| 731部隊(8) | 731部隊と「戦犯免責」 |
これまで触れてきた通り、731部隊のメンバーが「戦犯免責」と引き換えに米軍に「細菌戦研究」の情報を提供していた、というのは、紛れもない歴史的事実です。 にもかかわらず、ネットでは、「731部隊は東京裁判で訴追されなかった。それは何も訴追されるような犯罪事実がなかったからだ」というとんでもない曲解を、よく見かけます。 実際には、「戦犯免責」は、戦後まもない1945年秋、マッカーサー占領軍総司令官の承認の下に行われました。 さらに「人体実験」の事実が明らかになった1947年には、マッカーサー自身が本国に正式に「戦犯免責」を提言し、非公式ながら米国政府の承認を得ています。 本コンテンツでは、731関係者がどのように「戦犯免責」を受けたのか、その経緯を追っていくことにしましょう。
戦後まもない時期、「731」の研究成果を吸い上げるべく、4次にわたる調査団が、米国から日本に派遣されました。 最初に派遣されたのが、マレー・サンダース博士です。しかし調査は難航し、「進駐後の調査開始からおよそ一か月の間、部隊幹部や主要な関係者にはほとんど接触できず、日本軍の細菌戦についてなんら核心に迫れない状態が続いていた」(太田昌克『731免責の系譜』P73)という状況でした。 なかなか「情報」が集まらないことに業を煮やしたサンダース博士は、「戦犯免責とのバーターで731関係者から情報をとる」というアイデアを思いつきました。 マッカーサー総司令官は、そのアイデアを承認します。
要するに、マッカーサーが「(731関係者を)戦犯に問わない」という提案を受け入れた、ということです。日本側の証言も、この事実を裏付けます。
そして、サンダースの帰国後に派遣されてきたトンプソン少佐も、サンダースの路線を受け継ぎ、「戦犯免責」を前提に調査を進めていた、と伝えられます。
なおこの段階では、「731」関係者は、「人体実験」「細菌戦実施」の事実を、口裏を合わせてひた隠しにしていました。そこまで暴露してしまったら「戦犯免責」の約束が反故にされかねない、という懸念があったものと見られます。 米国側も、薄々とは勘付きながら、「人体実験はやっていない」という彼らの言い分をそのまま通していました。 この状況を一変させたのが、ソ連からの情報提供です。
ソ連は、第4部(細菌製造)部長川島清、その部下の柄澤十三夫少佐などの部隊関係者を捕え、彼らへの尋問から独自に「人体実験」の事実を把握しました。 しかし大半の部隊関係者は、既に満洲から日本への引き揚げてしまっています。そこでソ連は、より詳しい情報を得るべく、1947年1月、米国に対し、 日本にいる元部隊幹部三名への「尋問」を要求しました。
ソ連はどこまで「情報」をつかんでいたのか。その概要については、米国側に記録が残っています。
ソ連は1947年1月の段階で既に、安達(アンダー)の野外実験場での大規模な実験など、かなり正確に「人体実験」の存在を把握しています。 当時、米国にとりソ連は、タテマエとしては「共に第二次世界大戦を勝ち抜いた友好国」でしたので、ソ連の「尋問要求」を無下に拒絶することはできません。 かといって、これから軍事的ライバルになることが確実な超大国に対して、貴重な情報を渡すこともできません。 米国が選んだのは、「ソ連による石井四郎への尋問を許可する。ただし事前に石井と打ち合わせを行い、「ソ連に提供してよい情報」の範囲を予め明確にしておく」という方法でした。 結局ソ連は、米国側の立ち合いの下、石井に尋問することはできましたが、意味のある情報はほとんど得られなかったようです。 しかし、これは米国側から見れば、足元に貴重な情報が眠っているにもかかわらずソ連に指摘されるまでそれに全く気付かなかった、という間の抜けた話になります。 当然ながら、「人体実験」の存在を前提とした「再調査」が試みられることになりました。 ※厳密に言えば、GHQの法務局は、元部隊関係者などからの「密告」を通じて、かなりの程度、731部隊の犯罪事実を掴んでいました。「細菌戦研究」情報の収集を優先するマッカーサーがそれを握り潰した形です。複雑になりますので、このコンテンツではそのあたりの経緯を省いていることをお断りしておきます。その「再調査」のために派遣されたのが、ノーバート・H・フェル博士です。
ノーバート・H・フェル博士は1947年4月に来日。731部隊関係者から「人体実験によって得られた研究成果」を吸い上げるべく調査を開始しました。 フェルは来日直後の4月22日から、増田知貞、金子順一、内藤良一という3人の部隊幹部の尋問を開始します。 しかし 彼らは最初のうち、「見たことがない実験について話をすることは困難である。私たちが知っているのは伝聞に基づく情報だけである」という調子で、「とぼけ」に徹していました。 しかしやがて、日本人同士の相談の後、内藤良一がこんなことを言い出します。
