731部隊(12)   中川八洋氏の論稿をめぐって(1)


 「731部隊」シリーズの冒頭にも書いたとおり、「731部隊」について論壇で「否定論」が聞かれることは、全くと言っていいほどありません。「悪魔の飽食」に反発する側ですら、「人体実験」の存在は認めています。そのほとんど唯一の例外と言えるのが、『正論』2002年11月号に掲載された、中川八洋氏『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』です。


 ただし中川氏は、「陰謀論」に傾倒する傾向が強い、「学者」としてはかなりエキセントリックな方です。 例えば戦前の近衛文麿内閣を「正真正銘の共産主義政権」と決めつけるなど、たいした根拠もなく、何でもかんでも「共産主義者の陰謀」扱いにしてしまう悪癖があります。
中川氏の最近のブログ記事では、「共産党員官僚ばかりの環境省」「北朝鮮人で共産党員の菅直人首相」など、いまどき2ちゃんねるでも見ないレベルの、頭が痛くなるようなフレーズが目につきます。日テレ『偽装の夫婦』は、家族解体と日本民族の絶滅を狙う共産党製作の史上最悪の共産革命宣伝ドラマなど、思わず引いてしまいそうなタイトルの記事もあります(このドラマは、沢村一樹・天海祐希主演の、「同性愛」をテーマにしたラブコメディです。私もこのドラマを見ていましたが、さすがにこの「深読み」には驚きました(笑))。
 「731部隊」についても、氏は例によって「ソ連の陰謀」説を唱えます。もはや「ソ連陰謀論」は、中川氏の「脊髄反射」になってしまっている感があります。

 しかしこの論稿を見る限り、氏は「731」について専門的に研究を行っているどころか、その内容は「素人の思い付き」のレベルを脱していません。既往の「731」論議の否定を目的としているようですが、結果として、「トンデモ」の名がふさわしい、頭が痛くなるような「論稿」になってしまっています。
※致命的なのは、氏が、「フェルレポート」「ヒルレポート」について、概説書等に邦訳がある「総論」しか知らないことです。両レポートに付属する「訊問記録」(インタビュー記録)等の英文資料は研究者にとっては「常識」なのですが、氏がこれらの資料をチェックした気配は全くありません。
 以下、見ていきましょう。



 ネットでは、「フェル・レポート」批判の部分が頻繁に取り上げられます。この論稿のハイライトともいえる部分ですので、長文になりますが、まずは関連部分全文を引用します。


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

奇々怪々なフェル・レポート

(略)

 人体実験をしたと主張する米国側の最初の文献は、一九四七年六月二十日付フェル博士の、米国陸軍化学戦部隊長あてに送った「第一レポート」である。そのなかで、旧・石井七三一部隊の「重要人物十九人」が「一ヵ月かけて作成した」と称する「人間を使った細菌戦研究について六〇ページの英文レポート」なるものに言及している。

 しかし、この「六〇ページの英文レポート」を米国に送付した(持ち帰った)形跡はほぼ絶無である。そして、なぜか、その「要約」だけを送付している。

 すなわち、「六〇ページの英文レポート」には十九名のサインがなければならないが、「要約」にはサインは不要であるから、フェル博士が「要約」すべてをでっちあげた可能性が高い(仮説1)。つまり、「六〇ページの英文レポート」は初めから存在しない。しかもこの「要約」は、フェルが在日のソ連工作員から渡されたもの、と見るのが真相に近いだろう(仮説2)

 加えて、ソ連のこの工作に加担して「メイド・イン・ソ連の要約」執筆に協力させられた日本人が旧・七三一部隊の柄澤・軍医少佐(一九五六年十一月、口封じのため殺害?)でないかと思われる(仮説3)。

 そして、同様にフェルも「消された」可能性がある(仮説4)
。ソ連工作員として対日最後通牒ハル・ノートの原案を執筆した財務次官、H・D・ホワイトが一九四八年八月に殺害されたケースと同じかも知れない。

 とくに、「フェル第一レポート」全体は、捏造と推断できる内容に満ちすぎている。端的にいえば、空想された狒呂袁辰竜偽報告″である。

 例えば、石井四郎が「目下、細菌戦計画の全貌について執筆中である」とも述べているが、執筆された形跡は絶無である(仮説5)。仮にそんな計画が存在したとすれば尚のこと、石井は拷問されても書くことはないのは当り前ではないか。

 そもそも七三一部隊の技術水準は、爆弾すら完成させられず、実戦体制に入っていた英国などとは異なって細菌戦を計画立案するレベルにも達していなかった。

 また、フェルが来日中に調査した人物は、「フェル第二レポート」によれば、亀井貫一郎/アラマキ・ヒロト/増田知貞/金子順一/内藤良一/菊池斉/石井四郎/村上隆/大田澄/碇常重/若松有次郎の十一人であるが実際には九人である。(P281-P282)

