| 続:y1892aさんに答える(1) 「スマイス報告」編�� |
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2013年2月、私は、1年以上も前に書いたy1982aさんに答えるを公開しました。 yさん、よほど気になったのでしょう。 「知恵袋」を使って、私のサイトに執拗な攻撃を仕掛けてきました。「知恵袋の目的外使用」の癖は、治らないようです。 もちろん彼は、上の「y1982aさんに答える」には一言も反論できません。何とまあ、当時の議論を全く無視して新しい「答案」を書いてしまいました。当時私を論破した、という大言壮語はどうなってしまったのでしょうか? 彼の文章は、ほとんど「使い古された否定論のごた混ぜスープ」とも言うべき内容であり、本来こちらのサイトで採り上げるほどのものでもないのですが、行きがかり上、一応コメントしておきます。 ※実際に書いてみると、以下、とんでもない長文になってしまいました。全体の構成は次の通りです。 さすがに私は、彼があちこちに書き散らした文章をストーカーのようにフォローしているわけではありません。また、たまたま目についたものすべてにいちいち回答する気も起きません。とりあえずは彼の「自信作」であろう、私のサイトへの批判を見てみましょう。 まず、タイトルです。ここからして、もうおかしい。
あれあれ、私は確か一年以上前に「論破」されていたはずですが。「論破」の「やりなおし」ですか(笑) どうでもいいけど、論破「してみました」って・・・。You Tubeでよく見かける、「歌ってみました」と称する素人のど自慢大会じゃないんですから(^^ゞ しかしすごいタイトルです。「捕虜の処刑は「虐殺」か」って、これ、ほとんど「殺人は法律違反か」と同じレベルの「疑問」なのですが・・・。 国際法上は、「どうしてもやむえない場合」という例外を除けば、「捕虜の処刑」は「不法殺害」ということになっています。 さて彼は、どのようにしてこの「国際法」の「常識」を覆そうとするのでしょうか。お手並み拝見といきましょう。
「博士」を「論破」したボクはこんなに偉いんだぞ、と言いたいのでしょうか。ともかく、お褒めにあずかり、どうも(笑)。 ただ私なんぞ、プロの研究者の足元にも及びません。 ネットの世界では少しは詳しい方かもしれませんが、こちらにも(あまり出ていらっしゃいませんが)渡辺久志さんという「大物」がおりまして、私なんぞ百年勉強してもかないそうにない(^^ゞ 私なんぞを「論破」したつもりになって嬉々としているようでは、yさん、まだまだです。
あ、「論破済み」だったのですか。ちっとも気がつきませんでした。 では一旦、「「捕虜の処刑は「虐殺」か?」を離れて、まずはこちらを拝見することにいたしましょう。
わかりやすくするため、「スマイス調査をめぐる「議論」」に掲載した表を再掲しておきます。
「南京戦史」は、「市部調査」と、「農村調査」のうち南京市を含む「江寧県」の合計15,670人を「被害者数」のベースとしています。 そして「南京戦史」は、この中には「戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避的なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野戦術による犠牲」が含まれるものと考え、 「一般市民の被害者数は、スマイス調査の一五、七六○人よりもさらに少ないものと考える」と結論づけています。 秦郁彦氏、板倉由明氏は、「被害者数」の推定にあたり、このスマイス調査の数字を利用します。 板倉氏の推定は、「不法殺害」を「一万六千の三分の一から二分の一」と見て、「五千から八千」。秦氏は「農村調査」の数字を独自に修正した「二万三千」をベースとして、 そのうち「二分の一から三分の二」を不法殺害と考え、「八千〜一万二千」を民間人犠牲者数と推定しています。(「犠牲者数をめぐる諸論」参照) 私見では、「中国軍による不法行為や、また堅壁清野戦術による犠牲」を裏付ける資料がほとんど存在せず、また「戦闘行為の巻き添え」は「軍事行動」に分類されているはずであることを考えると、この「割引率」は高すぎるように思います。 逆にスマイス調査の数字を「過小」と見る論者も存在します。まあ板倉・秦推定あたりまでが、「まともな議論」の範囲でしょう。 しかしyさんは、こんな「常識」には従いません。ずっと読み進めていくと、いきなりこんな「結論」に遭遇し、思わず目が点になります。
