや不法にも、猛烈爆発式撒毒管によるイベリット糜爛性毒ガスを使用、我が急追をはばまんと・・・
*<1>〜<8>の番号は、わかりやすくするために、「ゆう」がつけたものです。
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このうち<6><8>は、前回も挙げてきた資料です。今回新しく挙げてきた資料をよく読むと、ほとんどが単なる「毒ガス使用」の資料であり、「1938年以降に中国軍が毒ガス使用によって住民を殺害した」という資料は、ひとつもありません。
辛うじて<1>に、1930年のこととはいえ、「地方人民を惨害」しているとの表現が見られます。「惨害」が「殺害」を示すのかどうかも微妙なところですが、これはどう見ても蒋介石に敗れた閻錫山の「負け惜しみ」であり、この発言のみをもって「史実」とみなすのは、大胆というものでしょう。
<2>に至っては、単なる「催涙弾」。またコーヒー氏は明記していませんが、<4>も、飯沼日記には「くしゃみ弾」と記載されています。名前から推すと、どうも「殺傷能力」がある毒ガスであるとは思われません。
<3><7>は、毒ガスを持っていた、あるいはそれを使用した、というだけの資料。「住民諸共殺害」の文字は、どこにも出てきません。<5>は、自軍に被害があったという記事。内容の信憑性は不明ですが、どちらにしても「住民殺害」の記事ではありません。
以上、コーヒー氏は、資料の「数」で幻惑しようとしたようですが、ご覧の通り、見事な失敗に終わっています。
ついでですが、<5>の原記事を確認してみたところ、次の通りでした。
『東京朝日新聞』昭和十二年十二月十三日
張發奎の戦死説
自軍毒ガスで大被害
【香港十二日発同盟】
広東、広西軍将領は続々南京方面戦線より帰還しつつある一方両広軍将校にして戦傷を負ひ香港、広東に後送された者相当数に達する模様で一説によると最近広東軍を中心とする支那軍中毒ガスを使用せんとして却て自軍を痛め顔面手足等を廃爛させ戦闘に堪へなくなつたもの一万二千の多きを算するに至つたと伝へられてゐる、
尚広東軍首脳者たる張發奎の南京における戦死説、四川省主席劉湘の行方不明説や蒋光第も負傷して目下香港に於て治療中で更に広東軍軍長葉肇、広西軍軍長■■も貫通銃創を受け何れも去る九日広東に輸送され相当重傷であるといはれこれに加ふるに余漢謀と呉鉄城の内訌が盛んに流布され広東方面では漸く動揺の色が濃厚となつて来た
(第2面、中下 三段見出し)
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問題部分は「一説によると」という前置きで紹介されており、記者自身、必ずしもこれが事実であるかどうか確信を持っていない様子です。ところがここで、コーヒー氏は、この「一説によると」を省略してトリミング紹介をする、というとんでもないトリックをやらかしてくれていました。
さらについでですが、<3>の紹介も、相当いいかげんです。
<3>重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六
日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、
【中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」】
信夫淳平博士「昭和史研究會報」中村粲/第39、40 |
まずこの文章、出典は、「昭和史研究会報」ではありません。コーヒー氏が、自分では引用元を確認していないことが、はっきりとわかります。
さらに上の文章では、「国民党軍の・・・将校」が【 】内のことを証言したかのような書き方になっていますが、実際に「毒ガス戦教育関係資料」を確認したところ、将校の証言は、「軍政部兵工署理化研究所において毒ガスの研究・製造が行われていた」まででした。
ついで。私の、deliciouscoffee氏(ここでは「でりちゃん」と呼んでいます)の論に対する、「感想」です。
(ゆう)
私とでりちゃんの一番の違いは、「事実認定に対する厳しさ」だろうな。
私が、仮にも人目につくような「まとめ」なるものをつくるとしたら、入手可能な資料を可能な限り集め、「これは事実と判断していいだろう」と思われることに絞って記述を行う。特に「事実」をめぐって争いがあるものがあれば、自分で納得できるまで、とことん比較検討を行う。その結果として「事実認定まではできない」と思ったら、そのような書き方をする。
間違っても、「惨禍」を「殺害」と言い換えたり、引用元が「疑いが濃厚」程度のことしか言っていないのに「それは事実だ」と断定したりはしない。私のような意地の悪い人間の、恰好の突っ込みネタになるから(^^)
しかしそこまでやっても、神ならぬ人間のやることで、「ミス」の発生は防げない。ましてや、でりちゃん程度の「勉強」で「まとめ」をつくってしまったら、ボロボロのものしかできないの、目に見えているだろ。
例えばでりちゃん、日中戦争当時の日本の新聞の復刻版、まともに読んだこと、あるかい?
