| あるいは共産主義者でいっぱいの日本 ―中川八洋『近衛文麿の戦争責任』(1)― |
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中川八洋氏『近衛文麿の戦争責任』が描く戦前日本のイメージは、何とも異様なものです。 何しろ、近衛文麿をはじめ、松本重治、犬養健、影佐禎昭、三木清などという、戦前日本のビッグスターたちは、実は「共産主義者」だった。 日本が戦争に引きずりこまれたのは、コミンテルンの意を受けた彼らの陰謀であった、というのですから。 高校で普通に「歴史」を学んだ方でしたら、その荒唐無稽ぶりは、一目瞭然でしょう。ひょっとしたら中川氏の描く戦前日本は、我々の住むこの日本とは別の、パラレルワールドにあったのかもしれません。(笑) *この本は、氏の著書『大東亜戦争と「開戦責任」』のうち「近衛文麿」に関係した部分のリメイク版であり、文章もほぼ同一です。 さらに『大東亜戦争と「開戦責任」』は『近衛文麿とルーズヴェルト』のリメイク版でしたので、氏は都合3回、ほとんど同一の内容の本を表題だけ変えて出版していることになります。
まずは、中川氏が「共産主義者」と認定しているメンバーを確認しておきましょう。
ほとんど何も考えずに、手当たり次第「共産主義者」認定を行っている感があります。 言うまでもないことですが、日本の共産党組織は、1928年の三・一五事件、1929年の四・一六事件という相次ぐ弾圧によってその力の大部分を失い、最終的には1933年の宮本顕治らの逮捕によって事実上潰滅していました。 近衛が最初に首相になった1937年頃になっても、このような大規模な「共産主義者組織」が存在しており、しかも近衛首相自身も「共産主義者」であったというのは、中川氏の明らかな妄想でしょう。 少なくとも、現在に至るも中川氏の所論をサポートするような材料は全く出てきませんし、「歴史学者」でこの奇想天外な説をまともに取り上げる方も存在しません。 しかも、「近衛文麿の最側近たちの(しかもすべてソ連のGRUかNKGBの工作員である)尾崎秀実、松本重治、西園寺公一、大養健らからなる、日中戦争の長期化(講和つぶし)を狙うグループ」に至っては、 何を根拠にそのような無茶を言い出すのか、読んでいる方が頭が痛くなってきます。 尾崎はともかく、「リベラリスト」として有名な松本重治、立憲政友会(戦後は自民党)代議士であった犬養健まで、どうして「ソ連の工作員」ということになるのか。 戦後日本共産党に入党した西園寺公一にしても、戦前は、「尾崎の親友」であった、というだけの話で、当時における「共産主義」との関わりは確認されておりません。 *このあたりの氏の議論は、三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』の影響を受けているのかもしれません。 一体中川氏の頭の中では、「共産主義勢力」はどこまで広がっているのか。P93に「まとめ表」めいたものがありますので、見ておきましょう。
要するに、近衛文麿のブレーン組織、「昭和研究会」「朝飯会」に属していたら、それだけでもう、「共産主義者」と認定する材料になってしまうようです。 このうち真正の「共産主義者」は、尾崎秀美ただ一人、と言っていいでしょう。 この中には勝間田清一や和田耕作のように若い頃「治安維持法違反」で検挙された経験を持つ人物も少なくありませんでしたし、そのために「昭和研究会」が一部右翼から「アカ」の嫌疑をかけられていたことは事実です。 あるいは西園寺公一や風見章、勝間田清一らのように戦後「左派政治家」として活躍した人物も存在します。 しかし、厳しい弾圧によって「共産主義」が事実上封印されてしまった当時において、彼らがあえて「共産革命」を目指して活動していた、とする証拠は、何ひとつありません。 近衛首相とその周辺が全員共産主義者であった、と言わんばかり氏の決めつけは、間違いなく「妄想」の域に達しています。 なお治安維持法下の弾圧事件であった「企画院事件」は、関係者のほぼ全員が「無罪」判決を受けており、今日では「でっち上げ」であったことが明らかになっています。 中川氏は、このような「史実」を無視して、「企画院事件」関係者があたかも実際に「共産主義者」であったかのように読者を欺いているわけです。 「企画院事件」については、治安維持法の研究家、奥平康弘氏が「まとめ」を行っていますので、紹介しておきましょう。
要するに、平沼騏一郎ら「観念」右翼が、対立する勢力の影響力を削ごうと、相手を「アカ」呼ばわりしてデッチ上げた事件、と総括できます。 さて、実態はこんなところだったのですが、中川氏の頭の中では、こんな驚くべきことが起ったことになっています。
「近衛政権」の成立をもって「正真正銘の共産主義政権の誕生」と決めつけ、さらに日中戦争の真の目的は「中国を共産化するため」だったとまで言い切ってしまう。氏の妄想は、止まるところを知りません。 *実を言えば、近衛自身、「意識的に共産革命にまで引ずらんとする」一大共産主義者グループが存在し、彼らが「無智単純なる軍人」を踊らせて愚かな戦争に導いた、という、ほとんど「妄想」としか言いようのない考えに取りつかれていたようです(「近衛上奏文」参照)。 この近衛の「妄想」に、実は近衛自身まで「共産主義者グループ」の一員であった、という更なる「妄想」を附け加えたのが、この中川氏の著作である、と言ってよいでしょう。
