1.続・y1982aさんに答える(1) 「スマイス報告」編
2.続・y1982aさんに答える(2) 「スマイス報告」編
3.続・y1982aさんに答える(3) 捕虜殺害編
4.続・y1982aさんに答える(4) 捕虜殺害編◆)詆椹鎧件
5.続・y1982aさんに答える(5) 捕虜殺害編 安全区掃討・・・本稿
6.続・y1982aさんに答える(6) 捕虜殺害編ぁ,修梁召諒疥沙Τ



続:y1892aさんに答える(5)
「捕虜殺害」編 安全区掃討


 「安全区掃討」については、「南京事件 初歩の初歩」「安全区 敗残兵狩りの実相」である程度詳しく触れています。

 「中国軍の崩壊後、多数の敗残兵が私服に着替えて安全区に逃げ込んだ。日本軍は彼らを狩り立てて捕え、その大半を殺害した。ただしその選別方法はアバウトなもので、多くの民間人も巻き込まれた

 この「事実関係」については、ほとんど争いはない、と言っていいでしょう。


 「否定派」としては、事実関係で争えない以上、何とか「理屈」で「虐殺ではない」ことにしたいところです。そのための道具として持ちだされたのが「戦時国際法」で、「否定派」側は、「彼らは国際法上禁じられた「便衣兵」(=ゲリラ、私的狙撃者)であり、捕虜となる資格はない。従って殺害は合法」なる「理屈」を編み出しました。

 しかしこれは、明らかに「常識」を離れた議論であったと見られます。論壇でも、「初歩の初歩」でも紹介した通り、多くの右派論客が、これが「虐殺」であることは否定できない、との見解を述べるに至っています


 ネットでは、私のような「国際法の素人」には到底フォローできないレベルまで、さらに議論が複雑怪奇化しています。ただし私見では、「初歩の初歩」でも述べた通り、


 「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。

 もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している

 「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。

と考えればいいことである、と私は判断しています。

 現実論壇に何の影響も与えていない議論に頭を悩ませることは、私にとって時間の無駄でしかありません。


 さて、yさんの文章を見ていきましょう。



2.安全区掃討


冒頭に示したように、「交戦資格」を有しない便衣兵は戦時重犯罪人"であり死刑もやむなし、となりますが、「便衣兵も裁判にかけなければいけない」とわめき散らすわからずやの「肯定派」があとを絶ちません。


「ゆう」氏いわく、
『私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。』
戦場で生きるか死ぬかの修羅場をくぐった人を、このような幼稚な暴論で犯罪者扱いする彼の人間性を疑ってしまいます。しかも戦闘が終了したという事実はない。


板倉由明著『本当はこうだった南京事件』より
『昭和21年7月26日、東京裁判で、許伝音証人は、12月14日朝8時頃委員会本部でおこった「事件」を証言した。フィッチも14日朝陸軍大佐が来たことを日記に記している。用件は安全区の捜索をする許可を求めたのだが、許氏はラーベ、フィッチと3名で応対し、その申し出を、ここには「武器を携帯している中国兵士はいない」と断ったと証言している。』
『筆者は、安全区の掃蕩が、必要以上と思われるほど過酷なものになった理由の一つは、この敗残兵捜索の拒否にあると思っている。日本側は利敵行為と反感を持ち、掃蕩を強行した。事実、数千の敗残兵が高級将校を含めて区内に潜伏していたのであり、膨大な武器弾薬が発見されたのだから、ゲリラ戦の準備中、と判断されることになる。』


軍服を脱ぎ捨て、一般市民に紛れ込んだだけで無く、武器を隠し持っていたのである。そのうえ、彼らをかくまって嘘をついていたのは安全区国際委員会(以下「委員会」)だったのである。どうして戦闘が終了したと言えるのか?いったい何が戦闘の終結を担保するのか?
すくなくとも結果的には中国兵は一般市民の命を盾に戦闘を継続していた、そして委員会は彼ら戦時重犯罪人に協力していたことになります。


便衣兵の「処刑」に裁判は必要だったのか?
(リンク先省略)l

12月16日までの初期の便衣兵摘出について
『間違いなく交戦状態にあった守備軍が便衣兵となって市中に潜伏している状態は、便衣兵となって交戦を続行している状態と言えます。つまり、信夫博士の説を採用するなら、初期掃蕩戦における便衣兵摘出は、交戦状態続行中の、現行犯の便衣兵摘出なのです。』