 亀井は極左のマルキストで戦前は社会大衆党の代議士であり、アラマキはその秘書である。二人とも医者ですらない全くの部外者である。

 このようにフェルが調査した「重要人物」が石井/増田/金子/内藤/大田/菊池ら「数人」しかいない以上、前述の「十九人」という数字がフェルの創り話なのがわかる。

 さらに、家畜に対する防疫を担当した第一〇〇部隊の旧部隊員「二十人」に会ったかのように「フェル第一レポート」はいうが、この数字は幻である。十一人中、一〇〇部隊員は若松獣医少将一人しかいないからだ。つまり、「一人」を「二十人」に針小棒大した創り話である(仮説6)

 もう一つの極めつけは、「中国の市民および兵士に対して野外実験を十二回にわたり行なった」と述べている部分であろう。仮にそんなことを実行したとしても、フェル博士の任意の訊問にそんなことを喋る人間など一人もいない。なぜなら、それはBC級戦犯として自ら処刑されるのを申出るに等しいからだ。フェルの創り話には、もっともらしさもない。子供の嘘のごとき幼稚なものばかりである。

 第二レポートにあるように、全くの部外者で専門家でもない亀井貫一郎やアラマキ・ヒロトをなぜフェルは「調査」したのだろうか。ここにも、フェルの不可解な行動がある。

 第二レポートでの人体実験についての言及はこの亀井が「増田から聞いた」という狹訴后蹐靴ない。しかし、この時インタビューされた増田本人はそんなことは何も語っていない。フェルが亀井と共謀して、「増田が証言した」かのようなトリックとして考えついた亀井の偽証であろう(仮説7)

 亀井貫一郎もソ連の情報工作員であった可能性が高い(仮説8)。亀井はアメリカ共産党員党員(入党は一九一九年か?)とも推定される

 フェル博士は、米陸軍細菌兵器研究所キャンプ・デトリックのパイロット・プラント・エンジニアリング部の主任であるが、軍医(軍人)ではない。その経歴は調査する必要があるが、自らのレポートにこれだけの創作話を書くとすれば、そして第一レポートの内容が二年半後のハバロフスク裁判での「偽証」と同一であることを考えれば、フェルがソ連のエージェント(工作員)であった(仮説9)、と推定できる。

 しかし、第一レポートにある、全面的な創作であろう犖犬力察札據璽犬留冓献譽檗璽函蹐痢嵳很鵝廚蓮∧胴饑府・軍内を徘徊したらしく、一九四七年八月五日付で海軍情報局長が関係者に配布している。

 しかし、米国政府・軍に対するフェルの偽情報工作は失敗したのかも知れない。フェルが六月に帰国してから四ヵ月後の一九四七年十月、キャンプ・デトリックは、ヒル博士(基礎科学部主任)を再派遣した。フェルに対する疑いの調査も任務だったかも知れない(仮説10)。(P282)

 このヒル・レポート(同年十二月)は、信憑性が全くないフェル・レポートとは異なり、おどろおどろしい「物語」などは全くない。冷静に一分野に限ってのみ人体実験を行なったと指摘している。すなわち、「人間について各病原体毎の感染に必要な各細菌の量に関するものである。こうした情報は人体実験に対するためらいがある、われわれの研究室で得ることはできない」と述べている。

 「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。七三一部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。

 加えてヒル・レポートは、人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の一九四三年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。七三一部隊にからみ、人体実験の狆攀髻蹐呂修谿奮阿泙辰燭存在しないのである。(P283)
※「ゆう」注 中川氏の原文には、「フェル・レポート」の引用につき、いちいち、『標的イシイ』の参照ページなるものが記載されています。しかしこの本の該当ページを見ても、中川氏が引用する記述は存在しません。中川氏が何か勘違いしているものと思われますので、読者の混乱を避けるために、ページ数の記載の部分は省略しました。
(『正論』2002年11月号)
※「フェル・レポート」については、「人体実験、これだけの根拠(1)  米国側資料 .侫Д襦Ε譽檗璽函をご参照ください。なお、「フェル・レポート」のうち「総論」部分については、こちらに掲載してあります。


 根拠のない「仮説」だらけの何とも頼りない論理展開ですが、要するに氏は、ほとんど「想像」のみを根拠として、「フェルレポートはソ連の陰謀」なる珍説を組み立てています

 これに対しては、「フェル・レポート」の項でも説明した通り、以下の点を指摘すれば十分でしょう。


1.そもそもの話、フェルの目的は、戦争犯罪追及という「きれいごと」ではない。フェルの任務は、「731部隊」が「人体実験」というダーティーな手段で得た科学的データを、米軍の細菌戦研究に役立てるべく、密室での裏取引によって吐き出させ、奪い取ってしまうことにあった。

