731部隊 ネットで見かけたトンデモ議論(2)
「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける
筋『クロナキシー』に就て」

2017.9.2 追記あり


 1984年、神田の古本屋から、段ボール2箱分の「731部隊」関連資料が発見されました。

 その中に含まれていたのが、「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋『クロナキシー』に就て」と題する論文でした。著者は、「陸軍軍医少佐 池田苗夫」「陸軍技師 荒木三郎」の2名。指導教官として、「永山中佐」の名もあります。

 内容については、松村高夫氏による要約を紹介しましょう。(図表を除く全文(一部略)については、こちらに掲載しました)


松村高夫『七三一部隊作成資料 解説』

 資料2 「破傷風毒素並芽胞接種時ニ於ケル筋『クロナキシー』ニ就テ」は、破傷風毒素と芽胞を人間の足背部に接種し、発症時の筋肉の電位変化(「クロナキシー」)を測定した実験報告である。表紙には、診療部の「永山中佐、池田少佐、荒木技師」の名前が記されている。対象とされた人間は一四名で、全員を死に至らしめている

 破傷風芽胞三CCを皮下注射された「九九一号」は一〇日余で死亡しているが、その間の経過を観察している。

 毒素接種のばあいは、体内に入って毒素を産生する芽胞よりも「経過極メテ電撃性ニシテ」、毒素一〇〇MLD(致死量の一〇〇倍)を接種された「六九一号」は、接種五日後に死亡したこと、毒素一〇MLDを接種された「五九五号」 は、七日後に死亡したことが付表で示されている。

 それ故、毒素一、〇〇〇MLDを接種された三名、毒素一〇〇MLDを接種された他の三名、また芽胞をより多い五CC接種された一名も死に至ったことは確実である。(P10)



 毎日新聞の追跡取材により、この資料は井上義弘・陸軍軍医中尉の自宅に保管されていたもので、中尉の死後、遺族が「ちり紙交換」に出したものであることが判明しました。著者として名前が上がっている池田苗夫も、「破傷風の実験は上官の指導でやったこと」と、自分の論文であることを認めています。

 紛れもなく、「731部隊」が行った「人体実験」の記録、と見ていいでしょう。
※本資料が発見された経緯は、大変興味深いものです。「「神田、古本屋の片隅に」 −「731部隊作成資料」発見の経緯−」に、当時の新聞記事等をまとめました。


 当然のことながら、論壇ではこの「論文」への「否定論」は存在しません。しかしネットの一部には、「実は馬を対象とした実験だった」というとんでもない「妄想」を振りまく向きも存在します。以下、見ていきましょう。





 deliciousicecoffee氏のブログからです。

731部隊の人体実験・細菌戦は嘘(全て作り話)2・松村高夫の『破傷風毒素並びに芽胞接種時に於ける筋「クロナキシー」に就て』の怪

 「731人体実験あった派の資料によれば、いわゆるマルタの番号は1001番から始まっていたと記憶している。」

 「クロナキシーの実験は第二章にあるように、一〇二六番のみが1001以上の番号になっている」

 「しかも、この一〇二六番は『予防接種実施』と書いてある。」

 「ということはこの『人間』は痛くも痒くもなかったでしょう。当たり前ですね。」


 「で、1001以下の番号は一体誰なのかというと、おそらく『馬』でしょう。もちろん馬も人間同様に破傷風に罹ります」

 「さらに決定打」

 「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります

 (以下略)


 この文章に続けて、ブログは、「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋『クロナキシー』に就て」の原文を紹介しています。

 しかし、『731部隊作成資料』に掲載された原文と比較すると、ブログは、重要な部分を「略」していることに気付きます。小見出しを並べてみましょう。

<原文>
第一章 緒論
第二章 実験材料及び実験方法
人体に於けるRHの測定法
人体に於ける時値(CH)の測定法
第三章 実験成績
第四章 総括並考按

 「人体に於けるRHの測定法」「人体に於ける時値(CH)の測定法」の中身出しが目を引きます。これを見て、「実験の対象は実は馬であった」などという妄想を抱く人は、まずいないでしょう。対象が「馬」であれば、「人体に於ける測定法」を延々と論じる必要は、全くありません