12月下旬以降の便衣兵摘出は、憲兵により取り調べられており(【写真4】参照)、日本軍は良民証を発行するなど、一般市民に危害が及ばないようできる限りのことをしていました。【写真1】のような事例もあります。日本側の対応が非人道的ならこんな事例はありえないのではないでしょうか?
(リンク先省略)

責任を問われるべきはジョン・ラーベら国際委員会であり、戦闘員であるにもかかわらず安全区にまぎれこみ市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵、そしてもっとも責任が重いのは司令長官唐生智です。


できるかぎり一般市民に危害が及ばないようにした日本軍が責任を負うべきでしょうか?



合法ですね。








そもそも冒頭に示したように、「交戦資格」を有しない便衣兵は戦時重犯罪人であり死刑もやむなし、となりますが、「便衣兵も裁判にかけなければいけない」とわめき散らすわからずやの「肯定派」があとを絶ちません。



 別に「わからずやの「肯定派」」が「便衣兵を裁判にかけなければならない」と主張しているわけではありません。「便衣兵」を「戦時重罪人」と認定して処刑しようとするのであれば、「裁判」の手続きが必要である、というのが、当時においても国際法上の通説でした。


立作太郎『戦時国際法論』

 凡そ戦時重罪人は、軍事裁判所又は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。

 戦時重罪人中(甲)(乙)(丙)(丁)中に列挙したる者の如きは、死刑に処することを為し得べきものなるも、固より之よりも軽き刑罰に処するを妨げない。

(日本評論社、昭和六年発行、昭和十一年五版 P49)


篠田治策『北支事変と陸戦法規』より

而して此等の犯罪者を処罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず
。何となれば、殺伐たる戦地に於いては動もすれば人命を軽んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。

(「外交時報」 84巻通巻788号 昭和12年10月1日P54-P55)


海軍大臣官房 『戦時国際法規綱要』

(ハ)処罰

(1)戦時重罪は、死刑又は夫れ以下の刑を以て処断するを例とす。

之が審問は、各国の定むる機関に於て為すものなるも、全然審問を行ふことなくして処罰することは、慣例上禁ぜらるる所なり

(P54)



 当時の国際法の権威、立博士。外務省筋の「外交時報」。そして海軍大臣官房。このような当時一級の「権威」が、口を揃えて「戦時重罪人を処罰するには裁判あるいは審問が必要である」と言っているわけです。当時においても、これは「ルール」として認識されていた、と考えていいでしょう。

 で、yさんにとっては、当時の国際法の権威であった彼らも「わからずや」なんでしょうか?



 さらに言えば、その後1941年2月、シンガポールで「安全区掃討の太平洋戦争版」ともいうべき事件が起こっています。「南京」の、たった4年後です。

 シンガポールを陥落させた日本軍は、ただちに住民に対する「検問」を開始し、敵性分子と思われる者を選別して処刑しました。その数は、少なくとも数千名に及ぶものと伝えられます。(詳しくは「シンガポール華僑虐殺」を参照)

 この事件を裁いた戦後の戦犯裁判では、「裁判抜きの処刑」を行ったことが問題とされました。そして被告側も、その点については全く争いませんでした。

 「事件」に関して有罪判決を受けた、河村参郎と大西覚の手記からです。(河村は絞首刑、大西は終身刑=のち釈放)


河村参郎『十三階段を上る』


 本来これ等の処断は、当然軍律発布の上、容疑者は、之を軍律会議に附し、罪状相当の処刑を行ふべきである。それを掃蕩命令によって処断したのは、形式上些か妥当でない点があるが、それを知りつつ軍が敢へて強行しなければならなかった原因は、早急に行はれる兵力転用に伴ひ、在昭南島守備兵が極度に減少しなければならない実情にあったためである。(P167)



大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』

 不幸にもこの厳重処分の慣行は、大東亜戦争にも例外ではなく、南方作戦の至るところで実施された嫌いがある。

 その最たるものが、昭南粛清事件であろう。占領軍が、その占領地の安寧を期するため、掃蕩作戦を行うことは、軍として当然の任務であるが、現に対敵行為をしていない者を捕え、それがたとえ、義勇軍または抗日分子であったとしても、即時厳重処分に附したことは大なる間違いであった。