2.事の性格上、フェルの調査は極秘のもの。米国が情報を独占するため、調査内容は米国政府内のチャンネルに伝えられるにとどまり、外部には非公開の扱いとされた。



 「フェル・レポート」が公開されたのは、調査後30年以上も経った、1980年代に入ってからのことです。たまたま「731」研究者の目に留まったことから「人体実験を示す資料」として活用されることになりましたが、中川氏は、当時の「ソ連の工作員」が、こんな先のことを見越して「工作」を行った、とでも言いたいのでしょうか。

 中川氏によればソ連の目的は「世論工作」にあったはずですので、公開が予定されない「極秘文書」に工作しても、何の意味もありません。この点さえ押さえておけば、「フェルはソ連のエージェントだったかもしれない」などという、とんでもない発想が生まれるはずもないのですが。

 これで話を終わってもいいのですが、折角ですので、以下、もう少し詳しく見ていきましょう。




 「60ページの英文レポート」は「存在しな」かった?


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 そのなかで、旧・石井七三一部隊の「重要人物十九人」が「一ヵ月かけて作成した」と称する「人間を使った細菌戦研究について六〇ページの英文レポート」なるものに言及している。

 しかし、この「六〇ページの英文レポート」を米国に送付した(持ち帰った)形跡はほぼ絶無である。そして、なぜか、その「要約」だけを送付している。

 すなわち、「六〇ページの英文レポート」には十九名のサインがなければならないが、「要約」にはサインは不要であるから、フェル博士が「要約」すべてをでっちあげた可能性が高い(仮説1)。つまり、「六〇ページの英文レポート」は初めから存在しない

 しかもこの「要約」は、フェルが在日のソ連工作員から渡されたもの、と見るのが真相に近いだろう(仮説2)

(『正論』2002年11月号)


 「フェル・レポート」(総論)の主要コンテンツは、「六〇ページの英文レポートの要約」です。しかし氏は、そのベースとなった「六〇ページの英文レポート」など「初めから存在しない」、と大胆に主張します。

 「フェルが要約すべてをでっちあげた」(仮説1)のか「ソ連工作員から渡された」(仮説2)のかよくわかりませんが(冷静に考えると、この「仮説1」と「仮説2」は両立しえません)、要するに「フェル・レポート」の「要約」なるものは実は「ゼロ」からでっち上げられたものだ、と言いたいようです。


 しかしこれは、無茶な主張です。

 繰り返しますが、中川氏に言わせると、ソ連の目的は「戦争犯罪の追及・世論喚起」にあったはずです。非公開文書に「工作」しても、何の意味もありません。中川氏は、フェルが、何のために「要約」を「でっちあげた」、と言いたいのでしょうか。

 そもそも「フェルレポート」は、「戦争犯罪の記録」ではなく、「最低感染量・致死量の決定」などの「科学的実験データの記録」です。そんなデータを「でっちあげ」ても、731部隊の研究者を再尋問すれば、すぐにバレてしまいます。そして、「実験データ」を「でっちあげ」るような研究者がその後どのような運命を辿るか、古今東西、よく知られているところでしょう。


 今日では行方不明になっている「六〇ページの英文レポート」ですが、「亀井貫一郎の役割」と題する一連の英文ファイルにある石井四郎の証言を見ると、石井自身が「レポート」を確認していたことがわかります。

 念のためですが、訊問は1950年に行なわれましたので、フェルはこの訊問に関わりようがありません。

『亀井貫一郎についての訊問写』より

1950.4.6

 注意:この尋問記録は、石井四郎元中将を尋問した後、エージェントHが用意した尋問記録である。

(青木冨美子コメント:つまり、石井を尋問してきたエージェントが石井本人に代わってエージェントHの質問に応答するというスタイルの調書である。内容は石井本人の尋問と考えても良いように、出来上がった調書を石井に見せ、記載された応答が正しいか確認を取り、末尾に本人の署名を求めている
 一九四七年三月から五月、亀井は細菌戦についての事実を確認するため懸命に努力し、米国から来たフェル博士、二世の通訳である吉橋太郎、マックェール中佐や日本の細菌戦担当者などとともに働いた。

 はじめ亀井は長い時間をかけて増田大佐に細菌戦研究の結果をフェル博士に話すように説得した。次に彼は大田大佐と人体実験を担当した約二十名
(「ゆう」注 原文"over 20"=二十名以上)の部下の研究者を鎌倉に呼び寄せ、正確で非常に貴重な詳細に及ぶ報告書を用意させた。また、石井隊長にはフェル博士の要望により、非常に重要な概要を東京で執筆してもらった。

