温家宝首相への「公開質問状」



 2007年4月10日、「南京事件の真実を検証する会」なる団体が、温家宝首相(当時)に対し、「公開質問状」を発しました。

 「会」に名を連ねるのは、藤岡信勝氏、茂木弘道氏、阿羅健一氏、東中野修道氏といった面々です。この顔ぶれを見れば「会」のレベルと性格は自ずからわかりそうなものですが、ともかくも、以下その内容を見ていくことにしましょう。

 なお言うまでもありませんが、「会」は別に学会や政府関係などの公的組織ではなく、「否定派」グループが名を連ねる、「私的な右翼団体」でしかありません。中国側はこの「公開質問状」なるものを全く相手にしませんでした。


南京事件の真実を検証する会

 3月13日に「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英明会長)が創立されました。この会は、南京事件の真実をあくまで客観的な史料にもとづいて検証し、正確な知識を普及することを目的としたもので、13人の委員からなります。

 4月11日から、中華人民共和国の温家宝首相が来日、日中の友好を願うものですが、中国政府が一方で日中友好を唱えながら、他方で南京大虐殺記念館を拡幅し、南京の映画を多数製作するなど、 日中友好の精神に反する方針を実行していることを見過ごすことはできない、として温首相の来日の機会をとらえ、南京事件に関する公開質問状(中文)を中国大使館に送りました。

 ご参考までに日本文、並びに英文の訳文を以下に掲載します。

(資料文献)

温家宝国務総理閣下への公開質問状

 このたび中華人民共和国国務総理温家宝閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

 さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものですが、貴国のこの事件に対する見解につき、重大な疑義を抱いております。 以下その中心的な疑義につきまして閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

 一、故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、 そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。

30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

 二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、 国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。

 しかし、この300回の記者会見において、ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、 極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

 三 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されています。

 それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?

 四 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。 こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

 五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の虐殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。 もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。


 六、このように、南京大虐殺ということは、どう考えても常識では考えられないことであります。それでもあったとお考えでしたら、われわれが提供する資料も踏まえて、公正客観的にその検証を進めていただきたいと考えます。

 ところが現状では貴国は南京に大虐殺記念館を建て、大々的に30万虐殺を宣伝しています。このようなことは、史実をないがしろにする不当極まりないことであるばかりか、貴国の唱えられる日中の友好の方針とも真っ向から対立するのではないかと考えます。

 更に本年は南京事件から70年ということで、貴国のさまざまな機関が「南京虐殺映画」製作を企画し進めていると伝えられます。こうしたことは日中友好を願うわれわれ日本人にとって耐え難い裏切り行為とうけとめております。 閣下はこれにつきどのようにお考えでしょうか?

 以上の諸点につきまして、閣下のご回答を是非承りたく存じます。このことは多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成19年4月10日

南京事件の真実を検証する会委員一同

(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 高池勝彦 高山正之 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘




 ネットでこれを私の前に延々と貼りつけてくる方がいましたので、私は以下の記述でそれにお答えしました。

 あまりにおなじみの「ネタ」ばかりで、私の文章も本サイトのあちこちに書いてきたことの繰り返しです。「今さら」感が強いのですが、ネットではこの「質問状」がそれなりの影響力を持っているようですので、一応本記事をここに公開しておきます。




一、故毛沢東党主席は生涯に一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、 そして「持久戦論」としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。

 30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?


 毛沢東はなぜ「南京」に言及しなかったのか。論理的には、次のふたつの理由が考えられます。

1.「南京大虐殺なんて嘘っぱち」と思っていたから。

2.あまり関心がなく、わざわざ言及しなければならない必然性を感じなかったから。


 どうやら質問者は1だと言いたいようですが、常識で考えても、それはありえません

 だって、「東京裁判」や「南京裁判」を通じて、中国側なり毛沢東なりにとって、それは疑いようのない「歴史的事実」になってしまっているのですから。

(彼らがどのような「認識」をしたのかが今の問題であり、「裁判」の「事実認定」が今日の眼で見てどこまで正確だったか、は全く別の問題です。念のため)

 仮に、毛沢東と同時代の中国人に、「南京大虐殺はウソだと思いますか」と聞いてみるとします。間違っても、「ウソだと思う」という回答は返ってこないでしょう。そんな状況で、1が成立するはずもありません。

