温家宝首相への「公開質問状」 |
2007年4月10日、「南京事件の真実を検証する会」なる団体が、温家宝首相(当時)に対し、「公開質問状」を発しました。 「会」に名を連ねるのは、藤岡信勝氏、茂木弘道氏、阿羅健一氏、東中野修道氏といった面々です。この顔ぶれを見れば「会」のレベルと性格は自ずからわかりそうなものですが、ともかくも、以下その内容を見ていくことにしましょう。 なお言うまでもありませんが、「会」は別に学会や政府関係などの公的組織ではなく、「否定派」グループが名を連ねる、「私的な右翼団体」でしかありません。中国側はこの「公開質問状」なるものを全く相手にしませんでした。
ネットでこれを私の前に延々と貼りつけてくる方がいましたので、私は以下の記述でそれにお答えしました。 あまりにおなじみの「ネタ」ばかりで、私の文章も本サイトのあちこちに書いてきたことの繰り返しです。「今さら」感が強いのですが、ネットではこの「質問状」がそれなりの影響力を持っているようですので、一応本記事をここに公開しておきます。
毛沢東はなぜ「南京」に言及しなかったのか。論理的には、次のふたつの理由が考えられます。 1.「南京大虐殺なんて嘘っぱち」と思っていたから。 2.あまり関心がなく、わざわざ言及しなければならない必然性を感じなかったから。 どうやら質問者は1だと言いたいようですが、常識で考えても、それはありえません。 だって、「東京裁判」や「南京裁判」を通じて、中国側なり毛沢東なりにとって、それは疑いようのない「歴史的事実」になってしまっているのですから。 (彼らがどのような「認識」をしたのかが今の問題であり、「裁判」の「事実認定」が今日の眼で見てどこまで正確だったか、は全く別の問題です。念のため) 仮に、毛沢東と同時代の中国人に、「南京大虐殺はウソだと思いますか」と聞いてみるとします。間違っても、「ウソだと思う」という回答は返ってこないでしょう。そんな状況で、1が成立するはずもありません。 毛沢東ら戦後中国の指導者たちのスタンスは、「日本の過去の侵略行動は一部の軍国主義者がやった過去のあやまち。これからは友好の時代だ」でした。だからわざわざ「南京虐殺」なんぞという「過去」に言及することがなかっただけの話です。 どうしても1だと主張するのであれば、毛沢東が「日本の過去の侵略行為・暴虐行為を糾弾してみせる」演説を行ったが、なぜかその中で「南京」だけがすっぽり抜けている、という資料でも捜していただくことにしましょう。 なお「持久戦論」云々については、コンテンツ「中国共産党は知らなかったか」で採り上げていますので、ご参照ください。 要するに、「内容的に「南京事件」に触れる必然性がないから触れなかった」、というだけの話です。
これは明らかに東中野修道氏『南京事件 国民党極秘文書から読み解く』をネタ元としています。 この点については、「「南京の実相」を読む(2) 戸井田議員の奇妙な「解釈」」中の「三百回の記者会見?」で解説済みです。 上の文を読んだ方は、間違いなく、誰かが「約三○○回もの記者会見」の記録を一回一回精査して、その上で「南京虐殺」に関する記録がなかったという結論を出した、という意味であると考えるでしょう。 しかし実際に東中野氏が発掘したという「外事課工作概況」を見ると、ここに書かれているのは、単に「会見は合計三百回開いた」という事実だけです。その内容については、ほとんど伺い知ることができません。 内容がわからないのに、どうして「ただの1度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていない」などと断定できるのか。 おそらくは、「「概況」は記者会見の内容までには触れていない」→「「概況」には南京虐殺について書かれていない」→「記者会見では南京虐殺に言及していない」と「脳内変換」してしまったものであろうと推定されますが、 ともかくも、筆者は明らかにこの元の文を確認していません。 そもそも「記者会見」という言葉自体にトリックがあります。原文では「新聞会議」。中国側が一方的に情報発信する場ではなく、新聞記者を集めて講演会やティー・パーティーを開催する、気楽な場であったようです。 実際問題として、当時の国民党政府にとって、「南京虐殺」は主要な関心事ではありませんでした。また国民党政府も、事件当初は、ここまで大きな事件であるとは認識していなかった様子です。 国家存亡の危機にあって、全国各地で繰り返される「日本軍の蛮行」事例がひとつ増えたからといって、そんな問題にいちいち関わっていられない、というのが実態でしょう。 ※このあたりの事情は、 「「南京の実相」を読む(3)国際連盟と中国 なぜ「提訴」しなかったのか」にて詳しく解説しています。 先に述べた通り、「新聞会議」でこの話題が出たかどうかは不明です。しかしもし話題に出なかったとしても、それが「南京虐殺」がなかった、という「証拠」になるわけがありません。
あまりにレトロな「否定論」です。 本サイトでも、「二十万都市で三十万虐殺?」 「南京の人口は増えたのか?」で解説済みです。 要するに、こういうことになります。 1.この「三十万人」は中国側の見解ですが、そもそも日本側の研究者で「三十万人」説を採っている方はいません。 「質問状」は「三十万説」をターゲットにしていますので1はここには関係ありませんが、「人口に軍人を含めない」「地理的範囲を意図的に混同する」という点については、昔ながらの「間違った否定論」そのものです。 「地理的範囲」について言えば、「山手線の内側の人口が20万人だから東京都の人口は20万人である」というレベルの議論です。「山手線の外側」が完全無人地帯であることを証明しない限り、この命題は成立しえません。
どうでもいいのですが、私が数えたら「29件」になりました。「日本軍の暴行記録―「49人」か?」に「殺人事例」をすべて掲載しておきましたので、ヒマな方は数えてみてください。 いずれにしてもこれはあくまで「サンプル」であり、これがすべて、なんて妄想は、国際安全委員会は持っていませんでした。 「国際委員会」は、「日本軍の暴行記録」以外の文書でも、「警察官135人連行殺害」などの「日本軍の暴行」による犠牲者を報告しています。 詳しくは、「資料:「国際委員会文書」の告発」をご覧ください。 しかし「目撃されたものは1件のみ」というのも、無茶な記述です。ちなみに、第一六件、第一九件を見てみましょう。
明らかに、「生き残っ」た「彼」は「目撃者」です。
こちらでは、「一人の男」が「目撃者」になります。 どうも質問者は、中国人を「目撃者の資格」がある「人間」とは見ていないようです。 なお、「合法殺害」事例なるものはこちらです。
「合法」であるならば、「処刑」に当り最低限「裁判」の手続きを経ていたはずです。しかし「現場に着いた時」には被害者はもう「池の水に腰までつかって」いたわけですから、 目撃者が「裁判が行われたかどうか」を知ることなど、できるわけがありません。 また実際問題として、「南京」において「合法的殺害」を担保するための「裁判」が行われた、という記録は残っていません。 ここで「裁判」が行われた可能性はまずない、と考えてよいでしょう。 従ってこの注記は、「もし合法的な死刑執行であるならば」と、「仮定形」で読むべきところでしょう。 なお、「偕行」グループと親しく、『南京戦史』の編集にも携わった板倉由明氏も同様の見解です。
(2013.1.27)
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