 報告書を用意させるために、亀井は報告書を書く者の安全を保障し、彼らの協力を得るために、米国の意思と思われる以下の条件を提示した。

1.この秘密の調査報告はフェル博士、マックェール中佐、および吉橋通訳とGHQのアメリカ人、そして石井と約二〇名の研究者のみに限定されている。

2.日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。


(3〜9略)

 東京と鎌倉で報告書を作成中、亀井は秘密報告の本文に直接介入すること、及び、試験のためという理由で報告書を石井のところへ届けることを禁止された。彼の仕事は日本人研究者の世話をすることに限られた。報告書はフェル博士とマックェール中佐によって直接石井に届けられた。石井隊長の報告は亀井を飛び越してGHQのドレーク少佐に手渡された。

(以下略)

(末尾にISHII、Shiroのサインあり)

(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3収録=翻訳は青木冨美子『731』P321以下によった)

 石井四郎は、この報告の成立過程を認識し、かつ完成したものを閲覧しています。中川氏は「六〇ページの英文レポート」は初めから存在しない」などと思い切り断定してしまっていますが、氏がこの記録を知らなかっただけの話でしょう。



 なおフェルの尋問調書にも、「増田と金子は完全なレポートにとりかかることを約束した」との記述を見ることができます。

増田知貞、金子順一、内藤良一との会談(フェル・レポート尋問調書)

日付 1947.4.28、29、30、5..1
尋問者   フェル博士、マックウエル大佐、メラー少佐(4.29のみ)、吉橋通訳
被尋問者 増田知貞、金子順一、内藤良一

(略)

10.5月1日、フェル博士は日本人に対し、入手したい情報についての詳細な調査票を与えた。そして増田と金子は完全なレポートにとりかかることを約束した。内藤は、京都・大阪地区の人物と接触することを約束した。

(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3収録)

 フェルの単独尋問ではなく、マックウエル大佐なる人物、及び吉橋通訳が立ち会っています。この時点で、731部隊の幹部であった増田知貞と金子順一が「レポート作成」を約束したことは、事実と考えていいでしょう。

 そして増田はこの日、フェルに対して「炭疽菌とペスト菌の人体に対する最低有効投与量」と題する文書を提出しています。「フェル・レポート」でも、炭疽菌とペスト菌の「感染量及び致死量」が大きなテーマのひとつとなっていますので、増田文書の発展形が「六〇ページの英文レポート」の一部を構成した、と考えて、特段の無理はありません。



 石井四郎自身が「レポート」の存在を認めているのですから、「フェル博士が「要約」すべてをでっちあげた可能性が高い」などという「仮説」は、成立しえません

 どうしても「仮説」を成立させたいのであれば、「石井らが提出したレポートとは全く無関係に、フェルがその「要約」をでっちあげた」という、とんでもない状況を設定しなければならなくなります。

 しかし『亀井貫一郎の訊問写』で明らかな通り、レポートは、フェル博士とマックェール中佐⇒石井四郎⇒GHQのドレーク少佐、と、最終的にはGHQに渡っています。現物がGHQに渡っている以上、フェルが「レポート」と無関係の「要約」などを書くことなど、できるはずもありません





 レポートを書いたのは柄澤少佐?


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 加えて、ソ連のこの工作に加担して「メイド・イン・ソ連の要約」執筆に協力させられた日本人が旧・七三一部隊の柄澤・軍医少佐(一九五六年十一月、口封じのため殺害?)でないかと思われる(仮説3)。

(『正論』2002年11月号)

 実際に「柄澤十三夫訊問調書」と「フェル・レポート」の両方を読んだ人でしたら、思わず、はあ? と首を傾げてしまいそうな主張です。

 柄澤少佐は「第四部」(細菌製造)の出身であり、人体実験の詳細データを得られるポジションにはありませんでした。「尋問調書」でも、「細菌の培養」や「残虐行為(安達実験場の人体実験への参加)」、「中国への攻撃」といった「戦争犯罪」の話が中心であり、「フェル・レポート」の主要テーマとなった「感染量、致死量」の話など、影も形もありません

 そもそもの話ですが、「フェル」というチャンネルを通じるまでもなく、ソ連はアメリカ政府に、柄澤の尋問調書を直接提供していました。そんな事実すら、氏は承知していなかったようです。
※ソ連がアメリカに提供した「柄澤尋問調書」は、近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3に収録されています。なおこの背景には、ソ連の側が資料を提供して「731」の戦犯追及を求めたが、「細菌戦」の情報を独占したい米国はこれをネグレクトした、という経緯がありました。

※※参考までに、ハバロフスク裁判での柄澤三十夫の尋問調書(1949.12.6)をこちらに掲載しました。 これはソ連がアメリカに渡した尋問調書とは別のものであるようですが、語られている内容は概ね同じです。





