盧溝橋事件 一周年回顧座談会

ー昭和十三年 東京朝日新聞ー


出席者



陸軍少将    牟田口廉也氏(紙上参加)
陸軍歩兵中佐 桜井徳太郎氏
陸軍歩兵中佐 一木清直氏
陸軍歩兵中佐 川本芳太郎氏
陸軍歩兵少佐 岩崎春茂氏
陸軍歩兵大尉 寺平忠輔氏
当時本社北京支局長、現東亜部支局
          園田次郎氏


本社側 緒方主筆、美土路編集局長、野村編集局次長、北野整理部長、細川政治部長■

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●東京朝日新聞 昭和十三年七月三日

盧溝橋事件一周年回顧座談会

 現地交渉捗らず 悲壮・苑平城に罐詰


寺平大尉 とに角私はお先に失礼しますといつて先に城内に入つた、そして苑平城の東門の所に来た所がその時に桜井中佐が先に入つてをつた、私達が行つた時には重機関銃や軽機関銃、青龍刀大だんぴらを下げた兵隊がずらりと並んでをつた、我々は自動車で行つたが止まれといはれピタリと止められた そして出て来いといふので自動車から降ろされたので私は早速
 我々は戦をしに来たのぢやない 事件の交渉のために来たのだ、お前等の部隊の指揮官と会見をするために来た、だから指揮官にその事を伝へろ

 と云つて私の名刺をやつた、すると暫くして又出て来て「どうぞお入り下さい」といふので自動車諸共すーつと入つて城内の真中の苑平城の県庁の中に入つて行つた、するとそこに桜井中佐が居られて金振中大隊長と机を叩いて激論の最中でした、

(桜井中佐に向ひ)あの時は何をいつてゐたのですか

桜井中佐 私が代表となつて秦徳純と馮治安に言つた、秦徳純は外の軍隊が動いたら事が大きくなるばかりだ、それに城の中には良民も居るし、ここを射たれては困るから貴方が出て止めて下さいといふ、そこで止めに行つたのです

 城門のところに行くと支那の一箇中隊が整列してラツパを吹いて僕を迎へた、そして将校を集めて聞いたところが城外には支那兵は居らぬといふから一緒に行つた 斉藤通訳に大隊長の金振中を呼んでこいと命じ、通訳が自転車で行つて大隊長を呼んで来たがこれも瓢箪鯰のやうなことをいふ

 「城外には私の軍隊はゐない」「射たん」  結局有耶無耶、証拠がないので射たんといひ張るのだ、

 折角こちらで調査に行つたところがさういふ責任転嫁をやられちや調査の意義が成立たない、「どうしても城内にしかをらん」といつて真相をいはない、私は結局城内には千四五百の良民もゐることだし、いざやるとなると可哀相だから射たずに済めば済ましたい、かういふ気持でゐたが金大隊長の答弁を聞くと 瓢箪鯰で責任転嫁をやる、非常に不都合だといふので激論になつたのです

寺平大尉 現地に見に行つて苑平城の東の城門に現在支那軍がゐるので「あそこに部隊を置いておくといふことは良くない 西の城門まで下げろ、東の城門は日本軍が位置する、支那軍は西の城門といふことにして我々は調査 並に交渉を開始しよう」と云つた、

 所が大隊長の金振中が「御主旨はよく判る、ただ東の城門に日本軍を入れることはお断りする」といふので「演習の時には日本軍はどんどん入るしそれから北清事変後の日支両国の交換文書によつても駐兵権に伴ひ日本軍が入ることは条約上認められてゐる権限である そこに入つてはいかんといふのはどういふ訳か、さういふことをいひ出すといふことになれば交渉は頗る工合が悪くなる」と云つたがその時に城外でバンバンと始まつた