 そして、ブログの紹介部分です。

<delisiousicecoffee氏の紹介部分>
第一章 緒論
第二章 実験材料及び実験方法
(以下略)

 見事に、「人体に於ける」の部分を「略」していました



 さらにこの実験の担当、池田苗夫は、「毎日新聞」の取材に答えて、このように語っています。


毎日新聞 1984年8月15日(水) 19面


「関与していない」登場の元少佐

 チリ紙交換から古書市場に回った段ボール箱の資料は、書類などと分別され、報告書類を中心に二箱に詰め替えられ、神田の古書店に回されたらしい。二箱の段ボールの中で、七三一部隊関連とみられるのはA元少佐の名が書かれた報告書がほとんどだった。

 A元少佐は、滋賀県の長男宅にいたが「石井部隊のことは一切しゃべりたくない。会いたくもない」と言い、高血圧や戦傷の後遺症などで休養中だった。このため、長男を通じてコメントを求めたところ「破傷風の実験は上官の指導でやったこと。他の論文はすべて私のもの」と認めた。

 しかし、「きい弾(イペリット弾)の報告書については「私は十七年に七三一部隊に呼ばれたので、実験に加われるわけがない。関与していない」と否定した。

 「担当」と書かれていることについては「極秘書類には担当者名を書かない。そこだけ毛筆で書かれていることからもわかる通り、書類を保管する人が書き入れたのではないか」と答えている。


 もしこれが、deleciouscoffee氏が主張する通り単なる「動物実験」であったのであれば、「A少佐」(池田少佐)は、必ずそのように「弁解」するはずです。しかし池田氏は、「破傷風の実験は上官の指導でやったこと」と、上官に責任転嫁をするのみでした。





 さてそれでは、deliciousicecoffee氏が「人体実験」を否定する根拠を見ていきましょう。



 「731人体実験あった派の資料によれば、いわゆるマルタの番号は1001番から始まっていたと記憶している。」

 「クロナキシーの実験は第二章にあるように、一〇二六番のみが1001以上の番号になっている」

 「しかも、この一〇二六番は『予防接種実施』と書いてある。」

 「ということはこの『人間』は痛くも痒くもなかったでしょう。当たり前ですね。」

 「で、1001以下の番号は一体誰なのかというと、おそらく『馬』でしょう。もちろん馬も人間同様に破傷風に罹ります」


 おそらくブログが根拠とするのは、秦郁彦氏の次の一文でしょう。


秦郁彦『日本の細菌戦』(上)

 したがって、犠牲になったマルタの総数も混沌としてつかみにくい。ハバロフスク裁判で川島清軍医少将(七三一部隊第四部長)が述べた「五年間に約三千人」が定着しているようだが、そんなに多くはなかったとする反論もある。

 佐々木義孝は実験や解剖の能力は、せいぜい一週に二人くらいが限度だった、と『世界日報』(一九八二・一〇・一七)の記者に語っている。マルタ解剖班に四年勤務した胡桃沢正邦技手は、「三千人は誇大にすぎる。マルタにつけた番号が一〇〇一から始まっていたので誤認したのではないか。多くても七〜八百人だろう」と語る。

 佐々木の主張するペースだと年に一〇〇人程度だから、安達実験場などの集団処理をふくめても、千人を越える規模には達しないと思われる。(P552)

(『昭和史の謎を追う』(上)所収)

