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続:y1892aさんに答える(3)
「捕虜殺害」編



 さて、「スマイス報告」編にすっかり手をとられてしまいました。それではいよいよ、「捕虜殺害」編に入りましょう。


 「まえがき」が、やたらと長い。おつきあいする方も、大変です。

 


まず、これらのポイントを頭に入れておいてください。


★『交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない』(田畑茂二郎著「新訂国際法」)
→捕虜としての待遇を受けられる敵兵と、戦時重犯罪人交戦資格のない捕らえられた敵兵)がある。


★『非交戦者の行為としては、その資格なきになおかつ敵対行為を敢えてするが如き、いづれも戦時重罪犯の下に、死刑、もしくは死刑に近き重罪に処せらるるのが戦時公法の認むる一般の慣例である』(信夫淳平著「上海戦と国際法」)


★『交戦資格』ハーグ陸戦条約第一条より
一  部下の為に責任を負う者その頭に在ること
二  遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること
三  公然兵器を携帯すること
四  その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること


★シナ事変(日中戦争)は中国側の侵略行為〜第二次上海事変
(リンク先省略)
日本側が大幅に譲歩して和平交渉を重ねたが、何度も中国側に裏切られた。それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。


★日本側は降伏勧告をした。中国国民党の蒋介石は降伏勧告を無視して南京死守を命じて、南京を戦場にした。そして自らは逃亡して南京を混乱せしめ、市民20万人の命を危険にさらした。そして戦場で兵士が死ぬのは自然なこと。兵士の死を責めるのなら南京を戦場にした蒋介石と唐生智をせめるべき。


★中国側の司令官が南京にいなかったため統率がとれず停戦交渉も不可能だった。ゆえに戦闘は継続していたと見なされる。


★当時の南京は「防守都市」だったので無差別爆撃することもできたが日本側はしなかった。無差別爆撃した場合の被害(二〇万人?)よりも少なかったのならその被害は許容されるべき。(リンク先省略)


★『南京攻略戦の開始にあたり、中支那方面軍司令官・松井石根大将が国際法顧問の斎藤良衛博士の意見を 徴して作成した「南京城攻略要領」(十二月七日、全軍に示達された)中の「注意事項」を見ても、交戦法規遵守への日本軍のなみなみならぬ決意が知られる。 』
(リンク先省略)


★青島俊作いわく、

事件(戦争)は会議室(学会)で起きてるんじゃない、現場(戦場)で起きてるんだ!


 私は「国際法」云々にはあまり関心はありませんし、詳しくもありません。正直な話、世間一般の標準で見ればあれは明らかな「虐殺」だろう、何をよくわからない理屈をつけて無理やり正当化しようとしているんだ、程度の認識でいます(^^ゞ

 ネットの世界では、今なお「国際法論議」が盛んです。しかし私は、「ネット否定論」はあまりに「頭でっかち」になってしまい、「常識」から大きく乖離してしまっているのではないか、という「感想」を持ちます。

 「法律」の世界では、「形式論理」をタテに、「世間の常識」から乖離した明らかな暴論を「言い張る」ことも可能かもしれません。しかしそれに世間一般が納得するかどうかは、また別の話です。実際の話、ネットの「国際法論議」が現実論壇に影響を与えることは、全くと言ってよいほどありません

 ですので私は、ネットの複雑怪奇な「国際法論議」を、いちいち頭を悩ませてフォローする気はとても起りません。こんな議論を見ても、普段はほとんど無視して読み流すだけです。



 ・・・ということを前提に、以下、最小限度の「おつきあい」をします。ただし繰り返しますが、私は「国際法」には詳しくありませんので、今後間違いに気づいたら認識を改める可能性は十分にある、ということは申し添えておきます。



 付け加えれば、「南京事件」において「国際法」が問題となるのは、主に「安全区掃討」をめぐってのことになります。例えば佐藤和男氏のように、よくわからない理屈で「捕虜虐殺」一般まで正当化しよう、という「変わり者」もいますが、それはまともな論壇では明らかな少数派でしょう。

