y1892aさんに答える


 ネットには、「知恵袋」「質問室」といった、「質問コーナー」があります。

 普通このような「質問コーナー」は、「何かを知りたい」という方がいて、それに対して知識を持つ方がお答えする、というコミュニケーションツールとして機能しているのですが、 一部には、「自分の意見をプロパガンダしたい」というとんでもない動機で「質問」を掲載する方もいるようです。

 そして、自分が望む回答があればそれを「ベストアンサー」にする。それ以外の意見は、どんなことをしても、無視、あるいは否定する。世間ではこれを、「出来レース」と言います。



 さて、わざわざ私を名指しにしているとしか思えない「質問」を見かけました。それも2つの「質問コーナー」に、同じ質問をダブル投稿する(いわゆる「マルチポスト」)、という、完全な「ネチケット違反」です。

 私には、こんな「出来レース」に参加する義理はありません。自分のサイトに「お答え」を掲載することにします。

2011.10.17 y1982aさんの「回答」を受けて、末尾に追記を行いました。

なお私は、今のところ本コンテンツの公開は考えておりません。ネット上の「個人」をターゲットとしたコンテンツはあまり「上品」なものであるとは言えないこと、またこれまでのところ、y1892aさんはそれなりに「礼」を守っているからです。 (マルチポストの質問群は別として)

少なくとも、deliciousicecoffee氏に対してと同じレベルの扱いをy1892さんにも行おう、という気には、どうもなれません。

今後の展開によっては考えが変わることもないとは言えませんが、とりあえずは「非公開」のままとするつもりです。

ただし、ご自分のサイトからわざわざこちらにリンクを貼り、実質的に「公開」扱いにしてしまったことに対してまでは、私は責任は持てません。(笑)



2011.12.24 その後ある方から、takashipancaseless2さんという方から「反論」がついた、というお知らせをいただきました。

わざわざコメントするようなレベルの文でもないのですが、ちょうど時間が空いておりましたので、ちょっと「遊び」でコメント文をつくってみました。

アドレスは、こちらです。

takashipancaseless2さんに答える



2013.2.1 上に書いた通り、本記事は「公開」を予定したものではありませんでした。

しかし最近になり、彼は私を「論破」した、と宣伝しているようです。たぶん彼の脳内では、私は「論破」されたことになっているのでしょう(笑)。

対抗上、どのような「議論」だったかを振り返るために、当時の文章を全くそのままの形で「公開」したいと思います。

なお彼は「南京」に関するサイトを持っていますが、あまりに稚拙なものであり、(「知恵袋」への大量投稿の割には)ネットでの影響力もほとんどないようですので、ここでは正面から取り上げることはいたしません。


※1年以上前の議論であり、その後彼の「主張内容」が変化している可能性はありますが、大量のリンク先をいちいち開いて「変化」の有無を確認する気も起りませんので、 当時の文章を全く手を加えずにそのまま掲載しました。読者の方、もしお気づきの点がありましたらご一報ください。


2013.4.21 本記事の公開がよほど気に食わなかったのか、その後yさんは、「知恵袋」に「ゆう氏を論破してみました」なる記事をアップするなど、私に対して執拗な攻撃を仕掛けてきました。

本来相手にするほどの内容でもないのですが、個人的に興味を引いた論点もいくつかありましたので、以下、yさんの「論」に対する反批判をまとめておきました。


1.続・y1982さんに答える(1) 「スマイス報告」編
2.続・y1982さんに答える(2) 「スマイス報告」編
3.続・y1982さんに答える(3) 捕虜殺害編
4.続・y1982さんに答える(4) 捕虜殺害編◆)詆椹鎧件
5.続・y1982さんに答える(5) 捕虜殺害編 安全区掃討
6.続・y1982さんに答える(6) 捕虜殺害編ぁ,修梁召諒疥沙Τ

その後yさんは、この反批判に対してはほとんど沈黙してしまったようです(4月21日現在)。そして「知恵袋」に登場の都度、何もなかったかのように、相変わらず「ゆう氏を論破してみました」なる記事へのリンクを貼り続けています。

普通、ここまでコテンパンにされたら、少しは「気にする」ものなのですが。どうも彼は、「精神的無痛症」にかかっているようです。





 さて、まずは「質問」を全文掲載します。


南京大虐殺はプロパガンダですね?

