家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)


 家永三郎は、「沖縄戦」等4箇所の文部省教科書検定意見につき、それを不服として訴訟を起しました(「731部隊」については、記述の全面削除を求める検定意見がつきました)。

 以下はそのうち、「731部隊」問題につき、国側証人の秦郁彦氏の証言全文(第一審及び控訴審)を収録したものです。

 秦郁彦氏は、第一審時点では、731部隊の「人体実験」「細菌戦」につき、懐疑的な立場をとっていました。しかしその後発表した『日本の細菌戦』(当初『正論』誌発表、のち『昭和史の謎を追う』収録)では、完全にそれを認める立場に転じてしまいました

 しかし秦氏は、その後の東京高裁の控訴審でも、あえて証言台に立ちます。原告側(家永側)は、「第一審証言と『日本の細菌戦』との矛盾」をつきますが、それに対して秦氏は、「検定が行われた1983年時点では731部隊の実態は十分にわかっていなかった」という論理で対抗しています。

 第一審、控訴審では、原告・家永側の完全敗訴となりました。しかし最高裁は、4つのテーマのうち「731部隊」について家永側の主張を認め、一転して家永側の勝訴となりました。(なお残り3つのテーマでは家永側の主張は認められませんでした)

 なお、この秦郁彦証言を収録した『裁かれた七三一部隊』には、君島和彦氏による、秦証言批判の詳細な注がつけられていますが、ここでは省略しました。



家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審) ー膺厂筺碧楾董


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審) 反対尋問

家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)



1987年11月30日 東京地方裁判所

ー膺厂

家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

被告代理人(鈴木)

証人調書添付の 「秦郁彦証人の略歴等」を示す

1 学歴など、そこに記載のとおりでしょうか。
 
 そのとおりであります。


2 証人の専政分野、御専門の分野について、御説明いただきたいと思いますが。(P111)

 大学では国際政治論、外交史を教えておりますけれども、研究上の専攻と致しましては、昭和史を中心とする日本の近・現代史、というふうに考えております。


3  「三、」に学位のことが触れられておりますけれども、「四、」の著書で行くと、学位論文はどれに当たりますか。

 昭和三七年河出書房新社から発行され、後に原書房から再版されております「軍ファシズム運動史」であります。


4 この事件では、検定で問題になった教科書の記述は、中国との全面戦争に書かれた戦争状況に関しての脚注の記載なんですけれども、いわゆる日中戦争に関する証人の著書・論文などは、ここに書かれたものが主で、それ以外に論文などもあるんでしょうけれども、どれに当たりましょうか。

 この中では、昭和三六年に発行致しました「日中戦争史」を初めとして、三番目の「太平洋戦争への道」の第四巻におきまして、やはり日中戦争の概史を担当をしております。

 そのほか、この中に出て参ります著作の中では、日中戦争に部分的に触れております。また、最後に出ております「南京事件」は日中戦争の一局部でありますけれども、一冊書いております。

 そのほかに、日中戦争に関連する論文は多数ありますが、省略してあります。


5 いわゆる日中戦争について、深く専門的に研究・著作されていらっしゃるわけですが、証人が研究・著作される際の方針とか、あるいは配慮されている、という点がございましたら、御紹介願いたいんですが。(P112-P113)

 当然のことではありますけれども、歴史書は実証に基づいて書かれなければならないということで、これを極めて私は重要なことだと考えております。

 従って、史料についてはできる限りの努力を払っておりますけれども、ほかの方が集めた史料もひっくるめまして、史料批判 ー テキスト・クリティークと申しますけれども ー 無条件にそのまま取り込むわけではなくて、厳密に考証をした後、必ず裏付けを採って、それに基づいて歴史は書かれるべきである、というふうに信じております。


6 日中戦争の中の七三一部隊に関する件が本件では問題になっているんですけれども、その七三一部隊に関する著書とか論文とかいうものは、お書きになっていらっしゃいますか。

 特に七三一部隊だけを採りあげて書いた著書・論文はございません。


7 しかし、御研究はされているんじゃないかと思いますが。
 
 ええ、約三〇年間、七三一部隊については私なりの研究を続けており、史料の収集も継続しており、またオーラルによる証言なども採っております。いずれ、まとめたいという気持ちもございますけれども、今の段階ではまだ執筆できるだけの段階になっていないというふうに判断をしております。(P113)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

8 この訴訟の焦点の一つとして、七三一部隊に関する記載があるわけですけれども、これを朗読するのは省略しますけれども、この間題になった記述、それから原告の主張、それから被告側のそれに対する説明などは準備書面に詳細に出ておるわけですけれども、御覧になっていらっしゃいますか。