 これはその企画と、推進を強行した参謀個人の非を咎めることは、もちろんであるが、作戦倥偬の間強硬参謀の意見に引廻されたとはいえ、軍司令官、参謀長以下特抜された錚々たる首脳部揃いであったにかかわらず、あのような命令が発せられ、断行されたことは今でも理解し難い。(P92)



 「裁判抜き処刑」が問題であることは、当時においても被告側・原告側の共通認識であった、と考えていいでしょう。


 どうでもいいんですが、ネットで「わめき散らす」って、具体的にどうやるんでしょうね。私にはわかりません。ためしにyさん、「わめき散らして」みてください(笑)。




「ゆう」氏いわく、
『私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。』
戦場で生きるか死ぬかの修羅場をくぐった人を、このような幼稚な暴論で犯罪者扱いする彼の人間性を疑ってしまいます。しかも戦闘が終了したという事実はない。安全区に潜入して武器を隠している敵兵がいて、どうして戦闘が終了したと言えるのか?いったい何が戦闘の終結を担保するのか?


 なんだかやたらと感情的になっています。自分に「弱み」がある時に、それをごまかすために感情的になることは、日常生活でもよくある話です(笑)

 しかし「幼稚な暴論」のオンパレードのyさんに、私の言を「幼稚な暴論」と言われる筋合いは(^^ゞ。だいたい「二十万人より少なければ許容すべき」なんて「人間性を疑」わざるをえない暴論を平気で言う方に、他人の「人間性」を云々する資格があるとはとても思えないのですが。

 それはともかくとして、「人間性」を疑われてしまった(笑)私の文章を、改めて再掲しましょう。



 私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。

 もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。

 
「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。



 私としては、ごく当たり前のことを言っているつもりなんですけどね。一体何が問題なのでしょうか。

 ちなみに、「初歩の初歩」で紹介した通り、秦郁彦氏、中村粲氏、原剛氏、松本健一氏といった名だたる右派論客も、安全区掃討には「問題あり」との見解です。

 あちらでは紹介しませんでしたが、yさんの大好きな、板倉由明氏の見解です。

板倉由明『徹底検証 南京事件の真実』より  


―これは(ゆう補足、安全区掃討は)「捕虜の不法殺害」ということになるのですか。

板倉 それは少し難しい問題があります。

 捕虜というのは、ヘーグ条約その他で、ある一定の資格をもっていて、なおかつ受け入れ側が捕虜として扱ってあげましょうということにならないと、投降兵であっても捕虜ではないわけです。

 例えば、投降兵を縛って軍司令部へ連れていき、軍司令部でそれを受け入れて、捕虜収容所に連行するとなると、これは捕虜として扱わないといけない。

 この場合は、便衣兵を安全区から捕まえてきて、たとえば広場に座らせておいた。これが捕虜になるかどうかですが、捕虜であるとは言い切れないと思います。

 しかし、それを裁判なしに連行して殺害したということになると、行き過ぎであると言わざるを得ません。

 最大の問題は、裁判抜きの処刑をしたという点だと思います。安全区内の武器の隠匿、正規兵ではなく便衣兵(ゲリラ)だという問題があるわけですから、裁判を経ていれば、この事件の性格はかなり違ったものになると思います。


(1992年「日本政策研究センター」刊、P47-P48) 

 私としては前半部分は納得できないところですが、少なくとも板倉氏も、「裁判抜きの処刑」は「行き過ぎ」である、という見解を述べていますね。

 さてyさん。板倉氏の「人間性」も、疑ってみますか?




板倉由明著『本当はこうだった南京事件』より
『昭和21年7月26日、東京裁判で、許伝音証人は、12月14日朝8時頃委員会本部でおこった「事件」を証言した。フィッチも14日朝陸軍大佐が来たことを日記に記している。用件は安全区の捜索をする許可を求めたのだが、許氏はラーベ、フィッチと3名で応対し、その申し出を、ここには「武器を携帯している中国兵士はいない」と断ったと証言している。』
『筆者は、安全区の掃蕩が、必要以上と思われるほど過酷なものになった理由の一つは、この敗残兵捜索の拒否にあると思っている。日本側は利敵行為と反感を持ち、掃蕩を強行した。事実、数千の敗残兵が高級将校を含めて区内に潜伏していたのであり、膨大な武器弾薬が発見されたのだから、ゲリラ戦の準備中、と判断されることになる。』