日本軍が民間人を大量虐殺したという立証はなされていません

南京大虐殺はもともと中国国民党(蒋介石)のプロパガンダです。それを中国共産党が拾って現在に至っています。(リンク先省略)

彼らは2次大戦当時、スパイ工作で日本と中国国民党を戦わせ、漁夫の利を得て中国を支配しました。南京大虐殺というのはその戦いの中で当時の首都南京陥落時に起きた事件と言われています。 この日中戦争(シナ事変)で漁夫の利を得たのは中国共産党であり、今の共産党はその当時から中国を一党独裁で支配しています。

毛沢東は生涯、南京大虐殺について言及することはありませんでした。1964年7月、日本社会党訪中団が戦後、過去の戦争について謝罪したとき、彼は「日本のおかげで共産党は中国を統一できた」と感謝すらしました。 文化大革命や大躍進政策で自国民を7000万人以上殺した毛沢東を建国の父と未だに崇拝している中国共産党のこういう体質は2次大戦から今まで続いています。

天安門事件、ノーベル平和賞でもわかるとおり、民主化運動は徹底的に弾圧し、言論の自由もありません。チベットやウイグル、法輪功で国際的に非難を受ける中、批判の矛際をかわすために南京大虐殺が使われています。 70年も前の戦時中の事件と現在進行形のチベット・ウイグル、どちらに目を向けるべきでしょうか?

(ここに同一サイトの15本の記事への大量リンクがありますが、「宣伝」に手を貸したくありませんので、リンク貼りは省略します)


ゆう氏による「南京事件 初歩の初歩」
http://yu77799.g1.xrea.com/nankin/shoho.html
によると、南京大虐殺の実態については主に以下の5つからなるものだそうです。
1.幕府山事件
2.安全区掃討
3.下関の捕虜殺害
4.その他の捕虜殺害
5.民間人殺害 スマイス報告

1,3,4についてはすべて「捕虜の処刑」となっています。
そもそも、なぜ南京に大混乱が起きたのか?

第二次上海事変や通州事件、広安門事件、大山中尉殺害事件、漢奸狩りなど中国側からの日本に対する挑発行為、民間人大量虐殺などを経て南京攻略戦に至りました。
連戦連敗の中国国民党軍に対し、日本軍は降伏勧告を行いましたが、国民党軍司令長官唐生智は降伏せずに南京から逃亡しました。その一方、督戦隊という非人道的な戦法を使い南京が戦場になってしまったのです。

数万にも上る捕虜の処刑を責めるのなら、なぜ司令長官は降伏せず逃亡したのでしょうか?

「仮に」ゆう氏の言うとおり捕虜を大量に処刑したとしても、中国側が日本軍を責められるはずもありません。

2の安全区掃討については、数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだとき、国際委員会は何らのチェックもせず入場させたのであり、責任を問われるべきはジョンラーベやベイツ、マギーらの国際安全委員会が責められるべきです。 そして戦闘員であるにもかかわらず一般市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵の責任です。

南京は国際法に違反しており捕虜としての資格を有しない(リンク先省略)

スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか?(リンク先省略)


 やたらと同じサイトにリンクを貼ってありますが、これひょっとしてこれ、全部ご自分のサイトなのでしょうか。(やっと気がつきました(^^ゞ) 

 前に会話した時、私は最後の「スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか?」を「トンデモ」と評しました。ご自分のサイトだとすると、ここまでネタにするのも申し訳ない気はするのですが、一応最後に「批判文」をアップしておきましょう。



 さて、「内容」を見ていくことにします。


日本軍が民間人を大量虐殺したという立証はなされていません


 今問題となっているのは「歴史的事実」。別に「裁判」をやっているわけではないのですから、ここに「立証」という言葉を使うことには違和感があります。

 それはともかく、以下、「事実」だけを書いておきましょう。

1.日本軍の南京占領後、「被害状況」の調査が行われた。それは、残った住民から一定割合でサンプルを採取して、統計的に「被害規模」を明らかにしようとした、「学術調査」だった。

2.その結果まとめられたレポートが「南京地区における戦争被害」。市部で6,600名、農村部で26.870名の民間人犠牲者が出た、と推定している。

3.ただし戦争直後の混乱期の調査であり、また「サンプル調査」でもあるので、精度は十分なものであるとは言えない。 この数字が被害実態をきちんとカバーしているのか(過小説)、あるいはこの数字の中に「日本軍の虐殺」以外のものがかなり混入しているのではないか(過大説)、という2つの説がある。

4.ただし「過大説」をとる秦郁彦氏、板倉由明氏にしても、「大量の民間人不法殺害」の存在は認めている。推計数は、秦氏で8,000-12,000名、板倉氏で5,000-8,000名。



 さて質問者は、この1から4までのうち、どこを「疑問」としているのでしょうか。

 「論壇」の議論を超えて、あえて「大量の不法殺害など存在しない」と主張するのであれば、少なくとも「専門家」の秦氏や板倉氏を超える、きちんとした「根拠」が必要になります。



毛沢東は生涯、南京大虐殺について言及することはありませんでした。1964年7月、日本社会党訪中団が戦後、過去の戦争について謝罪したとき、彼は「日本のおかげで共産党は中国を統一できた」と感謝すらしました。



 例えば、吉田茂首相が、「東京大空襲」について「生涯、言及することはなかった」としましょう。もしそうだとすると、「東京大空襲」は存在しないことになってしまうのでしょうか。

