731部隊 ネットで見かけたトンデモ議論(12)
「家永教科書裁判」 秦郁彦証言の変遷

 「フェルレポート」「ヒルレポート」は、今日、研究者の共有財産として完全に定着しています。その資料価値を疑う者は、プロの世界では皆無といっていいでしょう。

 ネットの世界にのみ存在する「731否定論者」にとって、両レポートは大変目障りな存在でしょう。彼らは何とか「否定」の材料をみつけようと必死にネットを捜した結果、やっと両レポートに対する批判めいた文を発見できたようです。

 「きよみどん」という方による、『「731部隊犯罪」信者に反論してみたー客観的証拠と言えるものは何も無い』なるタイトルの「まとめ」からです。


大事な箇所なので、目の付け所鋭い××さん(原文ハンドルネーム)提示してくれた部分画像を拝借します。 これの最後2行が、サヨクが「証拠は既にある、アメリカに渡したデータ」と言い募るフェルやヒル調査官尋問による資料ですね。 はい、はい。



 続いて、家永教科書裁判最高裁判決のうち、「裁判官山口繁」による少数意見が紹介されます。「きよみどん」氏は「画像」で提示しましたが、こちらではテキストに直しました。(『最高裁判決』のうち「731部隊関連」については、こちらに掲載しました)

家永教科書裁判 最高裁判決

 判示一二の4についての裁判官山口繁の反対意見は、次のとおりである。

 私は、多数意見と異なり、「七三一部隊」の原稿記述について文部大臣が修正意見を付したことは違法ではなく、右の点についての上告人の上告は棄却すべきものと考えるので、以下その理由を述べる。

(略)

二 ところで、原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

(略)

  しかし、他方において、前掲「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料 とされたものについては、次のような指摘がなされている

 すなわち、(1) 前掲 「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされたハバロフスク軍事裁判記録に関する出版物は、通常この種のものに付されている奥付・序文がないため、訳者、日本での出版社、発行年など書物の来歴をうかがうことができず、また、モスクワで印刷されたものがどうして当時アメリカの占領下にあった日本で発行されたのかなどの点で史料としての疑問が多く、原本に当たり検証することもできない同書を学術的に利用するには慎重な検討が必要である

(なお、「悪魔の飽食」の著者も、ハバロフスク軍事裁判記録は、あくまで勝者が敗者を裁いたドキュメントで あり、さらに供述証言に応じた元隊員たちの複雑な思惑も絡んで、七三一部隊の本質をうかがわせるものであっても同部隊の正確な全容を示すものではないとしている。)。

(2) 「悪魔の飽食」の基礎資料の一つとされたアメリカ軍の資料は、その資料価値は高いと考えられるものの、当時占領下という状況で米軍が尋問した結果であるから、その任意性・信ぴょう性、供述された範囲(生体実験等重要部分を欠く。)等には疑問があり、慎重に扱うことが必要であるところ、これらは、昭和 五六、七年ころに初めてアメリカ合衆国で研究者が一般に利用できるような状態に立ち至ったのであり、昭和五八年度検定以前には、我が国では、同記録のごく一部分が紹介されていたにすぎず、いまだ十分な史料批判が行われていたということはできない。


 ここでは「ハバロフスク裁判記録」「アメリカ軍の資料(フェル・ヒル両レポート)」への批判が展開されますが、「きよみどん」氏は、上のうち「原審の確定した事実関係の概要」部分の画像を省略しましたので、この「少数意見」の拠って立つ根拠が全くわからなくなっています
 
 おそらくきよみどん氏は、「都合のいい資料」の発見に舞い上がってしまい、この記述が正しいかどうかを元データに遡って「検証」する、という当然の手続きは、思い付きもしなかったのでしょう。

 彼はその後、私とのやりとりの中で、「「家永教科書裁判・第三次訴訟上告審〈平成6年(オ)第1119号〉最高裁1997年8月29日判決 裁判官山口繁による反対意見」が言いたいことのすべてと言ってもいいです」と言ってのけるほど、この一文に入れ込んでしまっています。
※余談ですが、不思議なことに、ネットにおける「731否定派」のほとんどは、活字資料は全く参照せず、ネットの上の限られたデータだけで議論しようとします。「裁判」について取り上げた『裁かれた七三一部隊』『<論争>731部隊』といった本を確認していれば、すぐにこの「少数意見」をめぐる経緯がわかったはずなのですが。

