deliciousicecoffee氏の「夏淑琴さん事件」論
deliciousicecoffee氏の「夏淑琴さん事件」論
 

 2009年2月5日、夏淑琴さん名誉毀損裁判の最高裁判決が出ました。予想通り、夏淑琴さんの勝訴に終わりました。

 東中野氏の主張の杜撰さ、「途中で主張の根幹部分を変えてしまう」という裁判での醜態ぶりを見れば、当然の判決であったでしょう。しかしこの判決に対して、ブログであえて異議を申し立てているのが、deliciousicecoffee氏(以下、デリシャス氏)という人物です。

 本来であれば拙サイトで取り上げるほどのこともないのですが、あまりにひどい出鱈目な内容であること、また複数の方が氏の文章をそっくりコピペして褒めちぎっているのを見かけたことから、一応、以下に批判文をアップしておきます。



2015.10.25追記

 deliciousicecoffee氏の「虚言癖」が、また復活したようです。2007年の「虚言」(下記)で痛い目にあったことをもう忘れてしまったのでしょうか。


  私は、そのサイトの管理人である「ゆう」と、平成15年(2003年)〜平成18年(2006年)頃に、Yahoo!掲示板にて直接何度も議論したが、「ゆう」は日本軍による非戦闘員の虐殺を1件も証明できなかった。

また、逆に上記サイトの管理人である「ゆう」は、当時私がYahoo!掲示板に掲載した以下の投稿内容について、否定(反論)することができなかった。


●南京大虐殺に係る当ブログ関連記事【シリーズ84】
南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ・日本軍による南京虐殺の犠牲者数はゼロ(0人)・南京事件テーマに映画祭では匿名の証言など証拠力ゼロの映画を垂れ流し・南京虐殺は嘘(0人)シリーズ84の目次

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3670.html

 私は当時、自分の発言は基本的にログに残しておくことを習慣としていました。改めて確認すると、当時私がdeliciousicecoffee氏と直接にやりあったのは、概ね以下の3回です。

1.Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか?」トピ 2004年6月5日(メッセージNo7962) 〜 2004年6月13日(メッセージNo8547)、及び6月26日(メッセージNo9154)〜7月3日(メッセージNo9276)


2.Yahoo!掲示板 「南京虐殺はでっち上げと確信している」トピ 2005年2月5日(メッセージNo30905) 〜 2005年2月13日(メッセージNo31066)

3.Yahoo!掲示板 「海外ニュース」板(トピ名不明) 2005年5月26日(メッセージNo8831) 〜 2005年6月4日(メッセージNo9096)
※以上、私はログをエクセルファイルに落とし込んで保存してあります。なお私は、基本的には自分の発言のみを保存していますので、上の期間、メッセージNoは、概ね私の登場期間です(ただし「南京」が話題になった1だけは、deliciousicecoffee氏の投稿についても、私との直接やりとりの大部分を一緒に保存してありました)。

 議論者はその時々で入り乱れていますので、上記の中には私と他の方やりとりもかなりの程度混在しています。特に3は「1(私)対多数」の議論となっており、deliciousicecoffee氏は多数の参加者の一人であったにすぎません。
 この3回のうち、「南京虐殺」が直接のテーマとなったのは1のみです。2は細菌戦、毒ガス問題、3では盧溝橋事件、細菌戦が主要なテーマとなり、「南京」は話の流れから離れて部分的に触れられるにとどまりました。

 そして以上のやりとりの中では、

そもそも私が「日本軍による非戦闘員の虐殺」を「証明」しなければならない展開になったことは、全くありません

<「ゆう」は、当時私がYahoo!掲示板に掲載した以下の投稿内容について、否定(反論)することができなかった>という事実も存在しません

 1では、前半、「国際委員会文書」で日本軍の仕業とされた記録のうち、本当に日本軍の仕業だった事件はそのうちの一部だけなのです。実際には支那人の盗賊が行った犯罪も日本軍の犯罪にされてしまったケースが多いのです」(2004.6.6 No7982)、「民間人の殺害被害者は100人以下」(2004.6.7 No8035)、という彼のトンデモ発言をめぐって議論が展開しています。

 後半は、「夏淑琴さん事件」がテーマでした(当時私がまとめた要約版はこちらです)。

 以上、氏がブログにアップしたような議論は話題にもなっていませんし、わずかに話題になった部分にしても「否定(反論)できなかった」という事実は存在しません。

 さらに言えば、彼がブログにアップした「南京大虐殺に係る当ブログ関連記事【シリーズ84】」なる稚拙な議論は、全84回という膨大なものです。彼はそれを全部私の前に提示したかのような書き方をしていますが、全くのウソです