  一通り、目を通しております。


9 この脚注で問題になった部分に対する検定の意見は、いわゆる 「七三一部隊については、学界の現状は史料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまでに至っていないので、これを教科書に取り上げることは時期尚早である。」と、こういうことなんですけれども、これは五八年当時、検定があった当時の指摘なわけなんですけれども、これについて順次伺って行きますけれども、五八年当時までの学界における研究状況について伺いますけれども、原告の主張で指摘されているのは、原告御自身がお書きになった「太平洋戦争」という書物、それから「軍幹部、軍医、同部隊員等による文献により知らされ、更には森村誠一『悪魔の飽食』や右著書を契機としたテレビドキュメントにより国民の間にあまねく知られるところとなった。」と、こういうことで「動かしがたい事実であることは明白である。」という御主張があるんですけれども、原告の御主張の当時の史料を整理しますと、ハバロフスクで行われたソ連の刑事裁判の公判記録、それからアメリカ軍が収集した調査記録、それから元隊員の証言 − 大きく分けると三つに分類できるように思うんですけれども、こういう三つの史料は、その性格は総じてどのように言えるんでしょうか。順番に伺って参りますけれども、ハバロフスク裁判記録についてはどうでしょうか。(P114-P115)

 昭和二五年に初めて日本にこのハバロフスク裁判の邦訳が出たことを私自身も記憶しており、そのとき直ちに読んだ記憶もございますけれども、またその後同じもののリプリントが何度か出回っているということも承知しておりますが、いまだに疑問になって、解けない疑問は、昭和二五年、一九五〇年と言えば、日本がまだアメリカの占領下であります。

 アメリカの占領下で、モスクワで印刷されたという最初の訳がどうやって日本に持ち込まれたのかということが、どうもはっきりしない。

 それから、いわゆる奥付に当たるものの発行年・序文、そういった通常こういうものに付されている来歴をうかがうことのできるデータが一切ないということでありまして、いまだにこの出版物はどこでどういうふうに作られたものであるかということに、疑問を感じております

 従って、そこに記載されていることについては、極めて慎重な態度で観察をして行きませんと、これをもって学術的に利用することができないというふうに考えております。(P115)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

10 これは、書物自体からは、今御紹介いただいたことぐらいしかわからなくて、発行所がどこにあって、だれが翻訳して、原本がどこにあるとかいうようなことが、全くこれではわからないわけですね。(P115-P116)

 (うなずく)


11 ほかとの史料で比較すれば信用できるんじゃないかという指摘もあるんですけれども、これはどうでしょうか。

 こういう形で刊行され、しかもそれが非常に多くの部数が出回っているということは、まれな現象ではないかというふうに思います。

 もちろん、だからと言って、そこに記載されている事実が間違っているとは断定ができませんけれども、しかしながら慎重に検討して行かないと、これを採択できるかどうかということは決め難いというふうに考えております。


12 それから、アメリカ軍関係の調査記録についてお尋ねしますけれども、この昭和五八年ころまで、この本件検定が行われるころまでに、アメリカ軍による調査記録は、一般的に研究者が研究対象として利用できる状態であったんでしょうか。

 この石井部隊幹部に対してアメリカのバクテリア・ウォーの専門家たちが尋問をして、それをまとめた幾つかの報告書ないしはそれに関連する文書というものは、アメリカのナショナル・アーカイブ、則ち国立公文書館、その他政府機関に保管をされていたようでありますけれども、これがいつの時点で一般公衆に見られるようになったのか、これは特に政府側から公示するという行為がありませんので、たまたま偶然解禁になっているということを知って、だれが最初に見に行ったかということは、私自身もまだ調査しておりませんけれども、昭和五十六、七年ごろにその存在に気付いてこれを読みコピーをした人たちが日本にもいるという程度しか、今のところは申せません。


13 そうすると、研究者が一般的に利用できるような段階にまで至っていなかった、というふうに伺ってよろしゅうございますか。

 そう思います。


裁判長

14 アメリカでも公開されていたかどうかという点は、どうなんですか。

 五七年以前に公開をされていたことは確かでありますけれども、「このたび、こういうものを公開した。」ということを、その都度政府が発表するわけではありませんので、たまたま情報をつかんで聞くと、そういうものがあるということを教えてくれることから史料を見に行く、というケースが今でもほとんどでありまして、従って私の推定では昭和五十六、七年ごろに初めてアメリカ人・日本人の研究者ないしはジャーナリストが、この史料の存在、しかもそれが既にオープンされているということを知ってこれを読み始めた、というふうに理解をしておしります。(P117)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