 実際にはこの部分は、第一審における秦郁彦証言をそのまま紹介した部分です


 念の為ですが、第一審・最高裁判決少数意見とも、秦郁彦証言の紹介を行うのみで、それが正しいかどうかの判断は行っていません。


 しかし、その後秦氏は、控訴審(第二審)では「ハバロフスク裁判記録」「米軍レポート」の資料価値を認める方向に見解を変えました。これによって第一審秦証言のこの部分は、完全に無効化された、と言っていいでしょう

 以下、裁判の経緯を追っていきます。


 
 「731部隊」関係で裁判の争点となったのは、1983年、家永氏が教科書に行った以下の記述です。


 またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。


 文部省は、検定にて、上記記述の全面削除を命じました。七三一部隊についての研究は現時点(1983年時点)ではまだ不十分であり、記述は「時期尚早」である、というのがその理由です。

 家永三郎氏はこの決定を不服として、裁判を起しました。
※裁判は、「沖縄戦」等、4ヶ所の記述をめぐって争われましたが、こちらでは「731部隊」に関する部分のみ取り上げています。

 裁判では、家永氏に対抗する国側証人として、秦郁彦氏が出廷しました。当時秦氏は、731部隊の「人体実験」「細菌戦」の存在について、懐疑的な立場をとっていました

 第一審での証言を紹介します。

家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

原告代理人(小林)


56 生物兵器とか細菌、黴菌(ばいきん)、そう言われたものを用いて戦争する ー これを「細菌戦」と呼ぶことがあると思いますが、そういうことを七三一部隊がやったという御認識ですか、やらないという御認識ですか。

 やったかもしれないという認識は持っておりますけれども、確証が取れない、ということだと思います。(P141)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

58 先ほど、「生体実験」という言葉に言及されましたけれども、端的にお尋ねしますが、外国人の方に対して、その施設の中で、生体実験をやったという御認識ですか、そうでなくて、全くやっていなかったという御認識ですか。

 やったかもしれないという認識をしております。(P141)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 

 秦氏は、「細菌戦」「人体実験」いずれについても「断定」を避け、「やったかもしれない」「確証がとれない」という曖昧な表現に終始しています。 

 
 そして秦氏は、「ハバロフスク裁判記録」「米軍レポート」につき、一応の資料価値を認めながらも、強い「疑念」を表明します。

家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

 昭和二五年に初めて日本にこのハバロフスク裁判の邦訳が出たことを私自身も記憶しており、そのとき直ちに読んだ記憶もございますけれども、またその後同じもののリプリントが何度か出回っているということも承知しておりますが、いまだに疑問になって、解けない疑問は、昭和二五年、一九五〇年と言えば、日本がまだアメリカの占領下であります。

 アメリカの占領下で、モスクワで印刷されたという最初の訳がどうやって日本に持ち込まれたのかということが、どうもはっきりしない

 それから、いわゆる奥付に当たるものの発行年・序文、そういった通常こういうものに付されている来歴をうかがうことのできるデータが一切ないということでありまして、いまだにこの出版物はどこでどういうふうに作られたものであるかということに、疑問を感じております

 従って、そこに記載されていることについては、極めて慎重な態度で観察をして行きませんと、これをもって学術的に利用することができないというふうに考えております。(P115)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審)

 何と言いましても、石井部隊の活動、即ち七三一部隊の活動については、これは日本軍の一部であったわけですから、日本軍自体の公式資料、これが筆頭に、位するベきものであるということは、当然であります。(P118-P119)

 しかしながら、それらの大部分は、終戦期に減失されたというふうに聞いておりまして、従って次いで石井部隊の幹部に対してアメリカ軍が尋問をしてまとめた記録が次頭の価値を持つ史料だというふうに考えます。

 しかしながら、これも当時占領下という状況で米軍が尋問したその結果でありますから、当然そこに自由な告白があったか否か、ある種の無形の圧力もあり得たんではなかろうか。逆に幹部のほうがすべてを率直に答えたかどうか、この辺に疑問がありますので、相当慎重に扱って読まなければならないものであるということは確かでありますけれども、いずれにしてもハバロフスク裁判のように非公開裁判によってまとめられた記録よりは、遥かに価値が高いと考えております。(P119)