 これが午前五時三十分だつた、城外の状況は今の一木部隊長のお話の通りです、バンバン始まつたのでこれはいかん、私は桜井さんとお話して我々は不拡大、現地交渉といふ任務を持つてゐるが我々の任務も放棄する必要がある、さうして第二の進むべき道に進まなければならぬ、取敢へず報告すると云つて北京の特務機関を呼んで松井大佐に電話口に出て貰つて
 私達は今苑平城内に居ります、交渉してゐる最中に城外では日支両軍が衝突した、我々は 機関長殿に戴いた任務を放棄せざるの止むなきに至りました、支那側の大隊長に対しては取敢へず貴様の方は射撃を中止せよといふことを命じてゐます、現在も打つてゐます

 それこそラヂオのアナウンサーぢやないが「只今もこの電話を通じて銃声、砲声が機関長殿のお耳に入つただらうと思ひます」といつた、さうしたら松井機関長は
 さうか、始まつてしまつたのでは仕方がない、今さら不拡大などといふ時期ぢやない、さうなつたら特務機関は忙しくなるから直ぐに帰つて来い

 と云はれましたが、その時は既に城壁上には支那軍が立つてをり城内は土嚢を一ぱい積み重ねてとても城外に出られない、結局私達は苑平城内に罐詰になつてしまつたのです、だから
 機関長殿のお話はよく判りますが我々は今とても城外に出られない、出られるやうな状況ぢやありません、この電話でお話するのが或は最後の言葉になるかも知れません、若し機会があつたらまた電話で連絡致します、我々は射撃を中止させることに専念致します、牟田口部隊長にも連絡して下さい

 と頼んで電話を切つた、れからその部屋の隅にあつた寝台の敷布をひつぱがして軍使の白旗を作り、それを桜井中佐が持つて城壁の上を廻つて「射撃中止、射撃中止」と支那側に怒鳴つて歩いた、桜井中佐のお話を聞かれたらわかると思ひます

桜井中佐 城を攻撃しないといふ約束をした責任があるから旗を二本作つて私と斉藤通訳が金振中大隊長をつかまへて披露に上つた、丁度その時、城壁目がけて射撃が始まつた、日本軍が左翼京漢線の線路の左側から堂々と攻撃して来る、

 日本の歩兵砲の弾丸がよく城壁に当つたが城壁の上にゐる将校がなぜ友軍が打たれてゐるのに打たさんかと拳銃を突き付けて怒鳴つてゐる、お前が居つたら城内は忽ちやられてしまふ、秦徳純の命令とか何とか貴様が嘘を云つたのでこんなになつてしまつたといつて怒つてゐたが、大隊長は一生懸命に止めた、

 将校が何といつても打つてはならぬといつて、城壁の上を歩いたが城壁の上には機関銃や迫撃砲や又歩兵部隊がずらりと並んでゐる そこをずつと歩いたが途中何回打たれさうになつたか判らなかつた

川本中佐 その大隊長は偉いですね

寺平大尉 責任者は責任者だが個人的には立派な男です

桜井中佐 一木部隊の攻撃は実に堂々たる攻撃だつたよ、途中まではまるで演習みたいだつた、私も止めるのに一生懸命なもんだから城壁上をずつと端まで行つた所がそれは氷定河の向側の城壁だつた、これは中々射撃は止まらぬと思つたので私は大隊長をつかまへて降りて来た、

 そして大隊本部の前に来た時兎に角調査して来ると云つたら自動車を呼んでくれたので、それに二十九軍参謀の周栄業を車の上に乗つけて僕は自動車の屋根の上に乗つて ― 上に乗らぬと日本軍に判らぬから ― 白旗を持つて出かけた、がそれでも私達を打つ奴がゐた

寺平大尉 あれは最初私と貴方と金振中と皆で一緒に行く予定だつた、私達が一緒に行つて城外で白旗を振らうと思つて西門の所まで行つた時に城門の所から一個中隊ばかりがどやどやと降りて来た、そして自動車の周りをとりまいて拳銃を斯う振り上げた、

 その時大隊長の金振中がつかつかと出て来て「待て」と云つて拳銃を振りあげた奴に「貴様達は軍使や顧問に対して無礼をするのか」と怒鳴りつけて射撃を中止さした、偉い見幕だつたので皆ちりぢりばらばらになつた