15 そうすると、その公開の手続というのが必要なのは、何か一定の種類の文書であって、本件のおっしゃる調査記録というのはその手統が必要でないという、そういう種顆の文書だと、こういうことになるんですね。(P117-P118)

 これは、大雑把に言って、二つの解禁方法があります。一つは、三〇年原則あるいは二五年原則とも言われておりますけれども、一定期間たちますと自動的に解除される。従って、それ以降そこへ見に行った人は読むことができるという場合と、アメリカでは情報自由化法という法律がありまして、これに基づいて政府にこういう文書を公開してくれという請求をして、これが妥当であると認められた場合には、今の原則にかかわらず公開される場合がある。

 この場合に、アメリカ市民のみならず外国人も要求する権利があるんですけれども、だれが要求したかどうかというようなことは、私も承知しておりません。

 いずれかの方法で、いずれにしても利用できる状態になったというのが五十六、七年ごろであった、というふうに理解しております。


被告代理人(鈴木)

16 そこで手に入れられる、あるいは閲覧できるアメリカの調査記録の持つ歴史学という学問上の位置付けは、どのように考えたらいいでしょうか。

 何と言いましても、石井部隊の活動、即ち七三一部隊の活動については、これは日本軍の一部であったわけですから、日本軍自体の公式資料、これが筆頭に、位するベきものであるということは、当然であります。(P118-P119)

 しかしながら、それらの大部分は、終戦期に減失されたというふうに聞いておりまして、従って次いで石井部隊の幹部に対してアメリカ軍が尋問をしてまとめた記録が次頭の価値を持つ史料だというふうに考えます。

 しかしながら、これも当時占領下という状況で米軍が尋問したその結果でありますから、当然そこに自由な告白があったか否か、ある種の無形の圧力もあり得たんではなかろうか。逆に幹部のほうがすべてを率直に答えたかどうか、この辺に疑問がありますので、相当慎重に扱って読まなければならないものであるということは確かでありますけれども、いずれにしてもハバロフスク裁判のように非公開裁判によってまとめられた記録よりは、遥かに価値が高いと考えております。(P119)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

17 先ほど、私が大きく三つに分類した最後の、元隊員の証言と言うか供述と言いますか、聞書きですね、隊員から聞いた事実をまとめた、いわゆるオーラル・ヒストリーということが現代史の研究においては史料の発掘という点で脚光を浴びているようですけれども、特にこの本件の場合は森村さんの「悪魔の飽食」というのが最初の著作で、元隊員からの聞書きというのがかなりのウエイトを持っているんですけれども、この歴史研究上における位置付け、歴史学上の史料としての扱い、これについて証人はどのようにお考えでしょうか。

  ……オーラル・ヒストリーあるいはヒアリングは、極めて重要な分野だと私は認識はしておりますけれども、しかしながら文書史料と比べましたときはその価値は著しく減じます。(P119-P120)

 従って、私自身歴史家としての調査あるいは執筆に当たって、あくまでも文書を主とし、オーラル・ヒストリーは従とする。

 オーラル・ヒストリーの場合は、必ず二回以上の裏付けを採る。あるいは文書との裏付けを接合する、というような方法で利用しているわけでありまして、更にオーラル・ヒストリーの場合は本人が率直に正直に話しているのかどうかということに対するクリティークというものが当然必要になって参りますし、またオーラルでしゃべる方が、後ほどいろいろな本を読んでそれと自分の経験とを混同してしまう、というようなこともありますので、時間が経過した後の口頭証言というものは、極めて慎重に扱うべきものである、というふうに考えております。


18 一般論としてお伺いしたわけですけれども、具体的に森村さんがお書きになった「悪魔の飽食」の元隊員の証言ということについては ー 「悪魔の飽食」はお読みになっていらっしゃいますね。

 (うなずく)


19 そこで出てくる人たちの聞書きというものについては、どのように御覧になっていらっしゃいますか。

 森村さんの著作の大きな特徴は、証言者がほとんど全員、いわゆる下級隊員であるということであります。(P120-P121)

 更に、この下級隊員の場合も、実名を出している場合、あるいは実名とともに経歴を出している場合、ほとんどありません。

 で、石井部隊は幹部はすべて医師の資格を持った研究者でもって構成されていた部隊であります。

 従って、医師が中心となる上級隊員の証言が全く欠けているということは、この本の信頼性を著しく弱めるものという判断をしております。

 理想的に申せば、上級隊員の証言及び下級隊員の証言が両方過不足なくそろっているということが必要であり、更にこれに文書的な裏付けがあることが望ましい、と考えております。(P121)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

