盧溝橋事件 一周年回顧座談会

ー昭和十三年 東京朝日新聞ー



出席者

陸軍少将    牟田口廉也氏(紙上参加)
陸軍歩兵中佐 桜井徳太郎氏
陸軍歩兵中佐 一木清直氏
陸軍歩兵中佐 川本芳太郎氏
陸軍歩兵少佐 岩崎春茂氏
陸軍歩兵大尉 寺平忠輔氏
当時本社北京支局長、現東亜部支局
          園田次郎氏


本社側 緒方主筆、美土路編集局長、野村編集局次長、北野整理部長、細川政治部長■
 

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●東京朝日新聞 昭和十三年七月一日

盧溝橋事件一周年回顧座談会


膺懲の第一発命中  天佑・東天に旭日燦


桜井中佐 あれは秦徳純だつたのです

一木中佐 秦徳純でしたか、私は馮治安と言はれたと思つてゐたが・・・それで秦徳純が桜井中佐に言つたのには俺の部下でなくさういふ類ひだから攻撃をして宜しいといつた、 けれども城内を攻撃するのは待つてくれ 城内には良民もゐるから城内を攻撃するのは中止してくれないかといふ話だつた

 私も考へたが要するに日本軍の面目さへ立てばよいので、彼等に日本軍に戦闘意識がないとか、叩かれても平気でゐるとかいはれたくないので軍の威信上奮起したわけで、城内は挑戦して来ない限り射たぬことにした、

 桜井さんがそれではよし俺はこれから城内に行つて大隊長に会つて盧溝橋の城内の者は戦闘に参加させぬやうにする、だからそつちも攻撃しろといふので別れて桜井さんは自動車で帰り私は馬に乗つて進んだ、 所が考へて見ると桜井さんが城内に入つて彼等に話をし城外にゐると射たれるぞといふと城外にゐる敵は皆城内に逃込んでしまふ、私の方で攻撃して行つて一人も敵が居らんといふと面目がない

 夜も明けてくる、逃込まれぬ先に証拠を握るといふ点からいつても早くやらなければだめだと思つて山に駆け上るなり歩兵砲隊長に目標は龍王廟だ、あの方面に向けて攻撃しろ、部隊もその方面を攻撃しろ と馬の上で言ひながら山にかけ上つた、

 部隊は右向け右をして前進、私は先頭に立つてそのまま一文字山の崖を降りて右斜に前進して行つたがその時は攻撃の陣形をとつてゐたから向きを変へるだけで済みました、

 苑平県城は七百メートルに三百メートル位で門は二つきりない、そして城壁に沿つて砂が吹きつけて砂丘が出来てをりそれにアカシヤが生えそことのころの城壁は一メートルか一メートル五十位で私共の狙ひ所は此処であつた

 所が桜井さんとの話の結果城は攻撃しないことになつて城壁を左に見て進むといふことになつた、さうして進んで行つた時に又攻撃を制限せざるを得ない事情が起つた、それは私の方は敵がゐたら歩兵砲で威嚇して置いて一挙に突込んでやらう、 朝がけの戦闘をやらうといふことになつてゐた、そして京漢線の方に当つて高い堤防があり、京漢線の鉄道線路の上を私が先頭に立つて前進した、

 桜井さんがいつたので敵がをらんのぢやないか、をらんとすれば抜いた刀のやり場に困るがなどと考へながら三百メートル位近づいた時薄明りの中に敵が点々として散兵壕の中に見える、 そこでこれは証拠が握れるぞと安心して歩兵砲の者にすぐ射てと号令した、

 所が今まで準備をして集合をかけてゐた歩兵砲が射たない、どうした訳かと思つて何故射たぬかと催促の信号をしたところ歩兵砲隊長の所から連絡が来て、一文字山に森田中佐が来て射撃をとめてゐますといふ