 他人の「古傷」を暴くのはあまり好きではないのですが、当時氏がどれだけ稚拙な議論をしていたかをはっきりさせるために、本記事の末尾で1の前半の一部を「サンプル」を紹介しておきました。








 deleciousicecoffee氏とはどのような人物か。実は「ヤフー」掲示板での議論を通じて、私とも多少は関わりがありました。2007年1月20日の、私の「思考錯誤」板への投稿を、そのまま再掲します。

「思考錯誤」掲示板より

 「ヤフー」掲示板に、deliciouscoffee氏なる人物がいます。

 内容が滅茶苦茶なのはまだ許せるとして(^^;、議論につまると、とっくに反論され済みの前レスをそのまま出してくる「壊れたテープレコーダー戦術」、さらには相手のレスの本題とは関係のない部分にしつこくレスをつけて強引に「話題そらし」をする「大日本帝国流「転進」戦術」を得意とする、トンデモさんです。

 粘り強くこの方のお相手をされたのが、故人となられたja2047さんでした。ロムの方は、ja2047さんの「おちょくり芸」(ご本人の弁)をたっぷりと堪能させていただいたはずです。


 しかし、ja2047さんの訃報が流れた時の、この方の反応がまた滅茶苦茶。

今年の10月くらいからは、南京関連トピに全く姿を現さなくなりました。

今年になって彼も多くの誤った思い込みに気が付いたようで、最後は心の底から「南京虐殺は嘘っぱちのでっち上げだった」と悟ったようでした。

亡くなる前に真実を極めたことが、彼にとっても何よりの救いだったと思います。


(リンク先はこちら

まさか、こんなことになるとは想像していませんでしたね。

私は、農協クンに学ばせてもらった「南京虐殺はでっち上げの嘘っぱち」という真実を広めていくことこそが供養だと考えています。


(リンク先はこちら


故人への冒涜、というレベルをはるかに超えた、トンデモ弔辞です。正直な話、私も本気で腹が立ちました。

(「ゆう」補記 ja2047さんは、拙サイトにも複数の記事を寄稿していただいた方です。言うまでもありませんが、「南京虐殺は嘘っぱちのでっち上げだったと悟った」というのは、明らかな氏の「嘘っぱち」でした)

で、なぜこんな方をこちらに取り上げたかといえば、自分のブログで、今度は私に対してものすごいことを言い出したのですね。
(「ゆう」補記 「自分のブログ」というのは、私の勘違い。第三者のブログのコメント欄での発言でした)



 ××さん。君が紹介したHPの「ゆう」とは、「Yahoo!掲示板」で何度も議論して「日本軍による南京市民虐殺はなかった」という結論で決着済みだよ


http://blogs.yahoo.co.jp/teacherhide/11548337.html#11548337(「ゆう」補記 現在はリンク切れとなっていますので、アドレスのみ掲載しておきます)



 複数の方からのメールで知ることができましたが、さすがにあきれました。そうか、そんな「結論」で「決着」していたのか。ちっとも知らなかった(^^)

 どんな議論をしたかと言えば、あまりの繰返し、論点拡散戦術に耐えかねた私は、当時こんなふうにまとめておきました。たいしたものではありませんので、お暇な方だけ、ご覧ください。

http://yu77799.g1.xrea.com/owarai.html
http://yu77799.g1.xrea.com/owarai2.html

 まあ、ja2047さんの件といい、今回の件といい、ちょっと「常識」の範囲を外れた方であることは皆さんにもおわかりかとは思います。おそらく彼は今後もこんな「デマ」を続けるつもりなのでしょう。

 今回の件で、実際のところどうなんですか、とわざわざ問い合わせのメールを下さった方もいらっしゃいました。あちらのコメント欄でいくら抗議しても一向に埒があきませんので、念のためこちらでPRしておきます。




このようなエキセントリックな人物であってみれば、書き出しの部分だけで、どの程度の代物か、見えてしまいます。

deliciousicecoffee氏のブログより

これは酷い!