 念のためですが、当時においては日本軍は「国際法」云々をほとんど意識していなかったものと思われます。目の前に敗残兵がいる。殺してしまえ。当時の記録や証言を読むと、「国際法上この行為は正当化されるのか」など全く考えず、その程度の認識で「殺害」を実行していた、と見るべきところでしょう。

 いや、あれは実は「国際法違反」ではなかったのだ、というのは、明らかに後世の「後付け」の理屈です。そして論壇では、吉田-東中野論争を最後に、ほとんど決着がついたもの、と認識して差支えないでしょう。

 吉田氏の、「論争」をめぐっての感想です。

吉田裕『南京事件論争と国際法』

 この論文は、すでに数年前に脱稿していたものだが、諸般の事情により、本書の刊行がかなり遅れたため、南京事件をめぐる論争の現状からは、いささかずれた内容のものとなってしまった。
(「ゆう」注 本書の刊行は二〇〇六年)

 北村稔『「南京事件」の探求』(文春新書、二〇〇一年)が、国際法をめぐる「まぼろし派」と「虐殺派」の論争は、「『虐殺派』優勢のうちに展開している」と指摘しているように、この間、「まぼろし派」の劣勢が明白になった。

 このため、
「まぼろし派」は、国際法の「戦線」で戦闘を継続することの不利を悟って、早々にこの「戦線」からの「転進」を決定したように思われるからである。事実、ここ数年の「まぼろし派」の論稿では、国際法問題への言及は、ほとんどみられない

(『現代歴史学と南京事件』所収 P84)

 笠原氏も、こう判定しています。

笠原十九司『南京事件論争史』

 戦時国際法をめぐって「吉田・東中野論争」がおこなわれたが、
東中野が論破され、以後東中野はこの問題についてあまり言及しなくなった。(P250)


 以上を前提に、yさんの文章を、順番に見ていきましょう。




★『交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない』(田畑茂二郎著「新訂国際法」)
→捕虜としての待遇を受けられる敵兵と、戦時重犯罪人交戦資格のない捕らえられた敵兵)がある。

 この「戦時重犯罪人」を処罰するためには「審問」が必要である、というのが当時の国際法学者の間の通説でした

 参考までに、この本の記述はこうです。


田畑茂二郎『国際法 下巻(新訂版)』より

 武力による害敵手段は、交戦資格を有するものによつて行使されなければならない。交戦資格を有するものは、原則として、正規の軍人、ならびに正規の軍人の指揮する軍艦または軍用航空機である。交戦資格を有しないものが軍事行動に従事する場合には、敵に捕らえられた際、捕虜としての待遇は与えられず、戦時重犯罪人としての処罰を受けなければいけない。

(P202)
 

 「武力による害敵手段」を行使しなければ、そもそも「交戦資格」の問題は生じないわけです。念のためですが、南京で安全区に逃げ込んだ敗残兵たちは、「武力による害敵手段」など行使していませんでしたよね。

 ついで。「逃げ回ることも「敵対行為」である」とわけのわからないことを言う方を見たことがありますので、一応、横田喜三郎見解などを。

横田喜三郎『国際法』

(三)敵対行為

 敵対行為は兵力による加害行為である。

(P250)

 「敵対行為」とは、「兵力による加害行為」のことです。「逃げ回る」ことは、普通、「兵力による加害行為」とは言いません。

 どうでもいいんですけど、田畑茂二郎著「新訂国際法」という本、国会図書館のデータベースで検索してもヒットしません。正確な書名は上の通り。yさんのこの引用、まるで自分で原典に当ったかのような印象を読者に与えようとしていますが、絶対にこれ、ネットのどこからかの丸写しです。