 フェルはソ連に「消された」? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 そして、同様にフェルも「消された」可能性がある(仮説4)。ソ連工作員として対日最後通牒ハル・ノートの原案を執筆した財務次官、H・D・ホワイトが一九四八年八月に殺害されたケースと同じかも知れない。

(『正論』2002年11月号)

 フェルは、レポートを提出した後、次はイギリスへ派遣されたと伝えられます。(『七三一部隊の生物兵器とアメリカ』P190) しかし私の手持ち資料からでは、フェルのそれ以降の足取りを確認することはできませんでした。中川氏はどのような資料から、「フェルの(不自然な?)死」を知ったのでしょうか。

 私の推察ですが、中川氏は、調査を終えた後に自殺したトンプソン(フェルの前任者)と勘違いしている可能性もあるように思います。

 なお余談ですが、ホワイトの死因は「心臓麻痺」です。「殺害された」というのは、例によって中川氏の根拠のない想像であるに過ぎません。




 石井四郎が細菌戦レポートを書くはずがない? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 例えば、石井四郎が「目下、細菌戦計画の全貌について執筆中である」とも述べているが、執筆された形跡は絶無である(仮説5)。仮にそんな計画が存在したとすれば尚のこと、石井は拷問されても書くことはないのは当り前ではないか。

(『正論』2002年11月号)

 「フェル・レポート」の該当部分は以下になります。

フェル・レポート

H 細菌計画の中心人物である石井将軍は、その全計画について論稿を執筆中である

 このレポートは細菌兵器の戦略的および戦術的使用についての石井の考え、さまざまな地理的領域での(とくに寒冷地における)これらの兵器の使用法、さらに細菌戦についての石井の「DO」理論のすべての記述が含まれるだろう。

 この論稿は、細菌戦研究における石井将軍の二〇年にわたる経験の概要を示すことになろう。それは七月一〇日頃に入手可能となろう。(P266)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 中川氏は、「フェル・レポート」に付随する「石井四郎尋問調書」を読んでいないのでしょう。

石井四郎の尋問

「私は平房の全責任を負っている。そこで起こったことで部下や上官が問題に巻き込まれるのを見たくはない。もしあなた方が私自身と上官、部下のために文書で免責をくれるなら、あらゆる情報をあなた方に提供できる。あなた方が知っているという増田、金子、内藤は多くの情報を提供できるだろう。

 私はまた、アメリカに細菌戦の専門家として雇われたい。ロシアとの戦争の準備において、私の二〇年の研究と実験で得たものを提供できる。

 私は細菌兵器の使用と防衛の戦略的問題に多大な考察をしてきた。私は様々な地方や寒冷な気候で使用されるべき最適の病原菌の研究をしてきた。戦略的使用の短い考察を含む細菌戦についての本を書ける」(P350)

(シェルダン・H・ハリス『死の工場 隠蔽された731部隊』所収)

 石井は、「戦犯免責」を受けることを前提に、「私はまた、アメリカに細菌戦の専門家として雇われたい」「細菌戦についての本を書ける」と、米軍に対して「売り込み」をしているわけです。

 実際にこの論稿が書かれたかどうかは不明であり、書かれたとしてもフェルの日本滞在中に完成したかどうかわかりません。しかし少なくとも、石井自身が「本を書ける」と売り込みしていることは事実です。石井が「論稿」を書くことなどありえない、と決めつけることはできないでしょう。
※先に紹介した1950.4.6付「亀井貫一郎に関する訊問写」に、「石井隊長にはフェル博士の要望により、非常に重要な概要を東京で執筆してもらった」との石井自身の証言を見ることができます。あるいはこれが、石井の「細菌計画のレポート」だったのかもしれません。





レポート作成に関与した人数「十九人」は「フェルの創り話」?


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 このようにフェルが調査した「重要人物」が石井/増田/金子/内藤/大田/菊池ら「数人」しかいない以上、前述の「十九人」という数字がフェルの創り話なのがわかる

 さらに、家畜に対する防疫を担当した第一〇〇部隊の旧部隊員「二十人」に会ったかのように「フェル第一レポート」はいうが、この数字は幻である。十一人中、一〇〇部隊員は若松獣医少将一人しかいないからだ。つまり、「一人」を「二十人」に針小棒大した創り話である(仮説6)

(『正論』2002年11月号)

 ここの部分、読者の方も、中川氏が何を言っているのか、理解不能であったろうと思います。

 フェル・レポートの該当部分は下記になります。


フェル・レポート

A 細菌戦計画における重要人物のなかの一九人(重要な地位に就いていた数人は死亡している)が集まり、人間に対してなされた細菌戦活動について六〇ページの英文レポートをほぼ一ヵ月かけて作成した。(P283)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 レポート作成に関与した人数が「19人」である、というだけの話なのに、どうしてフェルがその全員と会わなければならないのでしょうか。「19人」の中に取りまとめ役のリーダーがいるでしょうから、そのリーダーとだけ会っておけばいい話です。