 もちろん、そんなことはありませんよね。

 「南京大虐殺」は、東京裁判でしっかり認定されて、「歴史的事実」になりました。そして毛沢東も蒋介石も、それ以上このことを問題にする意志はありませんでした。それだけの話です。


矢吹晋『激辛書評で知る中国の政治・経済の虚実』より 

 毛沢東、周恩来、あるいはトウ小平、胡耀邦のことを私は調べてきたが、これらの指導者たちは抗日戦争を本当に戦った英雄である。 しかし彼らには、「戦争が終わったからには、これからは平和と友好の時代である」というスタンスがはっきりしていた。

これに反して戦争が終って半世紀のち、ポスト冷戦時代に指導者となった江沢民が日本の軍国主義批判をやたらと煽り立てるのはいったいなぜか、これは疑われて当然の行動なのだ。

(P78)
 


 毛沢東は、「これからは平和と友好の時代である」と考えていたから、今さら「南京」を蒸し返すことはしなかったのでしょうね。そう考える方が、よほど説得力があります。

 なお戦時中でも、「中国共産党」自体はしっかりと「事件」を知っていたようです。(中国共産党は知らなかったか参照)




 さて、以下は私のサイトへのコメントになります。

1.幕府山事件
2.安全区掃討
3.下関の捕虜殺害
4.その他の捕虜殺害
5.民間人殺害 スマイス報告


1,3,4についてはすべて「捕虜の処刑」となっています。


 2の半分、5は「民間人虐殺」ですね。「南京事件」は、「捕虜殺害」と「民間人殺害」の二つの要素を持ちますから。



第二次上海事変や通州事件、広安門事件、大山中尉殺害事件、漢奸狩りなど中国側からの日本に対する挑発行為、民間人大量虐殺などを経て南京攻略戦に至りました。

 まあどうでもよいところではありますが、こんなもの、書き方によってどうにでもなります。例えば、こう書いてみたらいかがでしょうか。


 中国北部に日本の傀儡政権を打ち立てた華北分離工作、中国側の抗議を押し切っての一方的な盧溝橋付近への駐屯、牟田口連隊長による盧溝橋城攻撃、現地解決を無視した三個師団派遣決定を経て、7月28日には日本軍は中国北部にて全面的に軍事行動を開始、日中戦争の幕開けとなりました。


 実は私は「盧溝橋事件」についてはちょっとは詳しい(笑)。あの経緯を、中国側だけのせいにするのは、少なからず無理があります。



日本軍は降伏勧告を行いましたが、国民党軍司令長官唐生智は降伏せずに南京から逃亡しました。



 「逃亡」してはいけないのでしょうか? 「降伏勧告」に対して「逃亡」して再起を図るか、それとも「逃亡」をあきらめて「降伏」するかは、自由だと思うのですが



その一方、督戦隊という非人道的な戦法を使い南京が戦場になってしまったのです。


 別に、「督戦隊」戦法を使ったから「南京」が戦場になったわけではないのですが・・・。おかしな文章です。

 また、「督戦隊」戦術を使うかどうかは中国軍内部の問題で、それで日本軍の「捕虜殺害」を正当化できるわけではありません

 その言い方を借りれば、日本軍内部では「私刑」「いじめ」が蔓延していました。また「捕虜」となることを禁じて、捕まったら「自決」しろ、と教育していました。これも同様に「非人道的」でしょうね。



数万にも上る捕虜の処刑を責めるのなら、なぜ司令長官は降伏せず逃亡したのでしょうか?

「仮に」ゆう氏の言うとおり捕虜を大量に処刑したとしても、中国側が日本軍を責められるはずもありません。


 文章としては、「数万にも上る捕虜の処刑を責めるなら、なぜ司令長官が降伏せず逃亡したことを責めないのでしょうか」としないと、変です。どうも質問者さん、ちょっと日本語が苦手なのでしょうか。

 で、よくわからないのですが、司令長官が「逃亡」したら、捕虜を殺してもよくなるのですか? いくら何でも、それはないでしょう。


2の安全区掃討については、数千の便衣兵が安全区に紛れ込んだとき、国際委員会は何らのチェックもせず入場させたのであり、責任を問われるべきはジョンラーベやベイツ、マギーらの国際安全委員会が責められるべきです。 そして戦闘員であるにもかかわらず一般市民を危険にさらす便衣兵となった中国兵の責任です。



私のサイトに、書いてありますよね。


 なお、ここで「処分」された元兵士たちの大半は、戦意を失って逃げ惑うだけの「敗残兵」であり、国際法が想定する「民服を着て敵対行為を行うゲリラ」=「便衣兵」ではありません。 「便衣兵」というのは当時の日本軍の「誤解」であったに過ぎず、東中野修道氏ですら「便衣兵」という表現は使用しないのですが、なぜかネットではこの表現を使う方を多く見かけますので、念押ししておきます。