あれを鵜呑みにするというのは、「プラウダ」や「人民日報」の記事を鵜呑みにするのと同じレベルだと思うよ。
当時の日本の新聞は、軍のたれ流しの情報を、そのまま報道している。中国側も「宣伝」を行ったかもしれないけれど、それは日本側も同じ。
当時の新聞記事をソースにするのであれば、これは軍の宣伝の一環である可能性がある、ということは、最低限、意識しないといけない。
どうもそのあたり、でりちゃんのいい加減さと甘さを感じるんだなあ。 |
(ゆう)
7.戦後、日本の統治下にいた支那住民を、「日本に協力した」と言いがかりをつけて裁いた。
→ 中国政府当局が、本当は協力者でないことを知っていながら「言いがかり」をつけて裁いた、という具体的事例は? |
(コーヒー氏)
これも常識中の常識。
『大地の子』という中共とNHKの合作反日ドラマにも、そのようなシーンがあったと思ったぞ。
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(ゆう)
おお、「大地の子」って、「反日ドラマ」だったのか。では早速、NHKに抗議しよう(^^) 本当に見た人が聞いたら、笑い出すよ。コーヒー氏の「偏向」ぶりがよくわかるので、このログ、保存しておこう。
私の部屋には、「漢奸裁判史」「日中終戦秘話」「潜行三十年」といった、当時の「漢奸」たちについて詳しい本があるんだが、「協力者でないことを知っていながら「言いがかり」をつけて裁いた」という事例は、ないんだな。
しかし、「常識」とまで言っておいて、その「例」が「ドラマ」とは・・・。笑わせてくれるなあ。
ちなみに私も「大地の子」は持っているので、第何巻の何ページなのか、ちゃんと調べて教えてもらえないかな(^^) |
この「会話」に対する、delisiouscoffe氏の返答です。ここまで言ったら、普通は「具体的事例」を出してくるものですが・・・。
(コーヒー氏)
>>『大地の子』という中共とNHKの合作反日ドラマにも、そのようなシーンがあったと思ったぞ。
>ちなみに私も「大地の子」は持っているので、第何巻の何ページなのか、ちゃんと調べて教えてもらえないかな(^^)
会話が成立していないのは君のほうだな |
・・・何だか、さっぱりわけがわかりませんでした。さすがに私もあきれて、
(ゆう)
いやはや、シンプルなお答えで・・・ まあ、「ソース」を求められて「ドラマ」を出すような輩に、何を言っても無駄か。
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と、返事をしておいたら、やっと次で、「ソース」らしきものが登場しました。
(コーヒー氏)
昭和17年に上海の父親から「帰れ」との電報があり、帰って、上海工部局で一年半特別秘書役として働かされた。
それが、終戦のとき“漢奸”として牢獄にぶちこまれる原因になった。
「日本が負けたのだから、お前は引っ込んだ方がよい」、と言われていたが、「私は何も悪い事してないから、逃げ隠れする事はない」と考えていた。
日本軍の占領下で否応なく働かされていたのは、何千人、何万人といたのだから・・・・。しかし、これらの人は結局、祖国を裏切り日本に協力した漢奸ということになり、トップクラスが何千人と捕らえられ、牢獄に入れられた。
私などは、その中でごく軽い方だった。私は、当時の国民政府の漢奸狩りに強い憤りをおぼえた。
国民政府は、重慶に逃げるとき、中国の国民をいっしょに連れて逃げたわけではない。
みんな置きっぱなしで行ってしまったのだ。
