| 731部隊(Ⅰ) | 人体実験、これだけの根拠(1) 米国側資料� .侫Д襦Ε譽檗璽� |
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「731部隊」をめぐる研究は、1980年代以降、多くの新資料や新証言などを得て、飛躍的に発展しました。少なくとも「人体実験」「細菌戦実施」の二大テーマに関しては、「南京」などと異なり、論壇で「否定論」が聞かれることはほとんど皆無、と言っていいでしょう。 ※数少ない例外の一つが、中川八洋氏の論稿『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』(『正論』2002年11月号掲載)です。その「希少価値」のためか、ネット右派からは一定の人気を集めていますが、中川氏自身「731」に関する知識は乏しいものでしかなく、その内容は「ハチャメチャ」としか評価のしようがないものです。中川論稿については、別途独立した記事で取り上げています。(中川八洋氏の論稿をめぐって(1))しかしネットの世界では、素人の思い付きレベルの「否定論」が流布され、それを鵜呑みにする向きも根強く残っています。ちょっと調べれば、重層的に積み上げられた資料群の中に「否定論」の余地など存在しないことはすぐにわかるのですが。 以下、「人体実験」「細菌戦」についての「根拠」を、解説していきたいと思います。 ネットでは、「731部隊に関する10万ページの米国公文書館文書の公開により、731部隊の「人体実験」「細菌戦」は全くのウソであることがわかった」なる、明らかに事実に反する書き込みをよく見かけます。そこであえて、ここでは最初に米国側資料を取り上げましょう。 戦後まもない1945年から47年にかけて、米軍の細菌戦調査官が、四次にわたって日本に派遣されました。その結果は、それぞれの調査官の名をとった、「サンダースレポート」「トンプソンレポート」「フェルレポート」「ヒルレポート」と呼ばれる4本のレポート群にまとめられています。 いずれも作成当時は「極秘」扱いで、これらのレポートの存在が世間に知られるのは、情報公開法により「公開」扱いとなった、1980年代のことでした。 そのうち「人体実験」に言及しているのは、第三次のノーバート・H・フェル、及び第四次のエドウィン・ヒルです。それぞれ、731部隊及び周辺部隊に関係した研究者から多量の情報を得て、部隊の「研究」の実態を浮き彫りにしています。 まず、「フェル・レポート」から見ていきましょう。
ノーバート・フェル博士は1947年4月に来日。2ヶ月間の調査を経て、同年6月に報告書をまとめました。その内容を見る前に、「よくある誤解」について触れておきましょう。 ネットではよく、フェルを「ソ連のスパイ」とする書き込みを見かけます。どうやら、ソ連がフェルを使って「731」の「戦争犯罪」をでっち上げた、と言いたいようです。 ※この珍論の元ネタは、冒頭の但し書きで言及した、中川八洋氏『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』(『正論』2002年11月号掲載)です。念のためですが、「フェル・レポート」の史料価値を否定する論稿はこの中川論稿がほとんど唯一のものであり、右派論壇からさえ、これに追随する動きはありません。なおこの論稿でも、フェルを「スパイ」とする具体的根拠は全く示されていません。そしてこの中川氏ですら、「スパイ」説を「事実」とは断言できず、「仮説」扱いにとどめています。詳しくは、「中川八洋氏の論稿をめぐって(1)」をご覧ください。 この「珍説」を唱える方は、間違いなく、「フェル・レポート」が「戦争犯罪告発の書」である、という誤解をしています。 実際にはフェルの任務は、「731部隊」が「人体実験」というダーティーな手段で得た科学的データを、米軍の細菌戦研究に役立てるべく、密室での裏取引によって吐き出させ、奪い取ってしまうことにありました。 フェル・レポートのスタンスは、「戦争犯罪告発」どころか、「我々は、人体実験なんぞできない。731部隊のおかげで、貴重な実験データが手に入ったのは喜ばしい」という、いわば「731部隊」と共犯関係にあるものです。 ※米国海軍にて、囚人から志願者を募る形での「ペスト菌実験 」 が行われた事実はあります(エド・レジス『悪魔の生物学』P128-P129。なおこの実験では「重症者」は発生していない)。その他にも、核兵器の効果を調べるための「人体実験」が行われたケースもあったようです。ただし当然のことながら、「731部隊」が行ったような、医療倫理や人権など顧みない残虐な人体実験を自由に行うことは、フェルたちには不可能だったでしょう。