 また、「民間人巻き込まれの責任は便衣兵戦術をとった中国側にあるとの暴論も見かけます。そもそも南京では「便衣兵戦術」の存在は確認されていないのですが、 例え南京戦以前の上海戦での「便衣兵」を問題にするとしても、日本軍の責任は免れません。日本軍は「民間人混入」のリスクは十分に承知していたはずです。殺害しなければならない切迫した事情もなかったのですから、 そのまま生かして「捕虜」としておけばよかっただけの話でしょう。



少なくとも、「無裁判処刑」を行ったことは「問題」と言わざるを得ません。私のサイトを、そのまま写します。


 問題は、このように言い換えるとわかりやすくなるでしょう。目の前に、「ひょっとしたら悪いことをしたかもしれない人々」が何千人と存在している。 彼らを、「怪しいから」という理由だけで、そのまま処刑してしまって構わないのか。

 常識で考えても、そんなことが許されるわけがありません。最低限「裁判」を行わなければ、その「処刑」の正当性を担保することはできない。上記の原剛氏や秦郁彦氏の見解は、そのようなものと理解できるでしょう。

 私見ですが、「安全区掃討」の是非は、「国際法」のややこしい議論に突入するまでもなく、「常識」で考えればいいことだと思います。 もう戦闘は終了しているのに、戦闘意欲を失った元兵士を片っ端から引っ張り出し、そのまま何キロも歩かせてまとめて殺害する。しかもその中には誤認連行された民間人も大量に存在している。 「虐殺」だと感じれば、普通の感覚でしょう。


さて、このあとに「スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか?」というリンク先が提示されています。これについては、既にmixiに投稿しました。(こちら



mixiを読めない場合に備えて、一応こちらにも転載しておきます。



 「知恵袋」で、根拠なく拙サイトの悪口を言っている方を見かけましたので、ちょっとからかってやれ(笑)、と登場してみました。

 「知恵袋」なのに、回答者・参加者入り乱れての議論、というわけのわからないことになってしまったのですが、その中である方が示してきたのが、「真実が知りたい、真実を知ってほしい」なるサイトです。

(念のためですが、私は、2000字という字数制限の中ではほとんど何も書けませんでしたし、こんなレベルの議論に巻き込まれたくもなかったので、基本的には相手方に「言いっぱなし」にさせてしまっています。 ま、そのうちまとめて「お返し」しましょう(笑))

 いや、笑いました。皆さんにも笑っていただくために、まずは全文を紹介しておきましょう。以下、引用。

(「ゆう」注 この時は、まさか質問者さんのサイトだとは考えておりませんでしたので、関係のない第三者のサイトをからかう、というつもりでおりました。失礼の段、お許しください)

スマイス調査は日本軍による虐殺の証拠たりえるか?

ルイス・C・スマイスによる戦争被害調査ですが、これは南京城内とその周辺地域における人的・物的被害を調べたものであり、加害者が日本軍か中国軍なのかを特定していないものの、被害の実態を知るうえで貴重な資料です。

調査方法は、市術地では50戸に1戸、農村部では約250世帯に1世帯を抽出し、彼が中国人助手と共に面接調査したものです。大雑把な調査ではありましたが、南京における唯一の学術的調査といっていいものです。 これは「南京大虐殺」を肯定するものでしょうか。否定するものでしょうか?

このスマイス調査によれば、南京市街地での民間人の被害は、暴行による死者が2400、拉致4200(拉致されたものはほとんど死亡したものとしている)、 さらに南京周辺部(江寧県)での暴行による死者が9160、計15,760人が民間人の被害ということでした。これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です。また、これは「犯人」を特定せず、被害だけの数字であり、 その中には、じつは日本軍による死者よりも、中国軍による死者のほうが多数含まれているのです。

というのは、ダーディン記者の記事にもあったように、中国軍は、南京城外の農村地区のほとんどを焼き払いました。そこでは、多くの中国人が死んだのです。また、安全区の中国人が証言していたように、 中国軍は働ける男をみれば拉致して兵士にするか、労役に使いました。またエスピーの報告にもあったように、中国兵は軍服を脱ぎ捨てて民間人に化ける際、服を奪うために民間人を撃ち殺すことも多かったのです。 このようにスマイス調査が示す民間人死者のうち、その大多数は中国軍による死者と言ってよいのです。

すなわちスマイス調査は、日本軍による民間人の死者はわずかであった、ということを証明していると言ってよいでしょう。

日本軍兵士による民間人殺害が全くなかったとは言えません。松井岩根大将もその点については認めています。しかし、軍規を守るように厳命されていた日本軍が組織的かつ大量に民間人を殺害などしていませんし、その証拠もありません。 軍規を乱した兵士は厳しく罰せられました。


