731部隊(供  人体実験、これだけの根拠(2)
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1  ヒル・レポート

 フェルは1947年6月に帰国しましたが、その調査には、まだまだ「空白」が残されていました。この「空白」を埋めるべく派遣されたのが、エドウィン・V・ヒルジョセフ・ヴィクターです。

 ヒルらは、1947年10月28日に日本に到着、1か月強の調査を行って、12月12日、レポートをまとめました。いわゆる「ヒル・レポート」です。



 ヒル・レポートは、前書き・目次的な「総論」と、各研究者への69ページにわたる「インタビュー記録」が一体となったものです。

 そのうち「総論」はよく知られており、ネットでも簡単に調べることができます。しかし、各研究者が詳細に自らの研究を語った「インタビュー記録」は、まとまった邦訳もなく、ネットで調べてもその存在すら感知することが困難です。プロの研究者にとってはあまりに「常識」であるだけに、かえって盲点になっているのかもしれません。

 そのため、「総論」のみを見て、「ヒル・レポート」には具体的な「人体実験」の記述はほとんどない、というとんでもない誤解をする方すら、見かけます。例えば、中川八洋氏の一文を見ましょう。

中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』

 このヒル・レポート(同年十二月)は、信憑性が全くないフェル・レポートとは異なり、おどろおどろしい「物語」などは全くない。冷静に一分野に限ってのみ人体実験を行なったと指摘している。

 すなわち、「人間について各病原体毎の感染に必要な各細菌の量に関するものである。こうした情報は人体実験に対するためらいがある、われわれの研究室で得ることはできない」と述べている。(P283)

(『正論』2002年11月号)


 中川氏は間違いなく、ヒルの「インタビュー記録」を読んでいません。何の根拠もなく「フェル・レポート」をこきおろした挙句、一転してヒル・レポートには、思い切りの勘違いで、「おどろおどろしい「物語」など全くない」「冷静」などと、おそろしく高い評価を与えてしまっています


 実際には、以下で述べる通り、ヒル・レポートの「インタビュー記録」では、研究者と疾病名を替えて、「何人に実験したらうち何人が死亡した」という、明らかな「残虐行為」の記述が執拗に繰り返されるのですが。



 以下、レポートの内容を見ていきましょう。

※「ヒル・レポート」のうち、「総論」はこちらに、また「インタビュー記録」(ただし一部のみ)はこちらに掲載してあります。




 フェル・レポートの「尋問調書」は、「部隊関係者をいかに説得し、情報を語らせたか」という記述がメインになります。しかしヒルらの調査の段階では、そのような「説得」はもはや不要となっており、部隊関係者は「自発的に」情報を提供するようになっていました。


ヒル・レポート(総論) 

 尋問した人たちから得られた情報は任意(「ゆう」注 原文voluntarily=自発的)によるものであることは特筆すべきである。尋問のあいだ戦争犯罪の訴追免責を保証することについては、全く質問がだされなかった。(P274)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 日本側にとって「戦犯免責」は、もう改めて確認する必要もない、当然の前提となっていたようです。
※米側が部隊関係者に「戦犯免責」を行った理由は二つあります。一つは、言うまでもなく、部隊関係者が「研究成果」を語りやすくすること。そしてもう一つは、うっかり「裁判」などを行ったら米軍が独占すべき貴重な情報が他国(特にソ連)に流れてしまう懸念があること、です。そのことは、米国政府内の記録からも読み取ることができます。

アメリカ国立公文書館文書

108

SFE一八八/二
一九四七年八月一日
国務・陸軍・海軍三省調整委員会極東小委員会

ソ連検察官による何人かの日本人に対する尋問

参考資料−SWNCC三五一/二/D
事務局員による覚え書

(略)
c、アメリカにとって日本の生物戦データの価値は国家の安全にとって非常に重要で、「戦犯」訴追よりはるかに重要である

d、国家の安全のためには、日本の生物戦専門家を「戦犯」裁判にかけて、その情報を他国が入手できるようにすることは、得策ではない

e、日本人から得られた生物戦の情報は情報チャンネルに留め置くべきであり、「戦犯」の証拠として使用すべきではない。(P416)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)


