コミンテルンは「戦争」を指示したか?

コミンテルン第六回大会決議をめぐって



 さて、三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』では、 尾崎秀美を中心とするグループが、「戦争を煽れ」とのコミンテルンの意を受けて、「日中和平交渉」を潰したことになっています。

 しかしその一方、戦前、現実の日本共産党が、一貫して「戦争反対」の立場をとっていたことは、あまりにも有名です。

 この矛盾を一体どう捉えたらいいのか。本コンテンツでは、三田村の記述を確認しながら、一体コミンテルンが、実際にはどのような方針を持っていたのか、ということを見ていきたいと思います。




 まずは、三田村の記述を確認しましょう。三田村は、コミンテルン第六回大会の決議を要約し、これをコミンテルンの「戦争奨励」方針の根拠としてみせます。

三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より

 コミンテルン第六回大会の決議

 このレーニンの「帝国主義戦争から敗戦革命へ」の戦略的、戦術的展開を一九二八年(昭和三年)のコミンテルン第六回大会に於て採択された決議 「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」からその要点を抜き出してみよう。

 「最近帝国主義諸国家の政策は、反ソ政策と中国革命圧迫の方向に一歩前進して来たが、同時にまた帝国主義諸列国相互間の反目抗争甚しくなり、 反ソ戦に先だちて帝国主義国家間に第二次世界戦争勃発の可能性が高まりつつある。(P37-P38)

 かかる客観情報は、第一次大戦に於てソ連のプロレタリア革命を成功せしめたと同様に来るべき世界大戦は、国際プロレタリアートの強力なる革命闘争を誘発し前進せしめるにちがひない。

 したがつて各国共産党の主要任務は、この新なる世界戦を通じてブルジョア政府を顛覆し、プロレタリア独裁政権を樹立する方向に大衆を指導し組織することにある」


 「資本主義の存続する限り戦争は避けがたい。だから戦争を無くするためには資本主義そのものを無くしなければならないが、資本主義の打倒はレーニンの実証した如く革命によらなければ不可能である。

 したがつて世界革命闘争を任務とするプロレタリアートは総べての戦争に、無差別に反対すべきではない。即ち各々の戦争の歴史的、政治的乃至社会的意義を解剖し、 特に各参戦国支配階級の性格を世界共産主義革命の見地に立つて詳細に検討しなければならぬ。

 現代の戦争は、帝国主義国家相互間の戦争、ソ連及革命国家に対する帝国主義国家の反革命戦争、プロレタリア革命軍の帝国主義国家に対する革命戦争の三つに分類し得るが、 各々の戦争の実質をマルクス主義的に解剖することはプロレタリアートのその戦争に対する程度決定に重要なことである。

 右の分類による第二の戦争は一方的反動戦争なるが故に勿論断乎反対しなければならない。また第三の戦争は世界革命の一環としてその正当性を支持し帝国主義国家の武力行使に反対しなければならないが、 第一の帝国主義国家相互間の戦争に際しては、その国のプロレタリアートは各々自国政府の失敗と、この戦争を反ブルジョア的内乱戦たらしめることを活動の主要目的としなければならない
(P38-P39)

 「共産主義者の帝国主義戦争反対闘争は、一般平和主義者の戦争反対運動とその根底を異にしてゐる。われわれはこの反戦闘争をブルジョア支配階級覆滅を目的とした階級戦と不可分のものとしなければならない。蓋しブルジョアの支配が存続する限り帝国主義戦争は避け難いからである − 」

帝国主義戦争が勃発した場合に於ける共産主義者の政治綱領は、

 (1) 自国政府の敗北を助成すること

 (2) 帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめること。

 (3) 民主的な方法による正義の平和は到底不可能なるが故に、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること

 である。


(以下略)」(P39)


(以上前掲第六回大会決議、一、帝国主義戦争の危機、二、プロレタリアの戦争に対する態度、三、プロレタリアの軍隊に対する関係―から抜粋)(P40-P41)

*長文となるため、後半部分は省略しました。 三田村の要約全体を確認したい方は、こちらをご覧ください。



 この種の文章の類に洩れず、やや生硬で読みにくいものになっていますが、三田村はこの文章をこのように「解説」します。

三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より


 以上によつて、資本主義国家の共産主義が戦争の場合に如何なる態度を取るかが明かにされた。

 即ち資本主義国家と資本主義国家間の戦争は、これに反対するのではなく、これを奨励し推進し、 しかもこの戦争の結論に対しては自国政府の敗北を助成し、この戦争を通じてブルジョア政府とその軍隊を自己崩壊に導き、戦争から革命への戦略コースを巧妙に大胆に実践せよと言ふのである。

 このレーニン及びコミンテルンの敗戦各面への戦略戦術論が日本の軍部及政府に対して、如何に巧妙に精緻に、しかして美事に適用されたかの具体的事実については後に詳しく述べる。(P41)



 コミンテルンが「戦争」を「奨励し推進」する立場をとっている。しかし現実の戦前日本共産党は、「戦争反対」の立場を貫いていた。 ― 読者の方も、どうなっているのか、と首を捻ってしまうかもしれません。

 しかしよく読み返すと、三田村が要約した「コミンテルン決議」の文章の中には、「奨励し推進し」との文字は見えません。 この部分は、三田村の「作文」であったのかどうか。大月書店刊『コミンテルン資料集』第4巻により、決議録を確認してみましょう。