 毛沢東ら戦後中国の指導者たちのスタンスは、「日本の過去の侵略行動は一部の軍国主義者がやった過去のあやまち。これからは友好の時代だ」でした。だからわざわざ「南京虐殺」なんぞという「過去」に言及することがなかっただけの話です。

 どうしても1だと主張するのであれば、毛沢東が「日本の過去の侵略行為・暴虐行為を糾弾してみせる」演説を行ったが、なぜかその中で「南京」だけがすっぽり抜けている、という資料でも捜していただくことにしましょう。


 なお「持久戦論」云々については、コンテンツ「中国共産党は知らなかったか」で採り上げていますので、ご参照ください。 要するに、「内容的に「南京事件」に触れる必然性がないから触れなかった」、というだけの話です。






二、南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、 国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。

 しかし、この300回の記者会見において、ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、 極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?



 これは明らかに東中野修道氏『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』をネタ元としています。 この点については、「「南京の実相」を読む(2) 戸井田議員の奇妙な「解釈」」中の「三百回の記者会見?」で解説済みです。

 上の文を読んだ方は、間違いなく、誰かが「約三○○回もの記者会見」の記録を一回一回精査して、その上で「南京虐殺」に関する記録がなかったという結論を出した、という意味であると考えるでしょう。


 しかし実際に東中野氏が発掘したという「外事課工作概況」を見ると、ここに書かれているのは、単に「会見は合計三百回開いた」という事実だけです。その内容については、ほとんど伺い知ることができません

 内容がわからないのに、どうして「ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていない」などと断定できるのか。

 おそらくは、「「概況」は記者会見の内容までには触れていない」→「「概況」には南京虐殺について書かれていない」→「記者会見では南京虐殺に言及していない」と「脳内変換」してしまったものであろうと推定されますが、 ともかくも、筆者は明らかにこの元の文を確認していません。

 そもそも「記者会見」という言葉自体にトリックがあります。原文では「新聞会議」。中国側が一方的に情報発信する場ではなく、新聞記者を集めて講演会やティー・パーティーを開催する、気楽な場であったようです。


 実際問題として、当時の国民党政府にとって、「南京虐殺」は主要な関心事ではありませんでした。また国民党政府も、事件当初は、ここまで大きな事件であるとは認識していなかった様子です。

 国家存亡の危機にあって、全国各地で繰り返される「日本軍の蛮行」事例がひとつ増えたからといって、そんな問題にいちいち関わっていられない、というのが実態でしょう。

※このあたりの事情は、 「「南京の実相」を読む(3)国際連盟と中国 なぜ「提訴」しなかったのか」にて詳しく解説しています

 先に述べた通り、「新聞会議」でこの話題が出たかどうかは不明です。しかしもし話題に出なかったとしても、それが「南京虐殺」がなかった、という「証拠」になるわけがありません。




 三 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が「Documents of the Nanking Safety Zone」として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の出版社から刊行されています。

  それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、ありえないと思いますが、閣下はいかがお考えでしょうか?


 あまりにレトロな「否定論」です。 本サイトでも、「二十万都市で三十万虐殺?」 「南京の人口は増えたのか?」で解説済みです。

 要するに、こういうことになります。

1.この「三十万人」は中国側の見解ですが、そもそも日本側の研究者で「三十万人」説を採っている方はいません。

2.「三十万人」は、「民間人プラス軍人」の犠牲者の数字です。 これと「民間人」のみの「人口」を比較することに、あまり意味はありません。比較するのであれば、「民間人の人口」プラス「中国軍の数」をベースにするべきでしょう。 

 *ちなみに「中国軍の数」については、「六、七万人」(「南京戦史」)から「十五万人」(笠原氏)まで、諸説があります。


3.「二十万人」は、「虐殺」の範囲である、「南京市」、あるいは「南京行政区」の「人口」ではありません。その一区画である、「安全区」の推定人口です。 これも比較するのであれば、「虐殺」の範囲と「人口」の範囲を合致させるべきでしょう。


 「質問状」は「三十万説」をターゲットにしていますので1はここには関係ありませんが、「人口に軍人を含めない」「地理的範囲を意図的に混同する」という点については、昔ながらの「間違った否定論」そのものです。

 「地理的範囲」について言えば、「山手線の内側の人口が20万人だから東京都の人口は20万人である」というレベルの議論です。「山手線の外側」が完全無人地帯であることを証明しない限り、この命題は成立しえません。





 四 さらに「Documents of the Nanking Safety Zone」には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。 こういう記録と30万虐殺という貴国の主張しているところとは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?