※「ゆう」注 この時点では秦氏の米軍レポートに関する理解は十分なものではなく、上の証言には違和感を覚えざるを得ません。

例えば、増田知貞、金子順一、内藤良一の3人の幹部が「人体実験」を認めた経緯については、
フェルレポートの尋問記録でリアルに語られています。

またヒルレポートの段階では部隊の研究者たちは競うように自らの「研究成果」を語っており(インタビュー記録)、
ヒル自身も「尋問した人たちから得られた情報は任意(「ゆう」注 原文voluntarily=自発的)によるもの」と評価しています。

秦氏は、この時点では、「レポート」に付随するこれらの記録を見ていなかったのかもしれません。
(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収) 


 第一審判決は、上記証言を、「秦郁彦」の「見解」として、そのまま紹介しています

第三次教科書訴訟 第一審 加藤判決

 (2) 他方、拓殖大学教授秦郁彦は、七三一部隊に関する前記著作及びその資・史料とされた文献について次のとおりの見解を有している

  〇駑租価値が高いと思われる旧日本軍自体における公式の資料は、終戦時に滅失されたといわれており、いまだに発見されていない。

 ◆〜扱如岼魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされた「細菌戦用兵器ノ準備及び使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ開スル公判書類」(外国語図書出版所、昭和二五年、乙第一一八号証−甲第二六七号証はその復刻版)には、ハバロフスクにおいて行われた七三一部隊関係者の軍事裁判の尋問調書、起訴理由書、公判記録、判決文などが収録されているが、この書物は、非公開裁判の記録の一部とされるものであるうえ、これには、通常この種のものに付されている奥付・序文がないため、訳者、日本での出版社、発行年など書物の来歴を窺うことができず、また、モスクワで印刷されたものがどうして当時アメリカの占領下にあった日本で発行されたのかなどの点で史料としての疑問が多く、原本に当たり検証することもできない同書を学術的に利用するには慎重な検討が必要である(P315-P316)

(略)

 A扱如岼魔の飽食」の基礎資料の一つとされている旧七三一部隊幹部に対する尋問をまとめたアメリカ軍による調査記録は、その史料価値は高いと考えられるものの、当時占領下という状況で米軍が尋問した結果であるから、その任意性、信びょう性、供述された範囲(生体実験等重要部分を欠く。)等に疑問があり、慎重に扱うことが必要であるところ、これらは、昭和五六、七年ころに初めてアメリカ合衆国で研究者が表に利用できるような状態に立ち至ったのであり、昭和五八年度検定以前には、我が国では、同記録のごく一部分が紹介されていたにすぎず、いまだ十分な史料批判が行われていたということはできない。(P316)

(森村誠一編『裁かれた七三一部隊』所収)
※判決では、米軍レポートにつき、「生体実験等重要部分を欠く」という一文が挟み込まれていますが、レポートは「生体実験」の成果を詳しく語っており、これは明らかに事実と相違します。


 この部分は、そのまま最初に掲げた最高裁判決・山口繁の少数意見に引継がれました。読み比べれば、ほぼ同一であることがわかります。
※念の為ですが、第一審判決は、「これら双方の学問的見解の優劣については、当裁判所の判断し得るところではない」と秦証言が妥当かどうかの判断を避けています。

 また最高裁少数意見も「次のような指摘がなされている」と指摘するだけで、別に秦の見解に同意しているわけではありません。



 さて、国側証人としてこんな懐疑的な証言を残した秦氏ですが、氏の1990年の論稿、『日本の細菌戦』(『正論』1990年3月号・4月号掲載)では、一転して「人体実験」「細菌戦」を認める立場に転じました

 第一審では「極めて慎重な態度で観察をして行きませんと、これをもって学術的に利用することができない」とまで言い切った「ハバロフスク裁判記録」についても、大きく評価を変えています

秦郁彦『日本の細菌戦』(上)

 前後して、元隊員の手記やルポライターの探索記事も続出、常石敬一らによる在米資料の発掘も進んだが、ハバロフスク裁判の記録は良くも悪くも、この分野における公開文献第一号であり、今でも基礎資料としての価値を失っていない。(P536)
※「ゆう」注 この後に「この記録には史料批判を要する点が多々あり、要点はウノミにせず他の資料と照合してみる慎重さが必要だろう」とする文が続きますが、資料価値を認めた上で「史料批判」の必要性を説いているわけですので、第一審の証言とは全くニュアンスを異にします。
(『昭和史の謎を追う』(上)所収)