最高裁の涌井紀夫裁判長は、「学問の自由」や「言論の自由」を踏み躙った。

嘘吐き婆の夏淑琴の証言は、嘘吐き支那人らしい滅茶苦茶なものだ。

一方、東中野修道教授は、ごく当たり前のことを著書で述べただけだ。



 「嘘吐き婆」−デリシャス氏には、「品性」というものがないのでしょうか? 例え嫌いな人物を批判するとしても、普通の方であれば、ここまで下劣な表現は使わないでしょう。

 しかもどうやら、デリシャス氏は、裁判の双方の主張、進行経緯など、何もご存じない様子です。経緯を知っていれば、「東中野氏側の敗訴」以外の展開がありうると、思うはずもないのですが。

 東中野氏は最初、自らの「誤訳」を根拠に、夏淑琴さんを「ニセ証人」であると疑ってしまうという、失態を演じました。第一審、東京地裁の判決文からです。

東京地裁 一審判決 より

「これは明らかに矛盾であり、論理に破綻を来しているというほかはない」

「通常の研究者であれぱこの矛盾を認識し、そこに至る推論の過程のいずれに誤りがあるかを検証し、結局はイで述べたと同様の可能性に思い至るはずであるが、被告東中野は,上記の矛盾点には一切言及していない」

「以上述べた2点だけからしても、被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない


 ここまで酷評されてしまった東中野氏は、第二審では戦術を変えました。

 氏は、夏淑琴さんを「ニセ証人」と疑う根拠として、「マギーの記録」と夏淑琴さんの証言とは整合性がとれないことを根拠にしていたはずでした。しかし何と第二審では、自分が根拠にしていたはずの「マギーの記録」の信憑性を疑い出しました。

 では、従来の氏の主張は、一体何だったのでしょうか。「マギーの記録」の信憑性を疑うのであれば、「マギーの記録」を根拠に夏淑琴さんの証言を疑うことはできません。つまり氏は、学者として、完全な自己矛盾に陥ってしまったのです。

 ここまでの迷走ぶりを見せつけられたら、裁判所がまともに相手にするはずもありません。仮にこれで「敗訴」以外の結果が出ていたとしたら、そちらの方がはるかに問題だったでしょう。




さて、デリシャス氏の主張を、順番に見ていきましょう。

まずデリシャス氏は、東中野氏の主張を借りて、「殺された家族の人数を間違えるなんてあり得ない」ことを読者に印象付けようと試みます。


ジョン・マギー証言(解説書)と、後年の夏淑琴証言との間には、家族の人数などで食い違いがある。
―――――
 愼邉安全地帯の記録』における当該事件に関するマギー証言は家族13人中11人の殺害

◆愼支紛争』に収録されたマギーの説明文は2家族14人中12人の殺害。
但し、この中の「7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した」が「銃剣で突き刺した」の間違いであると解釈すれば、2家族13人中11人の殺害。
また、扉を開けたのは家主の「マア」。
生き残りの少女が隠れた場所は古い敷布の下。

3涕興酋綮蔽『南京難民区の百日』に収録された「8歳の少女(夏淑琴)」の証言によれば、1家族15人中13人の殺害

に楝疹^戝『南京への道』によれば、生き残りの少女が隠れた場所は防空壕代わりに中庭に4個並べて置かれた机の下。

ゲ峠紛徑萋時の証言によれば扉を開けたのは夏淑琴の父親で、15人中13人殺害。
―――――

以上が、東中野修道教授が検証して『「南京大虐殺」の徹底検証』で「摘示した事実」だ。

本多勝一著『南京への道』は論外として、『南京難民区の百日』及び夏淑琴来日時の証言と、マギー証言では、夏淑琴の家族の人数が異なっている。

殺された家族の人数を間違えるなんてあり得ないから、普通に考えれば「夏淑琴」と「マギー証言の少女」は別人物、というのが東中野教授の主張だ。


これが名誉毀損になるというなら、学問の自由も言論の自由もあったもんじゃない。




まず、 崙邉安全地帯の記録」です。

暴行事件報告第219件(ティンパーリ『戦争とは何か』 附録Cより)

附録C 一九三八年一月十四日から一九三八年二月九日にいたる暴行事件の報告

第二一九件 ジョン・マギー氏のきくところでは、十二月十三日から十四日にかけて、城南に住む一家の家族一三人のうち一一人が日本兵に殺され、婦人たちは強姦され、手足を切断されたとのことである。生き残った二人の小さな子供が話してくれたのである。〔マギー〕

『日中戦争史資料9』P116)


正確に書けば、「家族9人、隣の家族4人、合計13人」ということになります。合計人数は合っていますし、マギーの「第一報」ですので、この程度の食い違いはやむえないところでしょう。


さて、◆愼支紛争』です。

『マギー牧師の解説書』より
 

(九)一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。

 夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。

 何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。

 さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。

 傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。

 撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。

 このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。

 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。

(『ドイツ外交官の見た南京事件』P176〜P177)


 このどこにも、「2家族14人中12人の殺害」なんて数字は出てきません。これは東中野氏が、勝手に数えただけの数字です。そしてデリシャス氏は、それを検証もせずに盲信しています。