『非交戦者の行為としては、その資格なきになおかつ敵対行為を敢えてするが如き、いづれも戦時重罪犯の下に、死刑、もしくは死刑に近き重罪に処せらるるのが戦時公法の認むる一般の慣例である』(信夫淳平著「上海戦と国際法」)

 yさん、「上海戦と国際法」を採り上げるのであれば、この部分をスルーしてはいけません。


信夫淳平『上海戦と国際法』より

 ただ然しながら、彼等は暗中狙撃を事とし、事終わるや闇から闇を伝って逃去る者であるから、その現行犯を捕ふることが甚だ六ケしく、會々捕へて見た者は犯人よりも嫌疑者であるといふ場合が多い。

 嫌疑者でも現に銃器弾薬類を携帯して居れば、嫌疑濃厚として之を引致拘禁するに理はあるが、漠然たる嫌疑位で之を行ひ、甚しきは確たる証拠なきに重刑に処するなどは、形勢危殆に直面し激情昂奮の際たるに於て多少は已むなしとして斟酌すべきも、理に於ては穏当でないこと論を俟たない。(P126)

 日本軍による「第一次敗残兵狩り」は、まさしく「確たる証拠なきに重刑に処する」例でした。

 さらに、こんなことも書いてあります

信夫淳平『上海戦と国際法』より

 斯の如く我が軍憲に於て便衣隊を射殺したのは、孰れも我が軍民に対する狙撃の現行犯の場合に非ずんば現行犯者又は嫌疑者の逮捕護送中、又はその検束中、集団結束して抵抗し、少数の監視兵にて他に取るべきの道なき急迫の場合のみと承知する。(P135)

 逆に言えば、「集団結束して抵抗」するなど「他に取るべきの道なき急迫の場合」でなければ、「戦時重罪人」の処刑は認められない、ということです。

 yさんには、「安全区掃討」が、中国兵が「集団結束して抵抗」するなどして「他に取るべきの道なき急迫の場合」であったことを証明していただくことにしましょう。そもそもそんな「急迫」な状況であれば、彼らを殺害するのに、わざわざ下関まで連行している「余裕」などあるはずがないのですが(^^ゞ





 
★『交戦資格』ハーグ陸戦条約第一条より
一  部下の為に責任を負う者その頭に在ること
二  遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること
三  公然兵器を携帯すること
四  その動作につき戦争の法規慣例を遵守すること

 基本中の基本なのですが、これ実は、「非正規兵」が「交戦資格」を得るための条件です。「正規兵」は無条件に「交戦資格」を認められます

 昔、渡部昇一氏が、これは「正規兵の交戦資格」の条件である、と勘違いしました。その勘違いを未だに引きずっている方がいらっしゃるとは、驚きです。

 「ハーグ陸戦条約」の第一条です。

第一章 交戦者の資格

第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される

部下の責任を負う指揮官が存在すること。

遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること。

公然と兵器を携帯していること。

その動作において、戦争法規を遵守していること


 細かい話をすれば、「正規兵」も四条件を満たすことが必要、という議論はあります。しかしそれにしても、「指揮官」が不在になったらただちに「正規兵」に「交戦資格」がなくなる、なんてムチャクチャな論は、常識で考えても成立するはずがありません。




★シナ事変(日中戦争)は中国側の侵略行為〜第二次上海事変
(リンク先省略)
日本側が大幅に譲歩して和平交渉を重ねたが、何度も中国側に裏切られた。それまで日本側が取ってきた事態の不拡大政策を見直し、8月15日未明、「支那軍膺懲、南京政府の反省を促す」との声明を発表した。

 なんで「シナ」事変なんでしょうね。普通に漢字で「支那事変」と書けばいいのに。こんなところにも、yさんの「思い入れ」を感じます。

 それはともかく、「日本側が大幅に譲歩して和平交渉を重ねたが、何度も中国側に裏切られた」というのはあまりに一方的な見方でしょう。日本側にもはっきりと「拡大派」が存在したわけですし。