 そして、731部隊が行った行為の「道義性」などに何の関心も持たず、部隊の「研究成果」を吸い上げることにのみ腐心していた 、という点では、フェルと全く同様です。

ヒル・レポート(「総論」)

5 この調査で収集された証拠は、この分野のこれまでにわかっていた諸側面を大いに補充し豊富にした。それは、日本の科学者が数百万ドルと長い歳月をかけて得たデータである。情報は特定の細菌の感染量で示されているこれらの疾病に対する人間の罹病性に関するものである。

 かような情報は我々自身の研究所では得ることができなかった。なぜなら、人間に対する実験には疑念があるからである。これらのデータは今日まで総額二五万円で確保されたのであり、研究にかかった実際の費用に比べれば微々たる額である。(P281)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)
 

 「25万円」を具体的にどう使ったのかはよくわかりませんが、ダーティーな情報をカネで買い取ったことを、むしろ手柄として誇示しています。ヒル自身の道義的感覚も麻痺していた、としか評価のしようがないでしょう。



 ヒルの「仕事」は、大きく二つありました。「細菌戦に関し日本側要員から提出された諸報告書を明確にするのに必要な追加情報を得る」ことと、「細菌戦諸研究施設から日本に移送された人間の病理標本を調査する」ことです。いずれも、フェルの「仕事」を引き継ぐものです。

 その過程で、多くの部隊関係者にインタビューが行われており、その内容は69ページにも及ぶ記録にまとめられています。
※フェル・レポートでは"interrogation"(尋問)の語が使われていましたが、ヒル・レポートはすべて"interview"となっています。ヒル・レポートについても「尋問」という日本語訳が使われることが多いのですが、こちらでは、「インタビュー」に統一しています。
 念のためですが、これは、ソ連や中国で行われた「戦犯裁判」に伴う「尋問調書」とは、全く性格を異にします。「尋問調書」は基本的には「戦争犯罪の告白」でしたが、ヒルのインタビュー記録は、「研究者から米側への科学的情報の提供」です

 そのような「インタビュー」で何が語られたか。

 例えば部隊のトップ、石井四郎は、断片的に「実験」の成果について語っています。その内容はレポートの八か所に分散していますが、吉永春子氏がそのうちの四つをまとめていますので、こちらに紹介しましょう。


吉永春子『七三一 追撃・そのとき幹部達は・・・』

○石井四郎

 石井四郎への訊問 一九四七年十一月二十二日

一、インフルエンザ
 米国よりとったインフルエンザ・ウイルス(種不明)がマウスとケナガイタチ(「ゆう」注 原文「フェレット」)を通じて保存された。

<人体による感染実験>
 二人ずつのグループにわかれて六つの実験が行なわれた。ケナガイタチの肺からとった菌を使用。
 一、皮下注射。二、腹膜注射。三、吸入。四、鼻の点滴注入。五、咽頭の薬塗り。
 (結果)
 三人が短時間の発熱、約二−三日間三十八度に上る。

二、髄膜炎菌
 各五人に人体実験。
 一、皮下注射。二、腹膜内注射。三、髄腔内注射。四、咽頭に薬塗り。五、吸入。六、鼻の点滴注入。七、肺に注射。
 髄腔内注射の五人は全員感染し、死亡した。他は感染せず。

三、天然痘
 M(人の意味)の実験。
 天然痘ウイルスは、自然の形で満州で採取された。十人の被験者が紙袋より乾いたウイルスを吸った。全員病気になり、身体が腫れ出血し、四人が死亡した

四、破傷風
 バクテリア〇・一〜二CCを二人に実験。免疫者と非免疫者との比較をする。
 ホソヤの変性毒素で免疫を行なう。全てのケースで効果あり。血清療法が行なわれ、五〇ケース全部に効果があった。抗血清には、一CCに二〇〇〇〜一万単位を含む。吸入、口経の実験なし。(P231)

※「ゆう」注 「尋問」の原文は"Interview"。


 ただし石井のインタビュー記録は、いずれも短文で、他の研究者の記録とはやや性格を異とします。石井は「統轄責任者」であり、個々の研究の詳細まではよく知らなかった、という事情があるものと思われます。