 そしてここは、例の有名な、東中野氏の「誤訳」があります。東中野氏は、「七、八歳になる妹を銃剣で刺した」の部分を、わざわざ「刺し殺した」と誤訳し、「傷を負った八歳の少女」とは別人ということにしてしまいます。その結果、東中野氏のカウントでは、本来「13人」であったはずの家族の合計人数が一人増え、「14人」ということになってしまうのです。

 さすがにデリシャス氏も、「但し、この中の「7,8歳になる妹も銃剣で突き殺した」が「銃剣で突き刺した」の間違いであると解釈すれば、2家族13人中11人の殺害」と付け加えていますが、これでここには、何の矛盾もなくなりました。



次に、笠原十九司著『南京難民区の百日』です。

単行本では、夏淑琴さん事件の話は、P253〜P256に登場します。しかしその内容は、「マギーが聞いた惨劇」の紹介だけで、「8歳の少女(夏淑琴)の証言」も「1家族15人中13人の殺害」の表現も出てきません。

デリシャス氏には、ちゃんとこの本を確認していただき、そのような記述がある該当ページを示していただくことにしましょう。



さて、「夏淑琴来日時の証言」です。

『南京大虐殺と原爆』より


 九人家族の七人までが殺され

 隣の家は四人家族、私の家は九人家族です。それから当時その中庭に、大人の人二人が外から避難してきていました。それで同じ敷地内に十五人がいたわけですが、一瞬の間に十三人までが殺されました。かろうじて生き残ったのは、三ヵ所刺された私と、布団の中にいて見つからずにすんだ私の妹の二人だけ、たった二人だけだったのです。(P17)



 家族以外の2名が加わって15名になった、というだけの話です。ここにもまた、「矛盾」は見られません。


さて、デリシャス氏の文を読み直しましょう。


殺された家族の人数を間違えるなんてあり得ないから、普通に考えれば「夏淑琴」と「マギー証言の少女」は別人物、というのが東中野教授の主張だ。



 ええと、夏淑琴さんは、どこで「殺された家族の人数を間違えた」というのでしょうか? デリシャス氏、東中野氏なんぞの主張を盲信して、自分で原典に当たって検証しようとしないから、こんなみっともないことになります。




 さてここからデリシャス氏は、「独自研究」を開始します。東中野氏の主張を一応は根拠にしているようですが、その内容は、「劣化コピー」としか言いようがありません。

 まずは、全文を掲載します。

deliciousicecoffee氏のブログより

そもそも、米国人牧師ジョン・マギーが撮影したというフィルムの「解説書」を読めば、犯人は支那人であることが誰の目にも明らかだ。

―――――
マギー牧師の解説書

 フィルム四
 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。

 夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。

 何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。

 さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。

 傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。

 撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。

 このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。

 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。
―――――

●検証

‖韻「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
夏氏が犯人に懇願し、馬夫人が犯人に質問した。
犯人達と被害者達は会話をしていたのだから、犯人達は支那人。

婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…犯行手口から犯人は支那人。

8佑魍けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。

ぃ減个了匐,犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。

セ件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。

傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。

12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。

┣召12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。

安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。

駄目押し決定打!
日本軍にはアリバイがあった。
当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9〜10時と証言したが、12月13日9〜10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。


【結論】
犯人は支那軍か支那人盗賊であり、犯行は日本軍が入城した12月13日よりも前に行なわれていた。



 デリシャス氏は、わざわざ一般的ではない「支那人」という言葉を多用して、自分の思想的偏向ぶりを見せつけていますが、ともかくも、個別に見ていきましょう。



‖韻「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。

夏氏が犯人に懇願し、馬夫人が犯人に質問した。

犯人達と被害者達は会話をしていたのだから、犯人達は支那人。

 


 実はこの点は、私とデリシャス氏が2004年当時に議論した論点でした。以下の私の説明に対して、彼は何の反論もできなかったことを付け加えておきます。

 まず、デリシャス氏が「言葉が通じている」と断じた根拠の文章を再掲します。

「マギー牧師の解説書」より(5)

 フィルム四

(九) 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
  
(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P177)


 マギーは、当時8歳の少女からのヒアリングだけから、「犯行状況」の再現を試みました。ですので、そもそもこれがどこまで正確か、という問題があります。しかし、仮にこの通りだとしても、夏氏や馬夫人は、どう見ても一方的に訴えを行っていたに過ぎません。

 「殺さないで!」「やめて下さい!」というのは、別に言葉が通じなくても、態度で十分にわかるでしょう。そして、「何で殺したんだ」と中国語で叫んだが、日本軍兵士はそれを無視して殺した、というだけの話 でしょう。

 しかし、この「推理」に従えば、夏さんは、「犯人が中国語を話しているのにもかかわらず、彼らを日本軍と認識していた」ということになります。デリシャス氏は、この矛盾をどう説明するのでしょうか?




婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…
犯行手口から犯人は支那人。



 これは、デリシャス氏の単なる「民族的偏見」でしょう。「犯行手口」など、何の根拠にもなりません。

 こちらもまた、2004年当時の議論の論点で、私の以下の説明に対して何の反論もありませんでした。


 デリシャス氏には、「残虐行為」はすべて「中国兵」がやるものであって、「日本兵」は決してそんなことをやらない、という厚い「信仰」があるの でしょう。そこで私は、資料をひとつあげました。参考までにこの方は、戦時中には「金鵄勲章」を受け、戦後は会社を興して、某団地協同組合の理事長を務めた、社会的信用のある人物です。

 
塩野雅一著『還ってきた軍事郵便』より。 

部隊は常熟、無錫、常州、丹陽と、逃げ足の速い敵を追って進撃するのであるが、途中無錫の街で見るべからざる情景を、この眼で見てしまった。何処の部隊か定かではないが、一兵士が一才にも満たない赤子を両手で高くさし揚げて、どうするのかと思ったらかたわらのクリークへ、こともあろうに投げこんでワイワイ騒いでいるのである。

常熟から無錫、常州、丹陽と進撃して行くその街々には敗残兵の遺棄死体に混って、現住民男女の死体が散乱していた。その死体のなかの女性たちは下半身を裸にされて、こともあろうか、その局部に棒ぎれや竹筒が突込んであるのを私は馬上から、この眼で数回も見た。全く目を覆いたくなるような、非人道的な惨状である。

(P53〜P54)
 


 そして実際のところ、その「犯行手口」なるもの、日本軍の記録にも結構見られます。

色川大吉氏 「ある昭和史 自分史の試み」

十五年戦争を生きる 

・・・それにもかかわらず、若干の秘密は直接体験者の言葉を通してひろがるものだ。それから(「ゆう」注 「南京事件」から)ニ、三年後のことであるが、その一端は田舎の一中学生であった私のような者の耳にまで、はっきりと届いている。

 Tという元陸軍伍長のトラック運転手がいた。私の家に仕事のことで出入りしていたが、ある日、私にこんなことを話した。その姑娘(クーニャン)(中国娘)をみんなで手ごめにしたあと、気絶していた娘の膣に、そばに転がっていた一升びんを突っこみ、どこまで入るか銃底で叩きこんでみた。そしたら血を噴いて骨盤が割れて死んでしまった、と。

(中公文庫「ある昭和史」P73〜P74)

 
秦郁彦氏「南京事件」より 小原立一日記

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。外に二千名が逃げていると話していた。戦友の遺骨を胸にさげながら突き殺す兵がいた

(中公新書「南京事件」 P121)

 
小俣行男氏「侵掠」より

 それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。


 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(P53〜P54)


 当時、私がここまでの説明を行ったにもかかわらず、今日に至るも、デリシャス氏は相変わらず自分の「民族的偏見」にしがみついているわけです。

  


8佑魍けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。
 


 どうして「ありえない」のか、さっぱりわかりません。

 先にも述べた通り、これは8歳の少女からのヒアリングですので、どこまで事実なのかはわかりません。しかしこの通り事実であったとしても、「跪いて命乞いをする」という行為の、どこがどうおかしいというのでしょうか。




ぃ減个了匐,犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。


 夏淑琴さんの「時間」に関する記憶が曖昧であると見られることは、既に私が、東中野氏への批判の一章、「論点4 日本軍にはアリバイがある」で書いています。

 しかし、「時間」に関する記憶が曖昧であったとして、それで一体何が「疑問」になると言うのでしょうか? 8歳の少女の証言に、そこまで細部の正確性を求めても仕方がありません。

 ましてや、これがなぜ「犯人は中国兵」と断定する根拠になるのでしょうか? さっぱり理解できないところではあります。



セ件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。


 東中野氏の受け売りでしょうが、この点についても、私は「6 発見されなかった理由」の中で書いています。

 マギーの記録では「兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行った」ことになっていますが、夏淑琴さんの戦後の証言では、「門のすぐ向かい側の建物に日本軍が宿営し、昼間にときどき夏さんらのいる中庭を近道として通る日本兵がいた」ということになっています。

 拙コンテンツから、そっくりそのまま引用しておきます。


 これらの証言の通り、日本兵が家の中まで入ってこなかったのであれば、二人が「発見」されなかったとしても、何の不思議もありません。

 仮にマギーの記録通り、日本兵が家の中まで入ってきていたとしても、別に日本兵は「家宅捜索」にやってきたわけではありません。

 隠れている子供をいちいち熱心に捜すはずもありませんし、「略奪」目的であってみれば、例え幼い子供が二人いるのに気がついても、何の関心も示さない可能性が高いと思われます。 むしろ、幼い子供に同情して、助けてやろう、と考えるかもしれません。

 ひょっとして東中野氏は、当時の日本軍兵士というのは、中国人の顔を見ると老若男女を問わず無差別に殺して回るものだと思っているのでしょうか?