 それから私もびつくりした、一刻千金といふ夜明けの大事の時に止められたとなると大変な事だし、 森田さんは私と牟田口連隊長が電話で話した経緯は御存知ないから森田さんの御了解を得なければならぬといふので通信班長の小岩井といふものに部隊長と私との間にはやつて宜しいといふことになつてゐるからと伝へさせた、

それが到着したらしいけれどもなかなか討てといふまでには至らなかつた、森田さんが支那の要人共と現地調停のために出発されたのが四時、私と部隊長との電話は四時二十分です

 どうもこんなことをやつてゐたんでは時間がかかると思ひましたが、こつちでこれだけやるぞといふ意思があることを示せばあとはどういふ風にでも話はつくから好んで射撃をする必要もない、森田さんがお止めになるなら許されるまで待機して、 この間に兵に飯でも食はしてやらうと全部止れ、飯を食へといふ号令を出し小さい畦の陰などにしゃがんで背負ひ袋の中からパンを出して食べようとした時

 支那軍の方は私たちの攻撃が鈍つたと見て、多分俺達に向ふ気力はなく、あそこで散兵壕を作つて防禦でもすると言つたのでせう 前進してゐる間は何ともなかつたのがパラパラと射出した

 さうなると私の方でも仕方がありませんし額田さんもおとめにならぬことは分つてゐるから私も機を逸せず攻撃前進、歩兵砲射てと号令を下しやつと射ち出しました

 大体大砲は第一発は射程が短いものですが第一発から敵のトーチカに立派に命中しまして士気は非常に揚がつた、機関銃、歩兵も一斉に前進した、それが午前五時半でありました、

 其時今まで非常に暗かつたのが天佑と申しますかひよつと振返つて見ますと東の方に大きな太陽がそれこそ旭日然として輝いてをります、私も本部の書記に「五時半太陽があがる」と書いて置けと書かせましたが実際気持ちのよい程大きな太陽が昇りました

 弾はぱらぱら飛んで来て私もその時始めて弾の洗礼を受けたのでありますが身体に当るといふ気持ちはなくて早く証拠を握らなければ交渉が出来ないといふ考でした、敵はすぐ鉄橋の方から苑平県城の方にどんどん逃出した、 △△部隊は平素苑平県城を攻撃する時に命じてあるそのまま戦闘開始とともに龍王廟の所からまつすぐ敵に斬り込んだ

 丁度其時部下の小隊で敵の小隊長と交渉してゐたのがゐたらしいが戦闘開始と共にそのまま斬り込んで向ふの小隊長などはトーチカの前で一刀の下にやられたといふ訳で、一挙に突破してしまつた

 其時面白いのは連絡にやつた亀中尉等はあんまり△△部隊が進むので味方と相打ちになりはせんかと心配して△△部隊の先頭は此処だと馬に乗つて帽子を振りながら敵、味方の射つてゐる中を駆出して行つたが、 こつちから見てゐると馬に引つかけられて飛んで行くのではないかと変に思つた位でした、

 そんな訳で戦闘は非常に早く終りましたが敵を全部逃がしてしまつたのでは証拠物件を握る訳に行きませんからすぐ突込めと命じ○○部隊は敵と百五十メートル位離れてゐましたが一挙に突込んで堤防に上ると 高い堤防なので味方の砲弾が部隊の上をすれすれに飛んで行き○○部隊の准尉と曹長あたりが弾の煽りを食つて土手の上からごろごろ転げ落ちた、

 それは後になつて分つたことですが、其時は先頭を行く二人が何故転げ落ちるのか分らなかつた、やられて転げるんだらうと思つてゐた

 かうしてどつと突込むと、敵は逃げ路を失つて氷定河の中に飛込んだりした、こんな訳で鎧袖一触で土手の上に飛ついて見た時はどうかといひますと苑平県城の方は桜井中佐がおとめになつたために白旗を出してをつたが 今土手に噛りついた時は後ろの方からどんどん城の上から射出して来る、それより前から射つてゐたかも知れませんが確認した時は土手の上に行くと後ろから弾が来る、