 研究者の記録の典型として、太田澄の「炭疽」を挙げておきましょう。



○太田澄

 太田澄への訊問 一九四七年十一月二十四日


 主題 「炭疽」

 十年以上前、満鉄の実験室で実験が行なわれた。場所は奉天。菌株が家畜及び汚染された土壌から採取された。最も有毒な菌株が分離され、テンジクネズミ、ハツカネズミなどの体内を通して毒性が増強された。未完成のコロニーが最も毒性が強かった。

  (培養媒体省略)

 奉天における実験。

 <投与量>  <注射箇所>  <感染数>  <死亡数>   
  一(ミリグラム) 耳  0/3     
  一 耳  0/3     
  一 皮膚に塗る  0/3     
  〇.一 皮膚に塗る  3/3     
  〇.二 皮膚、皮下注射 3/3    
  〇.五 皮膚、皮下注射  3/3     
  一.〇 皮膚、皮下注射  3/3     
  五.〇 皮膚、皮下注射  3/3  1/3   
  五〇.〇  経口  1/10  1/10   
  一〇〇.〇 経口 2/10 2/10  
  二〇〇.〇  経口  30/30  30/30   膓蜂巣炎
 一.〇−二五.〇  吸入  0/4  0/4   
   五〇 吸入 1/1  1/1   膓蜂巣炎
  実験室内偶発感染 一〇例 全員死亡      
 爆弾実験 一〇人体及び他に動物 四実験       

(吉永春子『七三一 追撃・そのとき幹部達は・・・』P233-P234)

(「ゆう」注 この項、「培養媒体」を除き、ほぼ全訳となっている)

 「炭疽」は、今日でも、最も強力な「生物兵器」のひとつとして知られています。その炭疽菌を、量を変えながら、数十人の被験者に対して投与を行っています。「死者」も多数発生しており、また、「爆弾試験」という語も見えます。

 本人の意図はあくまで「科学的情報の提供」ですが、後世の目から見ると、結果的には自らの「戦争犯罪」を明らかにしたものとなっています。




 ダグウェイ文書

 「ヒル・レポート」と同じ時期に作成されたと推定されているのが、米軍ダグウェイ基地から発見された3本の英文レポートです。「発見者」である、シェルダン・ハリスの紹介を見ましょう。


シェルダン・H・ハリス『死の工場』

 ユタ州ダグウェイは、平房から約一万六〇〇〇キロメートル離れている。しかし、この西ユタの不毛で吹きさらしの砂漠に、アメリカ合衆国軍の化学・細菌戦の基地があり、日本の細菌戦研究の名残が収まっている。(P125-P126)

 ダグウェイ実験場の多くの施設のうち、ユタ砂漠に約三四〇三・五平方キロメートル以上にわたって広がる秘密の研究センターに、一般の出版物の化学戦および細菌戦に関するあらゆる最新の科学系出版物を収集している専門図書館がある。

 同施設はまた、他の研究センターがもはや欲しがらないような資料をも保管しているが、そのような資料が時に研究者にとって有用な情報を含んでいることもある。

 石井や北野、そして他の生き残った七三一部隊の幹部に対してアメリカの科学者たちが戦後に行ったインタビューをもとに、そのアメリカの科学者たちの手によってまとめられた二〇本以上のレポートが、その専門図書館の印もついていない箱のなかにしまいこまれている。

 この箱にはまた三本の並外れた解剖に関するレポートも収まっており、この解剖レポートの研究テーマは馬鼻疽、ペスト、炭疽病をカバーしているものである。

 この解剖レポートは、長さ三五〇頁のものから七〇〇頁のものまである。どのレポートにも、パステルカラーで色づけされた画家の手になるデッサンが何百も付されており、分解のさまざまな段階における人体の臓器の様子が分かるようになっている

 一時はこれらのレポートはトップシークレットに指定されていたが、細菌戦研究の進展に伴って、その研究成果は不可解という言葉を用いるべきでないならば時代遅れのものとなった。これらのレポートは、一九七八年にトップシークレットの指定を解除されている。(P126)