国民を守りもしないで逃げた連中が帰ってきて漢奸狩りをするのは何事だ、という気持ちが強かった。
おまけに、彼らは、誰かれ構わず、「おまえは戦時中に日本に協力したじゃないか、漢奸だ」といって牢屋に放り込む。そして、家と金を没収する。そうすると奥さんは生活に困り何とかしてくれないかと泣き込む。
そこで、彼らは、お前がおれのいうことを聞けば、なんとかしてやろう、とか言いながら、その奥さんをものにしてしまう。それでも、約束どおり旦那を釈放してやればまだしも、思いを遂げるとその約束もホゴにしてしまう。
『新・漢民族から大和民族へ』昭和53年9月発行
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deliciouscoffee氏の主張は、「「日本に協力した」と言いがかりをつけ」た、というものだったはずです。上の事例は、「日本軍の占領下で否応なく働かされてきた」人々が、「祖国を裏切り日本に協力した漢奸」ということになったものであり、少なくとも「言いがかり」のレベルにはありません。
(念のためですが、私は、このような「漢奸狩り」が正しかったかどうか、という「価値判断」は、ここでは行っていません)
私は、こう返答しました。
(ゆう)
いしかし今回のレス、ひどいなあ。
大混乱の極み。私はしっかりと一応の礼儀を守って「・・・氏」と言っているのに、私は「ゆう」と呼び捨てられてしまったし。内容を見ると、私の言ったことにまともに答えられず、自分の前レスをコピペしているだけ。そして、とっくに粉々になっている「まとめ」を、一字一句変えずにそのまま投稿してしまう、厚顔さ(完全に、Fさんだね(^^))
・・・う〜ん、わかる。さぞかし、ショックだったんだろうなあ。私は、付け加えること、何もなし。
いや、トンデモネタがまた増えたので、「増補改定」という手もあるな(^^)
唯一の新資料は「漢奸」問題だが、これにしてもよく読むと、この人は「上海工部局で一年半特別秘書役」をやっていたわけで、間違いなく「協力者」だね。本人は、自分がやむえない状況から「協力者」となったことを書いているだけで、これはとても「言いがかり」と呼ぶことはできないね。
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・・・もう、この問題に関しての「返事」はありませんでした。
「おまけ」です。
(ゆう)
それで思い出したけど、でりちゃんって、こういう人だった(^^)
>「夏淑琴事件」は支那兵か支那人盗賊の仕業なので、研究者はもっと勉強するべき。
>#7519のほうが、君の「資料」より圧倒的に説得力があるから、これ以上俺が他の資料を出す必要はない。
次、極めつけ。
>私が議論してみたところ、ゆうの見解や知識量は、私のそれと比べ、遥かに劣っているようです。
どひゃー、と引っくり返って見ていたら、案の定、その次の瞬間には、ja2047さんとこんなマヌケな会話で地をさらしてしまった。
(ja2047さん)でりちゃん、 ひょっとして 「 水 平 爆 撃 」 というのは、「爆弾が水平に飛んでくること」だと思ってない?
(でりちゃん)あれ? そうかなあ、と思っていたのだが違っていたのかい?
こういう人、何ていったっけ? 「予はナポレオンである」なんてぶつぶつ言いながら、鉄格子の中に入っている人を、何となく連想するんだけど・・・(^^) |
(2004.7.10記 2005.2.19追記・改訂 2007.5.20追記・改訂)
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