 実際に家の中まで入ってきたのかどうかも、定かではありません。また仮に家の中に入ってきたとしても、日本兵の目的は「略奪」なのですから、いちいち「子供」に関心を示すことはないでしょう。仮に「4歳の子」が泣き声をあげたとしても、そのまま無視して去ってしまう可能性が高いものと思われます。




傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。
 


 何を言いたいのか、よくわからない文章です。「傷」については「7 生死に関わる傷だったか」にまとめてありますし、「誰にも見つからず」については既に触れました。

 デリシャス氏には、私の文を読んでいただき、その上で主張内容がわかるように書き直していただくことにしましょう。




12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。

┣召12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。



「12月13日には安全区以外の南京には誰もいなかった」と考える根拠はありません。こちらも、拙コンテンツの中の「8 城内南部は無人地帯か」からそっくり引用します。 


 避難勧告は出されてはいたが、そのまま留まってもたいしたことはあるまい、とたかをくくって逃げなかった。その程度の話でしょう。「安全区」に避難せずに家にとどまっていた人が他にも多数存在したと見られることは、既に『資料:「安全区外の残留住民』で述べました。

 マギーの記録にも、同じように「城内南部」に留まって被害にあった人々の話がいくつか登場します。普通の発想であれば、これらのデータから「安全地帯外は無人地帯」という「仮説」が否定されるのではないか、と考えるところなのですが、東中野氏は逆に、「無人地帯なのだから人がいたはずがない。従ってそこにいたというのは嘘だ」と言わんばかりの、何とも乱暴な議論を展開しています。



従って、デリシャス氏の発言には根拠がなくなります。




安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。



 「日本軍の暴行記録」には、外国人たちが把握した、400件以上の事例が紹介されています。さてデリシャス氏は、そのうち「現場の日本軍憲兵隊に通報」された事件が、一体どれだけあったと言うのでしょうか?

 もう事件は終わってしまいました。時間も経ってしまい、誰が犯人だったかなど、調べようもありません。この状況で、どうしてマギーは「現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならない」などと考えるのでしょうか? マギーにとっても遺族にとっても、何のメリットもないのですが。

 そしてこの事件は、「日本軍の暴行記録」に収録されて、南京日本大使館に報告されました。それで十分な話でしょう。



 読者の方も、いい加減にうんざりされているかとは思いますが、次は極め付けです。

駄目押し決定打!

日本軍にはアリバイがあった。

当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9〜10時と証言したが、12月13日9〜10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。




その「駄目押し決定打」なるものが、裁判の中でどんなことになってしまったのか、確認しておきましょう。平成19年7月23日付、被告側(東中野氏側)準備書面(第7)からです。



日本軍第114師団の歩兵第115連隊第二大隊は、同月13日午前8時に雨花門から入城した。その後、同大隊は敗残兵に対する掃蕩を行いながら北上前進し、新路口付近を通過して、午前10時ころ雨花門の北方約1200メートルの所にある法院庁舎に至っている。


裁判の中で、東中野氏自ら、このアリバイが成立しないことを認めてしまったわけです。

さらに言えば、デリシャス氏は、「ヤフー」の議論の中で、この事実をある方から示されました。つまり氏は、「アリバイが成立しなくなった」ことを知っていたはずです。

にもかかわらず、氏は相変わらず、こんなトンデモを書き散らかしているわけです。読者を欺く詐欺的行為、と言われても仕方がないでしょう。

<参考>

夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『SAPIO』論稿をめぐって
続・夏淑琴さんは「ニセ証人」か −東中野修道氏『「南京虐殺」の徹底検証』を検証する

(2009.2.8)






2015.10.25追記

 冒頭で触れた通り、彼はまた、「虚言」を言い始めたようです。

 このようなあからさまな「ウソ」は本来相手にする必要もないのですが、彼のブログの「信者」さんたちが複数この「虚言」をコピペして回っているようですので、あえて当時、彼がどれだけひどい議論をしていたかを示すサンプルを、いくつか紹介しておきます。


 2004年5〜6月、deliciousicecoffee氏はyahoo!掲示板で、渡辺久志さん、ja2047さん(故人)とのやりとりを続けていました。私は基本的にロムだったのですが、6月5日、つい「遊び」で参入してしまうことになります。

 まずは、deliciousicecoffee氏の「(民間人の被害者は)MAXで約100人、実際には10人ぐらいだったかも知れません」なる発言についてのやりとりです。(現在では「ゼロ」と言い切ってしまっているようです(^^;)


Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか」トピより


(ゆう) 2004.6.5(No7962)

  「国際委員会の記録」には、例えば、「警官135人連行事件」、あるいは「民間人誤認連行422人」といった「事件」が記録されています。これは明らかに、「民間人の被害者」だと思いますが、違いますか?