当然ながら、フェルの調査は「極秘」であり、外部には非公開の扱いです。中川氏は、ソ連の目的は「日本の戦争犯罪でっち上げ=世論喚起」にあった、と主張しているようですが、そうであれば、こんな極秘レポートに「工作」して、何の意味があるのでしょうか。 さらに言えば、「フェル・レポート」が「情報公開法」に基づき公開されたのは、調査後30年以上も経った、1980年代に入ってからのことです。 たまたま「731」研究者の目に留まったことから「人体実験を示す資料」として活用されることになりましたが、当時の「ソ連の工作員」が、こんな先のことを見越して「工作」を行ったはずもありません。 「フェル=ソ連のスパイ」説は、何の根拠もない「妄想」です。
フェル・レポートは、6月20日に米国の「化学戦部隊部隊長」宛てに提出された第一レポート、6月24日に占領軍の「参謀2部 参謀副長」宛てに提出された第二レポートから成ります。(第一レポート、第二レポートの「総論」部分については、こちらに掲載しました) 「第一レポート」は、部隊関係者から提出された「60ページの英文レポート」の要約を主要コンテンツとします。一方「第二レポート」には、簡単な前書き(総論)、第一レポートの内容に加え、調査の過程で行った部隊関係者への「尋問記録」が添付されています。 ※「60ページの英文レポート」は、現在では行方不明になっています。ネットでも「存在が疑わしい」とする書き込みを見かけることがありますが、1950年4月8日の石井四郎尋問で石井自身が、「報告書はフェル博士とマックェール中佐によって直接石井に届けられた。石井隊長の報告は亀井を飛び越してGHQのドレーク少佐に手渡された」(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』27002=邦訳:青木冨貴子『731』P324)とレポートの具体的な受け渡しに言及していますので、その存在自体を疑うことはできないでしょう。 まずは、レポート全体の「概説」です。
「人体実験」については、次のように概説されます。
繰り返しますが、ここには、「残虐行為」を非難するニュアンスは全くありません。「731」の人体実験を、貴重な研究データを得る手段として捉えているだけです。 さていよいよ、レポートのハイライト、「60ページの英文レポート」の要約に入ります。例えば「炭疽」については、このように記述されています。
ここに登場するのは、炭疽菌を「経口的」に投与したり、爆弾や噴霧で炭疽菌を撒いて感染させたり、という、紛れもない「残虐行為」です。しかしフェルは、科学者の冷静な目で、「事実」を語るのみです。 以下、各種病原体についての同様の実験記録が続きます。そして、結論です。
細菌戦用病原体としては「炭疽菌」と「ペストノミ」が有効だった ― この「研究成果」が、米軍の細菌戦研究にとって大いに参考になったことは、十分に推察できるところです。常石敬一氏も、次のように総括しています。
さてフェルの関心は、基本的には「人体実験で得られた実験データ」にありました。日本軍の「細菌戦実施」にはあまり関心を持たないようでしたが、それでも、いくつかの記録を垣間見ることができます。
明らかに、1942年浙かん作戦における細菌戦を語っています。また、こんな一節も見られます。
病原体を撒いたという「一二回分」が具体的にどの事例を示すのかは明らかではありませんが、「ペストノミを撒布した二回の試験」というのは、1940年の寧波における細菌撒布であろうと推察されます。 <本コンテンツの関連資料> 『フェルレポート』(総論) 『石井四郎尋問調書』 (『フェル第二レポート』附属) 常石敬一編訳『標的・イシイ』第九章 人体実験の暴露 (アメリカ国立公文書館文書のうち、占領軍と米国政府との電報のやりとり) ※「ゆう」注 『フェルレポート』『フェル第二レポート』の全文(英文)は、近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』に収録されています。このうち第二レポートに付属する「尋問調書」集については全文の邦訳はありませんが、『七三一部隊の生物兵器とアメリカ』、青木冨貴子『731』 、常石敬一『医学者たちの組織犯罪』などで、フェルの訊問の大まかな流れを追うことができます。なお前に触れた通り、『フェルレポート』の元となった「60ページの英文レポート」は、今日では行方不明になっています。 (2016.10.2)
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