軍服を脱ぎ捨て、一般市民に紛れ込んだだけで無く、武器を隠し持っていたのである。そのうえ、彼らをかくまって嘘をついていたのは安全区国際委員会(以下「委員会」)だったのである。どうして戦闘が終了したと言えるのか?いったい何が戦闘の終結を担保するのか?
すくなくとも結果的には中国兵は一般市民の命を盾に戦闘を継続していた、そして委員会は彼ら戦時重犯罪人に協力していたことになります。


 どういう事情であったのか、確認しておきましょう。許伝音証言とラーベの記録を見ます。


許伝音証言

サトン検察官
 日本兵は安全地帯内に侵入し、そこから中国の国民を拉致致しましたか。

許証人 此の家屋委員会と云ふのは一つの規則を持って居りまして、武器を携帯して居る者は此の安全地帯に入ることを許されなかったのであります。さうして又如何なる人にもあれ、武装して居る者は此の中に入って行くことも許されなかったのであります。兵隊も入って来ることを許さないと云ふ規則があったのであります。

 十二月十四日の朝八時頃、地位の高い日本の将校が国際委員会の本部に入って参りましたのでありますが、其の時丁度私だけが此の本部に居ったのであります。

 此の日本将校の目的は安全地帯を捜索する許可を得たいと云ふことでございまして、さうして彼の申立てましたのは、安全地帯に支那の兵士達が隠れて居ると云ふことでありました

 「ラビー」(「ゆう」注.「ラーベ」)氏もフィッチ氏も私も共に此の申出を拒みまして、さうして此の安全地域内には、一人も武器を携帯して居る中国兵士は居ないと云ふことを申したのであります

 それにも拘らず次の日、日本将校及び兵士達が参りまして、さうして此の「キャンプ」や或は私人の家から兵士であると云ふ名目の下に人々を連れて行かうとしたのであります。

(『『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P26-P27)


ジョン・ラーベ『南京の真実』

 日本軍は北へ向かって行進しているので、我々は彼らを迂回する横道に車を走らせ、武装解除することによって約600人からなる中国人の3部隊を救った。武器を投げ捨てよとの命令にすぐには従おうとしない兵士もいたが、日本軍が進入してくるのをみて決心した。我々は、これらの人々を外交部と最高法院へ収容した。

(略)

 我々はまだ希望を持っていた。完全に武装解除していれば、捕虜にはなるかもしれないが、それ以上の危険はないだろう。

(文庫版P122。ただし明らかな誤訳部分につき修正。詳しくはこちら



『南京事件・ラーベ報告書』


 そのとき私は人道的な気持ちにしたがったのですが、そのことで私はのちにいくばくかの良心の阿責に悩まされることになります。私は遠方から機関銃で武装して進撃してくる日本軍と、その危険性に注意を喚起し、武器を捨て、私に武装解除させてから、安全区のキャンプに入るようにと勧めたのです。彼らはしばし熟考してから同意しました。

 私にはそんな行動をする権限があったのだろうか? これは正しい行動だったのだろうか??

 現在では私は他に行動しようがなかったことを知っています! ここ安全区の境界で市街戦が起きたならば、逃走中の中国兵たちはきっと自ら進んで安全区に撤退し、その後、非武装ではないので、日本軍によってしたたか撃たれたに違いありません

 そのうえ、完全に武装解除されたこれらの兵士たちにとって、たとえば日本軍により戦争捕虜として扱われる以外の危険がなくなることを、私は当然のことながら望んだのでした。

(『季刊戦争責任研究』 第16号(1997年夏季号)所収)


 中国軍を「かくまった」のは、安全区への戦闘の波及を防ぐためであった、という説明です。許伝音によれば「武器を携帯して居る者は此の安全地帯に入ることを許されなかった」という「規則」があったようで、ラーベも武装解除の上、安全区への侵入を認めています


 ラーベが「中国兵の安全区への侵入を認めない」と言ったところで、現実に日本軍が中国兵を襲えば、彼らは武器を持ったまま安全区へ乱入し、結果として「安全区内での戦闘」が生じることになったものと思われます。確かにこの場面では、ラーベにはこれ以外の選択肢はなかったでしょう。