 ひょっとして、コーヒー氏、「日本軍の暴行記録」が、「国際委員会文書」のほんの一部であることを、知らないのでは?



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.6(No7982)

 違いますよ。

 「国際委員会文書」で日本軍の仕業とされた記録のうち、本当に日本軍の仕業だった事件はそのうちの一部だけなのです。

 実際には支那人の盗賊が行った犯罪も日本軍の犯罪にされてしまったケースが多いのです。



(ゆう) 2004.6.6(No7991)

 「ごく一部には日本軍の仕業ではない事件が含まれている可能性もある」程度の表現ならともかく、「そのうちの一部だけ」と、はっきりと断定してしまいました。あらら、そんな「断定」をしていいの?

 では、「一部」を除く大半が、「日本軍の仕業」ではないことを、証明していただきましょう。そして、「支那人の盗賊が行った犯罪も日本軍の犯罪にされてしまったケース」のはっきりした事例を、あげていただきましょう。「・・・と思われる」「・・・という可能性もある」ということでは、だめですよ。

 で、「日本軍の暴行記録」以外の、「警察官135人連行事件」は? 「民間人422人誤認連行」は? これ、日本軍の仕業でなかった、と本気で主張するつもり?



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.6(No8002)

 それも十分有り得る。



(ゆう) 2004.6.7(No8014)

 おお、これはすごい。元の文には、こう書いてあるんだけれど・・・。

 >責任者である日本人将校の言によれば、司法部に駐在中の五〇人の警官を「銃殺するために」連行したとのことです。

 この「日本人将校」は、どうやら「中国軍の偽装」だったらしい(^^)



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.7(No8035)

―――――――――――――――――――
ヴォートリン「南京事件の日々」 一月二十一日
ここ数日間、悲しみで狂乱状態の女性たちが報告してきたところでは、一二月一三日以来、夫や息子が行方不明になっている件数は五六八件(?)にものぼる。彼女たちは、夫は日本軍のための労務要員として連行されたのだと、いまもそう信じている。しかし、わたしたちの多くは、彼らは黒焦げになった死体に混じって、古林寺からそう遠くない池に放り込まれているか、埋葬されることなく定准門外に堆く積まれた半焦げ死体に紛れ込んでいるのではないかと思っている。一二月十六日の一日だけで四二二人が連行されたが、この数は、主としてここのキャンパスにいる女性の報告によるものだ。一六歳か一七歳の若者多数が連行された。また、一二歳の少年が行方不明であるとの報告もあった。ほとんどの場合、連行された者は一家の唯一の稼ぎ手であった。
―――――――――――――――――――

 これは支那軍の仕業だと考えるのが自然です。


 


 「安全区掃蕩」まで「支那軍の仕業」にしてしまう
のには、もう呆れるしかありません。こういう頓珍漢なやりとりを続けながら、私は6月13日を最後にいったんこのトピを離れます。

 そして2週間後、彼は完全に主張を変えてしまっていました


Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか」トピより


(deliciousicecoffee氏) 日付不詳(2004.6.25頃)(No9088)

 なんだ、初め、郊外で起こった事件だと思ったから支那軍の仕業かと思ったけど、日本軍がやった事だとしても全然問題ないね。


 

 どうして「問題ない」と言い切れるのかよくわかりませんが、ともかくも「安全区掃蕩」が「日本軍がやった」事件であることだけは、理解できたようです



 さらにもう少し、「頓珍漢なやりとり」のサンプルを紹介しておきましょう。


Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか」トピより


(ゆう) 2004.6.5(No7962)

  外国人が認識していた「事件」は、「国際委員会の記録」に取り上げられたものだけではありません。例えば、「発電所職員43人殺害事件」は、何人かの外国人の日記に登場します。あるいは、ヴォートリン日記。女史は、淡々と、自分が守る「金陵女子大学」に避難してきた人々から、いろいろな「被害談」を聞いています。



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.6(No7982)
 
それ、何ですか?