 どうでもいいのですが、私が数えたら「29件」になりました。「日本軍の暴行記録―「49人」か?」に「殺人事例」をすべて掲載しておきましたので、ヒマな方は数えてみてください。


 いずれにしてもこれはあくまで「サンプル」であり、これがすべて、なんて妄想は、国際安全委員会は持っていませんでした。 「国際委員会」は、「日本軍の暴行記録」以外の文書でも、「警察官135人連行殺害」などの「日本軍の暴行」による犠牲者を報告しています。 詳しくは、「資料:「国際委員会文書」の告発」をご覧ください。

 しかし「目撃されたものは1件のみ」というのも、無茶な記述です。ちなみに、第一六件、第一九件を見てみましょう。

第一六件

 十二月十五日、銃剣で傷を負った男一名が鼓楼医院に来院して語るところによれば、下関へ弾薬を輸送するため六名の者が安全区から連行されたが、下関に着くと日本兵は彼の仲間全部を銃剣で刺殺した。 だが、彼は生き残って鼓楼病院に来たのである。(ウィルソン)

*「ゆう」注 従って、死者は五名となります。

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P104)
 
 明らかに、「生き残っ」た「彼」は「目撃者」です。

第一九件

 十二月十五日、一人の男が鼓楼病院に来院した。六十歳になる叔父を安全区にかついでこようとしていたところ、叔父は日本兵によって射殺され、彼も傷を負った。

*訳注 徐氏の編書は、日付を欠く。

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P104)

 こちらでは、「一人の男」が「目撃者」になります。

 どうも質問者は、中国人を「目撃者の資格」がある「人間」とは見ていないようです



 なお、「合法殺害」事例なるものはこちらです。

第一八五件 

 一月九日朝、クレーガー氏とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大廈(The Sino-British Boxer Indemnity Building)の真東にある池で、日本軍将校一名と日本兵一名が平服の一市民を虐殺するのを目撃した。

 クレーガー氏とハッツ氏が現場に着いた時には、男は割れた氷がゆれ動く池の水に腰までつかって立っていた。将校が命令を下すと、兵士は土嚢の後に伏せて、男に向けて発砲し、男の肩に弾丸があたった。 再度発砲したが弾は外れ、第三弾で男は死亡した(1)。(クレーガー、ハッツ)

われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、 これがあまりにも非能率的で残虐なやり方でおこなわれていることは確かである。

そのうえ、このようなやり方は、われわれが日本大使館員たちと個人的に話し合ったさいに何回も言ったような問題をひきおこすのである。つまり、安全区内の池で人を殺すことは池の水をだいなしにするし、 そのため、地区内の人々にたいする給水量が大幅に減少するのである。

このように乾燥が続いており、水道の復旧が遅れているさいに、これはきわめて重大なことである。市による水の配給は非常に手間どっている。(報告者注)

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P114〜P115)


 「合法」であるならば、「処刑」に当り最低限「裁判」の手続きを経ていたはずです。しかし「現場に着いた時」には被害者はもう「池の水に腰までつかって」いたわけですから、 目撃者が「裁判が行われたかどうか」を知ることなど、できるわけがありません。

 また実際問題として、「南京」において「合法的殺害」を担保するための「裁判」が行われた、という記録は残っていません。 ここで「裁判」が行われた可能性はまずない、と考えてよいでしょう。

 従ってこの注記は、「もし合法的な死刑執行であるならば」と、「仮定形」で読むべきところでしょう。


 なお、「偕行」グループと親しく、『南京戦史』の編集にも携わった板倉由明氏も同様の見解です。

板倉由明「東中野論文「ラーベ日記の徹底検証」を批判する」より

 この処刑が、合法的な死刑執行かどうかは実は分からない。 引用部分は、もしそうなら、という仮定の前文で、主文は「そうだとしても・・・」池の中での射殺は困るという抗議で、処刑を合法と認めたものではない。

 なお、池に追い込んで射殺するのは、たとえ合法的処刑でも常識的には虐殺だろう。

(「正論」平成10年6月号 P285)

(2013.1.27)


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