 ラーベらにとっては、武装解除された兵士たちをまさか日本軍が非道に扱うことはあるまい、という判断があったようです。しかし結果として、彼らは引きずりだされ、多くの部分は殺害されました。ラーベにとっては痛恨の結果でした。


 許伝音が日本軍の「捜索要求」を拒絶したことには、このような背景があったものと思われます。武装した兵士など安全区内にはいない。だから武装した日本軍の進入は拒絶する。一応は、「武器を携帯して居る者は此の安全地帯に入ることを許されなかった」という、委員会の方針に沿ったものでした。

 ただし実際には、武器を持ったままの敗残兵も大量に安全区に逃げ込みましたし、国際委員会には彼らをまとめて投降させる実力も意思もありませんでした。このあたりは確かに国際委員会の「限界」でありましたが、「民間人のボランティア集団」であった彼らにそこまで望むのも、また無理な話でしょう。


 しかし板倉氏の書き方も、ちょっと奇妙です。

 「筆者は、安全区の掃蕩が、必要以上と思われるほど過酷なものになった理由の一つは、この敗残兵捜索の拒否にあると思っている。日本側は利敵行為と反感を持ち、掃蕩を強行した」って、つまり日本側は、第三者機関に過ぎない「国際委員会」の「拒否」に腹を立てて「必要以上と思われるほど苛酷」な掃討を行った、ということですよね。

 つまり日本軍は、第三者機関の態度に腹を立てて「必要以上」の掃討をやってしまう、ろくなセルフコントロールもできない、情けない軍隊だった、ということになるのですが。



 さてここで、yさんはひとつの「ごまかし」をやらかしています。

 板倉氏の記述は、こうでした。

筆者は、安全区の掃蕩が、必要以上と思われるほど過酷なものになった理由の一つは、この敗残兵捜索の拒否にあると思っている。日本側は利敵行為と反感を持ち、掃蕩を強行した。事実、数千の敗残兵が高級将校を含めて区内に潜伏していたのであり、膨大な武器弾薬が発見されたのだから、ゲリラ戦の準備中、と判断されることになる。

 これをyさんは、こう「翻訳」してしまいました。


軍服を脱ぎ捨て、一般市民に紛れ込んだだけで無く、武器を隠し持っていたのである。

 板倉氏の書き方は慎重です。「膨大な武器弾薬が発見された」までで、「隠し持っていた」などという断定は行っていません。念のためですが、「ゲリラ戦の準備中」と判断したのは、あくまで日本軍です。

 これをyさんは、「隠し持っていた」と書き換えてしまいました

 外国大使館に避難していた高級軍人の一部は、密かに「再起」を期していたことは事実です。しかし彼らは明らかに少数派であり、大半の中国兵は戦意を失って逃げ惑うだけの状況になっていました。「隠匿兵器」が全くなかったとは言いませんが、「膨大な武器弾薬」のかなりの部分は「隠匿兵器」ではなく「遺棄兵器」であった、と判断するのが普通でしょう。

 「遺棄兵器」が大量に存在したことは、スティール記者、ダーディン記者の記事でもわかります。

 
『シカゴ・テイリー・ニューズ』一九三八年二月四日 スティールの記事

 小銃は壊され、山と積まれて燃やされた。街路には遺棄された軍服や武器、弾薬、装備等が散乱した。平時であれば、一般住民−まだ約一〇万人が市内にいた−はかかる逸品を得んと奪い合うのだが、いまや軍服や銃を持っているところが見つかれば殺されることを誰もが知っていた。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」所収)

『ニューヨーク・タイムズ』一九三八年一月九日 ダーディンの記事

武装を解く

 日曜日夜、中国兵は安全区内に散らばり、大勢の兵隊が軍服を脱ぎ始めた。民間人の服が盗まれたり、通りがかりの市民に、服を所望したりした。また「平服」が見つからない場合には、兵隊は軍服を脱ぎ捨てて下着だけになった。

 軍服と一緒に武器も捨てられたので、通りは、小銃、手榴弾、剣、背嚢、上着、軍靴、軍帽などで埋まった。下関門近くで放棄された軍装品はおびただしい量であった。交通部の前から二ブロック先まで、トラック、大砲、バス、司令官の自動車、ワゴン車、機関銃、携帯武器などが積み重なり、ごみ捨場のようになっていた。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」所収 P290-P291)

