| 『パル判決』再考 |
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「パル判決書」については、このようなイメージが流布されているようです。 パル判事は、公正な立場から、東京裁判の証言を冷静に分析し、そのおかしさを指摘した。しかし、それにもかかわらず、最終的には、圧倒的な証拠群から、「南京事件」の存在自体は認めた。 おそらくほとんどの方が、「パル判事の証言批判」については、正鵠を得ているのではないか、というイメージをお持ちではないかと思います。ところが、パル判事の「証言」分析をじっくりと読み直すと、その指摘には結構おかしなところが多いことに気づきます。以下、見ていきましょう。 *「パル判決」のうち「南京事件」に関係する部分について、こちらにアップしました。あわせて、ご覧ください。 パル判事が最も大きなスペースを費やして批判したのは、許伝音の次の証言です。
家族(老人夫婦、若い夫婦、娘の5人)が、船で揚子江を渡ろうとした。すると日本兵は、若い2人の女性に乱暴し、さらに老人に対し、(おそらくは冗談半分に)お前もやってみろ、と言った。進退窮まった老人は、河に飛び込んだ。家族5人は、次々と河に飛び込み、全員が溺死した。大要、以上のような証言でした。 ただしシチュエーションの細部は、口頭での「証言」、さらにその速記録であり、またこれ自体が「伝聞」であることもあって、やや舌足らずでわかりにくいものです。 どのくらいの大きさの船だったのか。他に乗客はいたのか。「老人」と「若い女たち」は、どちらが先に、またどのような動機で河に飛び込んだのか。日本軍を殴った若い夫はなぜ河に飛び込んだのか。日本兵は中国語を話したのか。短い「証言」からこれらの疑問への回答を明確に読み取ることは、難しいように思われます。 *老人と若い女が、どちらが先に、どのような動機で河に飛び込んだのか、「証言」は必ずしも明確ではありません。老人は「皆のために」むずかしいことになるのを恐れて河に飛び込んだ、とありますので、その時点ではまだ全員揃っていた、と思われます。一方、若い女たちは、日本兵が「老人に若い女を強姦することを勧めたので」河に飛び込んだ、とありますが、 老人が先に飛び込んだのであれば、その理由では河に飛び込む必要はありません。「若い女たち」が飛び込んだ理由については、「証言」に省略がある、と見るのが自然でしょう。 これに対する、パル判事の論評です。
徹底的な酷評ですが、「生命より名誉を重んじていた」というパル判事の見方には、やや的外れなものを感ぜざるをえません。素直に考えれば、彼らが飛び込んだのは、おそらくは「逃げる」ためであり、別に、初めから「死」を覚悟したものではないでしょう。 証言の省略部分・あいまいな部分を補うと、どうも、「老人は進退窮まって河に飛び込んだ。それを見た女たちは、パニック状態に陥り、逃げるために河に飛び込んだ。若い夫は、それを助けるために続いて飛び込んだ」というストーリーとして理解するのが、最も自然であるように思われます。 証言の細部には疑問点もないではありませんが、少なくとも、「ウソ」と決め付けるほどのおかしな証言ではない、と考えられます。 続けてパル判事は、マギー、許伝音が語る「強姦事件」に対して、次のような疑問を呈します。
最後の段落は日本語としてこなれていない表現でやや読みにくいものとなっていますが、パル判事の言い分を要約すると、概ね以下の通りになるでしょうか。 マギー、許伝音は、情報が不十分であるにもかかわらず、強い先入観から、自分が見たものをすべて「強姦事件」として認識した。私には、そこまでの断定を行うことはできず、本当に強姦事件であったのかどうか、疑わしいと思う。 さて実際に、マギーと許伝音の証言を、パル判事の引用によって見ていきましょう。
二人の証言に最も多いパターンは、「日本兵が女性を襲っているとの報を受けて現場に駆けつけたところ、実際に日本兵が女性といる現場を目撃し、あるいは被害者本人から強姦されたという訴えを受けた」というものです。誰が見ても疑問の余地がない「強姦事件」のシーンであり、パル判事がなぜこれに疑いを感じるのか、不思議に思わざるをえません。 またパル判事は、「許証言」の三に対して、「ある部屋の中に一人の兵隊と一人の中国の娘がおり、その兵隊が眠っているところを発見したという場合においても、証人はそれを強姦した後寝たのであると、われわれにたいしいえるということになるのである」とのコメントを残しています。 しかしこの事例では、許氏は、兵を逮捕し、警察署へ連行することまでしており、「強姦事件」を許氏の妄想であるかのように描くパル判事の記述は、明らかに一方的なものでしょう。 どうも、「偏見の眼」を持っているのは、パル判事の側であるように思われます。 続いてパル判事が批判するのが、「陳福宝証言」です。
パル判事の表現を見ると、「陳証人」は、十四日から十六日にかけてあちこちに連れ回されていたかのような錯覚を受けますが、実際に連れ回されている時に見たのは、十六日の放火事件だけです。なお陳氏は、別に日本軍に連れられて物見遊山をしていたわけではなく、おそらくは「苦力」として連行された可能性が高いと思われます。 以下、「速記録」から、「陳福宝証言」を引用します。
パル判事は、「日本人はかれを各所に連れてその種々の悪業を見せながらも、かれを傷つけずに赦すほどかれを特別に好んでいたようである」と記述していますが、実際には、「各所に連れて」いかれた時に見た事件は、「放火」の一件のみでした。あとの事件は、自らが被害者になりかけた「安全区掃蕩」の風景、残りは「連行」とは関係のない「体験談」です。 「相撲」の話は常識的には眉唾ではないか、という気はしますが、少なくとも、「日本兵が陳証人をあちこち連れまわして「悪業」を見せた」とするパル判事の記述は、正確なものではありません。従って、この論拠では、パル判事の、陳福宝氏は「変った証人」である、という論立ては成立しません。 実際の話として、「相撲」の話を除けば、陳証言の内容はごくありふれた「南京アトローシティ」の風景であり、あえて疑問を呈するほどのものではないと思います。 「十四日」の部分は、さまざまな資料に見られる「敗残兵選別」の光景であるに過ぎません。コンテンツ「敗残兵狩りの実相」でいくつかの類似証言を紹介しましたので、ご覧ください。 またパル判事は、「十四日」に掃蕩が行われたことに疑問を呈しているようですが、「掃蕩」が十四日から十六日の間に集中的に行われていたことはよく知られた事実であり、これもまた「疑問」には価しない部分です。 2009.8.30追記 洞富雄氏が、この点についてコメントを残しているのに気がつきました。
パル判事は、以上のように、証人たちに対して、種々の的外れな批判を繰り返しました。しかしそのパル判事でさえ、結局は次のようなことを結論とせざるを得ませんでした。
*念のためですが、これは、「パル判事がどのような事実認識を持っていたか」を確認するための引用紹介であり、「パル判事の事実認識が検察側及び判決文の認識と一致していたかどうか」までは、ここでは問題にしていません。それはまた、別の議論になります。そのような頓珍漢な「噛みつき」を見かけましたので、念のため。 さて、「自由主義史観」陣営からはまるで「中立の標準」であるかのように語られるパル判事ですが、全く異なる「パル判事評」も存在します。ここでは、粟屋憲太郎氏 の見解を、紹介しましょう。
(2005.5.20)
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