日本軍が南京を占領した後に、発電所の職員を殺害するということは支那軍の仕業と考えるのが自然です



 「それ、何ですか?」と、事件について全く知識を持たないことを暴露した上で、何の根拠もなく「支那軍の仕業と考えるのが自然」などというムチャクチャな議論を始めています。当時の彼の議論がいかにいい加減であったか、を示す一例です。

 その続きです。


Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか」トピより


(ゆう) 2004.6.9(No8163)

  いきなり、引っくり返る。「南京」トピに参加している皆さんで、「発電所職員43人殺害事件」を知らない人、手を上げて(^^) 私は、こんな御仁を相手にせねばならんのかい。

 しかし、コーヒー氏の脳内に住む「南京陥落後の中国軍」は、下関で「発電所職員43人」を殺害したり、「警官135人」を連行したり、「民間人422人」を連行したり、日本軍に追われて逃げ回っているわりには、思い切り元気だね。何のためにそんなことをやるのか、さっぱりわからないけど(^^)



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.9(No8222)
 
>>>例えば、「発電所職員43人殺害事件」は、何人かの外国人の日記に登場します。

>>それ、何ですか?

>(回答ナシ)

 
説明できないようですね。



(ゆう) 2004.6.12(No8448)

 まさか本当に、「知らない」と「手を上げ」る御仁が出てくるとは、思わなかった(^^) そのくらい、調べてこいよ。たぶん、コーヒー氏以外、全員知っているよ。

 まあ少なくとも、私には、「事件」の具体的内容をな〜んにも知らないで「中国軍の仕業と見るのが自然」と断定する度胸は、ないね。



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.13(No8533)

「43人」がどのような話であるのか質問しても、貴方は全然説明出来ないのが現実です。



 ここまで言われたら、普通であれば、「自分が知らないことを恥じて検索して調べてみる」ぐらいのことはするでしょう。しかし彼は、「知らない」ことを完全に開き直ってしまいました。さすがの私も、この「事件」の概要をいちいち説明してあげる気にはなれませんでした(^^;


 ここから派生して、「ヴォートリン日記」についても、こんな頓珍漢なやりとりを行っています。



Yahoo!掲示板 「日中戦争は侵略なのか」トピより


(ゆう) 2004.6.5(No7962)

  外国人が認識していた「事件」は、「国際委員会の記録」に取り上げられたものだけではありません。例えば、「発電所職員43人殺害事件」は、何人かの外国人の日記に登場します。あるいは、ヴォートリン日記。女史は、淡々と、自分が守る「金陵女子大学」に避難してきた人々から、いろいろな「被害談」を聞いています



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.6(No7982)
 
そのヴォートリン日記というのを一部読みましたが、虐殺があったなんて全く書いてありませんね。

それどころか農村地域が危険だったので多くの人々が、日本の警備司令部によって保護されていた国際安全区に来たがっていたのですね。



(ゆう) 2004.6.6(No7991)

??? ホントに読んだの? これ、私の持っているヴォートリン日記の内容と、ぜんぜん違うんだけれど。



(deliciousicecoffee氏) 2004.6.6(No8002)

私は貴方のサイトで読んだのですよ。





 今回読み返して、思わず笑ってしまいました。「一部読みました」というから、てっきり自分で買って読んだのかと思ったら、なんと私のサイトで読んだ、とは。こんなみっともない発言を平気で行う、彼の神経を疑います。彼は、こんな基礎的な資料すら調べずに、「南京虐殺はなかった」と言い張っていたわけです。

 念のためですが、彼が「読んだ」というのは、私が2003年にアップした「資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例」」のことでしょう。題名からして「殺害事例」なのに、よりによってそのサイト主の前で、どうして「虐殺があったなんて全く書いてありません」などと大嘘を言えるのか、不思議です



 以上、誰の目にも、「まともな議論」でなかったことは明らかだと思います。

 さて、冒頭に掲げた彼の「虚言」を、もう一度確認しておきましょう。


  私は、そのサイトの管理人である「ゆう」と、平成15年(2003年)〜平成18年(2006年)頃に、Yahoo!掲示板にて直接何度も議論したが、「ゆう」は日本軍による非戦闘員の虐殺を1件も証明できなかった。

また、逆に上記サイトの管理人である「ゆう」は、当時私がYahoo!掲示板に掲載した以下の投稿内容について、否定(反論)することができなかった。


●南京大虐殺に係る当ブログ関連記事【シリーズ84】
南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ・日本軍による南京虐殺の犠牲者数はゼロ(0人)・南京事件テーマに映画祭では匿名の証言など証拠力ゼロの映画を垂れ流し・南京虐殺は嘘(0人)シリーズ84の目次

http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3670.html


 どこをどうやったら議論をこのようにまとめることができるのか。私としては、頭を抱えるしかありません(笑)


(2009.2.8記 2015.10.25追記)


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