20 もうちょっと、森村さんの著書についてお尋ねしますけれども、森村さんは前回この法廷で「悪魔の飽食」は元隊員の証言を集めた点に特色があるというふうなことを供述されて、いわば研究論文の一つに挙げてもいいんではないかという趣旨の証言をされているんですけれども、証人はこの「悪魔の飽食」という著書についてはどのように御覧になりますか。

 幾つかの問題点があると思います。

 一つは、その著書がだれであるかということが、必ずしも明確ではないという点でありまして、共産党特報部長の下里さんという人−これは、森村さんが「ペア・ワーカー」と呼んでおりますけれどもーどうも実際の調査をし、まとめをやったのは、この下里さんのほうで、森村さんはいわばリライターのような存在ではなかったかという疑問を持ちました。

 それから、この 森村さんの著作はアメリカ軍の史料も使っておりますけれども、英語の理解力と申しますか、その点に若干の問題があるようでありまして、たとえば後に出ました常石さんの本はアメリカの史料を主なものを翻訳しておるんですが、これと照合しましても非常に食違いが多い。(P121-P122)

 たとえば人体実験に関する記述はフェル・レポートにおいて出てくると常石さんは言っているわけでありますけれども、森村さんはフェル・レポート、トンプソソ・レポートに基づいて書いたというふうに言っておられますが、この場合のフェル・レポートはサンダース・レポートの間違いではないかというふうに思います。(「ゆう」注 これは秦の誤り)

 それから、OSSの長官であるドノヴァンーこれは「Donovan」というスペルでありますけれども−これを「ダナハン」というふうに訳していたり、こういう種類の誤訳が非常に多いと、まあここら辺りは非常に問題であろうかと思います。

 また、この著者と目すべき二人の方は、いずれも医学上の知識は乏しいと思いますけれども、この件を扱うためには相当の医学知識を必要とするにもかかわらず、医学者あるいは医師にチェックをしてもらったという形跡もない。

 従って、非常に興味のある本ではありますけれども、これは一つずつ裏付けを採って行かないと学術的著作において無条件で利用することは極めて危険である、と判断しております。


21 「悪魔の飽食」の記載に関連して、今幹部隊員は専門家、つまり医者、医学上の知識・経験、そういう専門事項に係わる事柄であったので、「悪魔の飽食」に記載された点も、こういう専門的事項に沿っての証言の扱い、これはどうでしょうか。今、ちょっとお触れになりましたけれども、もう一度。(P122-P123)

 一例を申しますと、生体実験を七三一部隊がやったかどうかということが問題になっているわけでありますけれども、この「生体実験」という表現自体が非常にあいまいな表現でありまして、医師が治療をする場合に、いろいろなテスト的な治療をするという場合も多々あるわけであります。

 従って、生体実験か、あるいは医療的な実験と申しますか、そういうものとの境界線を非常に厳密に扱わないと、下手をすると通常の診療行為まで生体実験に含められてしまう虞がある。

 この辺を厳密に区別しなければならないにもかかわらず、その辺の配慮がどうも足らない、というふうに思いました。(P123)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

22 私が大雑把に三つに分類して、その一つ一つを伺ったわけですけれども、いずれこの三つの史料の信憑性については更に慎重な検証が必要だというふうに今お伺いしたんですが、それでよろしゅうございますか。

 はい。もう一つ追加しますと、いわゆる偽写真の問題があります。

 即ち、明治四四年、南満州において流行したベスト治療に当たった医師たちの写真を生体解剖の現場であるというふうにして本の巻頭に何枚か付された。

 しかも、これが、元は実はペスト治療のときの写真であるということがわかって大騒ぎになったことがありますけれども、これは単なる不注意だというふうに森村さんは説明をされておりましたけれども、私は必ずしもそうは思えない。(P123-P124)

 いろいろな観点から、ある程度そうだと知りつつ写真を使用したのではなかろうかという疑問を持っております。

 たとえば、説明文が付いているわけでありますが、前の説明文を消して新たに説明文を書き加えているわけです。これは、どうも、単なる不注意によって起きたと思われない根拠の一つであります。


23 それでは、昭和五八年当時、つまり本件検定が行われた当時の、専門的な学術研究の状況についてお尋ねしますけれども、原告の第二準備書面の六一ページから六三ページにかけて、当時あった史料として,ら瓦泙琶幻イ魑鵑欧討りまして、,慮判記録はとが複製でダブっております。

 の島村喬の「三千人の生体実験」もГ撚訂出版されておりますから、二二あるうちの一九点ということになりましょうか、六四ページに「これらのおびただしい文献等によりその史実は動かしがたい事実であることは明白である。」というふうに御主張されておるんですけれども、証人はこの文献などから「史実は動かしがたい事実」だというふうな主張については、どのようにお考えでしょうか。