 「第一〇〇部隊」についても同様です。念のため、「フェル・レポート」の該当部分を確認します。

フェル・レポート

G 家畜に対する細菌戦研究は平房とは全く別の組織が大きな規模で行なっていたことが判明した。現在、そのグループの二〇人の隊員がレポートを書いており、それは八月中には入手可能となろう。(P285-P286)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 これをどう読んだら、「第一〇〇部隊の旧部隊員「二十人」に会ったかのように「フェル第一レポート」はいう」と読めてしまうのでしょうか? ご覧の通り、フェルはただ、レポート作成チームのメンバーが20人いる、と言っているだけです。

 明らかに、中川氏の勘違いです。さすがにこのあたりは、ネットでも援用されることはまずありません。




 「戦犯」になるから「喋る」はずがない? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 もう一つの極めつけは、「中国の市民および兵士に対して野外実験を十二回にわたり行なった」と述べている部分であろう。仮にそんなことを実行したとしても、フェル博士の任意の訊問にそんなことを喋る人間など一人もいない。なぜなら、それはBC級戦犯として自ら処刑されるのを申出るに等しいからだ。フェルの創り話には、もっともらしさもない。子供の嘘のごとき幼稚なものばかりである。

(『正論』2002年11月号)

 繰り返しますが、 フェルは、「証言」を引き出す前提として、必ずと言っていいほど「戦犯免責」の話をしていました。そして被尋問者も、「戦犯とはされないこと」を前提に、情報を提供していました。中川氏がフェルの「尋問調書」を読んでいないことは、明らかです。

 例えば、フェルの石井四郎尋問調書を見ましょう。フェルは、冒頭で、調査は「戦犯のためではない」との説明を行っています。

石井四郎の尋問

日付 −一九四七年五月八、九日
出席 − N・H・フェル博士、R・P・マクウェール中佐、CWOT・吉橋、ベントン大尉  (軍医、三六一駐屯病院、名前不明の日本人医師)


三.以下の事実が石井に説明された。
  a.調査は技術的、科学的情報のためであり、戦犯のためではない
  b.尋問官は彼の以前の発言をよく知っている。
  c.彼が隠していた情報が現在関心の対象となっている。
  d.人体実験と中国軍に対する細菌兵器の試験についての彼の発言が求められている。
  e.川島と柄沢は知っていることをすべてロシア人に話した。(P349-P350)

(シェルダン・H・ハリス『死の工場 隠蔽された731部隊』所収)





 亀井貫一郎は増田知貞が「人体実験」を証言したと「偽証」した? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 第二レポートでの人体実験についての言及はこの亀井が「増田から聞いた」という狹訴后蹐靴ない。しかし、この時インタビューされた増田本人はそんなことは何も語っていない。フェルが亀井と共謀して、「増田が証言した」かのようなトリックとして考えついた亀井の偽証であろう(仮説7)

(『正論』2002年11月号)

 こちらもまた、中川氏が資料を読んでいないだけの話です。フェルによる増田尋問の経緯を確認しておきましょう。

 1947年4月22日、増田は亀井の同席のもと、フェルの尋問を受けました。尋問終了後、亀井はこっそりとフェルに耳打ちします。

増田知貞尋問調書

日付 1947.4.22
尋問者  Dr.N・H・フェル、マックウエル大佐、メラー少佐、吉橋通訳
被尋問者 増田知貞(元大佐、満洲第731部隊第二部長)
       亀井貫一郎(増田のスポークスマン)

(略)

5.増田のヒアリングが終ったあと、亀井はフェルに、ささやくように以下の内容を語った。


 増田は私に、人間に対して実験をしていたことを認めた。犠牲者は死刑判決を受けた満州人囚人だった。

 これら人体実験にかかわった人びとは情報を決して漏らさないと誓約していた。しかし、貴方が科学的見地から調査を行うのなら、もっと詳細な情報を得られるだろう。


(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3収録)

 そして4月24日には、亀井は単独で尋問を受け、「増田の言葉」を伝える形で「炭疽菌の人体実験」について語りました。この時点では、まだ増田はフェルらに直接には「人体実験」の話をしていません。おそらくこのあたりが、中川氏の記述の根拠となっていると思われます。(氏が英文資料を読んだ形跡はありませんので、おそらく、日本語の概説書から得た知識でしょう)

 しかしこの話には、続きがあります。4月28日からの連続4日間、増田に加え、内藤良一、金子順一への再尋問が行われました

 最初3名は、「人体実験」については「見たことがない」「知らない」と「とぼけ」に徹していました。しかし29日の、内藤の「すベて話した方がよい。フェル博士はすでによく知っている」の言葉により、状況は一転します。