 私はこの胡桃沢証言の出所を確認できていません。あるいは、秦郁彦氏の独自インタビューによるものかもしれません。

 しかしマルタの「番号」については、総務部調査課写真班 T・K氏の証言が、よく知られています。

郡司陽子『【真相】石井細菌戦部隊』

 七棟二階の奥にレントゲン室があった。新参の「丸太」は、ここで裸にされて、全身写真をとられた。全員、胸のところに、墨で四桁の番号を記入されている。この番号が、「丸太」にとって、残された短い生涯の最後の「名前」となるのだ。

 番号は〇一〇〇番からスタートしていた。わたしが「丸太」の全身写真を撮るようになった昭和十七年五月の時点では、〇七〇〇番台だったから、すでに七〇〇人(部隊では、一本、二本とかぞえた)ほどの「丸太」が送りこまれていたことになる。昭和十八年末には、一〇〇〇番台となった。

 翌十九年には、一五〇〇番となり、再び〇一〇〇番にもどった。そして終戦の年の七月には、一四〇〇番台になっていたから、連行されてきた「丸太」の総数は、約三〇〇〇人ということになるだろう
。これら「丸太」のうち、一人の生還者もなかったのだ。

 「丸太」が最初に部隊に連れてこられたのが、昭和十四年というから、五〜六年間で一五〇〇人、残りの一年余りでさらに一五〇〇人ということになる。

 わたしの記憶でも、はじめのうちは、一回に一〇数人の「丸太」を撮影していたのが、あとの方になると、一回に数十人と数がふえていった

 「丸太」は全身撮影がすむと、二、三日後に、胸部だけのレントゲン撮影をされる。おそらく、医学的実験に際して、それぞれの既往症や、健康状態を、より正確に事前に把握しておくための措置だったのではないか。(P23-P24)

 実際に「番号」がつけられる場面をリアルタイムで見ていた人物の証言ですので、「解剖班」にいた胡桃沢氏の証言よりも、この点については信頼性が高い、と考えられます。あるいは胡桃沢氏は、「四桁の番号」を、「一〇〇一から始まっていた」と誤認していたのかもしれません。

 例えば同じ「731部隊作成資料」に掲載されている「きい弾射撃に因る皮膚傷害竝一般臨床的症状観察」の「表」から被験者の番号だけを抜き出すと、次の通りとなっています。

「287」「280」「296」「294」「376」「265」「464」「468」「490」「499」「513」「303」「485」「486」「372」「358」「359」「449」「375」「265」・・・・・

 ブログは、この実験も実は「馬」を対象としたものであった、と主張したいのでしょうか?

 そもそも、全く性質の異なる実験対象である「馬」と「人間」を連番にする、などという奇妙な発想がどこからくるのか、私にはわかりません。「おそらく馬でしょう」などといういい加減な「推定」を行うよりも、「胡桃沢証言の方がおかしいのではないか」と考えた方が、よほど素直です。


 念のためですが、「一〇二六」番への「予防接種実施」は、「予防接種を行った場合と行わなかった場合」の効果を比較する、「対照実験」として行われたものでしょう。一方が「馬」でもう一方が「人間」では、「対照実験」になりようがありません





 次に、この部分です。


 「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります


 私も別に医学知識があるわけではありませんので、念のために検索してみたら、十数秒で人間の「潤背筋」に触れた医学論文に辿り着きました


子どもの健康と体力

福井大学教育地域科学部教授(教育学博・医博) 戎利光

筋力低下

 背筋力(平成10年度から改正された新体力テストでは測定されていない)の低下は,姿勢の悪化・腰痛・直立姿勢持続性の低下・労働能力や労働意欲の低下などを招くといわれている。つまり,背筋力は重要な筋力であることがわかる。

 さらに,背部の筋肉には浅背筋(僧帽筋・潤背筋・肩甲挙筋・菱形筋)と,これに覆われてその深層にある頸・背・腰部の深背筋とがあるが,背筋力はこれら躯間伸筋の外腎筋群や下肢伸展筋や手指屈筋等の共働作用の総称であるという指摘(松井ら,1985)もある。