(原告第二準備書面を合わせ示す)

 学術的研究書というレベルで考えますと、この中にはそのレベルのものはほとんど含まれていないと考えます。(P124-P125)

 また、個人の回想記的なものも、七三一部隊の中核にいて全体を眺望し得るような立場にいた人の回想は含まれておりません。

 大体、下級隊員の手記であったり、あるいはジャーナリストが又聞きのデータによって構成したものが非常に多い、という印象を持っております。


24 原告第二準備書面の六四ページに「特に現代史においては、ルポライターやジャーナリ ストが史実を発掘する例がしばしばみられるところである。要はいかなる方法によっていかなる結論を出したかという内容の優劣の問題なのである。」という御主張があるわけです。

 原告の一つの主張ですけれども。この本件検定当時におけるルポルタージュとか、そういうものの関係文献についての学問的位置付けと言いますか、それについてもう一度コメントをいただくとありがたいんですが。


 この段階以降、七一三部隊に関する学術的研究はかなりの進歩を遂げております

 しかしながら、五八年当時においては極めて不十分でありまして、特に教科書に採用できるほど学術的研究がまとまっていたというふうには、思っておりません。(P125)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

25 それから、森村さんの「悪魔の飽食」についてコメントをいただきましたけれども、原告が本件検定意見に対して異議の申立をした異議の申立書が出ているんですけれども。

甲第一八号証を合わせ示す

 その中に、「七三一部隊のことは、学術書では、つとに家永三郎『太平洋戦争』に記述され」ていると、御自分の著書である「太平洋戦争」というのを学術書の一つ ー それだけしか出ていないんですけれども ―に挙げているんですけれども、この「太平洋戦争」の評価と言いますか、あるいはその中でとりわけ七三一に関連する部分について、証人が御覧になった意見をお聞かせいただければと思いますが。(P125-P126)

甲第二四五号証の一を合わせ示す

 二一六ページの後ろから四行目以下− 「七三一部隊とは」として、この次の二一七ページまで触れておるんですけれども。

原告代理人(小林)

26 御発問の趣旨は、「太平洋戦争」のこの部分の記述についての証人の意見を伺いたい、というんですか。

被告代理人(鈴木)

27 まず全体をお読みになった意見と、特に七三一部隊に関する二一六ページの後ろから四行目以下の記載。あるいは同じなら同じで結構ですけれども。全体についてのコメントでも、あるいは。それから、とりわけ、「二一六ページの七三一部隊の記述についてのコメント。両方、意見があれば述べていただきたいです。

 まず全体の印象から申し述べたいと思います。総合的な印象と致しまして、家永さんの「太平洋戦争」という著述は、われわれ歴史研究者の立場から申しますと、いわゆる学術研書とは申しにくいのではないかと考えております。(P126-P127)


28 たとえば、具体的に、どのような点からということを話していただけますか。

 一例を挙げますと、三四七ページ、これは「あとがき」の最後の部分でありますが、「一九六七年一一月一五日」 ― これは初版発行の数箇月前に当たりますが、「日本有志の協力による米航空母艦乗組員四名脱走の快ニュースに接した日/家水三郎しるす」とあります。

 更に二七二ページ、おしまいから三行目でありますが、戦後の日本につきましてだと思いますが、「新しい侵略者である米軍と軍事的結託を続けている背徳的行為」という表現があります。

 この本は、後にアメリカで英訳版が刊行されておりますけれども、以上の二点は英訳版には入っておりません。

 次に三二〇ページを見ていただきたいと思います。注の(20)の五行目でありますが、終戦の時点を指していると思います。

 「その沖縄県を平和の回復とともにアメリカに売り渡したのは、何という残酷な行為であったろう。」−これは、英訳には入っております。

 いずれに致しましても、これは政治的な意図、あるいは感情的な要素が、あまりにも強過ぎて、客観的な、客観性に乏しく、いわばこうした感情の下にこの本全体が書かれているという印象を持ちます。これが、第一の理由であります。(P127)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

29 ほかにございましょうか。

 次に、一二ページを見ていただきたいと思います。真中辺でありますが、「一九五三年池田ロバートソン会談において、日本人に軍国主義意識を培養する必要のあることが日米両政府の合意事項として確認されて以来、」という表現があります。(P127-P128)

 この池田ロバートソソ会談の議事録、オフィシャルなものはいまだに公開されておりません。従って、この記述が何を基にされているのか、必ずしも明確ではありません。

 これは脚注を見ても、同じく家永さんの書かれた別のものが出ておるわけでありますが、私の推定では「日教組一〇年史」あるいは「二〇年史」の記述ではないかというふうに推定を致しますが、更にこの「日教組一〇年史」などは、そのソースとしては会談当時の朝日新聞の推測記事が基になっているようであります。