 本題にあまり関係ありませんので深入りはしませんが、例えば「盧溝橋事件 「拡大」への道程 ー内地三個師団等派兵決定ー」をご覧ください。




★日本側は降伏勧告をした。中国国民党の蒋介石は降伏勧告を無視して南京死守を命じて、南京を戦場にした。そして自らは逃亡して南京を混乱せしめ、市民20万人の命を危険にさらした。そして戦場で兵士が死ぬのは自然なこと。兵士の死を責めるのなら南京を戦場にした蒋介石に責任がある。

 いや別に、誰も「戦場で兵士が死」んだことを問題にしているわけじゃなくて(^^ゞ

 「日本軍の捕虜殺害」まで「蒋介石」の「責任」にしてしまうつもりでしょうか。




★中国側の司令官が南京にいなかったため統率がとれず停戦交渉も不可能だった。ゆえに戦闘は継続していたと見なされる。

 yさん、自分で、「中国軍が去って、南京市民に平和が訪れた」 「和やかで穏やかな表情をした南京市民がご覧いただけます」って書いていたではありませんか(^^ゞ

 「平和が訪れた」けれども「戦闘は継続していたと見なされる」って・・・普通の日本語としては、ほとんど理解不能です。

 あいつら、降伏もしないで逃げ回っている。だから「戦闘は継続」しているんだ。―まさに「形式論理」による「強弁」の好例でしょう。


 参考までに、この点につき、東中野修道氏と秦郁彦氏・松本健一氏が論争しています。

座談会『問題は「捕虜処断」をどう見るか』

 しかし、大本営が十二月十三日に南京を完全占領と発表し、日本国内では旗行列をしていたのですから、十三日以降十七日までの行動を戦闘行為というのは無理があります

 松井大将が入城式を急ぎ部隊側から無理だと上申したのに、予定どおり十七日に強行します。そのさい、朝香宮軍司令官に万が一のことがあってはならぬという理由で、選別しないままに中国人の青壮年男子をすべて便衣兵と決めつけて勝手に処刑してしまったのはやはり問題です。

東中野
 でも、戦場の軍隊にとって、戦闘を停止するか否かは、両軍の「師団の指揮官」(マイヤー大百科事典)が降伏規約を締結するか否かにかかっているわけで、あの時点で、中国側は降伏勧告を拒否していた。だからたとえ、一時的に戦闘が膠着状態になっていたといっても、やらなければやられる状態にあった訳です。

 日本軍の論理はそうでしょうが・・・・・。

東中野 いや、国際法の論理からです。降伏規約を締結する権限は「師団の指揮官」以上の者にのみあるからです。

 第三者機関である国際司法裁判所などが、例えば、日中双方の意見を聞いて判断すると通らないでしょうね。もちろん、日本軍としては、作戦行動の一部として便衣兵を狩り出し、処刑しても不法行為をしたという意識が無いから、「戦闘詳報」にも堂々と七千人やっつけたと書いてある訳です。むしろ、それは誇るべき戦果とされている。だが、第三者はそう判断しないのが問題なんです。

松本 戦闘現場の中国兵がぞろぞろと両手を挙げて降伏してきているのに、国民党政府からの正式な降伏文書がないからまだ戦闘継続中だとして、日本軍がそうした両手を挙げている中国兵を片っ端から殺したりしたら、やっぱり国際法違反ですよ

(『諸君!』2001年2月号 P135)