さて、「共産主義者」近衛文麿は、いったい何をしようとしたのか。このあたりの中川氏の「解釈」、オリジナルティ溢れるもので、皮肉なことに、本人の意思に反して大いに「楽しめる」ものになっています。 念のためですが、中川氏は、はっきりと「右派」=「タカ派」の論客です。本書でも、「過激」としか言いようのない主張を展開してみせます。
「中国共産党打倒」の思想を、前面に押し出しています。それも、「中国の民主化」を求めるのであればまだしも、「中華民国に戻す」というのでは、いささかアナクロ過ぎる感は免れないでしょう。 それはともかく、「日本は戦争など欲していなかった」「にもかかわらず戦争が惹起し拡大したのは、中国なり米国なりの責任である」と主張するのが、通常の「右派」の「定石」です。 しかし、中川氏はこんな「定石」には従いません。戦争を起こし、拡大させた責任は、決して中国や米国の側にあるのではなく、全面的に近衛文麿の側にある、という、「右派」が頭を抱えてしまいそうな主張を展開します。 以下、具体的に見ていきましょう。 以下の話の前提として、まずは近衛文麿という人物の「評価」を確認しておきます。
「日本を戦争の泥沼に引きずりこんだ無能政治家」 ―やや感情に流れているきらいはありますが、結果として近衛が、日本を泥沼戦争に引きずり込んだことは事実であり、 これはある程度世間から認められた見方と言えるかもしれません。 ところがこのようなマイナス評価を、中川氏は見事に引っくり返してみせます。近衛は実は「無能」だったのではなく、「確信犯」的に、断固たる意思をもって、日本を戦争に引きずりこんだ、というのです。 まずは、近衛内閣成立後わずか1か月あとに起った、盧溝橋事件です。事件4日後の7月11日、近衛内閣は「三個師団派兵」を決定しますが、これへの中川氏の評を見ましょう。
折角「現地解決」が成立しようとしていたのに、近衛は、「北支派兵」という愚かしい声明によって停戦の動きをぶちこわしてしまった。 近衛自身、いろいろと思惑があったようではありますが、結果を見ると、これはまさに近衛の「無能」の証明になってしまった、と言わざるをえません。 中川氏の上の文は、思わず拍手を送りたくなるような、全く正当な評価です。しかし中川氏は、この後、思い切りのどんでん返しを用意していました。
近衛は無能であったわけではなく、確信的に「停戦つぶし」を狙ったのだ、というわけです。 このような大胆な「異説」を主張するのであれば、普通の研究者でしたら、関係者の証言なり、コミンテルンの内部文書なり、具体的な根拠資料を用意するところですが、もちろん氏は、資料的裏付けを何ひとつ示すことができません。根拠は氏の脳内の「妄想」のみ、と言ってもいいでしょう。 *「三個師団派兵決定」をめぐる詳しい経緯は、 「盧溝橋事件 「拡大」への道程 ー内地三個師団等派兵決定ー」をご覧ください。 「三個師団派兵決定」が、盧溝橋事件を「拡大」に導く決定的なターニングポイントになった、という一点においては、私は中川氏と、完全に認識を同じにしています(笑)。 そして中川氏は、8月15日の「第二次上海事変」についても、近衛の責任を徹底的に「追及」してみせます。 右派論壇では、「第二次上海事変」を、「戦争を望んだ中国、望まなかった日本」の典型的事例として採り上げることが多いのですが、皮肉なことに、中川氏の論はこれと真っ向からぶつかる形になっています。
そして翌1938年1月、日中和平交渉に行き詰った近衛文麿首相は、とんでもない声明を発表しました。いわゆる「蒋介石対手とせず」声明です。
自ら戦争の相手国との「対話」の途を閉ざしてしまう。近衛は何と愚かしいことをやってしまったのか。これでは戦争を終わらせようがないではないか。 (「蒋介石対手とせず」声明については、こちらに関連コンテンツがあります) これまた拍手を送りたくなるような「まっとうな」見解ですが、もちろん中川氏は、こちらでも「どんでん返し」を用意しています。
つまり、近衛が思い切り悪意の固まりの政治家で、実は「中国と永遠に戦争がつづくこと」を目論んでいたのだ、と考えれば、近衛のこんな愚かしい行動の説明がつく、というわけです。 念のためですが、例によって中川氏は何も裏付け資料を用意しておらず、根拠は氏の「想像」だけです。 この声明の4か月後には、近衛は自分の声明の失敗を認識し、新たに任命した宇垣外務大臣に対し、声明を「うまく取消す」ことを依頼しています。 (「「和平工作」を阻んだもの 近衛声明、そして国内世論」参照) そして宇垣は、中国との講和のルートをつくろうと、必死の努力を重ねます。 おそらく中川氏から見れば、このような都合の悪い事実は、すべて近衛が自分の真意を隠すために行った「偽装」ということになるのでしょう。 *ちょっと考えれば明らかな通り、中川氏のこの所説は、かなりの「危なっかしさ」を包含しています。 「近衛が共産主義者であった」という無茶な主張が崩壊すると、あとには、「戦争を拡大させた責任は、中国や米国の側にではなく、間違いなく日本側にある」という、 右派にとっては何とも都合の悪い主張だけが残ってしまうのです。 こんなおかしな見方をベースに、中川氏は、さきほどの菊地正憲氏の「軍に踊らされた、哀れな人気宰相」との見方を、まるごとひっくり返してみせます。
近衛はバカなのではない、バカのふりをしていたのだ、と言いたいようです。中川氏の妄想の終着点、と言えるでしょう。 *この本では、「新体制運動」や「日米開戦」も近衛の「陰謀」として語られていますが、私があまり知識を持つ分野ではありませんので、割愛しました。 関心のある方は、直接この本をご覧ください。 |