 従って、新聞が会談進行中、しかも現在でも議事録が公にされてないこの会談の中身を、いわば推測で書いたものを断定的に「合意事項として確認」というような書き方、これは学術的態度とは申せません。

 更に、この中で軍国主義意識を培養する」とあります。これは英語版では、「Promote militarism」となっておりますが。


原告代理人(小林)

30 今証人が繚々述べられておりますようなことは、私ども、いろいろな証人がお書きになっているもので承知しておりますし、それなりの反対尋問の準備もしておりますけれども、今ここでは七三一部隊に関する記述の学問的研究書と言えるかどうかの問題であって、今のような点は一言言って通過していただいていいんじゃないでしょうか。(P128)

 「太平洋戦争」全体についていろいろ長い時間を費やすということは、訴訟経済上、適当ではないと思います。


被告代理人(鈴木)

31 私のほうは、検定当時の歴史学上の研究状況というものの文献として原告がお書きになった「太平洋戦争」を挙げておられますから、その学術書である「太平洋戦争」についてのコメントをいただいていると。

原告代理人(小林)

32 ですから、そんな関係に言及するなと申しているわけじゃないんです。ここでは七三一部隊の問題なんで、ですから、そこに焦点を合わせて、その周辺の間接的なことはほどほどに収めていただかないと。

裁判長


33 重要な史料として出ているものですから、全体的な問題点をお聞きになるのはいいんですけれども、バランスを考えてください。(P129)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

被告代理人(鈴木)

34 では、全体の趣旨はその程度にしていただきまして、七三一部隊に関連する部分に限定して、お述べいただきましたことに更に付け加えることがございましょうか。

 三一六ページに、二一六ページから二一七ページにかけての記載に関連した、参照史料と言うんですか、文献として五点ほど挙げてありますが、これを含めて御説明いただければありがたいんですが。
(P129-P130)

 訴訟上の時間節約ということでありますけれども、全体の印象の中からもう一点だけ付け加えさせていただきたいと思いますが、一七五ページの二行目であります。

 「牟田口廉也は、盧溝橋事件の際の現場の連隊長であったところから、『蘆溝橋で第一発を撃って戦争を起こしたのはわしだから、わしがこの戦争のかたをつけねばならんと思うてをる』といった功名心にかられ、」云々という表現があります。

 しかしながら、蘆溝橋事件の第一発はいまだに確たる学術的結論が出ていない問題でありまして、ここはソースが書いてありませんので、どこから採られたものかわかりませんが、牟田口は別の言い方もしておりますので、こういうのは非常に重要な事件でありながら、こういうふうに簡単に片付けて結論を出してしまうというようなところは、大変問題である。

 これは同じ本の中で、九一ページで、同じ蘆溝橋事件を扱いながら、こちらのほうは別に日本側が第一発を撃ったというふうには書いてない。その点は、矛盾がございいます。

 全体の印象はこのくらいにとどめまして、七三一部自体の部分でありますけれども、三一六ページに、この部分のソースが出されております。

 これを見ますと、まず問題のありますハバロフスク裁判の供述が主体になっているように思われますが、そのほかのものは全部「文芸春秋」あるいは「日本」という雑誌の記事であります。(P130-P131)

 そのうちの一つは、執筆者が「秋山浩(変名)」とあります。変名で雑誌に書いた記事は、通常学術研究者は利用しないものであります。

 また「成智英男『平沢貞通は真犯人ではない』」という論文がやはり出ておりますけれども、この成智氏の書いたものは極めて内容が不正確であるというふうに、私は判断をしておりまして、しかもこのタイトルからわかりますように、七三一部隊自体を解明するために直接有用なデータとは言えない、というふうに考えております。


35 先ほどの原告第二準備書面の六四ページで、先ほど読み上げた部分の続きとして 「前記の文献のうち、研究者の手によるものとして原告の 『太平洋戦争』の他、科学史を専攻する研究者である常石の二つの著書などがあり、」として、常石さんの二つの著書というのを援用してあるんですけれども、この常石さんの著書については、学問的な評価としては、どのように認識されておりますか。

 内容的には学術的にかなり高いものだという印象を受けますけれども、残念ながら形式が不十分であるがために、学術的ソースとして直ちに利用するのは非常に問題がある、というふうに考えております。(P131)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

裁判長

36その形式というのは、何ですか。(P131)

 たとえば学術研究書の場合、これは欧米ではもう少し厳しく、一般書であっても、フットノート、即ち注を付けるのが当然でありますけれども、我が国においても学術研究書である限りは注が付くのが、いわば形式的な前提になると思います。