 無茶な「理屈」を言う東中野氏を、二人がたしなめている形です。yさんは東中野説を盲信しているようですが、常識的にはまず「通らない」理屈でしょう。





★当時の南京は「防守都市」だったので無差別爆撃することもできたが日本側はしなかった。無差別爆撃した場合の被害(二〇万人?)よりも少なかったのならその被害は許容されるべき。

 yさん、すごいことを言っています。これには驚きました。

 つまりyさんは、こう考えているわけですね。


 安全区には敗残兵が一万人ほどいる。彼らはもう戦意を失っており、日本軍にとって当面の脅威とはなりえない。安全区にはなお市民が二〇万人残っている。

 こんな状況で、例えば敗残兵もろとも一〇万人の市民を殺してしまったとしても、「二〇万人」よりも被害が少ないのだから許容されるべきである。


 これ、「国際法」云々のはるか以前の問題であるような気もしますが・・・。少なくとも、日本がこれを「国際法違反ではなく何の問題もない」と世界に向けて言明したとしたら、袋叩きになることは間違いありません。

 ・・・yさん、これ、本気で言っていますか?


 なお信夫淳平は、「防守都市」に対するものであっても「無差別的砲撃」は「違法」とする見解を持ちます。

信夫淳平『戦時国際法提要』(上)

五七七

 然しながら砲力の増大に伴ふ加害の必然的延拡は、武器の必然的に齎す当然の結果で、故意に無差別的爆撃を平和的住民の生命財産の上に加ふるのとは、その動機に於て雲壌の差がある。

 前者は避けんとして避け能はざる物理的影響であるが、後者は行はざらんとすれば行はずして済む人為的思慮に属する。

 防守地を砲撃するに方りても、能ふ限り加害を平和的住民の生命財産の上に及ぼさしめざるの注意は、人道上から見るも交戦法則の精神に照すも、その望ましきこと論を俟たず、随つて無差別的砲撃の当否は問はずして明白である。

(P619)


 私は「国際法」にはあまり詳しくありませんのでこの当りの議論には立ち入りません。しかし常識で考えれば、例え「無差別攻撃」を「合法」とする立場からも、必要限度をはるかに超える「無差別攻撃」は許容されない、と考えるのが普通でしょう。

 「防守都市」に対する「無差別爆撃」が「合法」であるならば、例えば「広島・長崎原爆」「東京大空襲」も「合法」ということになります。yさん、それでいいんでしょうか? 私は日本人として許せませんけれどね。




★『南京攻略戦の開始にあたり、中支那方面軍司令官・松井石根大将が国際法顧問の斎藤良衛博士の意見を徴して作成した「南京城攻略要領」(十二月七日、全軍に示達された)中の「注意事項」を見ても、交戦法規遵守への日本軍のなみなみならぬ決意が知られる。 』

 斎藤良衛博士は当然ながら「交戦法規遵守」を求めていたかもしれません(「法学者」として従軍していたのだから当り前)。松井大将も、同じ考えだったかもしれません。

 しかし結果として行われたのは、大量の捕虜殺害、民間人への暴行・殺害など、明らかな「交戦法規違反行為」でした。南京侵入前の「決意」なるものを問題にしても仕方がありません

 「決意」を裏切られた松井大将がこのように嘆いたのは、よく知られている通りです。

花山信勝『平和の発見』より

  松井石根

 それから、あの南京事件について、師団長級の道徳的堕落を痛烈に指摘して、つぎのような感慨をもらされた。

南京事件ではお恥しい限りです。

 南京入城の後、慰霊祭の時に、シナ人の死者も一しょにと私が申したところ、参謀長以下何も分らんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめあんなことをしたのだ。


 私は日露戦争の時、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などを比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろんだが、ロシヤ人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とは全く変っておった。

 慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった。

 従って、私だけでもこういう結果になるということは、当時の軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に嬉しい。折角こうなったのだから、このまま往生したいと思っている」

(P229)

 
河辺虎四郎『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』より

 南京攻略の直後、私が命を受けて起案した松井大将宛参謀総長の戒告を読んだ大将は、”まことにすまぬ”と泣かれたと聞いたが、もう事はなされた後であった。

(『市ヶ谷台から市ヶ谷台へ』P153〜P154)




 yさんの最後の二行は意味不明ですのでコメントは省略します。何かの「内輪受け」でしょうか?

(2013.3.23)

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