 「フェルレポート」についても、はっきりと「資料価値」を認め、内容をそのまま紹介しています

秦郁彦『日本の細菌戦』(下)

 終戦後の一九四七年、七三一関係者への尋問に基いて作成されたフェル・レポートでは、中国における(細菌の)使用例は十二回、うち効果を確認できたのは三回としている。中国側の発表例はこれより少ないが、自然発生か人為的汚染か区別がつきにくいせいかと思われる。(P561)



 この決定により再調査のため、四月から六月にかけ日本へ派遣されたのがノーバート・フェル博士(デトリック研究所員)である。入れかわりに、十月からやはりデトリックのヒル博士とヴィクター博士もやってきた。

 二つの報告書の要点が公開されたのは一九八四年と八六年になってからだが、この段階では石井たちも観念したのだろう。人体実験を認め、細菌ごとの感染・致死量や効果をふくむ詳細なデータを提供した。
※余談ですが、秦氏はレポートの公開を「1984年と1986年」と述べています。つまり教科書検定当時の1983年ではまだ未公開であった、ということになりますが、実際には米国公文書の公開年度を正確に知ることは困難であり、第二審で家永側は、この記述の根拠を追及しました。秦氏は明確な根拠を示すことができず、「諸々の情報を総合して」の判断である、と答えるにとどまりました。

 内地へ移送してあった八千枚の組織標本も、渡している(データの多くはユタ州の米陸軍ダグウエー生物兵器実験所が保管)。

 フェル博士は「人体実験のデータは計り知れない価値を持つ……今やわれわれは日本の細菌戦研究の全てを知っているといっていいだろう」と喜んだが、石井もさる者で、すべてを告白したわけではなさそうだ。彼はのちに娘のハルミヘ「米軍にすべてを流したのではない。八〇%程度だ。あとの二〇%は私の脳にしまいこんである」と語っている。何が二〇%に当たるかは不明だが、少なくともサイパンなど不発の対米細菌作戦については、口を割らなかったと思われる。(P582)



 ともあれ、人体実験を土台にしたデータが、そうした機会の乏しかったアメリカにとって、えがたい貴重な収穫であったことは疑いがない

 一九四七年八月一日付の陸・海・国務三省調整委員会報告は、その理由を「これまで病原体の人体への効果は動物実験のデータから見つもるしかなかった。そうした見つもりは不確実であり、人体実験から得られる結果と比べれば、はるかに不完全なものだから」と説明している。しかし、細菌戦が将来戦における決定的兵器となりうるかについては、米専門家は懐疑的だった。

 四七年八月五日付の米海軍情報部レポートは、フェル報告の成果を要約したものだが、七三一が取り組んだ対象のうち有効と認められるのは、家畜用の炭疽菌とペスト蚤の二種類だけで、それも免疫ワクチンがあれば予防できるだろう、と述べていた。

 実際に平房では研究中に不注意でペストに感染して死んだ隊員はいたが、ひんばんに予防ワクチンを注射していた者は安全だった。(P583)

(『昭和史の謎を追う』(上)所収)



 この論稿が出た翌年の1991年には、家永教科書裁判の控訴審(第二審)が行われました。

 秦氏は引続き、国側の証人として出廷します。そして「懐疑派」の立場をとった第一審とはうって変わり、「人体実験」「細菌戦」の存在を明確に認めることになりました
※念の為ですが、裁判の論点は、「検定が行われた1983年時点で「731部隊」の実態が十分に明らかになっていたか」ということであり、「731部隊が本当に「人体実験」「細菌戦」を行っていたか」ではありません。

秦氏の認識は第一審から第二審にかけて大きく変化しましたが、この論点については、「1983年時点では実態の解明は不十分だった」という主張で一貫しています。

第一審判決は、秦証言をほとんど唯一の根拠として、このような見解もあるのだから検定が誤っていたとはいえない、と家永側の訴えを退けました。第二審も同様です。

しかし最高裁は、「
生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していた」と原告側の主張を認め、家永側の逆転勝訴となりました。


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○先程あなたが御証言なさった「正論」についてお聞きします。この「正論」では、七三一部隊が人体実験をしたということについては、あなたもお認めになっておられますね