 安全区内で「発見された」「膨大な武器弾薬」を、そのまま「隠匿兵器」と決めつけることは難しいでしょう。

座談会『問題は「捕虜処断」をどう見るか』

秦(郁彦) 隠匿しているといっても、その兵士たちが個々に隠していたわけではない場合もあったろうし、安全区の中で見つかったからといっても、ただ置き去りにしていただけかもしれない。すべてが反抗のために準備された兵器で、いざという時にその兵士たちが使える状態にあったと見なすのは無理がある

(『諸君!』2001年2月号 P135-P136)




 一応、こちらにも触れておきましょう。


しかも戦闘が終了したという事実はない。安全区に潜入して武器を隠している敵兵がいて、どうして戦闘が終了したと言えるのか?いったい何が戦闘の終結を担保するのか?


すくなくとも結果的には中国兵は一般市民の命を盾に戦闘を継続していた

 「敗残兵が降伏していない」という「形式」のみをもって「戦闘が継続している」と見なすことには、無理があると考えます。

 「敗残兵」が、果して日本軍にとって現実の脅威たりえたのか。彼らの大半が「戦意を失って逃げ惑う」だけの状態になっていた以上、「脅威」はほとんどない、と判断していいでしょう。

 
『シカゴ・テイリー・ニューズ』一九三八年二月四日 スティールの記事

逃げ場を失った人々はウサギのように無力で、戦意を失っていた。その多くは武器をすでに放棄していた。


(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」所収 P476)

 
『ニューヨーク・タイムズ』一九三八年一月九日 ダーディンの記事

 無力の中国軍部隊は、ほとんどが武装を解除し、投降するばかりになっていたにもかかわらず、計画的に逮捕され、処刑された。安全区委員会にその身を委ね、難民センターに身を寄せていた何千人かの兵隊は、組織的に選び出され、後ろ手に縛られて、城門の外側の処刑場に連行された。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」所収 P437)


 もう「戦闘状態」なんてものではありませんでした。次の秦見解が、妥当なものと思われます。

座談会「歴史と歴史認識」より 

 十二月十三日までに南京完全占領と発表し、旗行列までしていますね。捕虜の大量処刑はそのあとに起こりますから、戦闘行為が継続していたとはいえないでしょう。

 安全地区の掃討をやっているときに、中国側から抵抗されたという話はないし、戦争詳報を見れば、日本側は戦死者ゼロです。だから戦闘があったとはいえませんね。

(『諸君!』2000年2月号 P87)

 


 yさんに異論があるのであれば、ぜひとも、「敗残兵」たちが日本軍にとって大きな「脅威」となっていたことを、具体的な事例で説明していただくことにしましょう。

 まあ日本軍の「主観」の上では、「戦闘は継続」していたかもしれません。しかし結果として、これは「判断ミス」でした。

『南京戦史』より

 歩七参戦者とは戦友会長以下と編集委員が再度会談し、当時の状況としては掃蕩命令を忠実に実行したとのことであったが、最近(昭和六十三年末)同師団の土屋委員の質問に対し「今にして思えば、聯隊長の当時の状況判断については痛恨の情に堪えない」と答えられた。

(同書 P331)






便衣兵の「処刑」に裁判は必要だったのか?
(リンク先省略)

12月16日までの初期の便衣兵摘出について
『間違いなく交戦状態にあった守備軍が便衣兵となって市中に潜伏している状態は、便衣兵となって交戦を続行している状態と言えます。つまり、信夫博士の説を採用するなら、初期掃蕩戦における便衣兵摘出は、交戦状態続行中の、現行犯の便衣兵摘出なのです。』