 いや、こんな短い文章の中で、間違いのオンパレード。その挙句、「スマイス調査が示す民間人死者のうち、その大多数は中国軍による死者と言ってよいのです」なんて、おそろしい「結論」を出してしまっています。

 みなさんにはいまさら「解説」は不要かもしれません。でも、これを大真面目に取り上げている方もいらっしゃいますので、ちょっと遊んでみましょう。


ルイス・C・スマイスによる戦争被害調査ですが、これは南京城内とその周辺地域における人的・物的被害を調べたものであり、加害者が日本軍か中国軍なのかを特定していないものの、被害の実態を知るうえで貴重な資料です。


 この一行で、この方が「スマイス調査」を読んでいないのがバレてしまいました。「南京城内とその周辺地域」というのは、普通「市部調査」ですよね。「農村調査」はどこへ行った。

 「加害者が日本軍か中国軍なのかを特定していない」という文にもトリックがあるんで、「スマイス調査」は別に「日本軍の暴行」を告発するためのものではありませんし、 またおそらくは「日本軍占領下の調査」という制約もあって、調査票に「日本軍」の文字を入れなかっただけの話。

 実際、「まえがき」にはしっかりこう書いてあるのですけれどね。「調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた」

 現場で「調査」を仕切った方の「判断」ですので、これを誤りだと主張するのであれば、よほどしっかりした「根拠」が必要でしょう。


調査方法は、市術地では50戸に1戸、農村部では約250世帯に1世帯を抽出し、彼が中国人助手と共に面接調査したものです。

 間違い、ふたつ。

>農村部では約250世帯に1世帯を抽出し

 いったいこれ、どういう思い込みなのでしょうか。調査方法は、「報告」に明示されているのですけれど。

>農業調査においては、三つの団体の通行証をもった二人の調査員が、六つの県へそれぞれ派遣された。調査員は主要道路にそって進み、それから8の字を描きながらその道路をジグザグに横断して戻り、道路の後背地にある地域をカバーするように指示された。

>この一巡のさいに道筋にある村三つから一つをえらんで村落調査表を作製し、それらの村で帰村している農家のうち一〇家族に一家族を選んで農家調査表に記入することにした。


(「ゆう」注 あとで気がつきましたけど、この方式でやると、「206世帯に1世帯」ということになるのだそうです。いずれにしても、「250世帯」という数字がどこから来たのか、不思議です)

 また、「彼が中国人助手と共に面接調査したものです」というのも、初耳。「報告」の表現は「助手」ではなく「調査員」ですし、ましてスマイス自身が同行した、なんて記録はない。

 少なくとも「農業調査」では、「調査員」を「派遣」したわけですから、スマイス自身とその助手(?)が「面接調査」を行った、ということは、ありえません。



 「これは「30万人」虐殺説には程遠い数字です」というのはまあいいとして(この書きぶりを見ると、「30万人」には軍人の被害者も含まれていることを、たぶん筆者は知りません(笑))、その次に引っくり返ります。


その中には、じつは日本軍による死者よりも、中国軍による死者のほうが多数含まれているのです。


 その根拠は何か。

 屮澄璽妊ン記者の記事にもあったように、中国軍は、南京城外の農村地区のほとんどを焼き払いました。そこでは、多くの中国人が死んだのです」

 ダーディン記事の内容は、「焼き払い」まで。「多くの中国人が死んだ」なんていうことは一言も書かれておらず、ここ、筆者の勝手な想像、もしくは「デッチ上げ」です。

 ダーディン記事のうち「清野作戦」に関係する記述を、私は「日本軍の放火」中「付記 中国軍の清野作戦」にまとめました。


 普通に考えれば、「住民を避難させて、その後に火をつけた」と見るところでしょう。 「巻き込まれ」て焼死した人が皆無だったとは断定しませんが、本当に「多くの中国人が死んだ」のでしたら、記事にそれなりの記述が出てきてもよさそうなものです。

 いずれにしても、「多くの中国人が死んだ」という記述には、何の根拠もありません。


◆岼汰感茲涼羚饋佑証言していたように、中国軍は働ける男をみれば拉致して兵士にするか、労役に使いました」

 この「証言」、私は知りません。ただ検索してみると、「出典不明」のまま、結構ネットに出回っているようですね。

 いずれにしてもこれは、「日本軍による死者よりも、中国軍による死者のほうが多数含まれている」根拠には、全然なりません。


「またエスピーの報告にもあったように、中国兵は軍服を脱ぎ捨てて民間人に化ける際、服を奪うために民間人を撃ち殺すことも多かったのです。」

 これ、もうおなじみですね。私も、「小林よしのり氏「戦争論」の妄想」の中で解説しています。


 「エスピー報告」の、元の文はこう。

>気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った。


 そう、筆者は勝手に、「民間人を撃ち殺すことも多かったのです」なんて文章をデッチ上げています。

 この文章、拙サイトでは、こう解説していますね。

>現実に、他の外国人が記したさまざまな記録のどこにも、この「中国兵の殺人」の具体的な記述は登場しません。誰が目撃したのか、どのような情報源からの情報だったのか、もわかりません。 してみれば、果してこれが事実であったのかどうか、もう少し慎重に検討する必要がある、と考えるべきところでしょう。