 この本は、その注が付いておりません。

 で、参考文献リストが巻末に出ておりますけれども、この内容の記述はこの中のどれから採ったのかという非常に重要な部分についての照合ができないという点、私はこれは非常に致命的な欠点であろう、というふうに考えます。(「ゆう」注 秦郁彦『南京事件』も同じ形式のはず。しばしば出典不明の記述が出てくる)

 私の印象としては、ここに並んでおる、いろんな参考文献のうち、基本はハバロフスク裁判の記録だろうと推定をしておりますが、この記録は先刻も申しましたように、極めて慎重に扱わなければならない、いわば史料の出所が確かでないものだ、ということであります。

 それから、著者は物理学の専攻であって、医師ではありません。また軍隊経験もないということからおそらく来る疑問の箇所がかなりございます。

 但し、断定が少ないという点では、この著者の良心的な態度、学術的な態度を示しているんでありますが、しかし、全くの推測だが生体実験は、と、一九三八年ごろから、と、非常に重要な部分について、全くの推測だ、というように断わって記述がある。

 こういうことは大変問題であろう、と。

 更に、序文の一番最初の書出しが、五味川純平の小説に―主人公が病院で傷の回復とともにネズミ取りに従事させられたと、三〇〇万匹のネズミ取りは七三一部隊のためであった、というふうに、全然検証なしに始めていらっしやる。(P132-P133)

 つまり、学術書の一番トップが小説から始まる、と。

 しかも、この小説がノンフィクション的要素があるか否かについての検討が行われていないというふうに、多々問題がございます。

 更に、内容的に申しましても、七三一の研究上、極めて重要な問題点とされている部分については明確な結論は出ていない。

 また、矛盾する記述が多々あるという点から、非常に著者のこの件に向かう態度は非常に真摯であろうと私は思いますけれども、学術的史料としては非常に難がある。

 非常に注意して利用しなければならない、というのが私の印象であります。(P133)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

被告代理人(鈴木)

37 常石さんに関連して今おっしゃっているんですけれども、医学論文を評価するについては相当の医学的・専門的知識が必要だと考えるわけですけれども、歴史学と医学論文との関係で記述する場合に、それが歴史の位置付けに関係するような論文の場合ですと、どのような配慮がされていましょうか。

 当然、必要な範囲内で医学の勉強をする必要もあろうかと思いますけれども、これは相当やっても大したレベルにはおそらく達しないであろう。

 従って、通常の研究者が留意すべき点は、−つの仮説なり結論に達したときには、医師の友人なり何なりに確認をする。更に、その医師に確認してもらったということを公示する。これが、最低限、研究者として心掛けるべき必要な事項であろうというように考えております。(P133-P134)
(「ゆう」注 秦郁彦『日本の細菌戦』には、「確認してもらった」「医師」の名など登場しない。自己矛盾


38 本件で争点になっております昭和五八年度の本件検定当時の、いわゆる七三一部隊の学問的な研究状況、学界の研究状況は、どのような御理解でしょうか。

 七三一部隊の活動について、幾つかの問題点があるわけでありますけれども、組織としてこの部隊が何を目的としていたかということが、いまだに明確ではありません。

 人によって意見が分かれておりまして、他国が既に細菌兵器の研究を開始しているので遅れてはいかんというのであわてて追い付くためにスタートしたという見方もあれば、あるいは石井という部隊長の特異な性格によって陸軍幹部を説得してこういう部隊を編制したのであろうというふうな、この部隊の本来のスタートの目標についてもまだ明確な結論は出ていないと思います。

 また、いわゆる細菌兵器についてどの程度の成果が上がったのかということについても、これは米軍の報告書ですらまちまちでありまして、かなりの段階まで実用化できたという見方と、結局は失敗であった、実用化にはほど遠いものであったという見方もありまして、そういう基本的な点についての結論は現段階においてもいまだ出ていない、と見たほうが妥当かと思います。


39 結論を伺いますと、問題となった本件原稿記述は「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」と、こういう記載が問題になっているんですけれども、五八年当時の学界の研究状況に照らして、この記述はどのように御理解したらよろしゅうございましょうか。

 個人の研究書において記述することはもちろん自由だと思いますけれども、教科書にこのような形で記載するというのは時期尚早である、というふうに思います。(P135)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

40 もうちょっと具体的に、要するに七三一部隊の設置と、そこにおける生体実験に関する部分という点について見れば、どうでしょうか。

 設置の事情については既に申し述べましたので省略致しますが、問題の人体実験ということも、先刻申しあげような、「人体実験」は、どこからどこまでが、いわゆる悪名高い人体実験に入るのかということについて、まだ学術的な詰めが行われていない。