 雑誌論文からの引用であればともかく、一素人の、何の「査読」も受けていない発言を、金科玉条のごとく紹介することに少なからぬ違和感を感じますが、それはともかく。

 このnmwgipさんという方、以前はyahoo掲示板で「活躍」していました。頭が痛くなるような怪「理論」を組み立ててしまう方でしたので、あまりおつきあいしたくないのですが(^^ゞ、本当に、「信夫博士の説を採用するなら、初期掃蕩戦における便衣兵摘出は、交戦状態続行中の、現行犯の便衣兵摘出」ということになるのか、ということだけに絞って見ていきましょう。

 nmwgipさんは、このように書いています。


逃走中の敵は適法な攻撃対象であり、逃走中はまだ交戦状態が続いているのです。実際に交戦状態に至っていない便衣兵を摘出するだけであれば現行犯とは言えないかも知れませんが、間違いなく交戦状態にあった守備軍が便衣兵となって市中に潜伏している状態は、便衣兵となって交戦を続行している状態と言えます。
 つまり、信夫博士の説を採用するなら、初期掃蕩戦における便衣兵摘出は、交戦状態続行中の、現行犯の便衣兵摘出なのです。従って、『その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて戦時重罪犯に問ふこと固より妨げない』が適用されます。

 まあ、「逃走中の敵」を攻撃することは「適法」でしょう。ここまでは、信夫説としては問題ありません。

 しかしこの先は、いささか「ワープ」気味です。設定は、このように書き直すべきところでしょう。

 「逃走中の敵」をいったん捕えた。現時点では「便衣兵容疑者」でしかない。彼らはほとんど無抵抗で捕まり、抵抗の気配はない。また周囲に、日本軍の喫緊の脅威も存在しない

 常識で考えても、「殺害」の必要があるとはとても思われません。


 信夫淳平の文を読み返します。

信夫淳平『戦時国際法提要』より

 然るに便衣隊は、交戦者たるの資格なきものにして害敵手段を行ふのであるから、明かに交戦法則違反である。その現行犯者は突如危害を我に加ふる賊に擬し、正当防衛として直ちに之を殺害し、又は捕へて之を戦律犯に問ふこと固より妨げない。(P400)


 信夫博士は明らかに、「害敵手段を行」う「便衣隊」を「現行犯者」と呼んでいます。「逃げ回る」ことが「現行犯」になる、と言っているわけではありません。

 そもそも、無抵抗で捕まった「便衣隊」を「殺害」することが「正当防衛」になるはずがありません。信夫説を利用して「安全区掃討」の正当化を図ることは、「論理のアクロバット」でも使わない限り、とても無理でしょう。





12月下旬以降の便衣兵摘出は、憲兵により取り調べられており(【写真4】参照)、日本軍は良民証を発行するなど、一般市民に危害が及ばないようできる限りのことをしていました。【写真1】のような事例もあります。日本側の対応が非人道的ならこんな事例はありえないのではないでしょうか?
(リンク先省略)

 つまり「12月中旬の便衣兵摘出」は「一般市民に危害が及ばないようできる限りのこと」はしていなかったわけですね・・・という突っ込みはさておきます。

 「一般市民に危害が及ばないようできる限りのことをする」のは全く当り前のことで、別に褒めるようなことではないのですが・・・。むしろ、「平和」が回復した時期であったはずこの「第二次便衣兵狩り」ですら、「裁判抜き処刑」が堂々と行われていた、という事実の方が驚きでしょう。

 中には、ベイツが報告するように、「もしお前たちが進んで自首するなら、生命は助けてやるし、仕事を与えてやる」と勧誘しながら、実際に「自首」してきた二、三百人の元兵士を殺してしまった、という事例もありました。

 少なくとも「人道的」な軍隊がやることではないでしょう。




責任を問われるべきはジョン・ラーベら国際委員会であり、戦闘員であるにもかかわらず安全区にまぎれこみ市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵、そしてもっとも責任が重いのは司令長官唐生智です。

できるかぎり一般市民に危害が及ばないようにした日本軍が責任を負うべきでしょうか?

合法ですね。

 たまたまちょっと前に見たドラマのセリフを思い出しました。

そうか。みーんな、まわりが悪いんだ。あなたは全然、悪くないんだ

 きっと日本兵は、こんなことを言いながら中国兵+一般市民を殺していたに違いありません(笑)

 「俺たちに責任はない。恨むなら、国際委員会と唐生智を恨め


 唐生智には、虐殺を「許した」、あるいは虐殺の環境をつくってしまった責任はあるかもしれません。しかし「虐殺」を行ったのは、あくまで日本軍です。どちらに「責任の主体」があるかは、明らかでしょう。

 ・・・ま、あまりに馬鹿馬鹿しいので、これ以上のコメントはやめておきます。

(2013.3.23)


HOME 次へ