 まあ実際のところ、「市部調査」による「12月12、13日」の「兵士の暴行」による死者は、たったの250人です。

 常識で考えれば「13日」の日本軍入城後の「死者」が多かったのだろうな、と推定されます。例えそんなケースがあったとしても、「スマイス調査」15,760人の「被害者数」に影響を与えるほどの数字にはならないでしょう。



 そして、筆者の結論。


このようにスマイス調査が示す民間人死者のうち、その大多数は中国軍による死者と言ってよいのです。

 あれあれ、たった数行前の記述は、「多数含まれている」だったはずなのですが。「大多数」にグレードアップしてしまいました。


 「スマイス調査」の話はこれで終わりますが、筆者の「トンデモ」は止まりません。次にはこんな記述が出てきます。

 いや、もう面倒になりましたので、コメント抜きで「さらしもの」にしてしまいましょう。(笑)



軍規を守るように厳命されていた日本軍が組織的かつ大量に民間人を殺害などしていませんし、その証拠もありません。軍規を乱した兵士は厳しく罰せられました。

 それ、どこの「日本軍」の話ですか?(笑)



(一部略)
で、このサイトをよく見ると、「南京における漢奸狩り」という章があるのですね。 これ、Wikipediaのまる写しであるようです。


戦争が始まると漢奸の名目で銃殺される者は南京では連日 80 人にも及び、 その後は数が減ったものの1937年11月までに約 2,000 名に達し、多くは日本留学生であった(当時南京にいた外国人からも日本留学生だった歯科医が漢奸の疑いで殺された具体例が報告されている)

南京攻略戦直前(1937年12月初め)の南京城内では毎日、漢奸狩りで捕えられ銃殺される者は数知れず、電柱や街角に鮮血を帯びた晒し首が目につかない場所はなかった。


 当時の日本における報道に基づいたものであるようですが、私にはこれがどこまで「事実」なのか判断できません。

 外国人の記録では、確かラーベが「漢奸狩り」のことを書いていたように記憶していますが(不確実)、こんな大規模なものであったら、もっとあちこちに出てきてもよさそうなものですが。


 で、これは明らかなデマ。


行政院秘書であった黄月秋が最初に銃殺され、当時から日本側と頻繁に交渉していた外交部アジア司長高宗武、汪兆銘の腹心である曾仲鳴とチョミンギ、実業家の周作民、許卓然などは監禁されるか生死不明となり


 いやあ、思わず「高宗武回憶録」を読み直してしまいました。

 当時高宗武は、蒋介石の信頼を得て「亜州司長」(日本の「外務省アジア局長」に相当)の要職にあり、香港、武漢などを飛び回っていたようです。「監禁」された、なんて記録はどこにもありません。

 汪兆銘グループの二人にしても、この時期「監禁」「生死不明」になっていた、という話を、私は寡聞にして知りません。「汪兆銘」については、かなり調べたつもりだったのですが。

 周作民については、Wikipediaの記述はこう。

>1937年(民国26年)の日中戦争(抗日戦争)勃発後は、農産調整委員会主任委員に起用される。11月、上海租界に移り、日本軍に占領された地域での金城銀行各分行の指揮をとった。

 同じWikipediaの記事なんだから、ここらへんの「調整」はしっかりやってほしい(笑)

 あと2名については検索してもヒットせず(1930年に亡くなった「許卓然」という人物はいましたが、まさかこれではあるまいな)、調べきれませんでしたが、少なくともこの「報道」、眉に唾をつけて読んだ方がいいようです。

 原典は国会図書館にでも行かないと調べられないようですが、機会があれば私お得意の「原文確認」を試みてみることにしましょう(笑)





2011.10.17追記

 y1892aさんからコメントがついたようですので、お答えしておきます。(別に全部を読んだわけではありませんので、私が取り上げた以外にもコメントがあるようでしたら、お知らせください)


ゆう氏のこちらのサイトでの「スマイス調査のまえがき」によると、

事実上、城内の焼払いのすべてと近郊農村の焼払いの多くは日本軍によって数次にわたりおこなわれたものである(南京においては入城から一週間すぎて十二月十九日から二月初めまで)。 調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。(引用終わり)

とのことですが、すべて日本軍の手によっておこなわれたと言う根拠は不明です。そもそも前書きでなんの根拠も無く日本軍の犯行であったと断言する調査って、本当に中立なのでしょうか?