 一部隊は城の西の方から逆襲して来てゐますがこれは左の方の小隊が勇敢に戦つてそのとき鹿内といふ准尉は戦死をして食止めて居ります、

 さうかうして土手の線は占領しましたが、私がその時考へましたのはもうこれで彼等を膺懲する目的は果たしたからこれで戦闘をやめさせようとラッパを吹いて気をつけの姿勢をとらせ戦闘をやめさせようとかういふ風に考へて 「ラッパ手」と私は鉄橋のところで呼んだのです、

 呼んだけれども、ふと考へて見ると城の方からも敵はどんどん射つ、それと時を同じうして鉄橋の下の方に例の盧溝橋−マルコポーロ橋といふ大きな石橋がある、そこに中之島と云ふ島みたいな部落がある、その島の北端に支那の兵営があるのです、

 その兵営の方からどんどん射ち出した、鉄橋の向ふの端永定河の右岸の方からも向ふの守備をしてをつた兵隊がどんどん射ち出す

 そんな状況からしてこれはここで戦闘をやめにして兵を集結してみたところで駄目だ、敵は城からも射つ、対岸からも射ち出す、ぐづぐづして居れば敵の弾で犬死にするだけです、 これはいつそ向ふ岸まで出てさうしてこの位の事件になればきつと北京からも天津からも増兵があるだらうと思ひ、さうなつた場合には早晩敵は退却する、退却すればその場合には返路を撃つことが出来る

 さういふことがないにしても 向側にをれば行動が自由だし敵から射たれることが少いから向ふに移るといふことに決心をした、そこで一度「ラッパ手」と呼んだけれどもそれから考へ直して又直ぐ「追撃」といふことをいつた、

 ところがその時には皆河の中に逃げて来るのを面白がつて射つてゐた、中には橋の桁を利用して射つてゐる、ひどいのは立つて射つた、矢張りあれが追撃の時の心理状態だと思ひます、 非常に今まで癪に障つてをつた奴が逃げるといふのでもつて皆嬉しがつて射つたのですが「前進」といつてもなかなか前進しない

 そこで私は矢張り怒鳴りまして

「追撃は足でやるのぢやないか、この間新しい歩兵操典で教はつたばかりぢやないか、追撃といふのは射撃ばかりでなく脚でやるのだ、脚でどんどん追撃するのだ」

 丁度私はその時馬の蝿払ひを持つてゐましたがそれを大いに振つて督励して歩きました さうしたら○○部隊長が一番先に鉄橋を渡り出しそれから山本といふ中尉が鉄橋の下に飛び込んだ、  ところが鉄橋の下はとても深く飛び込んだ山本中尉は溺れさうになりながらも「上だ上だ」といつたので上流から飛び込んで皆行つた、

 中には機関銃をそのまま肩に担いで飛び込んで行つたものがありました、機関銃を全部脚と銃身をくつつけたものを一人で持つて歩くのは容易ぢやないのです、 要するにああいふことは火事の時に箪笥が持てるといふのと同じで力が出るのだと思ひますが機関銃その他全部を持つて河の中に飛び込んだ、

 山本中尉もきのふ私のところに来た手紙によると亀大尉と一緒に、この間まで中尉だつたがこの三月大尉になりました亀といふ大尉の部下で一緒に戦死したと聞いてゐますが非常に気の毒だと思ひます、

 山本中尉が南苑の戦闘には非常な苦心をして突撃をして私の部隊として殊勲を樹てた、非常に立派な優秀な中尉でありますが今度死んだその山本中尉が○○部隊の穂積といふ兵と友に真先に河の中に飛び込んで鉄橋を渡つた、 さうして向側に渡つたのは丁度六時少し過ぎでありました、

 まあかういふのが戦闘の初まりの時の経緯であります

緒方主筆 丁度夕食の時間となりましたので晩餐後又続けて戴くことに致します(午後七時半晩餐のため休憩同八時十分再開)

(続く)

(2004.11.2)


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