 従って、被害者数千人というような表現ではありますけれども、それが初めてある程度の了解ができてからですね、数の問題がおそらく議論されるべき問題だろうと思いますし、また下級隊員の証言にほとんどよっているということは非常に問題でありまして、たとえば常石・朝野両氏の善かれた「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」という本を見ましても、その一九七ページに「衛生兵、下士官クラスは通常、人体突放に直接タッチすることがなかったためである。」という表現があります。即ち、下級隊員が人体実験について語っていることはいずれも伝聞であるというのが、常石・朝野両氏の見解だろうと思いますし、私も同様に推測をしております。(P135-P136)

 従って、人体実験についてはもう少し学術的な詰めが行われない限りにおいては、個人の学術研究書においても、これを具体的に記述することにはためらいのある人が少なくないと思われますし、教科書などに記述する場合は尚更のことだと判断致します。


41 先ほど、証人は七三一部隊について研究中で、まだ著書は出していないけれども、いずれ決定的な史料などの検討によって成果がまとめられれば書きたい、というようなことをおっしゃっていましたけれども、具体的には、どのようなことをお考えになっていらっしゃるんですか。

 私のみならず、七三一部隊の研究をしている人はほかにもおりまして、そういう人たちとは情報交換もしておりますけれども、われわれ研究者の第一の関心はアメリカが尋問致しましたフェル・レポートがいまだに見付からないということで、どうやってこのフェル・レポートを見付けるかということが今の最大の関心事であります。

 なぜかと申しますと、それに先立つサンダース・レポート、トンプソン・レポートにおいては人体実験に関するものは一切証言がなく、ところがその後になってアメリカ側はソ連側からの通報によって、人体実験をしているのではないかという疑問をもって、フェルを日本に派遣して、一九四七年にもう一度再尋問をしております。

 このとき、石井部隊長以下数名がそのことを認めたと言われておりますけれども、それを記述したフェル・レポートがいまだに見付からない。

 但し、フェル・レポートにはこういうことが書いてあるという間接の報告書、これは常石さんの本にも出ておりますけれども、しかし、肝腎の、いつ、どこで、だれが供述したか、ということはそれだけではわからない。

 従って、このフェル・レポートが出てくるまでは、相当な根拠をもって学術的に処理できるという段階にまでは達していないと思われますので、私としてもその辺を考えながら執筆の機会、まとめの機会を見送っているというのが実情であります。


後に提出する乙第一一九号証を合わせ示す。

42 三七八ページの後ろから五行目 − 「フェル博士を派遣し、」云々、「人体実験に関する 『六〇ページのレポート』である。このレポートは有名ではあるが、一九八三年夏の段階ではその所在すら確認されていない、という。」 − このことを、おっしゃっているんですね。

 そうです。(P137)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

43 次の三七九ページに、その要約が収められているということを、先ほどちょっと御紹介された、そういうことですね。(P137)

 はい。


44 これは、一九八三年の夏の段階で、わからない、と。今年は八七年なんですが、まだわかっていないんですか。

 そういうふうに、私は聞いております。


45 いずれにしても、この「標的・イシイ」というのは、昭和五九年ですから、検定後に出版された書物で、もちろん五八年はだれもわからなかったわけですね。

 そうですね。


46 最後に、この部分について ー 教科書の原稿ですけれども − 検定意見としては「学界の現状は史料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまでに至っていないので、これを教科書に取り上げることは時期尚早であるごという判断を示したんですが、これについては証人はどのようにお考えでしょうか。

   同感であります。


47 最後に、本件検定について、証人の何か意見があれば、伺いたいんですけれども。

 家永さんは、一九四七年にお書きになった 「新日本史」という著書の中で、日露開戦を決したときの明治天皇のことについて、次のように書いておられます。

 「御悲しみのためしばらく御言葉がなく御目には御涙をたたえさせられていたと伝えられる」と。

 ところが、昭和五一年に刊行された、同じ家永さんの 「昭和の戦後史」という本の中で、有名な天皇・マッカーサー第一回会見を描写して「開襟シャツスタイルの連合軍最高司令官マッカーサーの横に背の低いモーニング姿の日本人が並んで立つ写真が新聞紙に掲載されたのを見た国民は」 ― 同じ対象に対して、三〇年 間にこれだけ大きな振幅を示した歴史研究者は、極めてまれであろうかと思います。

 従って、私は、こういう振幅の多い方は、次代の青少年を教育する教科書執筆には適当ではない、と考えております。

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 

 反対尋問に続く

(2020.9.3)


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