この前書きを書いた国際安全委員会の ベイツ教授は中国国民党の顧問でした。 そんな人物が「中国国民党兵士によるものがほとんどでした」などと書けるでしょうか?こんな前書きを鵜呑みにするのはイデオロギーに染まった人にしか出来る技ではありません。

マイナー・シール・ベイツ(Miner Searle Bates、1897年5月28日 - 1978年10月)は、アメリカ合衆国オハイオ州ニューアーク出身の歴史学者。イェール大学で博士号を取得、金陵大学(現:南京大学)副学長を歴任。中華民国政府の顧問であった。 1937年12月、南京攻略戦において、南京安全区国際委員会の一員として中国市民を保護する活動に従事した。1938年と1946年には蒋介石より勲章を授かっている。



すべて日本軍の手によっておこなわれたと言う根拠は不明です。そもそも前書きでなんの根拠も無く日本軍の犯行であったと断言する調査って、本当に中立なのでしょうか?

 ベイツやスマイスは、「調査」を仕切る立場にありました。調査員が苦労の多い調査から帰ってきた時に、当然ながら、「調査票」に出ないいろいろな事情を聞いていた、と考えるのが自然でしょう。

 またそもそも、ベイツやスマイスらは、「情報ゼロ」から出発したわけではありません。「事件」から「調査」まで、3カ月が経過しています。この間、彼ら外国人は、国際委員会の活動などを通じて、大量の「情報」を入手していました。 仮に「中国軍兵士によって多くの人が犠牲になった」という情報があったとしたら、それが彼らの耳に入らないわけがありません。

 そういった中で、ベイツらは「調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた」という認識に達した、と考えられます。

 どうして「根拠も無く」と「断定」できてしまうのか、不思議です。



 さらにこの「まえがき」の中で、ベイツは、

>一月初旬以来、中国人市民による略奪と強盗がはじまり徐々にひろがった。その後、とくに三月以降は燃料争奪戦のために空家になっていた建物の骨組みに大きな被害が出た。 また、後には農村部において深刻な強盗行為が増加し、今では日本軍の強盗と暴行に匹敵し、時にはこれをしのぐほどになっている。この報告の一部にはこうした原因の諸要素も見られるのである。

 と書いています。本当に日本軍を「悪」にしたいのでしたら書かずもがなのことであり、ベイツは十分「公正な」書き方をしている、と評価できます。



 ついでですが、ベイツが「中国国民党の顧問」であった、というのははっきり間違い。東中野氏の主張によれば、「中国国民党」という特定政党の顧問ではなく、「中華民国」の顧問であったそうです。ちゃんと、引用文中に書いてあるではありませんか(笑)。


 ただしこの東中野氏の主張は、どこの誰が切り抜いたかも、どの新聞の何月何日の報道だったかもわからない一片の記事を根拠としたものです。 「中華民国顧問」という肩書はこの出所不明の記事以外には一切登場せず、事実かどうかは慎重に判断すべきところでしょう。記者の単純な勘違い、という可能性も大いにあります。

 例え事実であったとしても、「顧問」は単なる「adviser」です。ベイツの専門は歴史学でしたから、別に「政治顧問」であるとは限りません。


 さらに言えば、ベイツは当時、妻子を日本に残し、12歳の長男は神戸の「カナディアン・アカデミー」に遊学していました。 ベイツが「反日」の人物であったとすれば、大事な妻子を嫌いな国に二人だけで残すなど、ちょっと考えにくいところです。当時の「東京日日新聞」の記事では、「親日家」と紹介されています。 (以上、詳しくはこちら

 余談ですが、もしベイツが反日感情を持ったとするならば(あくまで、「もし」です)、「南京事件」に接してからのことである、と考えるのが自然でしょう。 目の前で特定国の兵士の大規模な「暴行」ぶりを見せつけられて、なおその国に対する「好意」を維持することは、私だったらとてもできそうにありません。

 また、この調査は別に「日本軍を非難する」ためのものではありません。スマイスは「学術調査」として仕上げるよう、細心の注意を払っていました。 参考までに、この調査の結論は、生活基盤に大きな損害を受けた人々に対する、貸付制度の拡充などの支援を行うこと、です。 仮にベイツが「暴走」してその「学術的価値」を貶めたのだとすれば、スマイスが黙っていなかったでしょう。

 以上、y1892aさんの説明には、根拠はありません。



引用1)※APPENDIX Cによれば、市部調査の調査票には脚部に
“Accident” was used as a code word to record effect of military operations; “warfare” as a code word for violence by Japanese soldiers apart from military operations.
 という注意書きがされていた。 つまり、軍事行動以外の死傷者は全て日本軍兵士の暴行によるものという決めつけが調査計画段階で為されており、市部調査はこの決めつけに基づいて行われたものと言える。最初から客観的・中立的な調査ではなかったのである。