 以下、増田の発言です。

増田知貞、金子順一、内藤良一との会談

日付 1947.4.28、29、30、5..1
尋問者  フェル博士、マックウエル大佐、メラー少佐(4.29のみ)、吉橋通訳
被尋問者 増田知貞、金子順一、内藤良一


6.4月30日、増田、内藤、金子は、文書を提出した。そして増田は言った。


 私はきのうのミーティング以降、私の友人たちと話し合い、今日までまだ明らかにされていない人体実験についての情報をあなたに対して明らかにすることの許可を得た1938(?)年から始められた人体実験の遂行において、それに従事する人たちは実験の詳細を漏らさないという誓約をしていた。

 サンダース博士に嘘の情報を伝えたわけではなく、すべてを伝えてはいなかったというだけのことである。

 現在の世界情勢を考えると、アメリカかソ連が世界を支配する、というのが私の意見である。私自身はアメリカの方を好む、そしてアメリカに協力したいと思っている。

 したがってもはや誓いは無効であると感じている。内藤氏も私に同意しており、またこの見解に到達するうえで大いに私に影響を与えた。

(「ゆう」注 ?は原文通り)


7.この日に提出された概略のハイライトは次の通り。

 増田「炭疽菌とペスト菌の人体に対する最低有効投与量」
 内藤「バクテリアに皮膜を施す方法」
 金子「粒子のサイズの計量法」

(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3収録 翻訳は、「ゆう」が、概説書などの部分訳を参考に行った)

 増田は明確に、「人体実験」の事実を認めています。「マックウエル大佐」「吉橋通訳」という同席者もおりますので、中川氏の「フェルと亀井との共謀」論は、成立しえません。
※増田訊問の一連の経緯については、こちらでざっと訳しておきました。ただしこれは、自分の勉強用に作成したものですので、よくわからない部分は適宜省略するなど極めて荒っぽい訳です。参考程度としてください。




 亀井貫一郎は「ソ連の情報工作員」?


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 亀井貫一郎もソ連の情報工作員であった可能性が高い(仮説8)。亀井はアメリカ共産党員(入党は一九一九年か?)とも推定される

(『正論』2002年11月号)

 何の根拠もありません。要するに中川氏は、関係者全員を「ソ連の情報工作員」ということにしたいだけの話でしょう。

 どうも中川氏は、フェルと亀井が共謀して「731」の戦争犯罪をデッチ上げた、と言いたいようなのですが、先にも述べた通り、訊問には、マックウエル大佐、吉橋通訳なども同席しています。氏は、彼らもフェル同様に「ソ連の工作員」であった、とでも主張したいのでしょうか?

 なお亀井貫一郎の伝記としては『回想の亀井貫一郎』があり、また亀井の「裏」の顔を明らかにした米軍の「亀井貫一郎の役割」ファイル(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』DESK3収録)という文書もありますが、当然ながら「ソ連の情報工作員」云々の話など登場しません。
※亀井は1919年、「国際情勢分析の特別作業の専任員」として「参謀本部作戦第二部の特別嘱託」に任じられ、アメリカに渡っています。その「命令事項」として、「ニューヨーク労働学校にて、S・ニヤリング教授に就く(マルクス唯物史観)」の文字が見えます(『回想の亀井貫一郎』P233)ので、あるいは中川氏はこれを根拠にしているのかもしれません。しかし亀井は参謀本部の「命令」を受けてこの講座を受講したに過ぎませんので、「アメリカ共産党員」云々は飛躍が過ぎます。

※なお亀井の経歴を追うと、戦前は無産政党「社会大衆党」から衆議院議員に当選、また戦後は「社会党」から出馬しています。その意味では「左翼」側にシンパシーがあったと言えなくもなく、またGHQも一時「共産党との関係」を疑ったこともあったようですが、この程度のデータからでは、「ソ連の情報工作員」であった、と決めつけることはできないでしょう。なお「亀井貫一郎の役割」ファイルによれば、
亀井がGHQに協力した動機は、カネに困っての「就職活動」でした。この経緯は、青木冨美子『731』P304以下に詳しく述べられています。



 フェル・レポートの内容は「ハバロフスク裁判」と同一? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 フェル博士は、米陸軍細菌兵器研究所キャンプ・デトリックのパイロット・プラント・エンジニアリング部の主任であるが、軍医(軍人)ではない。その経歴は調査する必要があるが、自らのレポートにこれだけの創作話を書くとすれば、そして第一レポートの内容が二年半後のハバロフスク裁判での「偽証」と同一であることを考えれば、フェルがソ連のエージェント(工作員)であった(仮説9)、と推定できる。

(『正論』2002年11月号)