 そのあとで大隊長が私達に云つた、
 「私は貴方方の御趣旨通りに部下を押へつけて射撃を止めさせたいと思つてゐますが私の部下はこれ程までに興奮してゐます、私の力を以てどれだけ押へ得るか私は疑問を持つてゐます、

 ついては貴方方皆今から城外に出て白旗を振つて射撃中止を徹底させることは良いが城内に日本人が居らぬといふ所で今度は日本軍が苑平城目がけて全力をあげて攻撃して来るかも知れない、又さういふことのために私の部下は極力日本軍に射撃することになるかも知れない、

 この際両方の射撃を交へさせないためには貴方方の中誰か一人城内に残つてくれ、一名は城外に行つて一名は残つてくれ

といふ、

 そこで桜井中佐は「よし、俺が行く、君残れ」といつて特務機関の飴色の自動車の屋根に勇ましくまたがつて白旗を振りながら城外に出て行つた

桜井中佐 僕が出て行くと途中耿錫訓といふ大尉が居つたからそれを自動車の上に乗せて行つた 城門のところまで行くと六人ばかり死んで居つた、マルコポーロ橋の所にも死んだり怪我をしてゐる奴がゐた、

 守つてゐる奴は皆銃を持つて出て来たが自動車の上にゐる耿といふ中隊長が自分も射たれるから「止めろ止めろ」と云つて止めた、

 中の島まで行つた所で営長の少佐に会つた、それから兵営を通り過ぎて少し行つた所が中尉が居て、それが部下一人を連れて我我を射つた、そうしたら一緒に乗つてゐる大尉が怒つて「俺の顔を知つてゐるかア」と云つたので止めたのでやれやれと思つた

 所が今度たつた今通つたばかりの中の島の方から射ち出した、我々は直ぐに引返して怒つて「たつた今通つたのに何故射つか」と云つたら「日本軍が河を渡つて来る」といふ、兎に角射撃を止めさして別のところに行つて止めさせると又向ふで射つ それから又川の向ふに行つて止めさせた、その時は日本軍は中の島にたどりついて居つた

 その時又城内から射ち出した、自動車は道が悪くて進まない、さあ大変だと思つた、迫撃砲の弾丸や何か飛んで来る、僕は外にゐるよりも城内に入つた方が良いと思つたので又城内に引返した、 帰つて来る時は死傷者が大分出てゐた、上に乗つてゐる大尉が「射つな、射つな」といふのでどうやら帰つて来られた

寺平大尉 貴方があれから外に出て行かれてから私一人残された、結局人質となつて残らなければいけないといふので・・・・そこで大隊本部の中に入つてボロボロの椅子に腰をかけて貴方の帰つて来るまで待つてゐた、城外の状況は時々銃声が激しくなつたと思ふと止む、又暫くすると激しくなる、どうなるのか知らんと思つて居た、

 私の側には支那の兵隊が一人居つてそしてこれは拳銃と青龍刀をもつて監視してをつた、時々他の兵隊が来ては私を憎らしさうに見てゐる、そして拳銃を出しては例の調子で頭の上に振りかぶり私を殺さうとするが先程大隊長に怒られてゐるから射つといふと叱られるので腕を引込める、又青龍刀を持つて脅しつける、そして次から次に行つてしまふ、そんな状態で、愈々私も観念しました

 その時私は捕虜といふものについて考へた、自分は捕虜ぢやないか知らん、捕虜になつたら腹を切らなければならぬが私の残るといふことについては桜井中佐の御命令で残つた、それに刀も付けてゐるし拳銃も持つてゐるのだから自由がある、してみると捕虜ではない筈だ、

 それにしても我々軍人として戦に行つて死ぬ時には散弾の中に突撃をやつて弾丸に当つて死ぬ方が良い、斯ういふことを考へてゐたが、頭の上には日本軍の弾丸が飛んで来る、屋根に当つて落ちる、部屋の中に飛込んでくるといふ訳で最後に死ぬ時は恐らく日本軍の弾に当つて死ぬのぢやないかとも考へてゐた

(続く)

(2004.11.14)


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