 三本のレポートには、「Qレポート」(原文"report of "Q"")、「Aレポート」「Gレポート」との標題が付けられています。それぞれ、「ペスト」「炭疽」「馬鼻疽」についての解剖レポートです。

 その内容については、各レポートの前書き部分に記されています。私の知る限り、この部分の日本語訳はありませんので、ざっと翻訳してみました。(私の英語力は乏しいものですので、誤訳があるかもしれません。また、意味がわからない部分は省略しています。参考程度に読んでいただければと思います)



Qレポート

 1943年(9月25日−12月7日)、私は2つの地域(満洲の新京市、農安県)でペスト流行の調査を行った。農安県は、毎年繰り返されるペスト流行にたびたび汚染されている。一方新京市は、ペスト流行に汚染されたことはない。
※「ゆう」注 この地域でのペスト流行は1940年のことであり、研究者の間では、この「1943年」は「1940年」の誤りと見られています。
 1943年6月、何らかの理由により、農安県で突然ペスト流行が発生した。

 これらの流行は徐々に近隣地域に広がり、9月半ばには、交易手段を通してとうとう新京市に侵入した。そしてペスト病に対して十分な免疫を持たない町の人々の間に爆発的な流行を引き起こし、感染から数日のうちに18人の患者すべてが死亡した。

 高橋博士らは、疫学的・細菌学的な調査を実施した。日本語で印刷されたこれらのレポートは、1948年7月にはすでに米軍に提供されていた。

 私たちはペスト流行のすべてのケースを調査した。彼らは、両地域で9月29日と11月5日の間に死亡した者だ。


(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』Disk5収録。翻訳は「ゆう」による)


Aレポート

 私は30ケースの炭疽病を調査した。それは3つのグループに分類することができた。

a) 経皮感染  1ケース
b) 経口感染  9ケース
c) 経鼻感染 20ケース


a) 経皮感染  1ケース

 (病状、臓器の変化に関する記述あり〜省略)

b) 経口感染

 9ケースは、ある量の炭疽菌を含む食材により経口的に感染させられた。すべての患者は、急性腹筋徴候とひどい血性腹水により、必ず数日中に死亡した。

(以下略)

(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』Disk5収録。翻訳は「ゆう」による)

※「ゆう」注 c)の「経鼻感染」の20ケースについては、「ある監獄で炭疽病の流行が突然生じた。監獄の二〇人程が、一定量の炭疽菌を含む汚れた空気により次々に感染し、激しい胸部または腹部の徴候により数日後に全員死亡した」とされています。ただし「監獄」は731部隊内の「ロ号棟」のことである可能性が高く、当然この「炭疽菌」は731部隊が製造したものであると考えられますので、いかにも「自然発生」であるかのようなこの説明が正しいかどうかは微妙です。


Gレポート

前書き

 私は鼻疽の21ケースを微視的に調査した。これらのケースは2グループに分割される。

a) 経皮感染 と
b) 経鼻感染

経皮感染 16ケース   No16、50、85、146、152、167、180、190、167、193、205、207、221、222、225、254
(「ゆう」注 「167」がダブっている。後の方は誤記か?)
経鼻感染  5ケース* No176、178、229、727、731
              *うち何人かは、
(経鼻かどうか)確かではない

 私は、病気のコースを4段階に分類した。

1、急性段階        0・・・・・・14日
2.亜急性段階     14日・・・・・28日
3.亜慢性段階     28日・・・・・ 7週間
4.かなりの慢性段階  7週間・・・ 数ヶ月

  急性段階   亜急性段階  亜慢性段階  かなりの慢性段階 
 経皮感染  5ケース 7ケース  3  1 
 経鼻感染  3ケース 0  0  2 


a) 急性段階

 いくつかのケース(21ケース中8ケース)は、いくつかの敗血性・毒性症状およびいくつかの隣接敗血性臓器変化を伴う急性段階で死亡した。顕著な臓器変化は未だ伴わない。

(以下、224、180、190、16、176、229につき、臓器の変化等についての詳細な解説が続く)

b) 亜急性段階

(以下略)

(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』Disk5収録。翻訳は「ゆう」による)