 ブログが「こんな名前の筋肉は人間には無い」と書いた根拠は、結局私にはわかりませんでした。



2017.9.2追記

 「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります

 deliciousicecoffee氏のこの一行について、clavicleさんという方から、詳しい解説メールをいただきました。以下、内容を要約します。



1.「潤背筋」は、「濶背筋」
(かっぱいきん:さんずい、もんがまえの中が「王」ではなく「舌」)の代用または誤用であると思われる。「濶」は「闊」の異字体で「闊背筋」とも表記され、現在では「広背筋」と呼ばれている筋の古い解剖学名である。この筋は馬、牛、猫などの四足獣にもヒトにも存在する筋である

2.当該論文「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋『クロナキシー』に就て」の当該部分(第二章)は字が潰れており「潤」か「濶」か微妙だが、巻末の実験結果を記した表の中では「濶背筋」と明記されていることから、実際には「濶背筋」の表記であった可能性が高い。
(「ゆう」注 私はdeliciousicecoffee氏の書きぶりに引きずられて「潤」の字を採用してしまいましたが、確かに見直すと「潤」か「濶」か判別困難です。なお兵庫県日中教育文化研究会「不能忘記的歴史」には当該論文の中国語訳を再度日本語に翻訳したものが掲載されていますが、そこでは「背闊筋」の表示となっ ており(P59)、clavicleさんの指摘を裏付けます)
3.なお、第二章部分の表記が仮に「潤背筋」であるとしても、これが人の筋肉名として使われている論文がいくつか存在する。「潤背筋」は「人間には無い」、という主張は明確な誤り。

 ○胸背筋という語を潤背筋と訂正した例  (岡山醫學會雜誌 Vol. 4 (1892) No. 36) 「正誤」欄
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/joma1889/4/36/4_36_480/_pdf

 ○潤背筋で出現する例  対馬 清造 「背筋力に関する体力医学的研究 : 第1報 握力の関与せざる背筋力計の試作」 (体育学研究 Vol. 4 (1960) No. 3) P2 右側
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/4/3/4_KJ00003393286/_pdf

 ○潤背筋と闊背筋が同居する例(文脈上同じ筋を指している) 東 正雄, 幸山 彰一「柔道投技(釣込腰)の連続掛についての実験的研究 (その2) : 筋電図及び写真撮影による」 (体育学研究Vol. 8 (1963) No. 1) 最終頁右下
 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/8/1/8_KJ00003394077/_pdf

4.一般論として、筋肉の名前はヒトと四足獣では共通のものが多い。逆に、メジャーに知られる筋肉で、四足獣のみが持ち人間が持たない筋肉、というのはあまりない。なお四足獣が「濶背筋」を持つことは、古い獣医系の解剖学書で確認することができた。(確認した書では「潤背筋」の表記は見られず、「濶背筋」の表記だった)

5.さらに言えば、このような論文で比較のため他の動物のデータを得る場合は、体格や皮膚の性状がヒトと異なるので、それぞれの動物に対して行った測定手続きは必ず記載されるはず。

(論文では、例え煩雑になっても、同じ手続きを踏んで追試を行えば必ず同じ結果を再現できるように、手続き記載をおろそかにしないものである)

 本論文ではヒト以外のレオバーゼ(基電流)及びクロナキシー測定手続きを一切記載していない。従って、ヒトのみを対象とした実験であることは明らかである。

6.以上、この広背筋、かつての用語での濶(闊)背筋は馬牛、人間が共通して持っている筋肉である。この筋肉名が書いてあるから人ではなく馬のデータである、という主張は全くの誤りである


 「潤背筋」(濶背筋)は、ヒトにも馬にも共通して見られる筋である、とのことです。deliciousicecoffee氏の議論には、やはり根拠がなかったようです。





<本コンテンツで使用した資料>

「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋『クロナキシー』に就て」

「神田、古本屋の片隅に」 −「731部隊作成資料」発見の経緯−

 

(2016.7.23)


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