  はい、認めております。 (P192)



○今度は、中国大陸での細菌戦についても寧波や常徳で行ったということを、あなたは「正論」にお書きになっておられますね。それはお認めになっておられますね。(P191-P192)

 はい

○「正論」を見ますと、証人は七三一部隊の本来の目的は細菌の実用兵器化であって、そのために人体実験を行い、前日にも人体実験を実施したというふうにお書きになっていると伺ってよろしいですね。

 大体、そういうふうに認識しております。(P192)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


 さらに、第一審では「相当慎重に扱って読まなければならないものである」と評した米軍レポートについても、「人体実験を立証する」資料である、とその「証拠価値」を認めるに至っています。

家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

控訴(附帯被控訴)代理人(渡邊

○一九八六年はヒル・レポートとおっしゃいましたね。先程のフェル・レポートに関連して同じ趣旨なんですが、ヒル・レポートがあるということが分かった資料というのは、どんなものでしょうか。端的にお答えください。

 どんなものでしょうかと聞かれても困りますけれども、大体フェル・レポートの各論に記述されたものとほぼ内容の重複するようなものが記載されておりまして、これは人体実験を立証するというふうに理解をしています。

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


 なぜ秦氏は認識を変えたのか。氏はその理由として「その後の調査研究の進展」を挙げます。

家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

 原審の証言でも、このハバロフスク裁判記録が基礎資料としての価値を全く有しないと言ったわけではありません。(P174)



 要するに、その後の調査研究の進展によって、この裁判記録にも使える部分があるということが次第にわかってきたということでありますけれども、五八年の段階ではこの裁判記録についての分析、資料批判が十分になされていたとは思っておりません。(P175)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 


家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

○ところで、秦先生は原審で、フェル・レポートが出てくるまでは、相当な根拠をもつて学術的に処理できないと証言されていたにもかかわらず、先程来引用します先生の「正論」とかで、石井四郎らが人体実験を認めたと記述して、その根拠としてフェル及びヒル・ヴィクターのレポートを挙げているようでございますが、これらのレポートについては、原審の昭和六二年の証言当時までに公開されていたものである、という指摘もあるようなんですね。この点について説明してください。


 原審の記録を私も後で読んでみたわけでありますけれども、基本的には昭和五八年当時における、この問題についての日本の学術研究のレベルを証言せよということで、そのつもりでしゃべっているわけでありますけれども、話の成り行きで五八年以降に及んでいるかもしれないように取れる部分もあるようでございますが、私としては基本的には五八年当時の状況を述べているというつもりであります。(P187)

 そうではありますけれども、仮に昭和六二年現在ではどうであるかということですと、ヒル・レポートやフェル・レポートにつきましては一部が翻訳されている、紹介をされているという程度でありまして、原典と照合しないと研究的に利用はできない状況は続いておりました。

 特にフェル・レポートにつきましては、原審で申しましたように、これがあるということが判明していて、なおかつ見つからないという段階でありましたので、これが出てくるのを待っているというような意味で申し上げたと思います。
※秦氏は第一審では、「フェルレポートはなお見つからない」という誤解をしていました。実際にはフェルの「総論」はよく知られており、未発見だったのは、その各論にあたる「60ページの英文レポート」です。なおこれは今日に至るも発見されていません。

 更にその後、ヒル・ヴィクターレポートの各論に匹敵する内容を含んでいるということがわかってまいりました。

 したがって、いろいろな関連で四つの各レポートの役割と申しますか、過程がわかってくるというのが昭和六二年前後に進行していたということでありまして、まだ、決定的に証拠として断定をするに至っていなかった、というふうに考えております。

 「正論」は平成二年でありますので、この時点におきましては、そういった状況をふまえて執筆するための最低条件が満たされた、というような観点から記述をしたものであります。(P188)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収) 

 以上、秦氏自身が明確に「ハバロフスク裁判記録」「米軍レポート」の資料価値を認めてしまった以上、第一審秦証言のうちこれらに疑念を呈した部分は、完全に無効化された、と言っていいでしょう


※裁判における秦郁彦証言全文は、こちらに掲載しました。

1.家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審) ー膺厂
2.家永教科書裁判・秦郁彦証言(第一審) 反対尋問

3.家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

4.家永教科書裁判・秦郁彦証言(控訴審)

(2020.9.21)


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