*決議録の全文は、こちらに掲載しました。
 コミンテルン第六回大会決議 帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務(テーゼ)

 ただしものすごい大長文ですので、ご注意ください。





さて、一見して気がつくのは、そもそも題名からして三田村の紹介とは違うということです。上の三田村による要約をもう一度ご覧いただきましょう。

三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より

 コミンテルン第六回大会の決議

 このレーニンの「帝国主義戦争から敗戦革命へ」の戦略的、戦術的展開を一九二八年(昭和三年)のコミンテルン第六回大会に於て採択された決議 「帝国主義戦争と各国共産党の任務に関するテーゼ」からその要点を抜き出してみよう。(P37)



ところが、『コミンテルン資料集』に掲載されている題名は、こうです。

大月書店『コミンテルン資料集』第4巻 目次

共産主義インタナショナル第六回大会(1928.7.17〜9.1) <資料51〜57>

資料54 帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務(テーゼ)


*「共産主義インタナショナル」は、「コミンテルン」の別名です。念のため。


 なぜか三田村の紹介では、「(帝国主義戦争に)反対する」の語句が、すっぽりと抜け落ちています。 つまり実際の題名では、コミンテルンは戦争を「奨励し推進」するどころか、明確に「反対する」ことを指示しているわけです。

 原文がわかりませんので三田村が意図的に落としたものであるかどうかの断定は避けますが、もし意図的だとすれば、かなり悪質なトリミングです。




 実際に「決議」文を見ていきましょう。すると、こんな一節に突き当ります。

帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務

A プロレタリアートは帝国主義戦争に反対してたたかう

 1 帝国主義戦争の勃発前における帝国主義戦争反対の闘争


(一一) 帝国主義戦争に反対する共産主義者の闘争は、あらゆる色合いの平和主義者の「戦争反対の闘争」とは根本的に異なっている。(P379-P380)

 共産主義者は、戦争に反対する闘争を、階級闘争から切り離して考えることをせず、それを、ブルジョアジーの打倒をめざすプロレタリアートの一般的階級闘争の一部分とみなしている。

 共産主義者は、ブルジョアジーが支配しているかぎり、帝国主義戦争は避けられないことを、知っている。

 この客観的な発展傾向の確認から、ある者は、そうだとすれは、ことさらに戦争に反対する闘争をおこなっても無意味だ、という結論を引きだすことだろう。 そればかりか、社会民主主義者は、共産主義者が革命の到来を早める目的で帝国主義戦争をあおっていると言って、非難することさえやっている。

 前者は誤りであり、後者はばかげた中傷である。 共産主義者は、帝国主義戦争が避けられないことを確信しているとはいえ、この戦争のために苛酷きわまる犠牲を強いられる労働者大衆とすべての勤労者との利益のために、全力をあげて帝国主義戦争に反対し、 プロレタリア革命によって戦争を予防するために、ねばりづよくたたかうのである。

この闘争においては、共産主義者は、戦争の勃発そのものを防止できなかった場合には、すでに開始された戦争をブルジョアジー打倒のための内乱に転化することができるように、 大衆を自己の周囲に結集するのである。(P380)



 明確に、「帝国主義戦争」に反対する旨が指示されています。戦前の日本共産党の「戦争反対」方針も、この指示に沿ったものである、と言えるでしょう。




 ただしコミンテルンの方針は、必ずしもわかりやすいものではありません。 「戦争反対」を唱える一方で、「帝国主義戦争」は資本主義社会の必然であると認識し、「戦争」が起ったら、「帝国主義戦争の内乱への転化」のスローガンのもと、その機に乗じて「自国政府の敗北を助成」し、一気に「暴力革命」を成し遂げよう、というのですから。

 また、「帝国主義戦争」に反対しながら、同時に、「社会民主主義者」などの「二度と戦争を起こさせるな」「戦争のボイコット」というような「大言壮語」と戦え (上の引用に続く(一三)部分)、という指示に至っては、一体どうすればいいのか。現場でも少なからず混乱があったのではないでしょうか。

 だいたい、共産主義者たちの「戦争反対」運動の結果、いつまでも「帝国主義戦争」が起きなかったらどうするのか。「戦争反対運動が革命を阻害する」という、おかしなことになってしまいかねません。

 まあそのあたりの矛盾は、当時の「共産主義者」たちに悩んでもらえばいい話であり、今日の我々の関知するところではないのかもしれませんが。

 このあたりの「わかりにくさ」を逆手にとって、コミンテルンの方針を自己流に解釈し、むりやり「コミンテルンは帝国主義戦争を奨励し推進している」ということにしてしまったのが、三田村の論だ、と言えるのかもしれません。



 実際にコミンテルンが「帝国主義戦争」にどのようなスタンスをとっていたのか、についての断定は、ここでは避けます。 ひょっとすると、ソ連の利益になることでしたら、「帝国主義国同士の戦争を歓迎する」ムードは、あったのかもしれません。

 しかし、少なくとも「第六回大会決議」を、コミンテルンが戦争を煽る陰謀を行っていたことの根拠とすることは、到底できない、ということは言えるでしょう。

(2010.8.28)


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