具体的にどのようなやりとりがあったのかは不明ですが、「尋問記録」はこの後、「日本人は戦争犯罪に問われないと保証された」と続きます。 これが、フェルが与えた、最初の「免責」でした。(この「増田知貞尋問調書」の概要は、こちらに掲載してあります) 上記の通り、フェルは尋問の場で三人に対して「戦犯免責」を宣言しました。また5月8日の石井四郎尋問でも、フェルは、「調査は技術的、科学的情報のためであり、戦犯のためではない」と、 冒頭で「戦犯免責」を与えています。 しかし「人体実験」というデリケートな事実が暴露されたことにより、これまでのように「戦犯免責」をマッカーサーの独断にとどめることは、さすがに困難になったようです。5月始め、マッカーサーから本国へ、「フェル博士の手紙」の内容を伝える形で、「戦犯免責」を提言する電報が発せられました。
「石井は文書によって戦犯免責が彼自身、上官および部下に与えられるなら、計画を詳しく述べることができると言っている」と石井の意思を伝え、それに応じる形で「これ以上のデータを入手するには、当該の日本人に情報は情報チャンネル内に留め置かれ、「戦犯」の証拠とはしないと知らせる必要があるだろう」と「戦犯免責」を提言しています。 ※石井への尋問は5月8日及び9日に行われていますが、この電報は5月6日付であり、フェルはそれ以前に石井から「文書による戦犯免責」の申し出を受けていたことになります。この「四月二九日および五月三日付のフェル博士の手紙」は現在確認することができず、フェルがどのようなルートから石井の意思を確認したかは不明です。 そして6月24日付「フェル第二レポート」には、次の記述を見ることができます。
フェルが「免責」を与えた後の「事後承諾」の形にはなりましたが、「部隊関係者を戦争犯罪人としない」方針は、米国政府内でも認められたことになります。 米国政府の側の、「戦犯免責」のメリットを確認しましょう。
ここで示されている「メリット」は、次の2点です。 1.「戦犯免責」により、731関係者から「生物戦データ」を入手することが容易になる。 2.「戦犯」訴追してしまうと、せっかく米国が独占できたデータが、他国(特にソ連)に流れてしまう怖れがある。 かくして、「戦犯を逃れたい」731部隊メンバーと、「データを入手し、独占したい」米国との利害は一致しました。 「戦犯免責」自体は米国政府の承認を得られたものの、日本側の要求通りそれを「文書」の形に残すかどうかについては、米国政府内の激しい議論の的になります。 「文書での免責」に積極的な軍部に対して、国務省(日本の外務省に相当)は、「そうした保障を与えなくても必要な情報を石井大佐(ママ)および彼の協力者から得ることは可能」と、難色を示しました。
「文書」という形で証拠を残すと、後々どんなことになるかわからない。国務省は、そんな懸念を表明しています。 もっとも国務省にしても、「戦犯免責」自体に反対したわけではありません。「言質を与えなくても、アメリカ当局は安全保障の理由から石井と彼の協力者を戦犯として訴追すべきではない」と、明確に「戦犯免責」自体は是認しています。両者の違いは、要するに、「文書を出すか、出さないか」だけでした。 当然のことながら、日本側は、米国政府内のこんな「議論」など知りません。「文書」は「念のため」ぐらいの認識だったのでしょう。部隊関係者は、フェルに続くヒルの調査段階では、「戦犯免責」を当然のことと認識して、もう話題にすることもありませんでした。
結局「文書」を出すまでもなく、731関係者はすべてを語ってしまったわけです。米国内の「文書を出すか、どうか」の論争は、うやむやのまま終わりました。 以上をまとめます。 1945年以降、日本の細菌戦研究の調査のため、米国は四次にわたる調査団を派遣しました。 そのうち第一次のサンダース、第二次のトンプソン、第三次のフェルは、それぞれ、調査に際して、マッカーサー司令官の承認の下、部隊関係者に「戦犯免責」を与えました。 特にフェルの段階では、「人体実験」というデリケートな事実が明るみに出たこともあり、マッカーサーは本国に直接「戦犯免責」を提言しました。米国政府はこれに対して、「非公式ながら」承認を与えました。 日米双方の記録・証言に加え、マッカーサーが本国に「戦犯免責」を提言した電報も今日明らかになっています。「犯罪事実がなかったから東京裁判で採り上げられなかった」云々の妄説に、成立の余地はありません。 (2017.1.29 )
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