いったいどのような「論理展開」をしたらこんな「結論」になるのか。以下、見ていきしょう。 「1.1937年12月の南京攻略に至るまで」「2.南京から脱出した南京市民」については、言いたいことは多々ありますが、本題と離れますので省略します。まずは「3.日本軍が南京にいたるまで 」と題する章からです。
「南京攻撃に至るまで」ということは、「上海戦から南京追撃戦の間に」日本軍は一人の市民も虐殺していない、ということでしょうか。 いきなり大胆な断定ですが(1件でも「市民を虐殺した」という事実を完全否定できなくなったら、上の立論は崩壊します)、どうもその根拠は、ダーディンの発言だけであるようです。 これは、ダーディンの見聞がそこまで及んでいなかった、というだけの話でしょう。 インタビューアーの古森氏ですら、「ダーティン氏のこの言葉は「上海から南京までの間で日本軍による大規模な殺害や略奪があった」という一部の説とはくいちがっている」というコメントを挟んでいますが、 yさんには見えなかったのでしょうか? yさんには、この「一部の説」を完全否定する義務があります。 「スマイス調査」の範囲からは外れますが、ここでは拙サイト未紹介資料として、「上海戦」に関する「民間人殺害」の記録を紹介します。 まず、「サンケイ新聞」に連載された『戦記 甲府連隊』です。
怪しければ、たいした取調べもせずに、とりあえず殺してしまったようですね。これでは「民間人被害」が「ゼロ」となるはずがありません。 また、第百一師団衛生隊の元軍医、岡村俊彦氏も同様の証言を残しています。
あるいは、当時読売新聞上海総局の記者であった西里竜夫の目撃談です。
「蒋介石」の顔を知っているだけでただちに殺してしまう、というのもいかにも乱暴ですが、これが当時の日本軍の雰囲気だったのでしょう。 以上、とりあえず「上海戦」の話をいくつか紹介しました。「日本軍が南京攻撃に至るまでに市民を虐殺したという事実も無い」という断定は、いささか無茶が過ぎます。 さて、次の記述も大胆です。
まあ、中国兵による被害者が皆無だったという断定はいたしません。しかし犠牲者が全員(日本軍が(一人も)市民虐殺をしたことはない、ということですので、論理的にはそうなりますね)「中国兵」のせいだった、というのは無茶です。 なんでそこまでのことを言えるのか、とリンク先を開いてみると、出てきたのがタウンゼント「暗黒大陸中国の真実」。これ、1933年発行の本ですので、 1937年南京戦において「中国兵が民間人を殺害した」なんて根拠になるはずもありません。 しかもリンク先を見る限り、タウンゼントが言っているのは、当時(1933年以前の話です。念のため)中国軍の規律が非常に悪く、平気で「略奪・強姦」を行っていた、まで。どこにも「市民を殺し放題だった」のような記述は見えません。 参考までに、タウンゼントと似たような見方を持つ西岡香織氏への、吉田裕氏の批判です。
次のリンク先を開くと、今度は「漢奸狩り」。ただしこれ、「陥落前の南京」の話で、「南京戦中」の「民間人殺害」とは何の関係もありません。 また当時の日本メディアの記事の信頼性の低さは「常識」といってよいことですので、記事の真偽判断は慎重に行うべきところでしょう。 「南京戦中」にも統計に影響を与えるような大規模な「漢奸狩り」が南京及びその周辺で行われていた、と主張するのでしたら、ぜひともその根拠資料を挙げていただきましょう。 しかしこんなヨタ記事を平気で引用する彼の無神経さには唖然とします。前の「y1982aさんに答える」にも、ちゃんと書いておいたはずなのですが。
実は私は「汪兆銘」についてはちょっとは詳しい(笑)。また「高宗武」については個人的なファンでして、Wikipediaの「高宗武」の記事を立ち上げたのは、実は私です。 このうち高宗武は、この時期蒋介石の信頼を得て、香港・武漢を飛び回って活躍していたようです(「高宗武回憶録」)。 周作民も、この時期活動を停止した気配はうかがえません。この時期曾仲鳴とチョ民誼が「監禁あるいは生死不明」となっていた、という情報は知りません。 他2名については全くわかりませんが(中国語検索エンジン「百度一下」で名前を検索してもヒットしません)、以上、この情報、かなり怪しげなものであると判断されます。 実はこの部分、氏名不詳の「親日支那人」の話がソースということになっています。こんな怪しげな情報源しかないのであれば、当時の日本のメディアの状況から見ても、「単なる噂」として受け止めるのが無難でしょう。
