| "バターン死の行進"(�掘� | サンフェルナンドから オドンネルまで |
さて、サンフェルナンドに至り、ようやく捕虜たちは「徒歩行進」から解放され、「列車輸送」に与れることになります。しかしそれは、「快適な」移動とは程遠いものであった、と伝えられます。 サンフェルナンドからカパスまでの「列車輸送」について、捕虜たちの証言はほぼ共通しています。 まずは、定員大幅オーバーの「詰め込み」です。
当然「空調」などついていません。暑さと窮屈さは耐え難いものでした。
「詰め込まれた」列車の中に、たまたま赤痢患者がいた場合は、輪をかけて悲惨でした。
ちなみにこの光景は、泰緬鉄道建設のための「捕虜輸送」と共通するものがあります。日本軍にとっては、こんな過酷な輸送方法が「常識」だったのかもしれません。
ともあれ、3〜5時間のつらい「乗車体験」のあと、捕虜たちはカパスに到着します。そしてそこから徒歩で約14キロ、捕虜たちはようやく最終目的地であったオドンネル収容所に到着しました。
本サイトでは、この事件に限らず、あちこちで『世界戦争犯罪事典』の記述を紹介しています。編者は秦郁彦氏等の「保守派」が中心ですが、事実関係が概ね適切に要約されており、また「評価」も比較的公正であると思われるからです。 ※念のためですが、「事実」を直視しようとせず、むやみに「日本の戦争犯罪」を否定したがる方にとっては、我慢のならない本であるかもしれません(笑) ここまでのとりあえずの「総括」を行うために、例によって、まずは『世界戦争犯罪事典』の記述を見ていきましょう。この部分の執筆者は、原剛氏です。
原氏は「南京事件」では、「被害者数約1万人」という、どちらかといえば「少数説」の見解に立ちます。氏のスタンスは、「防衛研究所戦史部調査員」という肩書からも窺える通り、ある程度「日本軍寄り」と言えるかもしれません。 上の文では、「要因」の「第一」から「第四」までを「やむえなかった理由」で埋め、ようやく「第五」に「捕虜に対する蔑視観念」「残虐行為」が出てくる、という構成になっています。(ただし上の書きぶりを見ると、「殺人」まで至ったかどうかについては、原氏は判断保留しているようです) 私見では、原氏は「第五」を軽視しすぎているようにも思われますが、それでも「残虐行為」に触れ、「本間軍司令官が実情に適合した処置を工夫する余地がなかったか」と「日本軍の努力の余地」を認める形となっています。 さて以上、主として「被害者側証言」によって、事件の経緯を見てきました。 本サイトで取り上げて来た数々の「戦争犯罪」事件(南京事件、シンガポール華僑粛清、マレーシア華僑虐殺、平頂山事件など)では、「被害者側証言」に加えて「加害者側証言」もかなり揃っており、双方を比較検討してより正確な「事実」に接近することが可能でした。 (念のためですが、これらのサンプルでは、どちらかといえば右派、保守派の論客も、「加害者側証言」を積極的に発掘しています。おそらく「被害者側証言」の誇張を許さない、という動機からでしょうが、その結果として、「加害者側もここまでは認めている」という最低ラインを確保することができるようになっています) ただこの「バターン死の行進」については、このような「加害者側証言」の発掘がほとんど行われていません。後で見るように、「残虐行為」の存在すら認めない、明らかな「タテマエ証言」が多数となっています。 その意味で、「被害者側証言に誇張がないか」という点については、議論の余地があるかもしれません。また「後日の回想」ですので、細部までの正確さを求めることは困難でしょう。こちらでも、「被害者側証言」をかなりの程度割り引いて紹介していることをお断りしておきます。 しかしここまで多種多様の証言が残っている以上、どんなに控え目に見ても、日本軍側が、「殴る」「銃剣などで突き刺す」といった「残虐行為」を、かなりの規模で行ったことは否定できそうにありません。 次の章では、捕虜たちがようやく到着したオドンネル収容所の悲惨な実態を取上げます。これについては、少なくとも事実関係については、日本軍側、被害者側で、争いはほとんどありません。 (2014.1.26)
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