 見ればわかる通り、「Qレポート」の解剖対象は、新京・農安地区で発生したペスト患者です。一方、「Aレポート」「Gレポート」は、「炭疽菌を含む食材により経口的に感染させら」れるなど、人為的に感染させられたケースを含むもの、と見るべきところでしょう
※ネットには、この「Qレポート」を「人体実験の記録」と勘違いして、「どうやらマルタの半数以上は日本人だったらしい」などと、レポートの信頼性を貶めようとする荒唐無稽な攻撃を行っているサイトが存在します。詳しくはこちらをご覧ください。

 この三本のレポートはよく知られていますが、残念ながら、その具体的内容を記した日本語の本はほとんどありません。先ほどのハリスの紹介が最も詳しいようですので、ここに掲載します。

シェルダン・H・ハリス『死の工場』

 ペスト、炭疽、鼻疽実験は、若松部隊の科学者が人体実験に費やした時間のかなりの部分を占めている。長春の施設が活動した九年間に、何千とは言わないまでも、何百もの「実験材料」がこれらの病気に関する実験に費やされた。

 病理学者は無数の死体解剖、そして時には生体解剖を行った。こうした解剖は、たいていの病院で行われる解剖とは種類が異なり、解剖台上の死体のあらゆる細胞、あらゆる組織が調べ尽くされたとの印象を与えるほどきわめて徹底的かつ綿密なものだった
という。

 鼻疽と炭疽に関する二つの報告書が、長春の病理学者が患者および研究対象の病気について行った研究の信じがたいほどの綿密さを物語っている。「『G』の報告書」と題された鼻疽についての報告書は、二一の症例について三七二頁にわたって論じている。この報告書には、体細胞の多数のパステル・カラーのイラストと数百点の写真が収められている。(P164-P165)

 「『A』の報告書」と題された炭疽の報告書は、三〇の症例を四〇六頁にわたって分析し、細胞構造のパステル・イラストと写真がきちんと備わっている。

 炭疽報告書の症例番号五四は、ある病理学者の細部へのこだわりぶりを物語っている。

 この例では、被験者は炭疽菌を用いた七日間にわたる処置を施されてから犠牲となったのだが、解剖によって明らかになったところでは、主たる病変は「局部的皮膚潰瘍および周辺病巣蜂巣炎(右腿)……心臓―極度の変性および間質浮腫。肝臓―多少の出血性変化を伴う漿膜祁心留蝓腎臓―上皮組織の空胞変性を伴う糸球体ネフローゼ。脾臓―感染性脾炎」であった。

 経口感染による炭疽死亡に関しては、「九例は、ある量の炭疽杆菌を含んだ食糧により経口的に感染され、患者は全員、急性の腹部症状および重度の出血性腹水症により数日後には確実に死亡した」。言い換えれば、細菌科学者たちは、病気が犠牲者の体内で広がって行く様子をほぼ時々刻々追跡していたというわけである。

 鼻疽報告書が注目した事実として、「一部の症例(二一例中八例)は、いくつかの敗血性・毒性症状およびいくつかの隣接敗血性臓器変化を伴う急性段階に死亡した。顕著な臓器変化は未だ伴わず」。症例番号二二四は、四日間にわたる処置を耐えた末に死亡した。解剖結果から明らかになったのは、「外傷。大腸および膵臓の変化。腎臓の間質浮腫。肺の反応性鬱血 (軽度の広汎性肺胞炎)」だった。

 症例番号一八〇は、一二日間生存した。この報告書中、最も長生きした犠牲者である症例番号一六は、一三日間生きた。こうした、より長生きした細菌戦の被験者は、症例番号二二四と同じ症状を発現した。

 さらに、彼らの臓器からは、「肝臓の多少の実質組織変性を伴う滲出状の粟粒状鼻疽結節」(症例番号一八〇)および「極度の膵臓実質組織変性」ならびに「転移性急性扁桃腺炎」(症例番号一六)が明らかになった。(P165)




<本コンテンツで使用した資料>

『ヒル・レポート』(総論)

『ヒル・レポート』(インタビュー記録)

(2016.10.16)


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