 「第一レポートの内容が二年半後のハバロフスク裁判での「偽証」と同一」には、さすがに唖然としました。

 「ハバロフスク裁判」は、純粋な「戦争犯罪裁判」であり、テーマは「残虐行為」の存在です。一方「フェルレポート」は、「最低感染量、致死量」などについての「科学的実験データ」の報告です。同じ「731」をテーマにしているにしても、スポットライトを当てる方向が全く違います

 「フェルレポート」で「残虐行為」が語られることがあるとしても、それはあくまで「実験データの背景説明」という副次的なものにとどまります。

 実際の話、「ハバロフスク裁判」には「科学的実験データ」など登場しませんので、その内容から「フェル・レポート」を書くことは、明らかに不可能です。どこをどう読んだら、「同一」ということになるのでしょうか。

 そしてついに、誤った事実認識をもとに、フェルを「ソ連の工作員」扱いにしてしまいました。ネットではなぜか、この部分のみが強調されることが多いのですが、これはもう、根拠のない仮説を積み重ねた妄想の終着点、としか言いようがありません。




10  ヒルの任務は「フェルに対する疑いの調査」? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 しかし、米国政府・軍に対するフェルの偽情報工作は失敗したのかも知れない。フェルが六月に帰国してから四ヵ月後の一九四七年十月、キャンプ・デトリックは、ヒル博士(基礎科学部主任)を再派遣した。フェルに対する疑いの調査も任務だったかも知れない(仮説10)。(P282)

(『正論』2002年11月号)

 またもや、事実関係を無視した、中川氏の「妄想」です。人体実験、これだけの根拠(2) 米国側資料◆.劵襦Ε譽檗璽函▲瀬哀ΕДな現で書きましたので詳細は省略しますが、要するに、中川氏が「ヒル・レポート」中の「インタビュー記録」を知らなかっただけの話です。 全体を見ても、「ヒル・レポート」は明らかに「フェル・レポート」の補完レポートの役割を果たしています。

 一応、常石氏の「ヒルレポート」に関するコメントです。

常石敬一『医学者たちの組織犯罪』(朝日文庫)

 ヒルらの調査項目ははっきりしていた。第一にはフェルが入手した一九人の医者による六〇ページのレポートに記載されていることの確認と、疑問点の解明であった。

 第二はやはりフェルがその存在を突き止めた八千枚の病理標本を、医学的に意味のあるものとするような説明文書等の入手だった。

 つまり、日本軍による人体実験の上前をはねる作業の詰めが、彼ら二人の仕事だった。(P116)




 さらに読み進めると、中川氏は、こんな間の抜けたことも書いています。

中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 唯一例外として、ヒル・レポートにいう感染可能な細菌量を測定する実験を人間で実施すれば、被験体が羅病したことは想像できる。それでも、治療方法の研究は優先事項である以上、被験体の治療に全力をあげたことは間違いなく、必ず死んだとするのは偽りである。(P285)

(『正論』2002年11月号)

 いや、「ヒル・レポート」の「インタビュー記録」は、「何人に実験したらうち何人が死んだ」という記述のオンパレードなのですが・・・。

 中川氏の論理に従えば、このヒルも「ソ連の工作員」扱いしないと、「731人体実験説はソ連の陰謀」なる中川説が崩壊してしまいます。さすがの中川氏も、米軍は、2人続けて「ソ連の工作員」を調査官に任命していた、とまでの無茶な主張はできないでしょう。



11  人体実験の「証拠」は「病理標本」以外に存在しない? 


中川八洋『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』  

 加えてヒル・レポートは、人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の一九四三年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。七三一部隊にからみ、人体実験の狆攀髻蹐呂修谿奮阿泙辰燭存在しないのである。(P283)

(『正論』2002年11月号)

 人体実験の最大の「物的証拠」であった「マルタ」たちは、731部隊の撤退時に全員殺されてしまい、死体は焼却されました。また、「研究成果」である論文も焼却され、建物や実験施設も可能な範囲で破壊されました。(ネットでは「破壊されたはずの建物が残っているではないか」という趣旨の発言を見ることがありますが、建物の造りが極めて頑強だったため破壊しきれず、結局一部が残ってしまった、というだけの話です)

 部隊はこのようにして「物的証拠」を全部隠滅したつもりだったのですが、幸か不幸か、以前に石川が日本に持ち帰り、秘かに隠し持っていた病理標本だけは、隠滅を免れました。

 それだけの話です。


 余談ですが、法廷でいう「証拠」とは、「物的証拠」だけのことではありません。「人的証拠」も、立派な「証拠」として扱われます。

 「731」については、「人的証拠」、すなわち、当事者や証人などの証言は、山のように残っています。また、「フェル・レポート」「ヒル・レポート」も、立派な「証拠」のひとつでしょう。

 氏の「人体実験の"証拠"はそれ以外全く存在しない」という表現は、正確なものではありません。
 

(2016.12.10)


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