その次に「9160人」の単語が見えますので、彼はどうやら、「城外」「近郊」という言葉で、「9160人」の範囲である「江寧県」をイメージしているようです。 念のためですが「江寧県」の範囲を受け継ぐ現代の「江寧区」の面積は1,500k�屬曚匹任△襪茲Δ任后�「焼き払い」の範囲は、そのうちごく一部。「江寧県」全体の住民が「住む所がなくなったわけではありません。 それはともかく、「清野作戦」については、「日本軍の放火」中の「中国軍の清野作戦」にまとめておきました。 そこに掲載したデータ群を見ると、「中国軍による大規模な焼払い」自体は事実であるとしても、「南京周辺をすべて焼払う」というレベルまでは達していない、と判断するのが妥当でしょう。 また、唐生智が「難民区」集結を布告していたとしても、全住民がただちにそれに従ったわけではありません。 マギーの記録にも、 「城内南部」に留まって被害にあった人々の話がいくつか登場します。 また中国側証言集では、日本軍の南京占領後にあわてて「安全区」に逃げ込んだ、という証言を多数見ることができます。 夏淑琴さんの一家も、「難民区」への避難を行わず、被害にあっています。
「避難勧告を無視して家にとどまり結果として被害にあった」というパターンは、2005年ニューオーリンズの水害、2011年東北大地震の例を見るまでもなく、極めてありふれたもの、と言えるでしょう。 秦郁彦氏のコメントを紹介します。なおこの文は、否定派の総本山とも言える『南京「虐殺」研究の最前線』に掲載されたものです。
さて、最後の一行に引っくり返ります。
この「9160人」は、「交戦期間中」に「暴行」により死亡した死者です。この時期に「漢奸狩り」により大量の死者が発生した、というのであれば、その資料を提示していただきましょう。 そして「中国軍による焼き払い」がどのように行われたのかは、いみじくも彼が提示した「ヴォートリン日記」でわかります。 ※彼はなぜか「日付」「ページ数」を明記していませんが(たぶん自分ではこの本を持っていないので、ネットのどこからか拾ってきたのでしょう)、12月6日、日本語版「南京事件の日々」P36の記述です。
基本的には「一人残らず連れ出し」てから「焼き払っ」たようです。死者が出た、という記述ではありません。わざわざ自分の主張の「反証」となる資料を紹介して、どうしようというのでしょうか。 それでも「中国軍の焼き払いにより大量の死者が発生した」(「暴行」とはちょっと違いそうですが)と主張するのであれば、具体的な資料を持ってきていただくことにしましょう。 しかし、yさんのこの二つの文章をつなぎ合わせると、「一般市民はみな難民区に避難した(はずだ)」、でもなぜかその無人地帯で「9160人の死者」が発生した、ということになってしまうのですが。 彼、この矛盾を一体どうやって説明するのでしょうね。 ※今さら、「例え一般市民がみな難民区に避難していなかったとしても、城外の死者は全部中国兵の仕業だった」という意味だった、なんて「言い訳」はしないように。 そこまで考えていなかったことは、上の文章から一目瞭然ですから(笑)。
引用資料は、よく知られているものばかり。中国軍は崩壊して、略奪・暴行を行いながら、私服に着替えて安全区に逃げ込んだ、というだけの内容です。 しかしこの資料から彼が何を読み取るのかといえば・・・。
何だか提示資料とこの「重要論点」の結論がうまくリンクしていない気もしますが、それはともかく、一見しておかしな記述です。 「中国兵」は「戦闘」の当事者。捕まれば殺されるかもしれないから、逃げ込んで当り前。「一般市民」の方は、日本軍がそこまで無茶をするとは思わず、安全区に避難しない者も大勢いただけの話。 しかし「中国兵にさえ守ってもらえない一般市民は安全区に逃げ込む以外に身を守る方法があったのでしょうか?」という表現は、「日本軍がやってくると身が危ない」という認識を前提とします。ついつい彼の本音が出てしまったのかもしれません(笑) 余談ですが、「日本軍が南京に入る前から市内には多数の死体があった」って何だろう、と思ってリンク先を開くと、大勢の負傷兵がそのまま死んでいった、という話と、 例の「エスピー報告」の「市民の服欲しさに、殺人まで行った」という曖昧な記述のみが材料でした。 そこからこんな結論を出してしまうのですから、驚きです。
エスピー報告には「死体」の話など出てきませんから、これは「平服の負傷兵の死体があった」という意味でしょうか(そんなことは彼の提示する資料のどこにも書いていないのですが)。負傷兵の死体があったから何だと言いたいのか、意味不明の一文です。 (2013.3.3)
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