 あれあれ、y1892sさんのサイトのちょっと上の方には、「加害者が日本軍か中国軍なのかを特定していないものの」の文が見えるのですが・・・。これでは、ちゃんと「日本軍兵士の暴行」を調べていた、ということになってしまいます。 このあたり、矛盾が出ないように書き直した方がいいのでは。

※どうでもいいんですけど、APPENDIX Cの意味、y1892aさん、わかって書いていますか? 絶対わからないまま「丸写し」しているのだろう、と私は判断しているのですが(笑)

 それはともかく、このライター、「調査票」の「脚部」に「注意書き」があった、という単純な勘違いをしていますね。 ここで言っているのは、調査票にある「事故」は「軍事行動の結果」のcode(すなわち、符牒)、「戦争」は「軍事行動以外の日本軍兵士の暴行」のcodeとして使われた、ということです。

 日本軍占領下の調査ですから、日本軍を刺激しないように注意した、ということでしょう。現場では、このような「符牒」として調査票記入を依頼した、と考えるべきところです。


 まあ現実問題として、「日本軍兵士の暴行だけを取り上げ、中国軍兵士の暴行がもしあったとしてもそれを無視するように」なんて「指示」を出すわけもありませんので、この「指示」が調査結果に影響を与えたとは考えにくいところです。

 先ほど書いたように、ベイツやスマイスの情報源は、別に「調査票」だけではありません。さまざまな情報に接する中で、 「一般市民にたいする暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた」という認識が、自然にできていったものと思われます。

 エスピー報告に現れる「中国兵の殺人」の曖昧な情報は、たとえあったとしても「統計」に影響を与えるほどではない。それが、彼らの共通認識だったのでしょう。


 いずれにしても「市部調査」の結果を見れば、そのほとんどが「日本軍兵士の暴行」であろうことは、明らかです。「12月12日以前」の「兵士の暴行」による死者は、ゼロなのですから。

 「12月12日、13日」になって初めて、「兵士の暴行」の死者「250人」が報告されますが、これはもう「12月13日」の日本軍兵士の暴行が主体であった、と判断して差し支えないでしょう。 またこの中に、仮に「中国軍兵士の暴行」が含まれていたとしても、6600人のうち250人のそのまた一部ですから、ほとんど問題になる数字にはならないものと考えられます。 (「12月12日」がダブっていますが、その理由はよくわかりません。あるいは「12月11日以前」と読み替えるべきなのかもしれません)


 例えば12月13日には、こんな事例が報告されています。

フィッチ「一九三七年、クリスマス・イブ 中国、南京にて」

 十三日の午前一一時、安全地区にはじめて日本軍の侵入が知らされました。私は委員会のメンバー二人と一緒に車で彼らに会いにゆきましたが、それは安全地区の南側の入口にいる小さな分遣隊でした。 彼らは何の敵意も示しませんでしたが、その直後には、日本軍部隊の出現に驚き、逃げようとする難民二○人を殺したのです。

(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P29〜P30)


 ラーベ、スマイスも現場で死体を見ていますので、これは信憑性の高いエピソードであると言えるでしょう。



引用2)「たとえばこういうことをやっている。南京地方に於ける損害の統計を作る場合に、戦争の直接の被害、火災によるもの、日本の軍隊の略奪によるものというような項目が挙がっており、火災の場合についていえば、 支那軍が逃げるときに放火したために焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。数字としては極めて確かだけども、これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。 斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、この機関を通してまかれている事実を見たのであります。ベーツ教授は私がミリカンの友達というので直ぐこういうものを出してこれたわけであります」



 y1892さんは、どうして「出典」を省いたのでしょうか。ひょっとして、「出典」をきちんと載せると信憑性が落ちる、と考えたのでしょうか。

 これ、興亜院政務部昭和15年7月調査報告会速記録内、吉田三郎「支那に於ける第三国人の文化施設」からの引用、と紹介されています。要するに、中立的第三者の発言ではなく、明らかに日本側の立場に立った発言です。


 それはともかく、この論難、見当外れであることはもう説明の要もないでしょう。だってベイツは、「まえがき」で堂々とこう書いているのですから。

南京の城壁に直接に接する市街部と南京の東南部郊外ぞいの町村の焼き払いは、中国軍が軍事上の措置として行ったものである。

 吉田氏には、この「まえがき」が目に入らなかったのか、あるいは調査価値を貶めるために意図的に無視したのでしょう。




 で、y1892さん。いい加減に「人のふんどしで相撲をとる」ことはやめませんか? 「スマイス調査」を自分で読んでいない人が、怪しげなサイトのコピペで無理やり「批判」しようとすると、 こんなふうに「見当違い」を乱発することになります。はっきり言って、私にも「時間の無駄」です。

 「スマイス調査」を批判したいのであれば、せめて自分で原典に当たってからにしましょうや。

(2011.10.16記 2011.10.17追記 2012.2.1公開)


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